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🔖足跡孤独
沼地を歩くのって楽しい。一歩を踏み出すたびに土の感触が気持ちよくて、振り返れば私の足跡が点々と続いてる。
私が歩いてきた軌跡を見るとそれだけで安心できた。ちゃんと、自分はここにいるんだって実感できる。
「……ユリ。その向こうの沼だがな」
「え? これ?」
「おう。そのもうちょっと右のな……」
カイナッツォに言われるまま足を運び、ぐにゃぐにゃと頼りない地面に足跡を残しながら歩く。少しずつ深さが増して、足首の辺りまではまり込んだ。
なんかこのまま吸い込まれちゃいそうでちょっと怖い。
「この辺?」
「ああ」
くるぶしから脛、膝の辺りまでズブズブと沈んでいく。……これ、ちゃんと止まるんだよね? って不安になってきたところに耳を疑う無情な言葉が飛んできた。
「お前が今立ってるとこな、底無しだから気をつけろよ」
「ぎゃあああっ、カイナッツォのばかあああ!!」
やっぱり、なんかイヤな予感はしたんだよ!
必死で足を引き抜こうとするのに膝まですっかり泥に埋まって抜け出せない。焦ってもがくほど体はどんどん沈んでいく。
わあ、やだやだ、溺死だけでも嫌なのに底無し沼にはまるなんて最悪の死に方だよ!?
「……まあ嘘だけどよ」
「う、うそ?」
「ああ、本当だ」
「ホント、ってあれ? 本当に嘘なの? それとも嘘……えっ、どっち!?」
「クカカ、そのうち止まるから安心しろ」
「た、質悪すぎるよ……!」
うっかり涙目になって睨みつけると、カイナッツォはすっごい愉しそうに私を見てた。ホントに性格悪い!
沼は確かに底無しではなかったようで、腰まではまったところでそれ以上は沈まなくなった。でも充分に問題だ。抜け出せる気がしない。
とりあえず周りの泥に両手をついて、右足で踏ん張りながら左足を引き抜くと……右足が沈む。今度は逆に左足に力を入れて右足を抜くと……左足が沈んだ。
「でっ、出られない!」
「お前かなり頭悪いんじゃねえの?」
「誰のせいでこんなことになってると思ってんの!?」
「ま、せいぜい頑張れよ。俺は知らねえからな」
「えっ」
愕然とする間もなくカイナッツォの姿が消えた。右を見る。左を見る。後ろを振り返っても、どこにもいない。ほ、本当に帰っちゃったの?
「やだ、うそ……ちょ、ちょっと待ってよ」
返事はない。一人だって実感すると孤独感が溢れてきた。さっきと違う涙が出そうになる。なにこれ、冗談じゃないよ。
一人は嫌だ。一人は……怖い。今ここに立ってるってことが、夢なのか現実なのか自分だけじゃ分からない。誰かが私の名前を呼んでくれなきゃ。
「カ、カイナッツォ〜」
「なんだよ」
「わああっ!」
急に間近で聞こえた声に驚いてつんのめった。顔から沼に突っ込んで、全身泥だらけになって、頭の上でカイナッツォの馬鹿笑いが聞こえる。
くうう……本気で腹立つ! 置いてかれて私がどんなにショック受けたと思ってるの!?
「……カイナッツォなんか、だいっきらい」
「そいつはありがたいこって」
なにそれ。ちっとも悪いと思ってないじゃん、むかつく。そんなカイナッツォの腕に縋らなきゃ沼から脱出できない自分が情けない……。
ものすごく雑な仕草のカイナッツォにひっぱられて、ずるりと泥から抜け出る。と同時に足首で嫌な感触。
「あーっ、靴が脱げた! どうしよう!?」
「裸足で帰りゃいいだろ」
「やだよ、あれガーダーさんが買ってくれたやつで気に入ってるのに」
また買ってきてもらうのも悪いし、なくしたって言ったら落ち込むかもしれないし、そんなの絶対ダメ。
さっきまで自分がはまってた泥の中に手を突っ込んで泥を掻き回す。靴はどこだー。
もうこれだけ全身が汚れてたら何も気にならないよね。肩まで突っ込んだところで指先に硬いものが触れて、なんとか無事に靴を救出できた。
……でも中まで泥がつまってるから履きなおす気になれないや。洗えば落ちるよね、これ?
はあ、泥沼にはまるし置いてきぼりにされるし靴は脱げるし、散々だ。
「もう、とりあえず急にいなくなるのだけはやめてよ」
「そっちに怒ってんのかよ」
そりゃあ沼の深いところへ誘導されたのも怒ってるけど、それより突然いなくなったことの方が怖かった。
「冗談にならないもん……絶対、もうしないって言って!」
「はいはい、悪かったすまん反省してる」
「しないって、言、っ、て!」
「あー、もうしねえよ」
言葉は軽いけどそれなりに反省はしてるみたい。でも信用できないなぁ。カイナッツォはその場限りの反省だけじゃなくて普段の行いから改めるべきだね。
立ち上がって目線を落とすと、私がわたわたもがいた跡が残ってる。くだらない嘘への腹立たしさと、ちょっとした愛情がこみあげてくる。
「……ま、いっか。ここは思い出ができたってことで」
「ああ?」
「カイナッツォに騙されて……連れこまれて……どろどろぬるぬるしたもので私の体は汚された……っていう」
「妙な言い方するんじゃねえ!」
一歩一歩、積み重ねていきたいな。目にする風景すべてに思い出を作って、私がここにいたって痕跡を残したい。
「よーし、帰ったら何があったかバルバリシア様に報告しよっと」
「待て、それはマジで勘弁してくれ」
いつか私がいなくなっても、この景色が存在する限り、そこに流れた時間の中に私がいる。意味がないなんて、思わなくてもいいように……。
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