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🔖足元と前は同時に見れない



 自分がどこにいるのか分からないってのは、思った以上に心細い気持ちになるもんだな。
 昔は修行としてコルツ山の中腹に放り出されて三日三晩さまよい歩いたこともあった。
 それでもなんとか自力で山を降りて小屋に戻れたし、どこかで見守っている師匠が死ぬ前には助けてくれると知っていたから怖くなかった。
 しかしまったく見知らぬ土地で一人となると、何もできない。途方に暮れるばかりだ。

 俺はどうやらタコ野郎が放った自棄っぱちの一撃で吹っ飛ばされたらしく、気がついたら見知らぬ川辺にひっくり返っていた。
 レテ川に落ちたんだからその下流だとは思う。それにしたって一体どこまで流されたんだろう。
 早くナルシェに向かわないといけないが、街の方角も分からないんじゃあここから川を遡るのは難しそうだ。
 近くに人が住んでることを願おう。とにかく情報を得ないことには始まらない。

 仮にもし、ここが異世界だったらと考える。
 どっちへ向かって歩き出してもナルシェどころか知ってる場所には辿り着けないとしたら。
 何をしても決して元いた場所には戻れないと気づいたら俺は、どうするんだろう。
 ユリはそういう状況に置かれていたんだな。

 そんなことを考えてちょっと呆然としていたら、川上からユリが流れてきてビックリした。
 結果的にはラッキーだった。
 すぐに現在位置が分かって振り返りもせず歩き出していたら、俺のあとから流れてきたユリに気づかなかっただろう。

 ユリは気を失っているようだった。ピクリとも動かず、水面から突き出た岩に体をぶつけながら流れてくる姿は死んでるみたいですごく焦った。
 しかし水から引っ張りあげると確かな脈を感じて安堵の息を吐く。
 よく見るとあちこち擦り傷だらけだ。大怪我こそないにせよ、兄貴が見たら泣くかもしれない。すぐ治るといいんだがな。

 俺が川に飛び込む前、ユリはティナと一緒にちゃんと筏に乗っていたはずだ。俺の後で落ちたのか。
 あのタコにまだ暴れる力が残ってたんだとしたら俺の失態だ。
「っと、とりあえず起こすか」
 どれくらいの時間を流されたかは分からないが、濡れた体が冷えてきている。
 勝手に脱がせるのも悪いので、とりあえず頬を軽く叩いて呼びかけるとユリは幸いにもすぐに意識を取り戻した。

 早くに気絶してあまり水を飲まずに済んだのか、少しばかり咳き込んだユリは涙目で辺りを見回し、俺の顔を確認すると感極まって抱きついてきた。
 服が張りついて気持ち悪いぞ。
「ま、マッシュ〜!」
「分かった分かった、離れろ」
「冷てぇー、精神的にも物理的にも冷てぇー!」
「服が濡れてるんだから冷たいのは仕方ないだろ」
 ティナがいたら焚き火を起こすのなんて簡単だったのになぁ。
 どうせならユリも異世界の魔法が使えたらよかったのに、と思ったけどユリの世界に魔法はあるんだろうか。

 俺はさっさとシャツを脱いで水気を絞ったが、ユリはさすがに脱ぐのを躊躇している。
 そのままだと風邪を引くとはいえ、気にせず脱げってのも酷な話だ。
「あっち向いてようか?」
「いや、服の気持ち悪さより心細さの方が勝ってるというか、今マッシュを視界に入れてないとかなり不安」
「そうか……」
「あと目の毒なので早くシャツを着てほしいようなもっと見ていたいような複雑な気持ち」
「……」

 思いきり固く絞ったおかげでほとんど乾いているシャツをさっさと着たら、ユリは心なしか残念そうな顔をした。
 こいつ、兄貴と似てるんだよなぁ……。悪い意味で。
 一度脱いでもらって俺が絞ってやれば彼女の服もすぐ乾くんじゃないかと思ったが、喜んで脱ぎそうだから言わないことにする。

