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🔖クレイジー・トゥ



 私は他人に殴られて喜ぶ変態嗜好なんか持っていない、ごく正常な人間だ。
 しかし定期的に苦痛を与えられれば肉体はその感覚に慣れようとするものだ。
 強すぎる刺激に耐えるため、それが痛みではなく快感であるかのごとく脳に錯覚を起こさせるんだ。
「つまりこれはべつに私が被虐趣味に目覚めたんじゃなくて単なる自然な防衛本能の一種だから!」
「ああ、そうかよ」
 地べたに這いつくばったまま言い訳を重ねる私を見下ろし、バルガスはどうでもよさげに肩を竦めた。

 修行を始めた当初はぶん殴られるとすぐHP0になり気を失っていた。
 やがて少しずつ慣れ、激痛に呻きながらもなんとか意識を保てるようになってきた。
 最近、殴られた瞬間に痛いんだか気持ちいいんだかよく分からなくなることがある。
 いやむしろ、そこはかとなく“イイ”ような気がしなくもない一瞬が確かにある。
 これはいけない。こういう目的で殴られてるわけじゃない。妙な性癖を発掘する必要は、まったくないんだ。

 震えて力が入らない腕を叱咤して地面に別れを告げる。起き上がってみると体のあちこちにできた青痣が他人事のように痛ましい。
 致命傷を負わせないだけバルガスは優しいと言えるだろうか。
 でも戦闘不能に陥るまで長くかかるほど苦痛を感じる時間も延びるのだから、絶妙な手加減は優しさとは違うと思う。
 私の目的は別問題として、バルガスは私を心置きなく殴れるこの時間を楽しんでいるのだ。
 根っからのサディスト。そんなのを相手にしてるのだから私が多少マゾヒスト気質に目覚めても無理はない。いや目覚めていないけれども!

「まあ、殴りかかられてもビビって竦むことがなくなっただけ進歩ですかね」
「鈍足にも程がある進歩だな」
「進まないよりゃマシなんすよ、これでも」

 私だって殴られるのが楽しくて殴られているわけじゃない。これは修行の一環なんだ。
 尤もバルガスに言わせれば「何年続けたところで修行にはならん」とのことだけれども。
 そんな次元に到っていないのは自覚しているし、修行と言うのは確かに烏滸がましいかもしれない。
 私がバルガスに相手をしてもらっているのは要するに痛みと恐怖に耐えるための基本的な特訓でしかなかった。

 これまで平和な世界で生きてきた私は他人に暴力を振るった経験がなく、幸い殴られることにも慣れていない。
 だからこそ、モンスターであれ人間であれ襲いかかってくる敵に対すると反射的に動けなくなってしまうのだ。
 当然だが硬直する私を見ても相手は攻撃の手を緩めてなどくれない。この隙を突いて手際よく殺そうとするだけだろう。
 私はせめて平静を保ちその場から素早く逃げ出せるだけの余裕を持たなければいけない。
 そしてあわよくば反撃に移れるだけの技術、攻撃に晒されながら思い通りに行動する度胸を身につける必要がある。

 サウスフィガロに移り住むようになってから、私はダンカンでもマッシュでもなくバルガスに稽古の相手を頼んだ。
 あの二人は無力な女を思い切り殴れるほど凶暴な性格をしていない。しかしバルガスは躊躇なく、容赦なく、私をぶちのめしてくれる。
 死なない程度に加減したうえで私をボコボコにしてくれなんて依頼をするのにうってつけの人物だった。

 まだ機敏には動けない。ちょっと身動ぎしただけで全身が痛み、意思に反して涙と呻き声が勝手に漏れた。
 バルガスがポーションを差し出してくれたのに受け取ることができず、それをじっと眺める。
 丸薬から液体になったのは何作目かな。VIIからだったかな。
 持ち歩くにも大量に飲むにも液体は面倒が多そうだ。この時は、まだ丸薬でよかった。

