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🔖潮騒寂々
人間の感覚で言うなら一度きりの“死”ってヤツなんだろうが、魔物からすればそんなもんは慣れ親しんだ感覚だ。世界に生まれ落ちる時にだって同じ景色を見ている。
今までの肉体を失うことに感慨はなかった。また永き眠りについて、魔力を蓄えながら再びの目覚めを待つだけだ。
無論、次に蘇る時にはゴルベーザ様も俺を殺した輩も、誰も生きてはいないだろうが。バブイルが起動すれば遠からず世界まるごと滅びちまってるかもな。
……だから、どうだっていい。意識を閉ざし存在を終わらせてそれで終わりだ。そのはずだ。
しかし暗い湖の底から見上げてみると、地上には忌わしい光が瞬いていた。
水面に揺らいで向こう側の景色はよく見えないが、セシルの野郎は仕掛けていた罠にかからなかったようだ。
ミシディアのガキなんぞ道連れにしたところで戦力を削ぐことにもなりゃしねえ。重要なのは光を持つセシルだけだ。つまり俺は、失敗したわけだな。
光を帯びた力ってやつは簡単に闇を祓っちまう。殺しておきたかったんだが、残念だなァ。
俺に憎悪を向けながら一点の曇りもない瞳を思い出す。あの真っ直ぐな視線が脳裏に焼きついて離れない。
握り潰してやろうとしたが消えずに残った命の輝きを近くに感じる。舌打ちをしようとしたところで、肉体がすでに無いことを思い出した。
バルバリシアには無理だろう。ルビカンテになら倒せるかもしれない。だがあの野郎がまた調子づくのを想像しただけで腹が立つぜ。
ユリを塔に帰さなけりゃよかったのかもしれねぇな。
あいつを人質にでもしてやれば、お優しいパラディン様のことだ、非力な人間の小娘を見殺しにするよりは膝を屈する方を選んだだろうに。
……なんで帰しちまったのかねぇ。
あいつらはゴルベーザ様のもとにまで辿り着くだろうか。……辿り着くだろうな。そしてあの方に殺されるか、あるいはセシルがあの方を殺すのか。
突き動かす思いのままに、傷つくことも傷つけることも厭わず我武者羅に進めばいい。人間の情熱なんぞ、どうせすぐに尽きてなくなる。
『じゃ、またくるね』
聞き取れるほど近くもなく、聞こえないほど遠くでもない。曖昧な声が響いてもどかしさに苛々する。
ゴルベーザ様はユリに何も知らせようとはしなかった。だがルビカンテやバルバリシアに隠し通せるとも思えねえから、すぐに感づかれるだろう。
それ以前に、ユリはこうなることを知っていた節もある。……ま、どうだっていいか。別に傷ついたって死ぬわけじゃない。
敵の手がユリにまで届いたとしても、いざとなりゃどっかに押し隠してしまえば、どうにか一人で生きていくだろう。弱くても生への執着だけは強いやつだからな。
そしてユリさえ生きているなら、ゴルベーザ様を繋ぎ止めることもできるはずだ。
野望が叶うかどうかなんて知らねえ。弱っちい人間なんか、生きてるだけで使命を果たし終えているんだ。
日が沈むごとく向こう側の光も薄れていく。やがて生の世界との繋がりは断たれた。
『またくるね』
感じ取れなくなった気配の代わりに、潮騒のように音が寄せてくる。
あまりにもあっさり追い返しすぎたかもしれない。今になってそんなことを少し後悔している。別にあいつは、そんなこと気にしないだろうが。
ただ、それよりも、もっと……。
『またな』
あー、くそ……うるせえな……。消えるならとっとと消えちまえばいいものを、何をぐずぐずしてんだ。
あのセシルの視線が悪い。うじうじグズグズしてるようで芯は絶対に曲げない厄介な性質が、誰かを思い出させやがる。そうやって意識が過去に遡っちまう。
俺は何も失ってなんかいない。死ぬことへの恐怖だってありゃしねえ。なのになんだってこうも焦りを感じるんだ?
漂って溶けていく意思の奥に、鈍い痛みが走った。
柄でもねえが、最後くらいはもっと相手してやりゃよかったかもな。
別に焦ってるわけでもなかったんだが、目の前のことにばかり気をとられていた。どうせユリは放っといてもそこらにいるから、そんな“日常”ってやつに安心しすぎてたのか。
今さら、焦ったって仕方ないだろうが。あとはもうゴルベーザ様がなんとかなることを祈るだけだ。
……祈るだと? ああくそ、気色悪いぜ。
『またね』
馬鹿が。『また』は……もう無ぇんだよ。
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