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🔖 寝苦しさに目を開けると、星ひとつない夜空が顔にのしかかっているようだった。
 その空が呼吸するたび緩やかに大きく動いて僕の息を封じようとする。
 とても重くて苦しい。

 両手で押し退けようとしてもびくともしないそれから逃れるため、顔を横に向けて呼吸に励む。
 自分が下敷きにしていたものが目覚めたことに気づかないはずもないのに、彼は相変わらず僕のうえで死体のように脱力していた。
「……ネイサン。眠るなら自分の寝床で、お願いします」
 ちょうど耳の辺りに彼の鼓動を感じながらぽつりと呟いた。

 もし彼が本当に眠っていたら、魔道士を起こすのは難儀だ。幸いにもまだ起きていたネイサンは気軽にとんでもない冗談を飛ばした。
「今夜はお前が私の寝床だ」
「微妙に際どいことを言わないでください」
「微妙ではないと思うが……」
 僕からは見えないけれど、きっと真顔だろうと容易に想像できて頭が痛い。彼がこういうくだらない冗談を言う時はいつもそうだ。

 ため息を飲み込みながら体を無理やり起こそうと身動ぎしたら、ネイサンは珍しくも意を汲んで僕の上から退いてくれた。
 のしかかる重さはなくなったけれど、彼の瞳を見てしまったらもっと大きな苦痛が訪れた。

 もう圧迫されてもいないのにまだ胸が苦しい。
 ネイサンは傷ついていて、僕はそれを知っている。慰めを欲する彼を退けて自分の要望を通すのは申し訳ないとは思う。……でも。
「僕を布団代わりにしないでください。ネイサンは重いんだから」
「布団の代わりにはしていない」
「では何の代わり……、あの、それは無理ですよ。不可能です」
 聞き終える前に察してしまって、ざっと血の気が引くのを感じた。

「私の孤独の責任はお前にもあるだろう?」
「そうかもしれませんが……えっ、そうかな? いや、関係ないです。責任を押しつけないでください」

 彼の身に起きた一連の出来事を考える。確かに彼の苦悩の原因に僕も関わっていたけれど、責任を負っているかといえば話は別だ。
 ネイサンは、自分の責任において予言を操ろうとし、不相応な領域にまで手を広げて失敗した。それは彼自身の責任だ。
 もちろん気持ちのうえで彼に同情はしているけれど、だからといって僕の本分をこえて何でもしてあげられるわけじゃない。

 この会話に我慢できなくなったのはどちらだったか、ネイサンは殊更に明るい声音でこぼした。
「私の孤独をぬくもりで埋めてやろうとは思わないのか、冷たいやつだ」
 そんなもので埋まる孤独ではないと、自分が一番よく分かっているはずだ。
「僕にはできない。それは、僕の役割じゃない。彼女が作った穴を僕が埋めるわけにはいきません」
 ネイサンの表情は変わらなかった。痛い時にそれをあらわす術を忘れてしまったみたいだ。

 僕にとって苦痛というのは無意味なものだったけれど、普通の人にとってそれがどんな意味を持っているのか、ジャガンのもとで少し学んだ気がする。
 凄まじい感情の発露を呼び起こす、あの強い力。ネイサンはそれを感じている。
 自分では癒しようのない傷に苛まれながら、けれど彼は誰にも助けを求められないんだ。
 その傷を塞ぐことができる人はもう、ベールの向こうへ行ってしまった。

「私はようやく手に入れたんだ。なのに一瞬で喪われた。一体なぜなのだろうな」
「……あなたの求めるものは分かってます。だからこそ、彼女の代わりを簡単に、手近なもので埋めるのはやめてほしい」
 クラリッサは特別だ。僕はただ一時の慰めになることしかできなかったけれど、クラリッサはネイサンの生涯の宝だった。
 その苦痛は僕の手の届かないところにある。

 間違っても彼の中から彼女を消してしまわないように、そっとネイサンの頬を両手で包んだ。
 思い出した温かな記憶を切り裂くように、夜気にさらされて彼の肌はとても冷たくなっていた。
「この痛みをすぐに癒したいとは思っていない。ただ、今は慰めてほしいだけだ」
「……」
「私を甘やかしてくれ、ユリ。淋しくて堪らないんだ」

 今すぐにでも誰かがネイサンを慰めてくれればいいのに。
 消し去り、隔てるだけの冷たい控除の力じゃなくて、もっと素敵な創造の魔法が僕にあればいいのに。
 せめて……彼女のぬくもりと優しい記憶を心に引き出せるような魔法を持っていればよかったのに。

「……僕は、布団の代わりくらいにしかなれませんよ」
 偽りでも構わないと言う人に偽りさえも与えてあげられない。
 無力な子供に、それでもネイサンは重さを預けた。
「お前はお前でいてくれればいいさ」
 その声は初めて会った時と同じくらい淋しい響きだった。


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