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🔖幻花朦朧
目を閉じているはずなのに見えるものがある。それが何かは分からないが、確かにそこに存在するのだと覚束ない頭で思考した。
ちらつく影の正体が何なのか。疑問を抱いて初めて、それは形を作り始める。
人のようだった。小柄で活発で、図々しく私に近寄ってくる、非力でありながら心中には底知れない闇を抱えた小娘。
「……ユリか」
影の形は未だ曖昧で、その正体に根拠も確信もなかったが、ただそれはユリなのだと自然に納得していた。
あいつのことだからまた勝手にくっついて来たのだろう。いくらしつこいとは言えども、まさかこんなところへまで来るとは思わなかった。
本当に、どこへ逃げても追ってくるんだな、あいつは。
本気で振り払えばそれ以上は縋りついて来ないくせに、私があいつを避けていることを責めるだけ責めて、機嫌を損ねたかと思えば気づくとまた傍にいる。
たかが人間ごときが我々の存在を受け入れ、理由も使命もないというのに、隣にいる。……その事実が心を乱し、本当に……鬱陶しくてたまらなかった。
ユリの影は私の眼前で靄のように揺らめいている。体温は感じられず、気配も稀薄だ。何かが奇妙だった。
これは本当にユリなのだろうか? 私の感覚が鈍っているせいでもあるが、こうも存在を感じ取れないのはおかしい。
はっきりと物事を考えられない状態のまま得体の知れない不安感に襲われた。
別にどちらでもいいではないか。この影があいつであろうと、なかろうと。しかし……。
瞼の裏がチカチカと煩わしい光を瞬かせ、不意に私を呼ぶユリの声が聞こえた。
「――――」
眼前の影ではなく、記憶の中でユリが何かを訴えている。聞き取ろうと耳をすましてみても言葉は私をすり抜けていった。
その声に掻き消されるように、目の前をちらついていたあやふやな存在が消えていくのを感じる。
焦って腕を伸ばしたが、感覚の失せた手は何を掴むこともなく宙を彷徨った。
「く、うっ……」
重い瞼を開くと、焼けつくような光で視界が閉ざされた。白い世界が次第に暗転し、徐々に色彩が戻ってくる。
やけに空が遠いな。硬い岩肌の感触が砕けた体を支えているのを感じる。ここは……試練の山か。
あの揺らめく影は幻影だったのだろうか。ユリはここにはいない。ゴルベーザ様が、あいつをこんなところへ寄越すわけもなかった。
そんな当たり前の事実に心の底から安堵した。
消えゆく影に手を伸ばしたと思ったのは錯覚に過ぎなかった。私はセシルたちに敗れ、肉体はすでに砕け散って跡形もない。
……あいつがいなくて本当によかった。無様な姿を曝さずに済んだ。いっそのこと目も覚まさずに消えてしまいたかったが、まだ幾ばくかの時間が残されているらしい。
失う段階になって、自分の先にあったはずの未来を垣間見るなど……こんな猶予は求めていなかったのに。
私が消えればユリは泣くのだろうか。あの小生意気な小娘が傷つくだろうか。その可能性に少し慰められた自分を嫌悪する。
そんな必要はない。もう、終わったのだから。
どれほど距離を取ろうとしても容易に壁を越えてくる。死に親しみのない人間のくせに魔物に対して恐怖を感じることもなく、無神経がゆえの寛容さで……。
慣れぬ無償の好意に怯え、いざ近づけば離れることに焦る日々も、ようやく終わりだ。
ゴルベーザ様の御命令を果たせなかったのは無念だが、後に続く者がいるので不安はない。
私や他の者たちの死でユリが泣こうと知ったことか。いつものように漫然と運命を受け入れて、苦悩も葛藤も過去へと押し流してしまえばいいんだ。見ないふりをするのは得意だろう。
ユリには未だ果たすべき役割がある。こんなことにいちいち心を残してはならない。
忘れられることこそが望ましい。……そのはずだ。なのに何故、こんなにも気が急くのだろう。
あれは単なる幻影だと分かっているのに、まるであいつが探しに来たかのような錯覚が起きる。頭の奥で響いたユリの声にまた心が波打った。
終わり間際になって何度も現われるとは、つくづくしつこい輩だ。それともこれは私自身の未練か。この私が、生にしがみついているとでも言うのか? 滑稽だ。笑えもしない。
だが、あと少し、ほんの少しの辛抱だ。そうすればもう私を呼ぶ声に悩まされることもなくなるだろう。
すべては無に帰り、過去も未来も無意味になり果て、消えてなくなる。もうじきに終わる。永遠の安寧が手に入るのだ。
魂が消え失せる一瞬、何かに触れた気がした。だがそれを確かめる術も私にはない。
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