 まあ服は歩いてるうちに乾くよな。とにかく先へ進むことにした。
 風邪もそうだが、擦り傷を放ったらかしなのが気にかかる。
 バルガスくらいの使い手だったら相手のチャクラを探って小さな傷なんか治してしまえるんだが、生憎と俺にはできない芸当だった。
 仕方ない。どこかの町に着いたらなんとかなるだろう。

「で、そっちは何があったんだ?」
「うん。オルトロスは倒したんだけどカウンター食らって私だけ落ちた」
 オルトロスってあのタコの名前か? そうか、そういうことも知ってるんだな。
「あのタコ野郎、何本か足をもぎ取ってやったのに。まだそんな余裕があったのか」
「えっ、酷い」
 なんだよその非難がましい目は。タコの足なんかどうせまた生えてくるだろう。

「オルちゃんは何度も戦う相手なんだから、仲良くしてあげてよ」
「あいつ、また会うのか……。余計に仲良くしたくないぜ」
「まあそう言わずにさぁ、憎めない雑魚キャラじゃん」
 その憎めない雑魚キャラのせいで危うく死にかけたって自覚はないらしいな。


 出会った当初のユリは、戦いに慣れてないわりに戦況を判断する冷静な目を持っている、という印象だった。
 レテ川で彼女の話を聞いて、それは戦況分析ではなく彼女の視点が誰とも違った高みにあるからだと分かった。
 その客観性は悪い影響も与えている。
 ユリはこの世界での出来事を現実として捉えていない。無防備すぎるんだ。
 目の前で起きている戦闘もどこか他人事のように思っている。だから恐怖に囚われず戦況が見られる。

 彼女にとってこの世界はあくまでもゲームなのだった。
 しかし彼女がどう考えていようと、ユリの周りにあるものは現実として悪意を持ち、時には攻撃してくる。それを理解しなければならない。
 川に落とされて溺れ死にそうになっても「憎めない」なんて言ってるようじゃあ、俺が警戒心を持てと忠告しても無駄なんだろうが。


 筏から落ちたのは不測の事態で、ユリはティナについて行くつもりだったらしい。
 あっちの物語はボス戦とやらもなく簡単にナルシェへ到着できるんだそうだ。
 そして俺のルートが一番長くて面倒だ、と。そいつはあまり聞きたくなかった情報だな。

「俺たちは今どこにいるんだ?」
「えーとね、マッシュが流れ着くのはナルシェ南方の川をずっと東へ下っていったところ。こっから更に南下するとドマ王国」
「そりゃまた……遠いな」
 世界地図を頭に描く。
 レテ川の中流は険しい地形が続いている。ユリも一緒に行くなら川を遡るのは諦めた方がよさそうだ。
 遠回りでもドマに行って船を借りた方がいい。

 東へ向かえと言われるままに足を進めていると、しばらく歩いたところで何やら考え込んでいたユリが口を開いた。
「マッシュ、お金ある?」
「多少はな」
 財布はベルトにくくりつけてあるから無事だ。
 因みにユリは鞄ごと筏に置いてきたんで手ぶらだった。やっぱり危機管理がなってない。
 物語の大筋を知ってるという優位性を除いたユリ自身は、ちょっと抜けてる普通のやつなのだろう。

「近くに一軒家があって行商人が立ち寄るはず。ポーション多めに買っとこう。この先いろいろあるから」
「了解」
 先を知ってることに関しては用意周到なんだがなぁ。
 緊張感と危機感が徹底的に欠けているせいでバカみたいなドジを踏み、せっかく手間をかけて準備したものが一瞬で水泡に帰している。
 世界崩壊の危機だとかなんとか以前に、もうちょっと自分の身の回りに対して注意深くなった方がいいんじゃないか?


