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🔖暗闇迷路



 誰にも打ち明けてはいないけれど、ゾットの塔でゴルベーザと対峙した時からずっと、頭の奥で鳴り止まない音がするんだ。
 囁くように静かなそれは意識の奥深くで波打って、耳を塞ぐこともできず心が乱され続けている。……なのに、聞き取ろうとするたび遠くに逃げて、届かない。
 あれは言葉なんだろうか。だとすれば誰の言葉だろうか。……なぜゴルベーザはあの時、僕にとどめをささなかったんだろう。そしてなぜ今、ユリを取り戻さなかったのか……。

 ドワーフ城の一室で、ユリは自暴自棄の笑みを浮かべていた。
「ひっひっひっ」
「……ユリ、怖いよ」
「もう、なんか、やだなー。なにもかも嫌になっちゃった!」
 壊れたような笑顔が胸に刺さる。目の前の少女には傷ひとつないのに、一生かけても治せない痛みを残してしまった気さえする。僕がやったことではないのに罪悪感で押し潰されそうだ。
「なんなのあれ。私って何だったの? あんな、まるで、私が始めから……」
――始めからユリなんて者がいなかったかのように。

 クリスタルルームで対峙した時、駆け寄って言葉をかけたユリを、ゴルベーザは完膚なきまでに無視していた。お陰であの猛烈な殺意も憎悪も彼女に向けられなかったことだけは幸いだ。
 戦っている最中は、もしかしたらユリを戦闘に巻き込まないために無視しているのかと思った。あるいは人質にも似た形で僕らのもとにあるユリを枷にしないためにわざと切り捨てたのか、と。
 けれどミストドラゴンの攻撃に傷つき倒れて、それでも執念でクリスタルを奪い去るその瞬間まで……ゴルベーザがユリを見ることはなかった。
「……はーあ」
 ユリは怒りとも悲しみともつかない笑みを浮かべている。ゴルベーザが現れた時には、これが別れになるのかと思ったのに……。
 彼女の存在は、なぜゴルベーザの視界に映らなかったんだ?

「私ね、セシルたちから見たゴルベーザがどんな人か、知ってたんだ」
 不意に溢れた言葉の意味がよく分からなかった。
「それは、どういう……?」
「私が一緒に過ごしたゴルベーザと、あの冷酷な黒い甲冑は、ぜんぜん違うけど……どっちもゴルベーザなんだって、分かってたのに。受け入れるつもりだったのに!」
 ユリの声が怒りに染まっていく。不思議なことに、彼女の怒りが僕の心に落ち着きをもたらした。頭の中で鳴り響いていた喧しい音が掻き消される。
「あーくっそムカつく! 私なんか裏切ろうがどこにいようが興味ないって言われたみたい。話も聞いてくれないなんて……一発ぶん殴ってやればよかったー!」
 彼女が徒手空拳でゴルベーザに立ち向かう姿を想像して妙な気分になった。ヤンではあるまいし……。
 もしも何の力も持たない彼女に真正面から挑まれたら、ゴルベーザはどうするんだろう。この先もユリが僕らと共に行くならそんなことも起こり得る。だけど、あまり望ましい展開じゃないな。

「君はバブイルの塔にもついてくるのかい?」
「……いまさら置いてくの?」
「そういうわけじゃない。ただ、もうこれ以上……」
 ユリは僕らとは違う。彼女が見ていた“ゴルベーザ”と、僕らが倒すべき“黒い甲冑”は……同じ人物だが違う姿形をしている。
 無理やり巻き添えにしている気がしてならないんだ。ユリはゴルベーザと敵対する者のそばにいるべきではない。

「……ゴルベーザは……君に、敵対するなと言ってるんじゃないか。自分に刃向かうなと。だから無視したのかもしれない」
 僕らのそばにいる君を傷つけたくないから。しかしユリは苦笑ひとつでそれを否定した。
「セシルの解釈は優しいね。でもそんな深く考えることないんだよ」
 ……そうだろうか。でもゴルベーザは本当にユリの姿が見えていないようだった。悪意があって無視していたのではなく。
「あんなの、ただの嫌がらせだよ。……私に対してじゃないけど」
「え?」
 では誰に対しての嫌がらせなのかと問い返す前に、ユリがまた口を開く。
「……セシル、あのさ……」
 何かを訴えようとして途中で口を噤んだまま、ユリは困ったように僕を見た。そこにもう怒りはなかった。またあの耳障りな音が鳴り始める。

「ゴルベーザには私が見えなかったんだ。始めから、そういうもんなんだよ」
「よく分からない。君はここにいるじゃないか」
「……どうだろうね」
 その音は、もうすべて諦めきったように清々しい。あまりに純粋すぎて怖いくらいだ。

 誰にも打ち明けてはいないけれど、僕はユリをゴルベーザのもとに帰したかった。べつに彼女を拒絶してるわけじゃない。ただ彼女は自分の望む主のもとにいるべきだと思うから。
 僕だって本当は、そうしたかったんだ。騙されたままでいる方が幸せだった。自分の手中にあった大切なものが偽物だなんて知りたくなかった。
 暗闇の優しさを僕は知っている。けれど試練の山で闇に浸る弱さとは訣別してしまった。少しも後悔していないとは言えない。僕は時々、暗黒騎士だった頃に戻りたいと思う。
 バロンを出奔することなく、陛下の変わり様を薄々察しながら見て見ぬふりをし続けていられたら。それは正しくないけれど、きっとすごく……心が楽だった。
 ユリは僕が選ばなかった道を行こうとしている。光の下に引き返す瀬戸際で、闇の中に置き捨ててきた大切なものを拾いに帰ろうとしている。
 ……僕は僕自身の過去を悼むために、ユリをゴルベーザのもとへ帰したいと思っている。


🔖


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