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🔖 死者の魂を引き寄せる呪われた都と、生命を送り出す神木樹の狭間にある一本道に私は立っている。
 街に近づきすぎると怨霊だらけで危ないし、かといって大人しく冥界へと旅立てば私の魂は消滅して新たな命を授かることになる。
 死してなお私が私であり続けるには、この狭間に留まり続けなければいけないんだ。
 べつに怨霊になろうとしてるわけじゃない。ただもう少しだけ、出立の日を先延ばしにするために。

 セルディオが今どうなっているのかと気にしても私には現世を見ることさえ叶わない。ただ、死んだ身でも分かることがひとつあった。
 この道を歩いてゆく人の多さはすなわち、戦争が未だ終わっていない証だ。
 たくさんの魂が死都メーフィルを通りすぎる。道を見つけられず闇の住人に囚われてしまう場合もある。
 時々は生前に知っていたような顔が現れるけれど、大抵は輪郭がはっきりしない。彼らの背中を見送るのにも慣れてしまった。

 中には私を見つけて立ち止まる人もいる。時々は話しかけてくる人もいる。私が年端もいかない子供だと気づいて、悲しそうにする人もいる。
 でも、私よりずっと幼い子が一人で旅立っていくのを見送った。赤ん坊を抱いたお母さんが向こうに遺してきた子を探し回る姿だって幾度となく見てきた。
 幼くして死んでも可哀想だとは思わない。どんな魂であれ肉体を離れてしまえば現世に戻れないことに変わりはない。死んでしまえばみんな同じ。冷酷なほどに平等だ。

 また一人、遠くで騎士らしい風貌の男性が立ち止まって私を見つめていた。
 あの紋章……セルディオ王国騎士団の紋章に似てる気がする。でも少し違うようにも見える。曖昧にぼやけた記憶が揺さぶられた。
 父の背中、勇敢なる騎士の像。私の大切な人が幼心に描いた夢は“父さんみたいな騎士になること”だった。
 今ごろ、あるいは近い将来、この人みたいな立派な騎士になってるんだろうな。……そばで見守っていたかった。でもいつか彼がここに来た時、話を聞かせてくれたらそれでいい。

「こんなところで何してるんだ?」
 低い声が降ってくる。いつの間にか所属不明の騎士様が私の真正面に来ていた。
 ここにいると自分の存在も曖昧になって、たまに意識が薄れてしまう。だからこんな風に消えゆく魂が話しかけてくれるとすごくありがたい。
「私は、人を待って……」
 待ってるのと言いかけて止めた。

 待ってるけど、待ってない。会いたいけど来てほしくない。
 私はもう一度その人と会える日を待つためにここに留まっている。
 でもその日が永遠に来なければいいとも思ってるんだ。
 だって私と再会できるってことはラヴィッツが死んじゃったってことだもの。嬉しいけれど嬉しくない。
 メーフィルを通りすぎて道の先へと旅立っていく人たちを見送りながら、彼らが私の知っている人じゃなくてよかったと安堵する。

「知り合いが来たら追い返してやろうと思って、ここで見張ってるの」
「追い返すのか……」
「百歳くらいのお爺さんになってたら通してあげてもいいけどね!」
「そりゃまたえらく高い壁だなあ」
 その頃には、大昔に死んでしまった私のことなんて忘れているかもしれない。でもそれでいいんだ。
 私は彼に、私よりもずっとずっと長生きしてほしい。セルディオの未来を見届けて、それからのんびりこの地を訪ねてくれればいい。

 騎士様は立ち去る様子もなく、私の横に座り込んでしまった。つられて私も腰を下ろす。正直に言って話し相手がいるのはとても嬉しい。
「百歳の爺さんになってても、そいつが待ち人だと分かるのか?」
「どんな姿になったって、すぐ分かるに決まってるじゃない」
「へえ。さてはそいつ、お前の大事なやつだろう?」
「幼馴染みなんだ。世界で一番、大好きな人だよ」
 私がそう言ったら騎士様はなぜだか顔を赤くしてそっぽを向いた。

「なんでおじさんが照れてるの?」
「おじ……まあ、そうか、そうだよな」
 表情豊かで感情もなくしてない。まだ、死んでからそんなに経ってないんだろう。
 この人を見送るのはちょっと淋しいかもしれない。だけどこの人が闇の住人に取り憑かれるところも見たくない。
 未練なんて抱いてメーフィルに囚われなければいいけれど。

