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🔖そばにいてもいいよ



 大雑把なものならまだしも細かい機械の操作は苦手だ。
 この小さな箱の中で何がどのように動いているのか見当もつかず、考えるほどに頭痛がしてくる。
「試合のチケットはどうやって買えばいいんだ?」
 ついに諦めてユリに助けを求めた。

 彼女は俺の手元を覗き込み、凄まじい速さでわけの分からない操作をしている。
「受け取りじゃなくて当日券?」
「ああ」
 今夜、将来ブリッツ選手を目指す子供ばかり集まったジュニアリーグとかいうものが行われるらしい。
 競争率も低いので当日でもチケットが買えるんだけど、と珍しくティーダにねだられた。

「……母親には言い出せなかったらしくてな」
「そりゃそうだろうね」
 このところ彼女は目に見えて弱っている。ブリッツを観戦して気分転換になるのならいいが、おそらくジェクトを思い出して逆効果だろう。
 病に冒されているわけではなく、きちんと生活している。にもかかわらず日に日に彼女の生命力が衰えていくのは俺にも感じられた。
 危ないかもしれないとは思っている。だが他人にはどうしようもない。
 俺にできるのは、こうやってティーダを気晴らしに連れ出してやることくらいだった。

 手際よく今夜のチケットを購入したユリが携帯端末を差し出してくる。
「はい、この画面スタジアムで見せたら入れるから」
 ……この画面は数秒後に消えるだろう、どうやったら出せるんだ。
 と尋ねようとしたら「分からなかったらティーダがやってくれる」と先手をとられた。
 相変わらず頼りっぱなしで嫌になる。

 用は済んだとばかりにユリはソファーに沈み込むようにして本を読んでいる。どうせ今夜も暇なのは知っていた。
「ユリも行かないか?」
「私はうちで中継見るからいい」
 即答か。せめて検討くらいしてくれてもいいだろうに。

「なぜそう出不精なんだ。もう少し外に出れば……」
 彼女は日光を浴びたら死ぬのかと聞きたくなるほどまったく出かけたがらない。買い物ですら家の中ですべて済ませようとする。
 誰とも会わないので人間関係が結ばれることもなく、だから出かける理由ができない。
 もしかすると家に俺がいるので友人を作れないのでは、と考えると気が咎める。

 だがユリは飄々とくだらないことを言って煙に巻いた。
「私みたいな美女がスタジアムなんか行ったら、一目惚れする可哀想な男が続出しちゃうでしょ?」
「……その自信はどこから出てくるんだ」
 母親に似ていることを誇りに感じているのか、ユリは自分の容姿を一切謙遜しない。
 確かに自信と釣り合うだけの美人ではある。一歩うちを出れば一目惚れする男も現れる、かもしれない。
 しかしそれも外に出てこそだ。ずっと家の中にいてはせっかくの容姿も宝の持ち腐れじゃないか。

 家から出て人と関わればユリは変わるに違いない。
 一日中ゲームをしたり本を読んだり惰眠を貪ったり、そんな怠惰な生活をしなくても、もっと充実した人生を送れる人間だ。
 そう思いがらも、なぜか妙に腹が立つ。

 つまるところ彼女は、男に言い寄られるのが面倒で外出したがらないのだろうか。
「外見で惹かれるような輩はお前の内面を知って離れていくと思うが」
 ユリが黙り込んでいるのを見て言葉を誤ったことに気づいた。
「いや、その、お前の内面が魅力的ではないというわけじゃなくてだな、」
 外見で惹かれるような輩に好かれても意味がないと……。
 そんな軽薄な輩を嫌って外出を控えるのではなく、内面を見てくれる相手を探すためにも行動を起こせと、そう言いたかったんだ。

