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🔖水の中で求める酸素



 雨に濡れた服がやけに重たく、歩いているだけでも疲労が濃くなってくる。
 建ち並ぶ家々を一軒ずつ確かめながら、ようやくティナを探し当てたのは街で一番高いビルの頂上にある一室だった。
「ウ……グゥルルル……」
 そこにいたのは緑色の髪をした無口な少女ではなく、幻獣と同じ色に光る毛並みの美しい獣だった。
 ナルシェで一度その姿を見ていなければティナだとは信じられなかっただろう。

「ティナ……なのか?」
 戸惑いながら彼女に近づこうとしたロックをマッシュが急いで引き戻す。次の瞬間、跳躍したティナの爪がロックの鼻先を掠めた。
「ティナ! 俺だよ、分からないのかい?」
「駄目だ、下手に近づかない方がいい」
 四肢を床につけて姿勢を低くし、牙を剥いて唸り声をあげ、ティナは怒りに満ちた瞳で私たちを睨んでいた。
 まるで手負いの獣……、刺激すれば攻撃される。ユリはどうして一緒にいないのだろう。

「怯えておるのじゃよ。使い慣れぬ力を一気に使ったせいで、肉体の制御が効かんのだ」
 部屋の暗がりから声がかかって心臓が凍りつきそうになった。
 いつの間にかそこに一人の老人が立っている。……ティナの他には誰もいなかったはずなのに、一体どこから?
「だ、誰だ?」
「私はラムウ。幻獣ラムウじゃ」
「幻獣だって……」
 そんな馬鹿な。生きた幻獣がまだこの世に存在したというの? 魔大戦以来、彼らは完全にいなくなってしまったはずなのに。

 私の心を読んだかのように、ラムウという名の老人は薄く笑った。
「このような姿をしておるのでな、人間に混じってここに隠れ住んでおる。ふふ、何も不思議はあるまい? ずっと昔、幻獣と人は仲良く一緒に暮らしておったのだ。魔大戦が始まる前まではな」
 魔大戦……人間と幻獣の、魔導の力を巡る大きな争い。
 世界を破壊し尽くして魔法を衰退させたその戦争のあと、再び力を利用されることを恐れた幻獣たちは異界へ姿を消したという。

「一体なにがどうなってるんだ? ユリはどこへ?」
「まあ、順に話をしよう。椅子はないがそこらに座るとよい」
 ラムウが手にした杖を翳すと、そこから光が溢れ出す。ティナは脱力したように倒れ込んだ。
 慌てて駆け寄ったマッシュが彼女を抱き上げてベッドに寝かせる。今度は暴れる気力もなく、ティナはぐったりとして目を閉じていた。

 暴走したティナが暴れたあとなのか、散乱した瓦礫を退けて私たちが落ち着くと、ラムウは厳かに語り始めた。
「千年前、魔大戦が終息した後のこと。我ら幻獣は人間の目を逃れて強力な結界の中に移り住むことにした。幻獣だけの世界にな」
 ……しかし、魔導の力を求めたガストラ皇帝が古代の書物を紐解き、ついにその場所を探し当てた。
「ヤツは二年に及ぶ幻獣狩りを始め、捕らえた我が同胞たちから魔導の力を取り出して軍隊を作り始める」
 それがおよそ二十年前のこと。

 初期実験の失敗を糧に改良された注入実験が、正式に運用され始めたのは十八年前だと私もシド博士から聞いたことがある。
「幻獣から力を……それが帝国の人造魔導士か?」
 こちらに問いかけるロックの視線に私は曖昧に頷くことしかできなかった。

 私は眠りについている間に力を注入された。だから何が起こったのか、正確なところは覚えていない。
 でもそういう噂を聞いたことはあった。
 研究所の最も奥深い場所には幻獣が捕らえられていると。私たちの魔導の力は、彼らから得たものだと。