 さて、この辺りは大きな街も近くになく、ひたすら平原地帯が続いているが、なんだかやたらとモンスターが多い。
 すぐ南で戦争中だから逃げて来たのかもしれないとユリが言う。一理ある。
 同じところに流れ着いて本当によかったぜ。離ればなれになっていたら、戦闘能力のない彼女は死んでただろう。

 ユリ一人を背中に庇って戦うくらいなら俺だけでも問題ない。囲まれそうになってもユリを抱えて逃げられる。
 だが、ずっとそうできる保証はないんだよな。
 俺の行く先は予め決まっているが彼女は違う。ユリは物語の登場人物ではないから、またどこかではぐれてしまう可能性がある。

「もし一人になった時のために、戦うなり逃げるなりの手段を用意した方がいいんじゃないか?」
「うーん。私もそう思って煙玉でも持ち歩こうかと考えてたんだけど、川に落ちたせいで持つ意味ない気がしちゃったんだよね」
「あー……」
 確かに、全身ずぶ濡れになったもんなあ。煙玉って、乾かしたらまた使えるんだろうか?

 川に落ちるなんて機会はそうそうないから煙玉の有用性に変わりはないが、ただの通り雨や湿気でも使い物にならなくなっちまうとしたら厄介だ。
 それによくよく考えると、あれは煙幕を張ってる間に逃げ切れるくらいの運動神経があるやつでなければ無用の長物だ。
 ユリがモンスターに煙玉を投げたって、逃げてる間に効果が切れて追いつかれるだけのような気がする。
 濡れるとかいう問題じゃなく意味がないな。

 ユリに武器を持たせるのは論外、ってのはロックの意見だった。
 素人が護身用にと剣を持っても自分が怪我をするだけ、それは俺も同感だ。
 では一人の時は一目散に逃げるか。それもユリは足が遅いし煙玉みたいな目眩ましではすぐ敵に捕まってしまう。
 あと自分に向けられる殺意に慣れてないから恐怖を感じるとその場で硬直するのも問題だ。

「……」
「はぐれないでよね、マッシュ」
「そりゃ俺の台詞だよ」
 本当に、ユリの安全を考えるなら俺が気をつけて見ておくしかなさそうだな。


 ようやくユリの服が乾いてきた頃、さっき彼女が言っていた一軒家が見えてくる。
 だが行商人はいないようだ。ユリが特に何も言わないところを見ると後からやって来るのかもしれない。

 洒落た外観の家だが、近づいてみると庭の草は伸び放題、窓ガラスも汚れて玄関には蜘蛛の巣が張っていた。
 コルツの小屋もたまに帰らないとこんな風になっちまうだろうかと寂しく思っていたら、突然ドアが開いて老人が飛び出してきた。
「時計の修理屋か? 待っておったぞ!」
「えっ? いや、俺は……」
 何を言ってるのかと首を傾げる間もなく腕を掴まれて家の中に引きずり込まれる。
 ユリは知らん顔で庭を眺めていた。助けろよ!

「ほれ、そこの壁にかかっておるじゃろ。もう何年も動いとらん。一年か、五年か……もう十年になるかの」
 外と同じく家の中も人が住んでいるとは思えない有り様だ。この爺さん、どうやって暮らしてるんだよ。
 壁には確かに老人の言う通り時計があったが、十数年分にもなりそうなほど埃が積もっている。

「悪いが、俺は時計の修理屋じゃない」
「おお、芝刈り機の修理屋じゃな。あんたのサービスが悪いから庭の芝が十五メートルも伸びちまったぞい」
「いや、だから……」
 何なんだこの爺さんは。
 助けを求めてユリを振り返ったら、庭の片隅に放り出されていた芝刈り機で草を刈っていた。
 どこが壊れてるんだよ、しっかり動いてるぞ。……じゃなくて、なんで律儀に草刈ってるんだあいつは。