 明るい緑眼が私から逸れて死都メーフィルに向けられる。
「ここに一人でいるよりは、せめて街に……いや、向こうは危険だったな」
「そうだよ。魂を乗っ取ろうとしてるやつらがうようよしてるもん」
「……」
 なぜだかしょんぼりしてしまった彼も、ここに来るまでの道中で闇の住人たちを見かけたのかもしれない。もしくはあいつらに取り憑かれた人々を。

 始めは頭がぼんやりして、自分が死んだこともよく分かっていなかった。
 ここが何なのか理解してからなんだかすごく淋しくなって……でもその考えは急いで心から追い出した。
 もう少し長生きしたかったなんて自覚しちゃうと、闇の住人に隙を見せることになる。怨霊になったら私は私じゃなくなってしまう。
 一人で待ってるのは淋しいけれど、待ち人が来るまで死都には近づかないと決めたんだ。

 優しげな微笑が消えて、騎士様は真顔になった。
「たった一人であと七十年も待つ気だったのか、ユリ」
「うーん。死んでからどれくらい経ったのか実感ないし、何年でも変わらないよ」
 私は十五の誕生日を迎える前に死んだ。だから長くてもあと八十五年くらいは待つことになるだろう。
 数字だけ聞けばうっかり絶望したくなるほど長い年月だ。でも今の私には時間の感覚なんてないからたぶん平気。
 もうずっと長い間ここにいるような気もするし、ついさっき死んだばかりのような気もする。一瞬も永遠も死者には同じだから……。

 なんとなく思考が途切れた。いきなり違和感が膨れ上がる。
「今、私の名前……」
 この人はさっき私の名前を呼んだ。忘れかけていたのかすぐには気づけなかった。
 一陣の風が虚ろを吹き飛ばし、鮮やかな記憶が戻ってきた。
 どんな姿になっても、百歳のお爺さんになっても私には分かると思ってたのに。
 彼が訪ねて来たら自然と分かるって思ってたのに。
「ラヴィッツ・スランバート!!」
「こら、人を指さすんじゃない」
 ……待ち焦がれた幼馴染みが間近にいてこれだけ会話して、微塵も気づけなかったなんて。

 衝撃を受ける私をよそに、ラヴィッツはさっき私が言ったことを根に持っているのか「俺もおじさんになっちゃったから気づかなくても無理はない」と不貞腐れている。
 うーん……、知らない騎士のおじさんなのに、よく見たらどこかに微かな面影がある。なんだか変な感じだ。

 過ぎ去っていく人たちを見ながら私はいろんな彼を思い描いた。
 私が王弟軍に殺された頃のままの幼い姿、少し成長した青年の姿、立派な騎士になった姿、お父さんと同じくらいの姿、それから髪の真っ白なお爺さんになった姿。
 でも想像なんか役に立たない。目の前には本物のラヴィッツがいるんだ。
「……まだ、来ちゃダメじゃない」
 最後の記憶と比べればどう見てもおじさんだ。けど死ぬには若すぎる。私が言えた義理じゃないとしても、ラヴィッツが死ぬには早すぎるよ。

 私の知らない景色をたくさん見てきた大人の表情で、ラヴィッツは昔と同じように私の頭を撫でた。
「百には遠かったな。俺を追い返すか?」
「……」
 できるものならそうしたいけれど、幼かろうと年寄りだろうと、死んでしまったらもう現世に帰ることはできないんだ。
 今の私にできるのは彼の魂が穏やかに旅立てるよう慰めることだけ。

 心が闇に沈み込んでしまいそう。気合いを入れ直して頬を叩く。

「ねえラヴィッツ、その後お嫁さんはもらった?」
「ん? あー……子供の頃に約束してたやつが先にいなくなっちまったからなあ」
「やっぱり私が死んだあと誰にも申し込まれなかったんだ……」
「誰にもとは何だ! 言っとくけど人気がなかったわけじゃないぞ。見合いの話だってそれなりにあったし、」
「堅苦しいのは性に合わんとか言ってすっぽかしたりしてそう」
「…………よくお分かりで」
 母さんに孫の顔を見せてやれなかったことだけは未練だなと苦く笑う。未練がそれだけで済んだのがよかったのかどうか、私には分からなかった。

 今度はラヴィッツの方が陰気を払うように首を振って話題を変える。
「百までは生きられなかったが、アルバート様の騎士にはなったぞ」
「え、ほんと?」
「バージル公国第一騎士団団長だ。アルバート陛下の槍術指南役でもある」
「親の七光り!」
「じ・つ・りょ・く・だ!!」
 冗談なのに大人げなく怒るから笑えてくる。……でも、夢を叶えることができたなら尚更、来るのが早すぎるよ。