 ユリは面倒臭そうに息を吐いて、より深くソファーに身を沈めた。
「ナンパなんかあしらい慣れてるしどうでもいい。ただ、外に出ると疲れちゃうからね」
「日がな一日ゴロゴロしてて疲れも何もあるか」
「私はアーロンと違って繊細なの」
 だからそれは日頃から怠けているせいだと言っているだろう。

「まったく、お前に合わせては俺まで体が鈍りそうだ」
「ジムでも通う? それか、トレーニングマシン買ってあげようか」
 彼女ならば本当に実行してしまい兼ねない。そう思うとまた苦々しい気分を味わわされる。
「……無計画に何でも買うな」

 彼女の父親は愛娘が一生をかけて使いきれるかどうかという富を遺した。
 だがそれは、素性も知れない不審な男のために使うものではないはずだ。
 ユリは自分の趣味に対して金を使わない。そもそも趣味と呼べるだけの何かがない。
 そのくせ、俺のためには躊躇なく何でもやってしまう。
「さっきのチケットや、他にも……感謝はしてるが、そこまでしてくれなくていい。自分の将来のためにとっておけ」
 受けた恩ばかりが降り積もってユリに返しきれない。死人である俺が彼女の将来を食い潰すなどあってはならないのに。

 おそらく俺は、彼女が恋人でも友人でも作って自分が追い出されることを無意識に望んでいるのだろう。
 自らの意思で出ていく決心がつかないから、彼女の方から言い出してくれるのを待っている。
「お前はもっと、外に出て人と関わった方がいい」
 関わってみなければ内面など分からない。知りさえすれば、きっとユリを好きになる人間はたくさんいる。
 俺などに時間を費やしている場合ではない。

 視線を感じて顔を上げると、ユリはヒヤリとするような笑顔でこちらを見つめていた。
「私がどんな生き方をしようとあなたには関係ないでしょう?」
「いや、俺は、ただ……」
「あのね、アーロン」
 物分かりの悪い子供に優しく言って聞かせるような口調だった。
「私、あなたのこと嫌い」

 一瞬、頭が真っ白になった。単純な言葉だというのに脳が理解を拒絶していた。
「何を驚いてるの? もしかして、家に置くくらいだから好かれてるだろう、なんて勝手に思ってた?」
 好かれているとまではいかなくても、嫌われているなどとは想像もしなかった。
 ……それなら、なぜ追い出さないんだ。今までずっと助けてくれた。当たり前のように笑ってくれた。
 嫌っていたなんて……分かるわけがないじゃないか。

「迷惑ならいつでも出て行くと言っただろう」
「だから、迷惑なんて言ってない。あなたを家に置いてるのは私にメリットがあるからそうしてるだけだよ」
「嫌いな人間を家に置くことに何の意味が?」
「べつにそれを話さなきゃいけない義務はないよね」
 そう言われては返す言葉がないのもいつものことだった。
 ユリにどんな事情があるのかなど知るはずもない。そして彼女は俺にそれを打ち明ける気はないのだ。

「自分を嫌ってる人と一緒にいるのは耐えられない、って言うなら出て行ってもいいよ。次に住む家も探してあげる。でもそんなの恩義に感じられても困るから」
 出て行きたくてもできないなんて言い訳はするなと言うのだ。
 それはまさに、選択を彼女に委ねていた俺を責めるかのような言葉だった。
「ここにいたいなら私に干渉しないで。私は私のことをあなたに理解してほしいと思ってないし、私もあなたを理解したいとは思わない」
 嫌いだと言いながらもユリは俺を追い出さない。それを決めるのは俺自身だと選択の自由を残している。

 シンに乗ってザナルカンドに運ばれ、血塗れで武器を握ったまま倒れていた俺を彼女は拾ってくれた。
 もし別の場所に流されていたらどうなっていたか今なら分かる。おそらくはベベルに来たばかりのジェクトのように……。
 俺はユリに恩義を感じている。彼女にそれを返さなければ死んでも死にきれない。
 だがユリにとってそれは何の意味もないことなんだ。
 ただ、何かしらの理由があって仕方なく親切を施していただけなんだ。

