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🔖記憶更新
バロン城に到着するとセオドアはすぐに姿を消した住民を探して奔走した。
そしてユリは……、どこを見ているとも知れない目でぼんやり廊下に立ち尽くしている。
以前はモンスターに囲まれながら暮らしているという異常事態も手伝って異質さばかりが目につく娘だった。
しかし今こうしてバロン城の片隅に立つ彼女の姿は、違和感なく視界に溶け込んでくる。
人間が、人間の住み処にいるだけだ。
変わったのがユリなのか、私自身の心境なのか……よく分からない。
ユリはどこにいても何をしていても、暢気だ。
傍にいると脱力させられることも多く、時には戦うための心までなくしそうになる。
それはきっと彼女の強さでもあり、弱さでもある。
人を思い遣っていなければ余裕を保てないセオドアと、どこか似通った気質なのかもしれない。
暢気な態度を貫かねば、彼女の中で壊れてしまうものがあるんだろう。
「いい思い出、なんて言っちゃだめなんだろうなぁ」
ほんの小さな声が冷たい石床に沈んでいく。
無人となったバロン城に抱く想いは、私もセオドアも、ユリも、その性質を異にしている。
かつて水のカイナッツォが陛下に化けて暮らしていた。
ゴルベーザが、セシルを放逐して赤い翼隊長の座に就いていた。
ユリは彼らと共にあった。
親しい者たちとの何気ない会話や日常が、この城に溢れている。
セオドアにとっては家族を失う瀬戸際だ。しかしユリは、とうにそれを亡くしていた。
彼女の喉が震えている。表情の失せた瞳から今にも涙がこぼれそうな気がした。
今のユリは暢気を装う余裕さえないようだった。
……城門を守っていた、操り人形がごとき兵士たち。その糸を辿ってみても、おそらく彼女が求める人物には会えないだろう。
では、この事態を引き起こしているのは何者なんだ?
十四年の時を越えて、昔と変わらぬ姿のユリを呼び出したのは、あいつでなければ誰なんだ。
ふとこちらの存在に気づいたユリが見上げてくる。
「玉座で誰かと会った?」
「……いや」
知っている者には会わなかった。……嘘は吐いていない。
そして続く彼女の言葉に硬直する。
「今、カインにとって“もう半分”は消えてほしい存在?」
「……」
ユリに向かって“なぜ”は愚問でしかないな。昔からそうだった。
なぜ知っているのか。そんなことはどうでもよかった。
「己の罪は己で償わねばならん」
「でも、あなたがカインであるように、もう一人もやっぱり、カインなんだよ。訣別するなんて変だよ……」
彼女の心は“ゴルベーザ”のもとにある。ゼムスに操られ、悪事を働いていた男。
正気を取り戻した今や、ユリの知る彼はこの世に存在しないと言えよう。
だからこそ私の欠落に気づいたのかもしれない。
名を捨て、過去から目を背け、訣別することで消えてしまうものを、彼女は悼む。
……訣別、か。
かつてもそうするつもりでバロンを出た。しかし私は……俺は、何も変わってはいなかった。
「あの弱さも俺自身ならば、訣別するのではなく受け入れるべきなのだろう」
でなければ真の自分自身には戻れない。そんな気がするんだ。
セオドアは未だ戻らない。確か彼はエンタープライズがあるはずのドックへ向かったのだったな。
迎えに行ってやるべきだろうかと思いつつも、ユリに声をかける。
「……ユリ」
「んー?」
「お前は何のためにセオドアについて行くんだ?」
戦いの渦中にあると、それだけでユリの気は休まらない。彼女はずっと命のやりとりから遠い場所にいた。
ユリ自身も頭では理解している。相手を殺さなければ自分か仲間が死ぬのだと。だが、理解していても体が動かない。
武器を持って敵に立ち向かうことができないんだ。
なぜならば、我々にとっての敵……月の魔力にあてられたモンスターたちは、彼女にとっての家族だったかもしれないのだから。
剣を向けられない。死体を直視することもできない。そんな身で無理を通してセオドアについて行くのか?
あの窮屈なゾットの塔で、ひたすらに戦いから目を背けさせられていたことには意味があったんだ。
ユリを傷つけない。ユリに誰かを傷つけさせない。ユリの前で、誰も傷つかせない。
そんなことは不可能だ。しかしあの場所で、それは確かに叶えられていた。
……彼女を守ることに心血を注ぐ者がいなければできはしない。
無理にでも理由を作って町に置いてくるべきだっただろうか。ちらりと横顔を窺うと、ユリが恨めしそうに睨みつける。
「なんかさ、失礼なこと考えてない?」
相変らず鈍いのか鋭いのかよく分からんヤツだ。
この先どこか、ミストの町にでも置いて行くことは可能だろうか。
きっと無理だ。セオドアから離れたがるとは思えない。
だが、ユリを守りきる自信がない。命だけならまだしも、心までは。
「カインは……私を置いてっちゃいそうだよね。いろんな意味で」
今まさに考えていたことを言い当てられて、思わずユリの顔を凝視した。
「図星なんだ。やっぱ失礼なこと考えてたんだ」
「いや……すまん」
危険な目に合うのはお前だって本意じゃないだろう。そう言い返せばいいものを、どうもその気になれない。
今また世界に何かが起きている。そんな時に蚊帳の外でいろというのも酷な話だ。
ユリにも、自分の手で守りたいものがあるのだろうから。だが……。
つらいんじゃないのか。
時の流れが、蘇る記憶が、この世界に関わること……それ自体が。
変わらない景色の中で変わってしまった者たち。十四年の歳月を感じさせるすべてのことが。
ゆっくりと目を伏せて、噛み締めるように彼女は言った。
「つらくてもいい。変わっても変わらなくても、私は覚えてるもん」
「……そうか」
「悲しい気持ちになるとしても、危ない目に遭うとしても、私はセオドアと行くよ」
ユリの記憶には彼らが息づいている。他の誰にも彼女の意思は変えられない。
城は無人のようだが我々を狙う何かが潜んでいないとも限らない。セオドアと合流するためドックに向かう。
再び地下水路を抜けてバロンを離れることにしよう。
正体は分からないが、“敵”がバロンを掌握しているならば我々が意気がったところで仕方ない。
他国に……ダムシアンか、ファブールにでも助けを求めるしかなかろうな。まるで過去の繰り返しだ。
セオドアを探して歩きながら、消沈している様子のユリに聞こえるか聞こえないかの声で呟く。
「正直……俺はもう一度会えて嬉しいぞ」
それは本心だった。ユリは驚いたように目を瞬かせる。
「ふーん、そうなんだ……」
「そうなんだってことはないだろう」
「ああ、うん……いや、意外っていうか、びっくりしたけど、嬉しい」
まっさらな状態でもう一度会えたのだ。ユリがここにいる、その事実にどんな意味があろうとなかろうと、嬉しいのは事実だ。
ここからは見えない月を思う。
彼こそが誰よりも強く彼女のことを想っていた。
俺は彼らと過去を共有していたのだから。せめて今は……彼らの代わりに、ユリを守ってやろう。
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