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🔖優しい愛を



 未だかつてこんなに清潔だったことはないんじゃないか。
 なんて、ただ風呂に入って綺麗な服を着て化粧しただけでそんな風に感じてしまう。
 野宿が続いたものだから、元の世界での生活って裕福で贅沢だったのだなあと改めて思う。

 ジャガイモのベッドで一夜を過ごし、港に着くとシャドウが帝国兵の目を逸らしてくれているうちに逃げ出すことができた。
 そして私は今、マッシュたちの到着を待ちながらニケアの酒場で働いている。
 業務内容は清掃と接客と調理補助、薄給だが衣食住つきの好条件。
 マッシュたちがいつ来るかは分からないけれど、それまでのド短期アルバイトとして雇ってもらった。
 このアバウトな対応、安らぐ。時世も時世なのでワケあり日雇い労働者は多いようだ。

 ところでこちらの店に勤めていらっしゃる先輩ウェイトレスのお姉さま。
 その驚異的胸囲からしておそらくタニマの姉ちゃんだと思うのだけれど、彼女はアンジェラという名前なんだ。
 アンジェラといえば知る人ぞ知る没キャラと同じ名だ。鞭装備の姉御キャラで、カイエンとの掛け合い漫才的な絡みがある予定だったとか。
 関係ないとは思うけれども、彼女の名前を聞いた時には心の中でニヤリとしてしまった。


 今日は朝から芋の皮剥きと芋の皮剥きと店内のモップがけと芋の皮剥きでクタクタだ。しばらく芋の顔も見たくない。
 戦闘云々を差っ引いても、この世界で生きていくには体力が必要なのだと思い知る。

 ここから船でサウスフィガロの街へ行って洞窟を抜けてナルシェまで、チョコボもないので二日くらいかかるだろうか?
 早くティナに会いたいと溜め息を吐きつつ酒場の入り口を掃き掃除して時間を潰す。

 当店、酒場ですが午前十時からの営業で、お昼はランチメニューもございます。
 でも客は今のところいない。ニケアの住民はほとんどが戦争に出ているのだ。
 漁船も接収され、兵士や兵器を乗せた運搬船がサウスフィガロやツェンとの間を行き交うばかり。
 昼間から酒場に来る暇人などいるはずもない。

 シナリオの裏でも帝国はいろいろと動いているようだな。
 先日シャドウから得た情報によると、ニケアを経由して運ばれた物資はフィガロ城を攻めるのに使われる予定らしい。
 サウスフィガロは帝国との同盟が締結された当初から反乱が多く、武器を置いておくには向かない。
 だから厳重な警戒を必要とするあの街を避けてニケアの近くに保管庫を作ることになったんだ。

 フィガロ王国は帝国に匹敵する軍事力など持たないが、その潜行機能のお陰で難攻不落の要塞となっている。
 あの城を攻略したければ、逃げ場をなくすためにもコーリンゲン方面と同時に軍を展開する必要がある。
 今のタイミングでは無理なのだ。帝国だって無尽蔵じゃない。

 まずはナルシェ占領とヴァリガルマンダ入手を優先するつもりだろう。
 ガストラとしては先に魔導の力を更に高めて、周囲に敵がいなくなってからゆっくりと安全にフィガロを締め上げたいところ。
 その時を待ちつつ、各地に物資が集められているというわけだ。
 しかしながらゲームのシナリオにある通り幻獣奪還は失敗に終わり、フィガロ侵攻イベントも発生すらしない。
 それが分かっているから私は特に不安もない。

 必死に働いている帝国兵の皆さんには、無駄なことしてないでこの店でのんびり飯でも食ってろと言いたい。それが私のお給料になるのだから。
 まあなんていうか、とりあえず目下の問題として、私は暇を持て余しているのです。


 さすがにモブリズで一泊くらいはするだろう。
 そのあとガウを仲間にして三日月山を探索、蛇の道を渡って漂着したところからこの町を目指す……。
 マッシュたちが着くのはいつ頃になるのかな。
 二三日後に連れが来たら、物置小屋で構わないから泊めてもらえないかマスターに頼んでおこう。
 と顔を上げたら、ちょうどマッシュと目が合った。
 え? 待って、もう着いたの? 早っ。

「よ、よく来たな。じゃなかった、いらっしゃいませ、何名様ですか?」
「ユリ! いや……ユリだよな?」
 向こうは向こうでウェイトレス姿の私が本当に私かどうか迷ったらしく、目を見開いてまじまじと観察している。失礼極まりないな!