 ギシギシ音がしそうな動きで腕を伸ばしてポーションを受け取る。
 四苦八苦しながら水筒の栓を抜いて丸薬を飲み干した。
 回復薬は不味い。しかし今は血の味がするからよく分からない。どっちにしろ不味いことに変わりはないけれど。

 ポーションを飲み下すと時間を要せずに傷が治り、痛みもきれいさっぱり消え去った。この劇的な効果が私は未だ怖いんだ。
 薬草類を煎じて丸めたものだと聞いているが、本当にそうなのだろうか?
 この即効性と効力は原料となる草に回復魔法でもかかっているとしか思えなかった。
 剣と魔法のファンタジー世界なのだからポーションがマジックアイテムだとしても驚かない。
 しかしことFFVIに関しては、魔法効果というものをあまり宛にしてはいけないんだ。魔導の力は数年以内に消滅してしまうのだから。


 ローラの家で暮らしていく中で「おいおい、これ魔法のアイテムちゃうんか」と思われるものに遭遇する機会は多かった。
 たとえば雷の力を帯びた石は電球のようにして照明に使われているし、熱を放つ石でお湯を沸かしたりもする。
 少々お高くなってしまうが、冷気を発する石で作った冷蔵庫なんて物もあったっけ。思えばマランダ国って意外に裕福だったな。
 ともかく。
 魔法が滅びて機械文明が発達し、今は蒸気機関が世界を動かしているけれど、ここの住民たちは無自覚なまま魔法を利用しているらしいのだ。

 魔大戦の勃発が千年前。三闘神が降臨したのはそれより前。
 戦争の中で魔導の力は世界のあらゆる場所に浸透していったに違いない。大気に、大地に、そこに息づく生物の胎内に。
 魔石やその砕けた欠片のようなものが、それと知られず発掘されたとしよう。
 そこからエネルギーを抽出する方法が発見され、今日に到るまで魔導の力はそれが魔導だとは知られないまま生活の役に立てられている。
 三闘神を倒したらそれらはどうなるのだろう。すべての物質から魔導の力が消え失せたら、生活の基盤が根本から崩れかねない。
 だってポーションを飲んでも傷が癒えなくなるかもしれないのだから。

 できることなら魔導の力が滅びない結末を見てみたい。
 それが恐ろしく難しいことだとは分かっているので、物語が始まる前にやっておくべきことは山ほどある。
 殺意や悪意に慣れておくのもそのひとつ。痛いとか怖いとかでビビって固まってる場合ではないんだ。


 治りきらなかった傷がいくつかあったので追加でポーションを飲む。
 今度はしっかり味が感じられた。クソ不味さに涙が出ちゃう。しかし青痣と骨に入ったヒビまで完全に治った。
 ポーション二つで全回復できるのはありがたい限りだけれど、それだけHPの最大値が低いということでもあるので素直に喜べないな。

 一旦休憩。バルガスは暇そうにしつつも私を置き去りにするようなことはしなかった。
 私が弟子入りしているので自尊心をくすぐられたのかもしれないし、意外と面倒見がいいのかもしれない。
「バルガスはさぁ、夢の中で『あっこれは夢だな』って分かるタイプ?」
「昔のことを思い出せなければ夢だと分かる」
「おぉ、なるほどねえ」
 夢の中に時間という概念がないのは確かだな。眠ってる間は過去も未来もないんだ。
「逆に言うなら、昔のこと思い出したり今後のこと考えたりしてればそれは現実だと分かるわけですね」
 寝てる時に見る夢か、起きてる時に見る夢か。

 ローラの家で暮らして一年、山籠りを挟みつつサウスフィガロのハーコート家で暮らす日々も、じきに一年。
「現実にはあり得ないから夢だな、って思った瞬間から普通に二年近くが経過した。やっぱりこれは現実なんですかね〜」
 愛想よく笑みを浮かべて振り返るとバルガスは欠伸をしていた。話を聞けよ!