 不意に彼女が目を逸らした。視線の先を追うと時計が四時を示している。
「そろそろ時間だよ。ティーダを迎えに行ってあげたら?」
 いつも通りの笑顔で彼女はそう言った。ユリは、気まずいとさえ感じていない。
 呆然としたまま俺が踵を返すと、腕を掴まれた。
「携帯忘れてるってば」
「あ……ああ」
 何も変わらない。いつも通りだ。今しがた俺を嫌いだと言った人間のする顔ではない。
 彼女は嫌いな人間にも当たり前に優しくできる人なんだ。そこにあるのはただの無関心だった。

 自分がどんな顔をしているのかよく分からないが、扉を開けて俺を見上げた瞬間ティーダは仰天して俺を締め出した。
 すぐに細く開かれた扉の隙間からじっとこちらを窺い、ようやく迎え入れられる。
「び、びっくりした、アーロンだったんだ」
 何だと思ったんだ。

「ユリは来ないの?」
 唐突に今は聞きたくない名を聞かされて動揺する。
「残念だなー。この試合ユリも楽しみにしてたのにさ」
 初耳だ。誘っても断られるので彼女はブリッツに興味がないのだと思っていた。
 それとも俺が来なければ彼女は試合を観に行ったのだろうか。ティーダと二人なら家を出て楽しんだのだろうか。
「ユリは……ブリッツが好きなのか」
「ブリッツが嫌いなやつなんているわけないじゃん!」
 そうかもしれないな。だが俺はブリッツではないから、俺を嫌いになることもあるんだろう。
 ……いかん。まだ頭が混乱している。

 スタジアムに向かう道すがら、ティーダは久しぶりに楽しそうだった。
 彼ら母子のためにユリは俺を助けてくれるのだろうか。
 ユリは両親を心から慕っている。父親を亡くしたティーダに同情して、仕方なく俺の手助けをしているのかもれない。

「嫌っているのに一緒にいなければならない理由があるとしたら、何だ?」
 関わっても不快になるだけだろう。嫌いなら、離れてしまえばいいものを。
 思わず呟いた言葉にティーダは首を傾げている。

 ジェクトが不器用だったがゆえに、ティーダは父親を嫌っていた。
 しかし反発しながらも心の奥にあるのは父への好意だった。だからあいつも傷つかずにいられたのだろう。
 嫌っていても、嫌いなだけではない。だからそばにいられた。

 まだジェクトの死を受け止められずにいた頃、ティーダの母はよく「死んでしまったら嫌いだと伝えることもできない」と言って息子を窘めていた。
 もしかしたら、そうなのだろうか。
 自分が嫌う相手に、己が嫌われていることを自覚させるために、そばに置いているのか。

 馬鹿な考えだ。俺を嫌っているのが事実だとしてもユリはそんなに歪んでいない。
 言われた瞬間は「嫌い」の一言が胸に突き刺さり傷ついたが、今は困惑の方が勝っていた。
 嫌っていようがどうだろうが彼女には俺を家に置く理由がある。だからそうしている。
 ……自分以外の人がうちにいて嬉しいと言っていた。きっとそれが理由なのだろう。
 なら人を招けばいいじゃないか。何もよりによって嫌いな相手を選ぶ必要はないんだ。
 誰かを好きになって、そいつと共に暮らす方がいい。

「もしかして、ユリとケンカでもした?」
「いや……」
 俺が黙り込んでいるのでティーダはますます不審そうな顔をした。
 しかし、急に何かを閃いたように手を打つ。
「アーロン、ユリのこと好きなの? だからあいつが来なくてさみしいんだ」
 思わず携帯端末を落としてしまい、ティーダが大慌てでそれを拾い上げる。
 何を馬鹿なことを。俺がユリを……そんなわけ、ないだろう。そんなことは……許されない。


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