「その服……見た目はともかく、お前の人格に似合ってないぜ」
「うるせー! どうせ文無しだろうと思って飯代稼いどいてやろうとしたのになんて言い種だ」
「おお、悪い。すごく綺麗だぞ。服は」
「マスター、二名様ご案内です」
「待て待て待て、俺も飯食わせてくれ!」

 感動の再会をし損ねたせいでカイエンがオロオロしている。ガウも横で「何なの?」って顔してマッシュを見上げているし。
 私からガウの名前を呼ぶわけにはいかないでしょ、そっちが話を振ってくれなきゃ、と視線で訴える。
 やっと気づいたマッシュは照れ臭そうに指で頬を掻きつつ、ガウの方に向き直った。
「ガウ、こいつは俺たちの仲間でユリってやつだ」
 そうそう、“初対面”なんだからちゃんと自己紹介しないとね。
 ってそれで終わりかい! 私はガウを知らないはずなんだ。こっちにも紹介してくれなきゃ困るんだよ。

 眉を吊り上げて念を送っていたら、何かを察したカイエンがうまく繋いでくれた。
「ユリ殿、こちらは獣ヶ原で出会ったガウ殿でござる。彼の協力によって海を越えることが可能と相成り申した」
「そうなんだ! ありがとう、よろしくね。ガウは肉好き?」
「にく、すき! よろしく」
「よかろう。人間の肉料理ってモンを見せてやるぜ!」
 でも実際のところ、まだお給料もらってないから奢ってあげられないのよね。アンジェラ姉さんに金を借りねば。


 がら空きの店内に三人を連れて入ると、気怠い感じでカウンターに座っていたアンジェラの目がギラリと光った。
 髪を撫でつけて営業スマイルを拵えつつ視線はカイエン直行だ。マッシュはスルーな辺り、営業じゃなくて本当に好みのタイプなのだろうか。

「あー、お姉さん。思ったより早く連れが来ちゃったんですが飯食わせろとのことなのでお金貸してください」
「嫌よ」
「そこをなんとか! 倍にして返しますから〜」 
「あなた胡散臭いんだもの! 貸してもどうせ返ってこないだろうから奢ってあげるわよ」
「マジすか? さすがお姉さん、太っ腹!」
「るっさいわね、ひっぱたくわよ」
 このお姉さんは見た目チャラいけど根はいい人なのだ。下町人情バンザイ。

 というわけでひとまずマスターに適当な肉料理を注文し、カイエンをお姉さんの隣に座らせた。
「うふ」
「!?」
 悪寒がしたのだろうか、カイエンは若干逃げ腰だ。
 ちなみにマッシュとガウは厨房に鎮座した肉しか見えていない模様。

「ねぇ、お兄さん。私と一緒に飲まなぁい? うふふ」
 カイエンって五十歳だよね。それをお兄さんと呼ぶお姉さんは一体いくつなのだろう。私も命は惜しいので聞いてみるつもりはないけれど。
 ちなみに「お姉さん」と呼ぶよう指定してきたのはアンジェラだった。
 ということは実際お姉さんとは呼べない年頃……ヒッ! なんか寒気がした! この話題は終わろう。


 カウンターに肘をつき、グラスを傾ける彼女のタニマが思い切り自己主張しているのを真正面から見てしまったカイエンは一気に耳まで赤くなる。
「な、な、な、なにをふしだらな! そ、そこになおれ!」
「お堅いことなしよ、楽しみましょう。ほら、タニマ」
「たっ、たったたタニマ〜!?」
 驚きすぎたカイエンは椅子から転がり落ちてしまった。
 料理が一品できあがったので、カイエンを跨いで取りに行く。
 よく考えたらお姉さん職務放棄しているのですが。奢ってもらえるんだからまあいいか。