 べつに誰彼構わず救いの手を差し伸べて回りたいわけではないけれども、ラッドと同じくこいつのこともどうにかしたいと思う。
 一年ぽっちの付き合いではあれど世話になったのは事実なんだ。
 バルガスが死ぬのは嫌だな。マッシュが殺すはめになるというのも、甚だしく嫌だ。
 これはどうやら夢ではないので、何かを為したいのなら現実的な努力が必要になってくる。


 背後から草を掻き分ける音がして無意識に立ち上がる。硬直せず逃げるために身構えていた自分に気づくと思わずニヤついてしまった。
 枯れ枝を踏みしめながら近づいてくるのは、熊ではなくてマッシュだった。
「バルガス、ユリ! ここにいたのか」
 でも見た感じは熊とあんまり変わらないな。

 別行動を黙認しているので普段はダンカンもマッシュもバルガスの居場所なんて関知していない。なのにマッシュが探しに来たということは。
「もう町に降りる時期か、早いね」
「ああ。ユリも来るだろ?」
「ご一緒させていただきまーす」
 町で人手が必要な秋と、年末から年始にかけてはダンカン親子もマッシュも修行を休んでサウスフィガロに帰ることになっている。
 家族団欒の時を過ごすための決まりごとだ。ちなみに秋の里帰りは私も一緒だった。

 屈託のない笑顔でマッシュが兄弟子を振り返る。
「バルガス、あなたも……」
 しかし遅れてきた反抗期のバルガスは弟弟子を無視して山奥へと姿を消してしまった。どうやら一緒に行く気はなさそうだな。
「参ったなあ。おっしょうさまも今年は行かないって言うんだよ」
「ありゃま。なんで? まさかダンカンも反抗期じゃないでしょ?」
「違うって。新しい技を思いついたから完成させたいんだとさ。……まあ、本当のところはバルガスと気まずくなってるからだろう」
 近頃バルガスは私を殴りに来る以外で姿を見せないものね。って言うとすごい極悪非道に聞こえるわ。

 ダンカンとバルガスの仲が拗れ始めているならば即ち“その時”が近いということでもある。
 雪景色のお陰でティナがナルシェに派遣されるのは冬って先入観があるけれど、彼女らは年明けすぐにやって来るのだろうか。
 なるべくならサウスフィガロで帝国の情報を仕入れておきたいものだ。

「とりあえず、私たちだけで行こうか。ミセス・ハーコートはマッシュさえ帰れば喜ぶっしょ」
「嬉しいけど嬉しくないぜ……」
 この亀裂は殺意にまで発展する予定だもの、仲良く年末年始を過ごす余裕は父にも息子にもないだろう。
 団欒に憧れを抱いているマッシュにとっては自分だけじゃなくダンカンとバルガスが家に帰ることも重要なんだ、ってのは分かるけれど。
「べったり一緒にいない方がうまくやれる家族もあるってことよ」
 正直を言えば、ダンカンは放っといてもいいんだ。どうせ生きているのだから。
 問題はマッシュとバルガスの戦いをどうやって阻止するか……。

 眉をひそめて悩む私に何事か勘違いしたらしく、心配そうな顔でマッシュがこちらを覗き込んでくる。
「ユリの家族はあんまり仲良くなかったのか、ってこれ、聞いても大丈夫か?」
 もし聞かれるのが嫌だったら答えなくていいと気遣わしげに見られて妙に慌てた。いやいや、気遣われても困る。
「仲良くなかったわけじゃないよ。べつに……うーん、普通、かな」
「普通って何だよ」
「普通って何だろう。私にも分かりません」
 問題なのは家族ではなく私自身だった。親をどう思っていたか考えたことはない。

 仲良し家族かといえばそうではなかった。しかし仲が悪かったわけでもない。
 何もなかった。嫌いだとか殺したいとか思えるほど深い感情がなかった。
「私が親不孝だったのだけは間違いないけどね」
「ふーん……」
 いまひとつ分からんと首を傾げつつ、マッシュは途中で考えるのをやめた。
「いろいろあるよな」
「いろいろありますよ」
 マッシュはハーコート家に仲良し家族でいてほしい。
 私は兄弟弟子に殺し合いをさせたくない。
 思惑はいろいろある。バルガス自身がどうしたいのかは、私たちには分からない。


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