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🔖不審紳士



 変な夢を見ちゃった。向こうの世界で湯豆腐を食べてたんだけど、いつまで経っても豆腐があったまらなくて、お母さんこれじゃただの冷や奴だよ……っていう内容。
 夢には深層心理があらわれるんだとかよく言うけど、私はどんな複雑怪奇な心理状態なんだろう。
 そんな意味不明のテンションで迎えてしまった夜明けは、まだ夢の延長線にいるような奇妙さを感じる。
 朝になって目が覚めたらベッドのそばにカイナッツォが立ってた。それだけならまだ許容範囲だったんだけどね。

「よぉ、起きたな。おはようユリ」
「お……はようございます」
 あっちから来るってだけでも相当珍しいのに、自分からしっかり挨拶するなんて。熱でもあるんじゃないの?
 なんてこと考えてたらいつもは即座に入るはずの「ヘラヘラしてんじゃねえよ」ってツッコミがない。カイナッツォは無駄に微笑みながら私を見てる。
 まずその微笑みってのが似合わないよ。なんか悪いこと考えてるときのニヤニヤ顔なら見慣れてるけど、悪意のない爽やかな微笑を浮かべたカイナッツォだなんて。
「あの、どしたの? 何か用事?」
「いや別に。ちょっとお前の顔が見たくなっただけだ」
 うわあ、ますますもって変だ。不気味すぎて背筋がぞわってした! 一体カイナッツォに何が起きたんだろう。
 ルゲイエの実験に付き合わされたとか、四天王にまで効いちゃう謎の病とか、体調不良、記憶喪失、いろんな可能性を考えてみるけど全部こわい。
 そもそもどうしてそんな異常な状態で私の部屋にいるのかな。考えたくないけど、もしかしなくても私もう巻き込まれちゃってる?

 まず落ち着こう。ひょっとしたら寝ぼけて幻覚を見てるのかもしれない。寝起きだし、なんか訳わかんないし、混乱して喉渇いちゃった。
 でもカイナッツォに親切を期待したって無駄だよねー、とか思いつつベッドを降りようとしたら、不気味なくらい優しい声がかけられた。
「何か飲みたいのか?」
「え、あーうん。じゃあお茶飲みたいな」
「待ってろよ、用意してきてやるから」
 はあ? 何言ってるの? なんて言う間もなくカイナッツォは部屋を出て行って、呆気にとられてる私だけが残された。
 もっかい言おう。何が起きてるの!? カイナッツォが優しい! すごく気持ち悪い。

 やっぱり私まだ寝てるんじゃないかなあ、と疑いながら、とりあえず今のうちに着替えることにする。
 いつも探しに行かなきゃ会えないカイナッツォが朝から私の部屋に居て、妙に爽やかなオーラを醸し出しつつ目覚めの一杯を淹れてくれてる。
 うん、確かに珍しいことではあるけど、たまに発生するレアなイベントなのかもしれない。無いかな。無くていいよ。
 着替え終わる頃には少しずつ頭もはっきりしてきて、現実感が押し寄せてくる。いやー、やっぱり夢ではなさそう。
 他人の喜ぶことなんてお金もらってもしなさそうなヤツなのに何を企んでるのか、考えるほど頭が痛くなってきた。
「ユリ、入るぞ」
「あ、はい」
 そうして戻ってきたのはティーセットを持ったカイナッツォ……じゃなくて、ふわふわの茶髪に柔らかな笑顔がまるで天使なウェイター衣装の美少年。私は死んだ。
「なにその破壊力……!」
「まあ、お前の理想の詰め合わせだからな」
 読心術と変身魔法が使えるカイナッツォは私の好みドストレートな光属性の美少年に化けられるのだッ!

 乱れまくった息が整えようとしても戻らなくて、私にクリティカルヒットなその姿をチラッと見る。わー、だめだ! 見るだけでもったいない! 減る!
「な、な、なんで変身してるの?」
「ちょっとしたサービスだ。ほら、紅茶淹れてきたから飲めよ」
「全然ちょっとじゃないしありがとういただきます!!」
 パニック状態のまま手渡されたカップを傾け一気に飲み干す、と思ったより熱くて軽く火傷した。
 慌てふためく私の姿を、からかうでも面白がるでもなしにカイナッツォは魔法で出現させた氷水をくれる。その慈愛に満ちた表情!
「お前は誰だっ!」
「何を言ってんだよ。おかしな奴だな」
 おかしいのはカイナッツォだよ、キャラ崩壊してるよ!? っていうか気持ち悪いを通り越してなんか怖いから!

