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🔖あなたのぬくもり



 ナルシェに近づくにつれて空はどんどん暗くなり、風も冷たくなってくる。
 雪が舞い始めたところで鞄からユリのコートを出して羽織った。
 炭坑を脱出しようとしていた時、彼女が私に貸してくれたものだ。軽くて柔らかくて、そのわりにはとても暖かな布地がユリ自身を思わせる。

 同じ道を数日前にも歩いたけれど、あの時とはいろいろなことが違っていた。
 進むべき方向も違う。あの時はナルシェを離れようとしていたのに今は逆。
 同行の顔触れも違う。ユリもロックもいない。
 そして何より私自身が、変化していた。傍らを行くエドガーたちの様子をじっと見つめるようになっていた。

 あの時はロックに言われるまま後をついて行き、自分の身の回りのことさえユリに任せて、まるで何も考えない人形だったけれど……。
 思考というものが少しずつ身についてきたような気がする。

 レテ川の下流で筏を降りて以来ずっと、エドガーとバナンは様子がおかしかった。
 不自然に口数が多くなったり、かと思えば急に黙り込んでしまったりもする。
 ……なぜそうしたのか、もし自分だったらどうするか、それはなぜか、考えるのが大事だとユリは言っていた。
 だから私は考える。
 不自然な態度の原因は、たぶん「ユリの身が心配だ」とか「大丈夫だろうか」という言葉を口にしないようにしているのだと思う。

 川に落ちたのはマッシュも同じだけれど、彼は自分でなんとかできるとエドガーが言っていた。
 でも体を鍛えているマッシュと違って、生まれてから一度も自分で戦った経験すらないユリの安否は分からない。
 エドガーたちはユリが“もしかしたら死んでしまったかもしれない”と考えている。
 そしてその予測を私に伝えることができないから口を閉ざしている。
 私を悲しませないために、考えたくない可能性を無視しようとしているんだ。

 なんだか不思議な気分。
 相手の思考なんて想像してみようともしなかった。
 目の前で起きたことはいつも単なる事実として完結してしまって、私の心を動かすことはなかった。
 今も感情というものはよく分からないけれど、それでも観察していると人の心の動きが読み取れる。
 悲しいとか嬉しいとか、どんな時に感じるのか、自然な心の動きというものが、エドガーたちを通じて私にも分かるかもしれない。


 ナルシェに到着すると、門を守っていた兵士が私に気づいて殺気立った。
 武器を手にして駆け寄って来る姿に自然と肩が強張る。無意識に剣を抜きそうになって、慌てて左手でそれを押さえた。
 戦いに来たわけじゃない。仮に襲われたとしても魔法を使ってはいけない。

 バナンが歩み出て私とガード兵たちの間に立った。
「賎しい帝国兵め! また幻獣を狙って来たか!」
「待たれよ、我々の話を……」
「立ち去れ! 今度は無事に済まさんぞ!」
 戦いに来たのではないと説明しようとしたバナンは容赦なく突き飛ばされ、雪の上に倒れ込んだ彼を庇うように今度はエドガーが前へと進み出る。
「少し落ち着きたまえ。私はフィガロ国王、エドガー……」
「嘘をつけ!」
 だけど頭に血がのぼったガードたちはエドガーの言葉にも聞く耳を持たなかった。

 今にも斬りかかってきそうな彼らは「それ以上ナルシェに近づくな」と恫喝し、バナンを助け起こしてその場から逃げ出す。
 私たちが遠ざかるのを確認すると、彼らはこちらを警戒しながらも門前へ戻っていった。

「やれやれ、年寄りになんてことをするんじゃ」
「まったくです。男はこれだから好きになれない」
 雪まみれになったコートを叩きながらバナンが嘆き、エドガーもそれに同調する。
 私が帝国兵として氷漬けの幻獣を奪いに来た時、何をしたのか思い出せなかった。
 でもきっと、街を守っていたガードから死傷者も出たはずだ。彼らは明確に私への憎しみを抱いていた。
「ごめんなさい。私のせいで……」
「君のせいではないよ。向こうが礼儀知らずなだけさ」

