🔖 魔物の分際でと思う者も多かろうが、私はできるかぎり日々を平穏に過ごしたいと思っている。
脳を痺れさせるような衝撃も身を震わせる焦燥も欲してはいない。昨日と同じ明日がそこにあればいい。
一度手に入れたものには、変化など無くていいんだ。ユリはそこのところを理解しているのだろうか。
「……一体なんだ、それは」
「猫耳、そして尻尾」
そんなことは見れば分かる。何故お前にそれがあるのかと聞きたいのだ。
今朝見た時には昨日と変わりなかったはずのユリの頭部に髪と同色の獣の耳が生え、下衣から同じ色の尾が覗き暢気そうにゆらゆら揺れている。
亜人種の中にはこのように人間と動物の混じった姿を持つものも存在するが、ユリはれっきとした人間であったはず。
何の理由もなくこのようなものが生えるのは病だろうか。
「何か妙なものでも口にしたか」
「スカルミリョーネが持ってきたものだけよ」
私が選びこいつに与える物には、こんな不可思議な効果を発する食物など混じっていない。ならば食事が原因ではないか。
しかし、他にユリが外部と接触する機会もないのだが……。
「あのさーもっと他に反応することないわけ」
「……反応だと？」
「こんなに可愛い私に猫耳が生えているのだから」
自分で言うのはどうかと思うぞ。図々しい奴だ。
正直なところ、すでに人間の耳がある上に違う生き物の耳が生えても不自然なだけだ。尾にしても邪魔なものが増えたとしか思えん。
私が手元に置いているのはユリそのものなのだから、余計な変化は蛇足だ。だからといって、これが増えて損なわれるものがあるわけでもない。
ユリは私を睨みつけ、ぼそりと呟いた。
「……、ちょっとは萌えろよ」
その抗議には少し戸惑う。
燃える？ 一体どこからそんな言葉がやって来たんだ。
魔力の類は感知できないが、あれは何か火の力でも秘めているのだろうか。もしそうならいつもの嫌がらせということだが、私には厄介だな。
「……私を燃やしたいのか？」
「違うわアホああ疲れる。なんか無いの？ こんな可愛い私を見て衝動的な感情とか沸き起こるだろ！」
「特に無い」
「死ね」
その耳に何も感じないというのは淡々と殺意を撒かれるほど悪いことなのか。
本当に死んでほしいのなら死んでやっても構わんが、すぐに生き返るから無意味だな。
ともかく燃えるだの何だのにはあまり意味がないようで良かった。
猫耳とは人間にとってそれほど衝撃を受けるべきものなのか。私にはさっぱり分からん。
逆に私にそのようなものが生えればお前の印象は何か変わるのかと問いたいが、聞いて「いいと思う」と言われてもそれはそれで困る。
「やってらんないわもう。何のためにこんなもの生やしたのか」
苛々と耳を弄りながらユリが溜め息をついた。もしかするとあれは、自分でわざわざ作ったのか？ よほど暇だったのだな。
呆れる私に気づかぬまま、ハッと何かに思い至って顔を上げると、彼女は疑わしげに呟いた。
「もしやスカルミリョーネって、犬耳派？」
派閥まであるようだ。ますます以って理解不能になってきた。
しかしそれが犬でも猫でもミミズでも関係ない。ユリがユリであるならば、ただそれだけに意味がある。
私の無反応ぶりに機嫌を悪くしたのか、口を尖らせたユリはこちらを向く気配もない。
しかしだらりと垂れた尾が、何かを気にするように忙しなく左右に揺れていた。なるほどこれは便利だ。
「ユリ、こちらに来い」
両の猫耳が揃って私の方を向いた。そのせいで無視を決め込むこともできなくなり不満そうな顔のままてくてくと歩いてくる。
手の届く距離まで来たその時、彼女の頭上でこちらを窺う物体に触れてみた。
「みゃっ！？ な、何いきなり触ってんのよ！」
「柔らかいな」
しかも体温がある。ということは血液が通っているのか。
驚いた時には尾と揃って毛が逆立つ芸の細かさ、取って付けた様な外見に反してなかなか精巧なつくりだ。
配下のアンデッド作りに活かせるかもしれん。
だが、後から付け加えられた紛い物よりもユリの髪の感触の方が私は好きだ。
指通りのいい髪を掬いあげて撫でていると、恨みがましい視線を投げていたユリが不意にそっぽを向き、ゆらりと伸び上がった尾が私の腕に巻きついてきた。
「──ッ！？」
無意識に彼女を突き飛ばし、その手をじっと見詰める。
「なによ、痛いじゃない」
「い、いや……」
何でもないと言おうとして言葉が出てこなかった。ほのかに温かくふわふわとしたあれが腕に絡んだ瞬間、走り抜けたあの感覚は何だ？
「それはいつまで生えているんだ」
「え、別に嫌なら今でも引っ込めるけど？」
「……もう少し生やしておけ」
一度振り払った体を再び引き寄せる。何か言いたげに揺れ動く尾は少し迷いを見せ、しばらくするとまた私の体にそっと這わされた。
じわじわと沸き上がってくるこの感情は何だろう。今はまだ弱い。だが情動となる時も遠くはなさそうだ。