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🔖漆黒暗影



 ゾットの塔に来てからずっと気になっていたことがある。
 日の沈みゆく時刻。バロン城では竜騎士団の宿舎に戻り、食堂で過ごしている頃だ。しかしこの塔には人間がほぼいないため食堂がない。
 もちろん食事が支給されないわけではなかった。決まった時間になれば、あるいは俺が外に出て帰ってきた時にはもう、部屋に食事の用意がしてあるのだ。
 以前ユリが運んで来たこともあるが……あれは誰が作っているのだろうかと、ずっと気になっていた。
 最初はユリが作っていると思っていた。彼女は……そうは見えないがゴルベーザ様のしもべであり、歴とした人間だ。主人の世話をしているとしたら彼女だろう。
 だが、ここ数日のメニューを鑑みるに調理をしているのがユリだとは思えなくなってきた。
 毎度のようにアレが入っている。あの年頃の少女にアレを処理できるとは思えない。

「カイン」
 考え事に耽っていたところへ背後から声をかけられ、驚いて振り返るとルビカンテが立っていた。
「何だ?」
「ユリを見なかったか」
「いや……」
 問われて首を傾げる。今日は見かけていない。そもそも彼女は一定の場所に留まっていることがあるのか、というくらいにそこらをうろうろしている。
 朝にはバルバリシアと塔内を遊び回っていたし、昼前にはどこぞへ出かけていた。日によってはバロンに入り浸っていることもある。
 かなりの時間を探し回っていたのだろう、ルビカンテは珍しく本当に困った顔をしていた。
「彼女の部屋に食事を持って行ったが、いなかったんだ。今日はどこへ出かけたのやら」
「お前が食事の用意をしているのか?」
「バルバリシアが出かけてしまったのでな」
 ということは、普段はバルバリシアがやっているらしい。
 四天王が何故ユリの食事の支度をするのか。調理までルビカンテやバルバリシアが行っているとも思えんが、下層のモンスターにできるはずもない。
 もしかすると本当にルビカンテたちが作っているのかもしれん。

 ユリの行方に思いを馳せていると、不意にいつもの和やかな歓談風景が浮かんだ。彼女はよくローザに構っている。
「またローザのところにでもいるんじゃないか」
「今は付き添い役がいないので、それはない」
 いやにキッパリ言い切るんだな。ユリはどうもローザを気に入っているように思えたが、一人では遊びに行かないのか。
 まあ言われてみれば確かに、ローザを訪ねるのと同等かそれ以上に他の者のところへ遊びに行ってるしな。特にお気に入りというわけでもないんだろう。
「これだけ探していないのなら、ゴルベーザ様の部屋かもしれないな……」
 低く嘆かれた言葉に思わずルビカンテを凝視してしまった。
 あの方の部屋など四天王ですら容易には入れないはずだが、そこにいるかもしれないということは、ユリは私室への出入りを許可されているのか。
「では行こうか」
 先立って歩き出したルビカンテについて行こうとして、はたと立ち止まる。なぜ俺が一緒に行かねばならんのだ。
「ちょっと待て、俺もか?」
「ゴルベーザ様の部屋に無断で立ち入ったのはユリを探すためだと、何かあった時に証言してもらわなければ」
 そんなものはそこらを歩いてる雑魚にでも頼めと言おうとして、不敵に笑う気配に気づいた。何か嫌な予感がする。

 そもそもこいつだって四天王最強と言われる男だ。それが叱られるなら俺の証言ごときに何の意味もないだろう。
 ユリに関することとなると四天王はおかしい。慎重にならなければ、気づいた時には妙なことに巻き込まれているんだ。
「カイン、ついて来ればお前の食事にカエルの卵を使わぬよう進言してやろう」
 唐突に言い当てられた自分の弱点に、柄にもなく慌てふためいてしまった。
「なっ……何故それを?」
「ローザから聞いた」
 おいローザ、いくらなんでも馴染みすぎだろう。何を四天王と世間話なんかしてるんだ。あと俺の弱点を気軽にバラすのもやめてくれ。
 あいつ、小さい頃は肉が食えなくて俺に泣きついて来たくせに一人だけ克服しやがって……、いやそんなことはどうでもいい。
 アレは仕方ないだろう。見た目からして食う気がしないし、食感も苦手だ。味もしないのに何のためにあんなものを食わなきゃならないのか。苦行だ。
 そして、この塔の食事にはよくアレが入っている。
「ついて行けばいいんだな?」
「ああ。助かるよ」
「ゴルベーザ様に進言してくれるんだな、お前が」
「信用してくれ」
 これが気まぐれなバルバリシアや陰険なスカルミリョーネなら悩むところだが、こいつならまあ信じてもいいだろう。……あのプニプニもそもそした食感から逃れられるなら、多少の面倒は耐えられる。

