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🔖天邪鬼の心



 船旅なんて慣れたものだが、夜の航海だけはどうしても好きになれない。
 真っ暗で辺りの景色がほとんど見えないのが嫌なんだ。
 唐突に体で感じる波の動きや浮遊感が、得体の知れない生物の背中に乗せられどこかへ運ばれている気分にさせられる。
 自分の目では何も確認できないまま進んでいくなんて不安で仕方がない。やっぱり、旅は自分の足でやるものだよな。

 部屋で寝転がっていても眠れなくて、閉塞感に耐えられなくなったところで甲板に出た。
 夜風に当たっていると少しは苦痛が和らいだが、それも気休めにしかならない。
 何度目だったか、胃からせりあがってきたものを海にぶちまけた。
 今ならこの辺りは大漁だ。捕れた魚はあんまり食べる気がしないけど。

 昨夜からまともに食べてないお陰でもう吐くものもなくなっていた。それでも吐き気は容赦なく襲ってくる。
 無理やり吐き出した胃液で喉が焼かれて痛い。そのイガイガした気持ち悪さがまた嘔吐感を呼ぶ、負の連鎖に陥っていた。
 そんな風に、もうどうにでもしてくれって感じで船縁に縋りつく俺の背中に何かがぶつけられた。

「そいやっさ!」
「ぅうおっ!?」
 一瞬の間を置いて真後ろから思いきり水をかけられたのだと気づく。
 犯人はバケツを手に満面の笑みで立っている。ユリだった。
 そうだよな。他にそんなことするやつはいない。ただでさえ船酔いに苦しむ俺に鞭打つような真似をするやつは。

「お前なぁ、いきなり何てことするんだよ」
「いやー、首とか背中に冷水ぶっかけると酔いに効くって聞いたものですから」
「うん……? お、言われてみると確かにちょっとマシになったような……」
 ……気もしたんだが、やっぱりダメだ。
 胸のムカつきが治まったのは冷水に驚いたその瞬間だけで、我に返っちまうとまた気持ち悪さが戻ってきた。

 ただでさえ吐き気でぐったりしてるのに、濡れた服が張りつく気持ち悪さまで追加されてしまった。
 このうえ風邪まで引いたらどうしてくれるんだ、まったく。

 俺が口を押さえてしゃがみこむと、ユリは悪びれもせず隣に屈んで何かを差し出してきた。
「はいロック、お茶とバナナ」
「バナナ……なんでバナナ?」
「食べやすくて吐きやすいからだよ」
「お前……優しいようで鬼畜なこと言うなあ」
 どうせ吐くのが前提なら、最初から何も食べない方がいいだろう。バナナがもったいない。

「今なにも食べる気がしないんだ……」
「吐いた分は食べた方がいいよ。空腹と睡眠不足は船酔いの大敵だとおばあちゃんが言っていた」
「う〜〜……」
 そうか。ばあちゃんの忠告なら聞くべきかもしれないな。どこの誰でも、ばあちゃんの言うことは大体が正しいからな。
 仕方がないのでユリの手から受け取ったバナナをモソモソと咀嚼する。
 傷みやすいし、あんまり船旅向きじゃないと思うんだが。なぜこんなものを積んであったんだろう。

 船酔いは決して良くなっていないが、確かに腹が減ってる時よりは楽になった。
 空きっ腹で吐くのはかなり堪える。体の中身を全部捨ててしまいたいほど気分が悪いのに、何も出てこないんだ。
 何か食っておけば、少なくともそれを吐いた直後だけは落ち着ける。バナナだったらあんまり喉に負担もかからない。

 ユリが用意してくれていた替えの服に着替えると、なんとなく気分が一新されたようで吐き気は治まって来た。
 でも視界がぐるぐる回ってまたすぐ元通りになりそうな感じだ。
 へたり込む俺にポットのお茶を飲ませつつユリが背中を擦ってくれる。
「俯かない方がいいよ。こういうのは体の動きと視覚の情報が一致しなくて酔うらしいから、進行方向の遠い景色を見るといいんだけど……」
 残念ながら船首の向こうには夜の闇が広がるばかりで景色なんか見えない。
 しかし、寄りかかって舳先の揺れに身を任せていると目眩もマシになってきた。

 ベクタからほとんど出たことがないはずなのに。
 船旅の経験なんてないであろうユリが、どうしてこんなに手慣れているんだろう。身内に船酔いの酷いやつでもいたのかな。
 そういえば、聞いたら悪いと思って家族の話なんかしたことがなかった。
 彼女相手に限らない。いつもそうだ。
 一歩先へ踏み込んでみるのが怖くて、無意識のうちに距離を保とうとしてしまう。


 乗船してからもセリスは姿を見せず、船室に籠っているようだった。俺から訪ねるようなこともしていない。
 今朝だって、一緒に宿を出るのが嫌で置いてきてしまった。

 今のセリスはリターナーの一員じゃなく帝国の将軍だ。べつにそれを責めるつもりなんてない。
 戦争が終わって彼女が故郷に戻ろうとしているなら、もう俺とは関わるべきじゃないと思う。
 彼女が話をしたがらないのだって、つまりそういうことだろう。

 たとえ平和になっても、リターナーが勝利をおさめたとしても、俺は帝国を許せない。
 ガストラのような男を信じて仕える人間と共に歩むことだけはどうしてもできない。
 セリスのことは今でも好きだし大事な仲間だと思っているが、それとは別問題だった。
 彼女が帝国人であることを捨てられないように、俺も遺恨から逃れられないんだ。

