![](//img.mobilerz.net/sozai/27_w.gif)
🔖波紋邂逅
たびたび振り返り、後ろをついてくる姿を確かめる。
彼女の歩調はのんびりしていて、散歩でもしているような錯覚が起きる。
同行者ができたことで少しだけ気持ちが楽になっていた。
なるべく戦わないで進もう、とユリさんは言った。実際、いざ魔物に襲われた時にも彼女は僕の手を引いて一目散に逃げ出した。
『私は戦力外だし、正直なところ戦闘シーン見るのも苦手なんだよね』
悲しげに訴える彼女の目は真剣だった。
それなら戦いを避けていくのもいいと思う。先は長いし、体力を温存することにも繋がる。
先のことを考えると気が重くなるんだ。
たとえ無事にバロンへ帰り着いても、そのあとに何が待っているのか……。
一人だと立ち止まりそうになる僕の背を、共に歩く存在が軽やかに押してくれる。
焦りそうになれば振り返らせてくれる。彼女の歩調に合わせて僕も落ち着く。
戦えないユリさんの弱さと、それをものともしない暢気な性格は、今の僕にとって他の何よりもありがたいものだった。
「……うーん」
背後から聞こえた唸り声に足が止まる。ユリさんが何かを考え込むように首をひねっていた。
「どうしたんですか?」
「ちょっとね。私たち、バロンに向かってるんだよね?」
「はい」
尋ねるというよりは念を押すような口調だ。なんとなく不安になる。
一体どんな言葉が飛び出してくるのかと身構えていたら、ユリさんは想像をこえた打ち明け話を始めた。
「実は私、この世界の人間じゃないんだ」
「……はい?」
「っても幻界出身とかじゃなくて、もっと遠い異世界から来たの。どうしてかは、自分でも分からないけど」
前回はとある目的をもって彼女を呼んだ人物がいたのだという。
……前回。その“異世界”からこちらの世界にやって来るのは、彼女にとっては二度目の体験。
だからそんな突拍子もないことを当たり前のように言うのだろうか。
あんまり普通の口調で言われたから、馬鹿な話だとか、信じられないとか、疑う余地もなくストンと受け止めてしまった。
そうか、彼女は異世界から来た人なんだ、って。
充分すぎるほど衝撃的な事実なのに、ユリさんが口にしようとした本題はそれじゃなかったらしい。
「隠しとくのもアレだから先に言っとく。セシルとローザが……ゴルベーザと、戦ってた頃。私もここにいたんだ」
しかもゴルベーザ側で。そう告げる彼女はあくまでも真顔だった。
僕が生まれる一年前に起きた大きな戦い。そこに参加していたということは。
「あの……ユリさんって」
いくつなんですか。
聞きたいけれど女性に年齢を尋ねてはいけないと教わったから口籠る。
僕の言いたいことを察して、ユリさんは困ったように笑った。
「時間の流れが違うみたい。私は数日前に元の世界に帰ったところだったのに」
なのに気づけば再び、今度は十四年後の異世界に飛ばされていたのだと。
彼女は僕が誰の子供か気づいてたんだ。だから、バロンに着く前に打ち明けてくれたのだろう。
「セシルたち、私のこと覚えてないかもねー」
「でも、その……十四年前に敵対していたなら覚えているのでは?」
「だといいけど」
遠い目をした彼女は父さんたちに忘れられていることを恐れているようには見えなかった。
もしかしたら彼女が気にしているのは、違う何かなのかもしれない。
あの戦いの最中、ユリさんはゴルベーザのもとにいた。
そして勝負が決する前に彼女は元の世界に帰ることになった。
ゴルベーザは……戦いの終わりに、彼らの祖先が眠る月へと去っていった……。
「ユリさんは、」
あの月へ行きたいんですかと尋ねようとした刹那。
僕たちのすぐ近くで炎が躍る。モンスターだ。
「危ないッ!!」
