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🔖悪臭超然



 ルビカンテはさっきから魔導書のような物を読み耽っていて周りを見ていない。
 バルバリシアはユリに絡みつく触手を剥がすのに必死で、そのユリ本人は諦めたような表情でモルボルに吊り下げられていた。
 ……誰も私を見張ってないという事実に、私だけが気を揉んでいるのはなぜかしら。
「ローザ。妙な考えを巡らせぬことだ」
 内心の困惑を見透かしたような言葉が背後から聞こえてきた。振り返るとそこには、和やかな空気の中にあって些かも威圧感を削がれない黒い甲冑が立っていた。
 どこか暗黒騎士のものにも似ている兜の奥にある視線が、ユリではなく私に注がれているのを感じた。
 そのことに畏怖を感じるよりも先に、きちんと私を監視しているのがゴルベーザだけだと気づいて何とも言えない気持ちになる。
「……あなたも大変ね」
「……別段、苦にしてはいない」
「そう?」
 配下を教育する気はないのかしら。それとも、配下と言えど相手が魔物ならば忠誠とはこんなものだと思っているのかもしれない。

 そのうちにバルバリシアの攻撃を嫌ったモルボルがユリを抱えたまま私の方へと逃げてきた。安全地帯だとでも思われているのだとしたら不服だわ。
 そもそも、なぜユリはモルボルに囚われているのかしら。
 独特の匂いが鼻腔を刺した。けれど顔を顰めたのは私だけだった。
「ねえ……ユリ、なんだか臭くない?」
「あー、臭かった? モルボルの匂いかな。他にもすごいのいっぱいだから私は慣れちゃって分かんない」
 これくらいなら平気だと、乾いた笑みをはりつけて言う。
 そんな彼女の言葉にルビカンテが顔を上げ、ゴルベーザとバルバリシアも凍りついた。どうしたのかしら。

「ほ、他って、スカルミリョーネのことよねぇ?」
「いや、カイナッツォではないのか。彼もたまに血生臭いことがあるからな」
 気丈なバルバリシアの声が珍しく震えていて、それに応じるルビカンテの顔も引き攣っていた。血生臭いという言葉に反応してゴルベーザが身動ぎをする。
 ……そう、つまり全員がユリの言う「他にもすごいの」に心当たりがあるのね。
 表情の見えないゴルベーザも含めて皆が「臭いのは自分ではないだろう?」と縋るようにユリを見ていた。彼女はそれぞれに視線を返してから頷く。
「せっかくだから言うけど、最初は全員かなり臭かったよ」
 あえなく全員が撃沈した。遠い目をしているユリは、ここにやって来た頃のことを思い出しているのかしら。
 バルバリシアの攻撃が止んだお陰でモルボルも大人しくなり、ユリは触手に腰かけるようにして寛いでる。
 魔物の集団に混じって気になるのが匂いだけなんて、それもおかしな話よね。そこまで開き直るのにどれほどの体験をしたのか、少し気になった。

 異世界より召喚されたというユリの元いた世界がどんなところか私は知らない。けれど少なくともゴルベーザの配下でいるよりは平穏な暮らしだったはずだと思う。
 彼女は戦いを知らないらしい。だとしたらきっと、血の匂いさえ知らなかったのではないかしら。
「カビ臭さかったり腐ってたり獣臭かったりって魔物の体臭もすごいんだけど、何日か出かけて帰って来た時のゴルベーザはヤバかったよねー」
 名前を出されてもゴルベーザは表向き反応を見せなかった。動揺しなかったわけではないと思う。だって私の気のせいでなければ、彼の方からガーンという心理的な音が聞こえたわ。
 そんな主を一瞥して、ひとまず自分が批難されているわけではないと判断したらしいルビカンテが視線を魔導書に戻した。
 同時にバルバリシアも興味を削がれたようでまたモルボルに苛々とした目を向けている。……ゴルベーザをフォローする気はないのね、あなたたち。

 魔物の存在が人間とは相容れないものであるのは当たり前のこと。
 ゴルベーザが人間だからこそ、ユリも始めは受け入れ難いことが多かったんじゃないかと思う。彼女からすれば唯一の同族なのに、魔物と同じ匂いを纏っているのだもの。
「歩くだけで埃がモワッて出てくるしさー、汗と土が混じって腐ったみたいな匂い? もう勘弁してって感じだったね」
 ああ、分かるわ。セシルも騎士になってすぐの頃は同じだった。
 たとえば遠征から帰って真っ先に私のもとに来てくれた時は、思わず頭から水をかけてしまったもの。鎧ごと洗い流すまで近寄れたものではなかったわ。
 それでも数回で慣れたけれど、いくらセシルを愛していたってあの匂いを受け入れるのは大変なことよ。
 あれだけ深遠な魔導の心得がありながら、ゴルベーザは剣を佩いていることがある。そんな時は一体どこで何をしてきたのか、凄まじい匂いと気配で……血に慣れないユリには相当堪えたんじゃないかしら。
 彼女のこと、まだよく知らないけれど、少なくとも殺戮を日常とするのを耐えられる人間ではないわ。

 汗よりも埃よりも、強くて黒い気配がある。始めは嫌悪していたその匂いを、それでもユリは今、受け入れている。
 魔物に囲まれて暮らすうちに麻痺してくるのだろうか。
 決して「血の匂いがする」とは言わないユリの言葉には何か別の意図がある気がする。ゴルベーザはきっと気づいていない。
「ま、何にでも慣れるものだよね」
 慣れかどうかは分からないけれど、ユリは血の匂いにも耐えられるようになったのだろうと、素直に思えた。
 私が血の匂いもセシルの一部として受け入れたように、きっとユリも、ゴルベーザを拒絶しないために殺戮の痕から目を逸らしたんだわ。


🔖


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