 反逆の道を選んで以来、セリスは帝国を憎んでいた。
 幼い彼女を従順な軍人に仕立てあげ“常勝将軍”の座へと導いた帝国を。
 正義と理想を信じて従った彼女を実は裏切り続けていた祖国を。
 たとえ処刑されたとしても構わない、ガストラに刃向かい、帝国の敵でいれば過去の罪が清算されると思いたかったんだろう。
 彼女は俺によく似ている。

 俺も帝国を強く憎んだ。
 レイチェルを奪ったやつらを憎むことで、帝国と戦うことで、何もしなかった過去を取り返せるような気がしていたんだ。
 大事なものを守れなかった自分から目を背けるために、正当な復讐だなんて理由を掲げて。
 俺たちは自分の罪悪感を誤魔化すために、誅すべき悪を探していただけだった。

 だが俺たちは、ティナに出会ってしまった……。
 戦いを恐れながらも純粋に誰かを守るため、それも見ず知らずの弱き者のために世界の希望となることを決意した、か弱い少女。
 彼女の姿を目の当たりにして、俺もセリスも自分が現実から逃げていたに過ぎないのだと思い知らされた。

 俺たちはよく似ていた。
 でも根っこでまったく違っていた。
 俺は心置きなく帝国を憎むことができたけれど、セリスは本当なら故郷を憎みたくなんてなかったんだ。

 こっちへ来てくれなんてセリスに言えるわけがない。
 ガストラが改心して帝国が悪でなくなるのなら、セリスの故郷は救われ、彼女はようやく解放されるんだ。
 今度は本当に自分の信じる正義のために“帝国の将軍”として誇り高く生きられる。
 かつて大切だったものと戦い、そして打ち倒すよりも、帝国の名のもとに堂々と罪を贖う方がどんなにいいか。


 ユリは俺とセリスに話し合ってほしいようだった。同じく帝国にいた者としてはセリスが故郷に戻ることに反対なのかもしれない。
 でも今夜は何も言い出さず黙って俺の隣にいてくれる。
 情けない姿を見られてるとは思うが、だからこそユリといるのは気が楽だった。

 そういえば、幻獣の件に片がついてリターナーが解散になったらユリはどうするんだろう。
 前に帰るところはないと言っていたから帝国には戻らないはずだ。ティナを連れてブラックジャックの乗組員にでもなるのか。

 このままずっと皆と一緒に冒険できたらいいのに。
 心から仲間だと思えるやつらに出会えたのは久しぶりなんだ。
 でも……向こうがそれを望まないなら、俺にはどうしようもない。


 時々うとうとした気もするが、まともな睡眠はとれなかった。完全に寝不足だ。
 だから明け方にレオ将軍が「上陸したら二手に別れよう」と言い出した時には正直言ってホッとした。
 彼は信頼に足る人物のようだが、今の状態で見知らぬ土地をよく知らない相手と共に旅するのは厳しい。

「私とセリス将軍が組むので君たちはシャドウと行動してくれ。幻獣の手がかりを見つけたら報告を頼む。すぐに合流する」
「うぇーい」
「分かった」
 気の抜けた声を出すユリを肘で小突いて代わりに返事をする。
 なんでそこまで折り合いが悪いんだよ。将軍に個人的な恨みでもあるんだろうか。

 懐が広いのか無関心なだけか、レオ将軍はユリの態度を然して気に留めるでもなくティナに視線を移した。
「昨夜の話の続きはまた再会の時に……」
 彼の言葉に頷いたティナを見て首を傾げる。昨夜って、俺がげろげろやってる間に何かあったのか?
 ティナは帝国にいた頃にレオ将軍と面識があったようでユリとは違ってわりと親しげに接している。
 そのユリがティナの隣で凄まじい形相になっていた。もしかしてレオ将軍を嫌ってるのはこれが原因じゃないだろうな。
 とにかく、早くユリと将軍を引き離した方がよさそうだ。

 足早に歩き始めたレオ将軍を見送っているティナに声をかけた。
「俺たちも行こうぜ」
 振り向いたティナの肩越しに一瞬セリスと目が合ってしまった。
「あ、ロック……あの、私……」
 別れの言葉か、それとも。

 お互いに疑心でいっぱいで、今更どんな話ができるっていうんだ。
 無視して歩みを進める俺の背中にティナのものらしき視線が注がれるのを感じたが、足を止めはしなかった。
 セリスはそれっきりで黙り込んでいる。

 ユリが彼女に声をかけるのが聞こえた。
「セリス。“マリアとドラクゥ”のラストシーン、演じられなかったけど忘れてないよね」
「え? ええ……、覚えてるわ」
 あの続き、オルトロスに邪魔されなかったらどうなっていたんだろう。
 ドラクゥとラルスが決闘をして、おそらくはラルスを倒してドラクゥが勝つのだろうが。
 しかし王子を退けておきながら属国となった故郷には残れない。二人でどこかへ旅立ってゆくのか。
 マリアは心が揺れたんだろ? ドラクゥが戻って来なければ、それでも故郷でラルス王子と幸せになれたかもしれないじゃないか。

 咳払いのあと、自棄っぱち染みたユリの歌が響いた。
「おおマリア、おおマリア、愛しい! おおマリア、おおマリア、愛せよ! ……まあ私では声量が足りないわけですが。ラルスに代わって私が祈っておく。だから……その先を信じてほしい」
「ユリ……」
「疑うのも揺れるのも、そこに心があるからだよ」

 疑っても、心が揺れても、それならまた変わることもできるだろうか。
 もう一度、信じられる時が来るのだろうか。
 俺も……彼女が信じてくれるなら、ドラクゥのように、応えることが……?


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