 シンプルに塩コショウで焼いたステーキ。かなり大きいけれどマッシュとガウでは二人分に満たないだろう。
 高くついた分は給金から引いてもらうとしようかな。
 こいつらが遠慮なく食った分を全部奢ってもらったら、お姉さんの財布が空になってしまう。

「お待たせしました〜」
 皿の上に鎮座する肉を凝視したあと私を見上げて「くってもいいのか!」と瞳を輝かせるガウの心の扉が全開になる音がした。チョロいぜ。
 その一方でマッシュは最初の肉をガウに譲り、お姉さんから逃げ回るカイエンを面白そうに目で追っていた。

「カイエン、免疫なさそうだもんなあ」
「妻子持ちなのに免疫ないってのも変な話だけど。マッシュはあのデカイおっぱいに何も感じないの?」
「お……。俺は禁欲生活が長かったからな。これも修行の賜物だ」
 禁欲生活が長かったら逆に欲求不満になりそうな気がする。それとも体を鍛えると性欲も抑えられるようになるのだろうか。
 あのダンカンが精神修行に重きを置いていたとは考え難い。
 というか、そもそも師匠が妻子持ちなのだからマッシュが禁欲を強いられることはないと思う。

 そういえば、マッシュは女の人が苦手なんだっけ。それってやっぱり王位継承権を巡って揉めたから?
 もうエドガーのために結婚もしないし子供も作らないってこと?
「ふーん」
「な、何だよ、その顔は」
「うーん、もったいない」
「……何が?」
 世継ぎの件はともかくとして、その美形遺伝子はどうにか後世に残してほしいものである。
 エドガーだって城で散々せっつかれてるようだったし、私からマッシュに「結婚しとけよ」なんて言わないけれども。

「こ、こら、おぬし、オナゴというのはもっと、恥じらいと慎みを持ってだな……」
「ごちゃごちゃ言ってないで飲みなさいよ。ねえ〜〜」
「ややややめんか!!」
 お姉さんに絡まれるカイエンをスルーして、できあがった料理を皆の前に並べていく。
 まだ微妙な顔で私を見ていたマッシュも肉が出てくると我を忘れたようだ。

 それにしても……。
 ミナの雰囲気から考えて、カイエンはお色気ねーちゃんタイプよりもローラみたいな儚げ美人タイプの方が好みなのだろうか。
 アンジェラ姉さんも美人は美人なんだけどねえ。
 もしその気になったらローラと再婚ってこともあり得るのかなぁ。
 余計な世話だと分かっていても、マッシュもカイエンも勿体ないと思うんだ。
 どうせ人間いつかは枯れるのだから、咲ける内に色恋咲かせるべきではないだろうか。


 結局あれからチラホラと客が入ったので私は厨房の手伝いに入り、夕方まで働いたあと給料を頂く。
 そして仕入れのためサウスフィガロへ行くという船に乗せてもらうことになった。
 現在、帝国の許可を得た船でなければサウスフィガロに入港できなくなっている。
 ニケア唯一の酒場であるこの店は帝国兵も利用するので、マスターについて行けば顔パスで港に入れるわけだ。

 フッフッフッ。惚れ惚れする手際のよさではないですか。
 マッシュたちに何もさせず、私が自力で役に立つことをしたぜ!
 ささやかな幸せを噛み締めながら、船はニケアを発った。

 甲板に立って水平線を眺める。
 テンション上がりすぎたガウが船縁にのぼって海に落ちそうになり、カイエンにしこたま怒られている。
 目を細めてそれを眺めるマッシュの横顔をなんとなしに見つめていた。くそっ、また髭が生えつつある……。
「なあ、俺って変かな?」
「えっ? な、なにが、なんで?」
 髭は剃った方がいいと思うけど、なにも変とまでは言いませんよ?
 いや正直やっぱり男前だなあとか思いながら見惚れていた本人にいきなり話しかけられてしどろもどろになってしまった。