「幻獣界はガストラの襲撃を阻むために大きな扉を作って世界を閉ざし、以来幻獣たちが新たに攫われることはなくなった」
「では、あなたは……?」
「狩りの際に連れ去られた幻獣は今も帝国の魔導研究所で力を吸収され続けている。私は扉の向こうに戻れなかったが、帝国から逃れることはできたのじゃよ」

 ティナが苦悶の声をあげて、全員の視線がベッドに向かう。
 ラムウが静かに名を呼んでやると、彼女の呼吸が少しだけ緩やかになった。
「何者かの力が暴走しているのを感じ、ここに呼び寄せた。私の魔導の呼びかけにティナが応じたのだ」
「彼女も幻獣なのか?」
「いや……我々とは違う。人間でも幻獣でもない。ゆえに自分の存在に不安を抱き、苦しんでいる。自分の正体を悟った時、娘の不安は消えるだろう」

 ナルシェでティナが私に「人を愛せるのか」と尋ねた。あの時はなぜそんなことを聞くのか、分からなかった。
 愛などという感情は軍人であり続けるために捨てるべきものだった。だから比類なき戦士であった彼女にからかわれたのかとも思った。

 幻獣から奪い取った魔導、人の身には余る強大な力を持ちながら、それでも私は自分を知っている。
 セリス・シェールという一個の人間であることを。私を産んだ人たちのことを。
 愛とは何なのか、当たり前のように知っている。
 でも……ティナは、自分が人間ではないと知っていたのね。そして幻獣とも違うのだと、気づきかけていた。
 自分が何者か、分からない……その孤独感が彼女に問わせたのだ。

「どうすればティナを助けられるの?」
「研究所に捕らえられている私の仲間が、ティナを知っているかもしれん。ユリが南へ向かう準備をしておる。ジドールへ行ってみるといい」
 ようやくラムウの口からユリの名前が出たので、マッシュが安堵の息を吐いていた。

 彼女はいつもこうしてティナのために動いていたのだろうか。
 なんだか少し羨ましく思う。それほどまでに想われるティナも、それほどの想いを傾けられるユリも。
 愛とは何かを知ってはいても、私はそれを得たことがない。
 もしかしたら、ただどうやって受け止めればいいか知らなかっただけで、ティナの方がその感情の近くにいたのかもしれない。

 ティナを助けてくれたこと、そして助言の礼を言って立ち去ろうとする私たちをラムウが呼び止めた。
「仲間を見捨てて逃げ出し、帝国の追跡を恐れて一人で隠れていた。だが、もう終わりにしよう」
「どういう意味だ?」
「ガストラの方法は間違っておる。幻獣から無理に力を吸い出したところで魔導の力は不完全なまま。この肉体は仮初めの器に過ぎぬのだ」

 ラムウが両手を掲げると、ティナと幻獣が共鳴した時のような光が瞬いた。でも今度は衝撃波も起こらない。
 それはただひたすらに美しく、心のどこかが軋むような、切ない灯火だった。
「邪なる者来たりて我らが封を解かんとせば、光ある者どもにその力を貸し与え、世の滅するを阻むべし。嘆くなとユリに伝えるがよい。これは定められし我らが使命」
 部屋を覆い尽くすほどの光はやがて収束し、三つの石となってその場に落ちた。
 同時にラムウの体からも光が零れ出して、徐々に輪郭が失われてゆく。

「幻獣が死せる時、その力のみを結晶化して残したものを魔石と呼ぶ。これは帝国から逃げ出す時に死んだ仲間たちじゃ。そして私も、お前たちの力となろう」
「ラムウ……、だが、あんたは……」
 止める間もなく、自分の命と引き換えに力を遺して、ラムウの姿は掻き消えた。

 淡く光るその石を手に取ってみると、仄かに温かい。そして……。
「何か落ちてるぞ。手紙?」
 ラムウの立っていた場所からマッシュが一枚の紙切れを拾い上げ、不可解な顔をした後でそれをロックに手渡した。
「……6時10分50秒?」
 首を傾げる私たちをよそに、ロックは何かに気づいたようだった。