ユリさんは反射的に持っていた小さな板で魔物の一撃を受け止めて叫んだ。
「持っててよかったPSP!」
しかしその板は真っ二つに折れてしまった。愕然とした顔つきのユリさんが力なく膝をつく。
「ごめんセオドア、私にはもうPSPがないよ……もう無理だ……」
よく分からないけれど、そんなことを言ってる場合じゃない。
初手を阻まれて一度は飛び退いたモンスターが、また彼女を襲うべく様子を窺っている。
逃げる隙はなかった。慌てて彼女に駆け寄り、モンスターを斬りつけるはずだった剣先は虚しく宙を裂く。
避けられた。もう敵は僕に向かって跳躍する寸前だ。一撃を食らう覚悟を決めて盾を構える。
……痛みがくると思っていたのに、血飛沫を噴き上げたのは僕じゃなくてモンスターの方だった。
かかった血を拳で拭って顔を上げると、ターバンを巻いた男性が僕の前に立っていた。
魔物の牙が届く寸前で、彼が助けてくれたようだ。
「大丈夫か」
「は、はい。ありがとうございます」
僕を見つめて怪訝そうにしていた彼は、ユリさんの方へと視線を移して目を見開いた。
「お前は……」
つられて僕も彼女を振り返る。
ユリさんは、血だまりに崩れ落ちた魔物に釘付けになっていた。
みるみるうちに青褪め、僕らに背を向ける。
そうだった。彼女は戦いの光景を……血に塗れたモンスターを見るのも苦手だって言ってたんだ。
苦しげに手をついたまま蹲る彼女が何事か呟き、先ほど助けてくれた人を指差した。
「セ、セオ、……あ……に……」
あの人に。それだけ聞き取れた。たぶん、あの人に彼女の状況を説明してくれってことかな?
「助けて頂いたのにすみません。彼女は血に慣れてなくて、気分が悪くなっただけなんです」
「あ、ああ……べつに構わんが」
「僕はセオドアといいます。彼女は、」
ちょうど耐え切れなくなったユリさんが吐き戻していた。
「……ユリさん、です」
「ユリ……」
彼は眉をひそめてユリさんを見つめている。こんな初対面で印象が悪くなってしまっただろうか。
「おぐぅ……私はマーライオン……」
「落ち着きましたか?」
「うあー……うん。ごめん、行こう」
「まだ休んだ方がいいんじゃ……」
「大丈夫」
律儀に吐瀉物を土で埋めて息を吐く。まだ顔色が悪い。
訓練を受けていないからとか、そんなんじゃなくて、本当に魔物の死体が苦手なんだ。
そう考えるとユリさんが異世界から来たということも素直に信じられる。
なんとか息を整えるとユリさんは僕らの恩人である彼に向き直った。
「えっと、助けてくれてありがとう、ございます」
「いや……。こんなところで何をしているんだ」
「僕たちはバロンに向かってるんです」
「徒歩で、か?」
少し皮肉を含んだ言葉にチクリと胸が痛む。
この辺に出没するモンスターは強すぎる。少なくとも、僕にとっては。
……実力が足りないのは分かってるんだ。本当はこんなところを一人で歩いているはずではなかった。
まだ、そんなことができるほどの力はなかった。
僕が何も言えずにいると、ユリさんが彼の前に立ちはだかるようにして胸を張った。
「セオドアは今、男になるための旅をしてるから、徒歩だってなんだってバロンに帰るんだよ」
「ユリさん、何か違う気がします」
「あれ、そう?」
自己嫌悪に沈みそうになった心を彼女が軽くしてくれる。ふと、笑みさえ溢れそうになった。
呆れているのかと思ったけれど、彼はあまり考える時間を置かずに言った。
「私もバロンに用がある。……目的地が同じならば、共に行こう」
「いいんですか?」
一太刀でモンスターを斬り伏せた。彼がついて来てくれるのなら心強いのは確かだ。
構いませんかと尋ねたら、ユリさんも快く頷いてくれた。
「いいよ、この人カッコイイから」
「……」
そんな理由ですか。
← 68/75 →