 私がアホなことを考えていた傍ら、マッシュは真面目に思い悩んでいたらしい。
「親父を殺された俺と、妻子を殺されたカイエンと、親のいないガウと……。なんだか、自分の家族を見つけたような気持ちになるんだ。あいつらには迷惑だろうけどさ」
「は? 迷惑なわけないでしょうが」
 この三人の疑似家族関係は、それぞれ悲哀を孕んでいながら明るくて微笑ましくて暖かくて、重苦しく暗い世界観における一服の清涼剤となっている。
 その空気を作り上げているのはマッシュの人柄だ。家族というものに対する彼の深い愛情が、見る人を優しい気持ちにさせるんだ。

 こんなにも底抜けに優しい人を私は知らない。
 吐き出せずに淀んでいた私の言葉を無理矢理にでも聞いてくれた。
 馬鹿げた真実をまっすぐに受け止めて、責めもせず利用するでもなく、ただ一緒に見守ると言ってくれた。
 ティナに抱く感情とは違った意味で、私はマッシュのためなら何をしてもいいと思っているよ。
 たぶん強靭すぎる彼が私を頼る機会なんて無いだろうけれど。

 だからそっと、マッシュが求めてやまないものを手に入れられるよう願っておくことにする。
 家族を……何もかも受け止めてくれる人を、惜しみない愛を捧げてくれる人を、彼が得られますように。
 誰よりもそれを与えたいと思っているはずのエドガーは玉座に縛られてマッシュのもとへは戻れないから、せめてこの場に安らぎを得られるように。

 カイエンとガウは、間違いない、マッシュの家族だ。
 欠けた絆を埋め合わせるだけではなく、与え合うことのできる立派な関係だ。恥じる必要なんてない。

 潤んだ目を夕陽から隠してマッシュは俯いた。
 誰かに縋って泣くことのないまま強くなりすぎてしまった子供が、そこにある幸せに手を伸ばしていいのか迷っている。
 自制心なんて捨ててしまえばいいのに。
 いくらマッシュが強いからって甘えてはいけないなんて思い違いも甚だしい。カイエンたちだってそう望んでいるだろう。

 妙なこと言って悪かったなと笑って誤魔化そうとするマッシュの首に手を回し、引き寄せて抱き締める。
 体重負けして一瞬だけ足が浮いてしまったが、油断していたマッシュは体勢を崩して大人しく私の胸に抱かれた。
「わっ! な、なんだよ!」
「いい子いい子」
「は……はあっ!?」
 ヘッドロックをかけ……じゃなくて抱き締めたまま頭を撫でてやったら珍しく耳まで赤くして、混乱しているのかうまく逃げられないようだった。
 もがくマッシュの頭を大型犬にするようにガシガシと撫で回す。あー、犬を触りたい。

 そんなよく分からない状況の私たちをじっと見つめるものがあった。
「マッシュ殿……いったい何を……」
「げっ、カイエン!?」
 気づけばさっきまで船上を走り回って遊んでいたガウが間近に来て私たちを観察していた。
 マッシュを冷やかに見据えつつカイエンがお子様の目を両手で塞ぐ。べつに年齢制限のつくシーンではないのですが。

「いやなにマッシュがね、谷間が羨ましいと言うので、サービスを」
「言ってねえ!」
「お二人の仲が良いのは分かったでござるが、こ、婚前にそのような破廉恥な行為は、慎まれた方が」
「違うって! いろいろと違う!!」
 マッシュの悲痛な叫びを乗せ、船は夜半過ぎにサウスフィガロへ到着する。

 洞窟を抜ければナルシェは目と鼻の先だ。そこを過ぎたらまたしばらく会えなくなる。
 伝えておかなければいけないな。あなたは自分の幸せを求めるべきだと。
 カイエンだってガウだって、マッシュとの出会いに救われている。……それに、私もね。


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