 私が感心してないと思ったらしく、ラヴィッツは消沈したように息を吐いた。
「さっきからおじさんだの七光りだの、お前本当に俺を好きだったのか……?」
「大好きだったよ」
「そのわりに容赦ないな。まあ、それは昔からだったか」
 ラヴィッツを想う気持ちも他愛ない軽口も、昔から同じ、何も変わってなんかいない。私はもう変わることができない。

 生きてた頃の記憶を忘れないよう、大切に胸の奥にしまっていても人間らしい気持ちだけがなすすべもなく磨り減っていく。
 忘れちゃダメだけど未練を抱いてもダメ。囚われたら怨霊になってしまうから。
「会えて嬉しいのに心臓が止まってるからドキドキしない。あなたがここにいることが悲しいのに涙も出ない。死ぬ時は、心が張り裂けそうなほど痛かったのに」
 その痛みが今はどこにも見当たらない。気づいた時には空っぽになって、私なんて跡形もなく消えてしまいそうで、なのにそれが怖くもなんともないんだ。

 もう死んでしまったんだから。生き返ることはできないんだから。想いや未練なんて抱えてるだけ無駄でしょう?
 ここにあるのはユリが生きていた頃の記憶の残骸。
 ラヴィッツの勇姿をこの目で見られなかったこと、後悔する権利なんか、死者にはない。
「ユリ」
「あ……」
 強く腕を掴まれて久しぶりに“痛み”を感じた。私が引き寄せてしまった闇がラヴィッツの闘気に払われ退散していく。

 一人でいる間は平気だったのに。心が揺れたりしなかった。そんなもの、もうなくしちゃったと思ってた。
 でもラヴィッツが来たことで私の心に生々しい感情が戻ってきてしまった。
「ラヴィッツがいると安心して弱くなるみたい」
 記憶が鮮明になるほど剥き出しの心に闇が忍び寄ってくる。
 もう戻れない、帰りたい、生きていたい。もっとずっと長い時間をこの人と一緒に過ごしたかった。
 自分の心を見ないふりするのはどんなに多くの知らない人を見送るよりも難しい。
「私……そろそろ行かなきゃ……」
「……そうだな」
 未練が嫉妬と憎悪に変わる前に消えなくちゃいけない。
「一緒に行こう、ユリ。俺も未練に囚われそうだ」

 呆然とする私の前でラヴィッツが先に立ち上がる。
「叙任を受けた時、嬉しかったが悲しくもあった。もっと早く武術を身につけていればユリは今も生きていたかもしれない。そう思わない日はなかった」
「……後悔するのは生きてる人の特権なんだよ。死者が未練を持ったらダメなんだ」
 子供の頃とは全然違う、力強い腕が私の手を引いて立ち上がらせてくれた。
「惜しむ価値のある人生を送れたという証だ。もっと生きていたいと思えるだけの時間を過ごせてよかった」
 死者だって後悔していい、命を羨んでもいいのだと、眩いばかりの笑顔が私を掴んで離さない。

「俺がそばにいるんだ。お前に闇の住人なんぞ近づけさせるものか」
 だから生きてる時みたいに喜びや悲しみに心乱しても大丈夫だ、って。

 そういえば、私の心はとっくの昔に奪われてるんだった。
 死都メーフィルに蔓延るどんな悪意に曝されても私が誰かに支配されることなんてあり得ない。
 だって今は世界で一番強くて素敵な騎士様がそばにいるんだから。

 ラヴィッツに手を引かれて神木樹への一本道を歩き始める。お互い死んでいるのに、幸せな錯覚が指先にぬくもりをもたらした。
 命を弄ぶ死都から解放され、かつてこの道を歩いたすべての人たちがこんな風に穏やかな気持ちで旅に出たのだろうか。
 そうだったら、いいな。

 見上げれば、記憶にあるより高いところに彼の顔がある。私の知らない二十年がラヴィッツの中に刻まれている。
「私、さっさと旅立ってればよかったね。すぐ新しい命に生まれ変わってたら、生きてる間に会えてたかも」
「どっちにしろ俺は『子供と年寄りにしかモテない』って言われそうだなあ」
「私にモテたからギリギリよかったじゃない」
「ギリギリなのかよ」

 待ってるけど、待ってない。会いたいけど来てほしくない。
 でも、ラヴィッツが私を忘れないうちに来てくれてよかった。
 どれほど強く願っても彼を生き返らせることはできないんだし、そんな些細なことくらいは喜んでもいいよね。


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