 ティナが眠っているのを確認してから、魔石を手に部屋を後にする。
 街の入り口ではエドガーたちがチョコボを連れて待っていた。
「兄貴、カイエンも来てたのか」
「ガウ!」
「ああはいはい、ガウもな」
 飛び跳ねて自己主張するガウに笑って構うマッシュを見ていると、あのシャドウがなぜ彼とは関わり合いになったのかも分かる気がした。
 本当に、心の底まで悪意のない人だ。

「ナルシェはどうなった?」
「帝国に目立った動きはない。軍を残してあるし、本部を撤収したリターナーの兵士も集まっているので問題が起きても対処はできるだろう」
 ではこのまま帝国に向かってもいいわね。まさか今になって研究所へ戻ることになるなんて考えもつかなかったけれど。
 ……こうなると知っていたら無理にもシャドウに残ってもらったのに。潜入任務ほど彼向きの仕事があるだろうか。

「帝国へは私が行くわ。研究所の内部はある程度なら把握している」
 即座に反応したのはマッシュだった。一人だけでは危ないじゃないかと保護者のように嗜められてなんとなくむずがゆい気持ちになる。
「俺も行くよ」
「ロック……」
「潜入は慣れてるからな」
 横からロックが口を挟むと、マッシュも、「ロックがついてるならまあ安心か」と納得した様子だ。
 そのマッシュはといえば「ジドールでユリに会ってから行くか残るか決める」なんて言ってエドガーにからかわれている。

 ナルシェに動きがないのなら、軍の幹部が帝都ベクタに戻っている可能性もある。
 あまり大人数で行ってはこっそり幻獣を奪い去ることも難しくなるだろう。それに……。
 空を見上げてもティナのいる部屋は暗くて見えなかった。彼女を一人にはできない。

 仲良く喧嘩している兄弟を見守るカイエンの前に立ち、こちらに向けられる視線をまっすぐに受け止めた。
 相手を信頼することから始めなければいつまでも信じては貰えないだろう。シャドウとマッシュを見ていてそれを学んだ。
「……あなたに、ティナの護衛をお願いしたい。彼女は今、自分の身を守ることができないから……」
 口にしてから、やはりマッシュに言ってもらえばよかったと後悔する。

 私の言葉など彼は聞いてくれるだろうか。けれど意外にもカイエンはしっかりと頷き、私の頼みを承諾してくれた。
「お任せあれ。あの娘は皆が戻るまで守り抜いてみせましょう。……しかしマッシュ殿、此度は兄君をお連れいただきたい」
「へ、兄貴を? いいけど、なんで?」
 急に話を向けられたマッシュが首を傾げ、その背後でひそかにエドガーが後退りをしている。

 カイエンは沈痛な面持ちでマッシュに訴えた。
「女子がおらぬと暇を持て余すようで……ガウ殿の教育に悪いでござる……」
「何をやったんだよ、ってちょっと兄貴、逃げるなっ!」
 素早くチョコボに乗って逃げるエドガーをマッシュが追いかけて行く。
 こっちはカイエンに話しかけるだけでも緊張したのに、なんだか拍子抜けしてしまった。

 二人の背中に苦笑いしながらロックが「俺たちも行こう」と私の手を引く。
「ロック」
「ん?」
 長く雨の中を歩いていたせいで手が冷たい。彼の指の感触もよく分からなかった。

「なぜ私と一緒に?」
「ああ……秘宝のこともあるしな。ちょっと帝国を覗いておきたいのさ」
「……そう」
 それならよかった。私のためではない、彼自身のためならよかった。

 ここにいる皆は他人のために自分を投げ出してしまえる人ばかりで怖いくらいだ。
 だから……ロックがついて来てくれるのが、私のためでなくてよかった。


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