 何か腑に落ちない部分はあるが、とりあえずユリを探すのを手伝うことにする。
「ユリもあれが入ったものは食べないそうだ。だから作る時は原型を留めないよう気をつけるのだと、ゴルベーザ様がおっしゃっていたな」
「そうなのか」
 あれが好物という人間などそうそういないと思うぞ。しかし「カエルの卵を入れない」という選択肢はないのだろうか。ゴルベーザ様も妙な拘りを……ん?
「って、おい待て、ゴルベーザ様が飯を作ってるのか!?」
「他に誰がいるんだ?」
 そ、そう言われればそうだが。ユリではないならゴルベーザ様しかいない。魔物である四天王が作るよりは真っ当だ。
 赤い翼隊長になったのだからバロンに逗留していればいいものを、度々こちらに戻って来るのはそのためだったのか。……しかしなぜゴルベーザ様が雑用を。
「それこそ暇を持て余しているユリにでもやらせればいいだろう」
「食材を見て気絶した時から彼女が一人で調理場に入るのは禁じられている」
 何を見たんだ。……材料を考えるに、ユリ一人で調理するのは確かに難しいかもしれん。
 ところでゴルベーザ様も俺がアレを嫌いだと知ってるんだろうか。知ってて出されてるとしたら結構ショックだ。

 いかにも重たげな扉が立ち塞がっていた。ゴルベーザ様の部屋は、侵入者どころか客でさえ寄せつけぬような断固とした拒絶を示している。
 ルビカンテは動かない。ユリを探しに俺をつき合わせておいて、何を躊躇っているのか。
「開けないのか?」
「カイン、開けてみろ」
「……なぜ俺が開けるんだ」
「……いいから、さあ」
「理由を言え!」
 不穏な気配を感じてルビカンテに詰めよる。仕方ないとでも言いたげに口を開いた彼の表情からは、普段の紳士然とした雰囲気が薄れていた。
「以前ゴルベーザ様に呼ばれてここに赴いた時のこと。室内に潜んでいたユリに体当たりを食らったんだ」
「あいつの体当たりなんてどうということもないだろう」
「それはもちろんだが、油断していた私は咄嗟に炎の温度を下げられず彼女に火傷を負わせてしまって死にかけてな」
 どうして火傷を負わせた側が死にかけたのか……聞きたくないな。

 ユリ自身は非力だが無害で寛容な普通の娘だ。しかし、彼女の周辺ではよく暴風が荒れ狂っている。不用意に近づけば巻き込まれて怪我をするのはこっちの方だ。
 ルビカンテが俺を連れてきたのは、この扉を自分で開けたくないからだった。囮、実験台、鉄砲玉、何でもいいが、俺を犠牲にするつもりだったわけだ。
 こいつ案外、性格が悪いな。それとも他に影響されて捩じ曲げられたのか?
「あとは頼むぞ、カイン。お前のことは忘れない」
「待て、一緒に開ければいいだろう。ユリだって火傷したなら懲りたはずだ。また飛び出してくるなんて……」
「分かっていないな。彼女は自分が痛い目に遭ったくらいでは諦めないさ」
 諦めろよ。痛い目に遭ってまで、何の目的があって体当たりしてくるんだ。子供かあいつは! ……ああ、子供だった。
「おい、さりげなく俺の背中を押すのをやめろ!」
「取引は人間の得意技だろう? 食事の質を上げたければ協力してくれ」
「……くっ!」
 このゾットの塔に連れて来られ、ゴルベーザ様の配下としてそれなりに重用されているかと思ってたが、単に使い勝手がいいと思われているだけかもしれん。
 振り返ればルビカンテは少し離れたところで明後日の方角を見ている。そのくせ逃げ出せるような隙はない。で、結局俺が開けるのか。