 老人は外にいるユリに気づくこともなく大袈裟に体を震わせながら俺の背中を押した。
「コラ修理屋、早くストーブを直してくれ! 寒くて堪らんわ!」
「だから俺は修理屋じゃないってば!」
「はて、そんならベッドを売りに来たのか? ちょうどよかった、あれはギシギシうるさくてかなわんぞい」
 まったく話が通じやしない。

 気の触れた老人に構ってる暇はないんだが、こんなところに一人暮らしで暖房器具も壊れてるのはあまりに気の毒かとも思う。
 仕方なくストーブに近寄って見るだけは見てやろうと蓋に手を触れたら、普通に火が灯っていた。
「あっちィ! 何だよもう! 子供の悪戯じゃあるまいし……」
 俺がそう呟いた途端、爺さんは急に血相を変えて怒鳴りつけてきた。

「子供? わしには子供などおらん! 変なことを言わんでくれ。いい加減にせんと貴様も獣ヶ原に放り出すぞ! さあ、出て行け!」
「えっ、ちょ、ちょっと」
 出て行けって、引きずり込んだのはあんただろうがと反論する暇もなく連れ込まれたのと同じように強引に追い出されてしまった。
 納得いかねぇ。どうかしてるぞ、あの親父。

 ユリが草を刈り終えた頃に、待っていた行商人がやって来た。
 ああもう早くこっから離れたい。
 俺が買い物してる間にユリは物置小屋から取ってきたボロ雑巾で適当に窓を拭き、蜘蛛の巣を払っていた。
 そしてドアをノックすると返事も聞かずに「ちわーす、修理屋でーす」なんて言って家の中に入っていく。
 爺さんも今しがたの出来事など忘れ去ったかのような歓迎ぶりでユリを迎え入れている。
 ……なんか、もういいや。何する気か知らないけどあっちは彼女に任せておこう。

 まずは買い物だ。ユリから事前に難しい注文を受けている。
 回復薬は三人分でちょっと多めに、ただしまた荷物を落とすかもしれない場所があるのでちょうど余らない程度。
 なんだそりゃって感じだな。
 悩んだ挙げ句、考えるのが面倒になってポーションを二十個だけ買っておく。どれくらい使うかなんて、その時にならなきゃ分からん。

 ここら辺は本当に小さな村さえもないようで、行商人のところには俺の他にも客がいた。
 大きな犬を連れた黒装束の怪しげな男だったが、買っていたのが犬の餌だったのでなんとなく悪いやつじゃないと思う。
 ユリがまだ家から出てこないので、買い物を終えて井戸で水を汲んでいた男に話しかけてみることにした。

「旅の者か? ここから一番近い港はどの辺だろう」
「近場には無い。森を抜けたところに帝国が陣を張ってるんで村はどこも無人だ。どうやらドマ城を狙っているようだな」
「ドマ城か……。急いでナルシェに行かなきゃならないんだが」
 帝国の陣地を突っ切っていくことになったら厄介だな。
 なんとか迂回してドマ城へ行きたいが、肝心の城が戦場となっているなら船を借りるのも難しくなる。

「船を探すならドマを抜けて更に南へ行くしか道はない。俺が案内してやってもいいが」
「ほんとか、そいつは助かるよ」
 見た目は怪しいけど、いいやつじゃないか。
「精々注意しろ。俺はいつでも死神に追われている」
「ふーん? よく分からんが、死神がついてりゃ厄介事の方から避けてくれるだろう。俺はマッシュ、もう一人はユリだ。よろしく」
「……シャドウだ」

 さりげない所作にも隙がなく、腕が立つのはよく分かる。
 あまり真っ当な身分じゃなさそうだが、そんなことはどうでもいい。戦力が増えることの方がずっとありがたい。
 ユリが「回復薬は三人分」と言ったのはこいつの分かもしれないしな。
 で、そのユリはいつまで爺さんの相手をしてるのかと思ったが、数分後に「修理代もらったー」と笑顔で出て来たのを見たら何も言えなくなった。
 戦えないわりに生活力はあるみたいだ。


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