「さて……」
 今すぐにも万能薬が欲しい私をよそに、中身がカイナッツォなはずの美少年は何か考え込んでいる。顎を撫でる仕種が年齢に似合わずオッサンくさくて、ちょっとだけ安心した。
「ユリ、俺にして欲しいことはあるか?」
「えっ、何いきなり」
「好きなだけ我が儘を言えよ。何でもしてやるぜ」
 じゃあ爆発してって言ったら自爆してくれるのかな。断られても承諾されても怖いから言わないけど。
 というかこの一連の意味不明な言動の意図が分からない、私は何を求められてるんだろう。
「うーん……、それじゃあ、ぎゅってして?」
 いつもなら笑って「阿呆か」で一刀両断だったはずのお願いは、あっさり叶えられた。

 ああー、私と同じくらいの小柄な少年なのに、抱き締める腕は力強いんだ。やっぱり中身がカイナッツォだからかな、それとも男の子ってこういうもの?
 ……いやいやいや! 違うでしょ、おかしいでしょこれ。
「体温は低いままなんだねー」
 反応に困って愛想笑いでやり過ごそうと試みる。けどカイナッツォはあくまでも真摯な態度を変えることなく、ちょっと困惑した顔で私の肩を押し返して考え込んだ。
 そしてすぐにまた抱きしめられると、今度はもう相手が誰だか分からなくなるくらい温かい腕に包み込まれる。体温を上げてくれたみたい。
 誰かに抱かれるってこんな気持ちいいことだったかなって、安心感に包まれてこのまま寝ちゃいそうなくらいに力加減も体温も居心地がよくて、それがたまらなく、気持ち悪かった。
「でぇぇい、お前は誰だー!」
 底意地の悪さもいい加減な態度も不誠実さも厭味っぽさも、欠点まで含めて、ううん……欠点こそがカイナッツォらしさなんだって、初めて知った。
 そりゃあ、もう少し打ち解けられないかなって思うこともあったけど、こんなの別人だもん。耐えられないよ。

 この変な生き物が視界に入らないように目を瞑って顔を背ける。
「カイナッツォが変だよー、怖いー!」
「優しくしてやったってのに怖がる奴があるかよ」
 モンスターらしい、いつものカイナッツォの方が、怖いはずなんだけど。
 でも「もしかして怖いかもしれない」を含めてカイナッツォらしさじゃないのかな。
 からかうでも面白がるでもなしに、まるで普通の、人間の友達同士みたいに接してこられたら。ましてイケメンに化けて奉仕なんてされちゃった日には、それはもう。
「カイナッツォじゃないみたいで、気味悪い」
 そう口に出した瞬間、私を抱き締めていた腕が離れて、冷気が満ちてくる。思わず目を開けるといつものカイナッツォがそこにいた。
「まあな。やってみると、この嫌がらせは俺の労力もデケェんだよなァ」
「はぁ……」
 何? ……嫌がらせ? 最初から? 珍しく、気持ち悪いくらい甘やかしてくれたのは全部、私が気味悪がってるのを知ってたから。

「あ、ああ、嫌がらせで優しかったんだ」
「でなきゃ俺がお前に甘えさせるわけねえだろ、ゴルベーザ様じゃあるまいし」
「ああ、うん」
 なんだろう、怒るより先にホッとしちゃった。人の嫌がることに全力を尽くすなんて、いつものカイナッツォだ。優しいカイナッツォはいなかったんだ。よかった!
「ま、収穫はあったがな」
「ん?」
「ユリは快諾されると頼み事ができなくなる、って分かったぜ」
「うっ……」
 図星かも。カイナッツォやスカルミリョーネはどんな些細なことだって嫌がるから私もムキになるんだけど、あんまり何でも叶えられちゃうと逆に遠慮しちゃうものだ。
 だ、だからってカイナッツォに毎度あんな態度取られたらすごいストレス溜まる。
「次からお前が欝陶しくなったらこの手を使うかねぇ」
「やめてよ! っていうか嫌がらせだって分かってたら開き直ってワガママ言える気もするけど」
「……それもそうだな。じゃあやめる。我ながら気色悪すぎたぜ」
 自分でもキモいのに頑張って私に嫌がらせするなんて、さすがだよカイナッツォ。それでこそだよカイナッツォ。

 私も一応、目の保養にはなったんだけど、ああいう美形ならやっぱり本物に巡り会いたいもんだよね。中身まで綺麗な人にさ!
 で、それはそれで別腹ってことで、ああも好みに合致した人の笑顔が見られるならそれは養分補給にもってこいなわけだから。
「カイナッツォがいつものカイナッツォだって分かったところで改めて、もっかい変身してもいいよ」
「お断りだ。もうサービスは終了した」
「中身いつも通りでいいから、あれでデート行こうよー」
「聞けよ。……くそっ、調子づかせたか」
 考えてみればこれで耐性ついたとも言えるし、次にカイナッツォが不審な行動取っても動じずに……いられるかは分かんないけど。少なくとも怖くはない。
「いやぁー、カイナッツォの変身能力って便利だねー! 私の心が読めるんだから、思い浮かべてる人に変身したりもできるんじゃない!?」
「…………やっぱ嫌がらせして遠ざけるよりひたすら無視しとくのが無難だな、お前の場合」
「避けられても私の方から探しに行くけどね」
 心底嫌そうにしたカイナッツォを見て、ちょっと心があったかくなった。人の嫌がることに全力を尽くすなんて……あれ、もしかして私ってカイナッツォに似てる?
「うぉ、なんでいきなり落ち込んでんだよ」
「べつに……」
 目的は違ってもやってることはカイナッツォと同じ。今日一番へこんだかもしれないのは秘密だ。……反省はしないけどね。


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