「……」
 部屋の中には何の気配もない。ゴルベーザ様が不在なのは勿論のこと、誰もいないんじゃないかというくらい静かだ。
「……」
 開けたくない。きっと俺だけひどい目に遭う、そんな予感がする。天井がなければ飛び去って逃げられるんだが。
「……くそっ」
 諦めと共に腹の底から『やるしかない』という苦い決意が溢れてきた。
 とにかく、何か飛び出してきたら避ける、何か落ちてきたら避ける、爆発したら避ける、とりあえず避ければ何とかなる。よし、行け俺。
 重い扉を慎重に開いた先には、予想に反して暗く静かなだけの部屋が待っていた。
「誰もいないようだが」
「明かりをつけてみよう」
 さりげなく俺の背後に隠れたルビカンテが手を翳した。小さな火が点り、赤い色が瞬くが……部屋はさして明るくならなかった。
 室内の様子が見えるようになって、唖然とした。
 ゴルベーザ様の部屋は黒一色だった。こんな圧迫感の中で寛げるのかというほど黒い。壁も床も天井も、寝台から机や椅子や棚、そこに並ぶ書物と茶器でさえ。
 狂気にも似た執念でもってすべてが黒く塗り潰されている。

「……ユリ?」
 ルビカンテの声につられて視線を落とすと、なぜか黒装束を纏ったユリがいた。部屋の入り口で座り込む彼女は肌を隠しているので髪から服まで真っ黒だ。
 言われなければそこにいると気づけなかった。恐ろしいほど気配がない。目の前にいるのに、じっと眺めるほど周囲に溶け込んでしまいそうに薄弱な存在感だ。
「この部屋の有様は、君がやったのか」
 ルビカンテの問いかけに、浮かび上がったユリの目がにっこりと笑った。
「うん、暇つぶしに。たまには模様替えしようかなって」
「仕方ない奴だな」
 仕方なくないだろ! てっきりゴルベーザ様が自分でやったのかと思ってたら……。一瞬、あの方が本当にまずい人間なのかと思ったじゃないか。
 第一、ここまで真っ黒だとゴルベーザ様がお帰りになっても同化して見えなくなってしまう。

 ルビカンテは部屋の有り様を見ても無反応だった。そしてユリも、平然としている。何なんだこいつら、主人の部屋を勝手に黒で埋めるのは普通のことなのか?
「迎えに来たってことは、もうお昼かぁ」
「ああ。食事は君の部屋に運んでおいた」
「ありがと。じゃ、一緒に食べる?」
 唐突に背後を振り向いてユリが闇に話しかけた。俺とルビカンテもそちらに目を向けた瞬間、真っ黒い壁が揺らいで人の形に浮かび上がる。
「私はいい。先に食べてこい」
「ヒッ!?」
「ゴ、ゴルベーザ様、いるならおっしゃって下さい!」
 ぬらりと壁から抜け出てきたように、ゴルベーザ様が立っていた。
「お前たちがいつ気づくかと思ってな」
「やっぱ気づかなかったねー、完璧に溶け込んでるもん」
 壁に話しかけられたかと思った。さすがにルビカンテも驚いたらしく、そっぽを向いて呼吸を整えていた。……ほら見ろ、黒い甲冑に黒背景は駄目だ!

 それにしてもどうしてゴルベーザ様まで一緒になって遊んでるんだ。ユリの暴走を止める奴はいないのか。
 今すごく、土と水の四天王に戻って来て欲しい。あいつらなら少なくとも一緒に遊びはしないだろうに。
「お昼、ローザと一緒に食べたいなぁ」
「カインは連れて行ってやらんのか?」
 翻弄されて惑う部下など気にせず、ゴルベーザ様はユリと楽しそうに昼飯の話などしていた。
 余計なことを言わないでもらいたい。こういう状況でローザと楽しく食事をする度胸なんかないぞ、俺は。
 しかし幸いというか何というか、彼女の方で俺の同席を断ってくれた。妙に言葉を濁しつつ。
「カインと一緒は嫌。だってカインの今日のメニューって……」
「ああ、そうか。そうだな」
 何なんだ。俺の今日のメニューは何なんだよ。またアレなのか? いや、あれなら彼女が怯えるほどではないだろう。嫌がりはしても。
 ……いち人間の娘が怯えるような昼飯って何だ!

 俺は料理が苦手だ。でも少し、自炊の努力をしようと思う。でないと正気を保てそうにない。
「頑張れよ、カイン。命を大事にな」
「逃げられないように気をつけてね」
「健康にだけはいいから残さず食べるのだぞ」
 ルビカンテの同情と、ユリの罪悪感と、まったく善意らしいゴルベーザ様の優しさと。向けられたそれぞれの感情に全て曖昧な笑顔を浮かべて返した。
 なあセシルよ、俺が今戻ったらお前は許してくれるだろうな。部屋に帰りたくない。どうも本気で俺の健康を気遣ってるらしいところが余計にきついんだ。
 やはり自炊しよう。助けを求められる親友もいない。自分で自分を守らなければ、ここでは暮らせないようだから。


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