 ふうと息を吐き、バナンがナルシェの堅牢な門を見つめる。
「さて、どうにか彼らの目を掻い潜ってジュンの家へ行かねばならんな」
 帝国の侵略を拒んで独立性を維持するナルシェにもリターナーの一員が住んでいる。
 氷漬けの幻獣との共鳴現象により炭坑で倒れていた私を助けてくれた、あのジュンという人がそうだ。
 長老を説得し、この炭坑都市を味方につけるためには、まず彼と会わなければならない。

 こっそり忍び込んだりしたら余計に住民の怒りを煽るかもしれないけれど、正面玄関が使えないのなら他に方法がなかった。
「ここから逃げた時は、街の門ではなく隠し通路から出てきたわ」
「ああ、街が封鎖されていた時のためにとロックから聞いている。確かあの辺に仕掛けがあるはず……」
 門から西へ回り込んだところの岩壁にカモフラージュされてスイッチがあった。エドガーが隙間から手を入れて操作すると、隠し扉が静かに開く。

 あの時はユリと一緒に逃げていて、ガードに追いつめられた時に床が崩れて……。
 気づいたらロックがいて、もう出口は目の前だった。
 だから私はジュンの家へ抜ける道順が分からない。

「エドガー、モンスターがいたらブラストボイスを使ってくれる?」
「何? しかし、ここで音を鳴らせば君にも被害が出てしまうぞ」
「耳を塞いでおくから大丈夫よ。なるべく戦わずに進みましょう」
「それが賢明じゃな。あまり騒ぐとガードに気づかれるやもしれん」
「うーん……まあ、ティナが大丈夫だと言うなら」

 ここにいるのは相手にならない雑魚ばかりだから放置しても害にならないし、戦うほど血の匂いで追っ手を集めてしまう。
 ユリの言葉を思い出していた。
 今度は進む道をしっかり目に焼きつけながら歩く。
 何が未来の役に立つか分からない。だからどんなことも見逃さないようにしたい。


 坑内をしばらく進むと少し変わった雰囲気の広場に出た。
 壁際にはリターナーの本部に向かう洞窟にもあったような休憩所があり、テーブルに何かの記録を書き付けたノートが置かれている。
 奥は細い通路がいくつも入り組んで迷路のようになっており、その入り口に不思議な光がぽつんと浮かんでいた。
「これは、ナルシェのガードを選定する試練の光じゃな。光の軌跡を追って正しい道を行かねばモンスターが襲ってくるぞ」

 光を見つめてエドガーが眉を寄せる。
「なんて物騒な仕掛けを置いているんだ、この街は」
「ガードとなれば坑道をすべて把握し、ガードモンスターを使役せねばならん。これはほんの小手調べに……」
 そっと指先でつついてみると、光は逃げるように飛び去っていった。
 話の途中だったエドガーたちは口をぽかんと開けたまま、あっという間に光が消えていった通路を見つめている。

「えっ……今のを、どうやって追えと」
「う、うむ……本来なら触れると同時に走って追うのだろうが」
 私がいきなり触ってしまったから、追いかけることができなかったみたい。呆然としている二人に焦って声をかける。
「あ、あの、平気よ。光が通っていった道なら分かると思う」
「本当かい? 俺なんかどっちへ曲がったかも既に分からないんだが」

 あれはおそらく魔法による仕掛け。魔物を召喚する力を持った光だった。
 きっと世界に魔法があった頃には侵入者撃退のために使われていたのだろう。
 何度となく光が通ったであろう道筋に魔力の痕跡が微かに残っている。
 だから目で追いかけるまでもなく道は分かった。エドガーとバナンの前を歩いてゆっくりと迷路を進む。
 ものの数分で出口に辿り着くと、待ち構えていた光が「よくやった」と褒めるように瞬いて消滅した。ちょっと、かわいいかも。


 そこから更にしばらく進むと、なんとなく見覚えがあるような道に出た。
 すぐ近くに坑道の出口があって、雪が吹き込んできている。そうだ、ここは通ったわ。
 外の橋を渡ったらジュンの家の裏口に着くはず……。

 自然と足が急ぎそうになるのを抑えてまだゆっくりと進む。
 どんなものにも興味を持って、時間を味わうことが感情を育むのだとユリが言っていた。
 そうして周りをきょろきょろと眺めながら歩いていたら、道の隅でなにか光るものを見つけた。

 なんとなく興味を引かれてその銀色の小さなものを拾い上げてみると、エドガーが横から覗き込んでくる。
「鍵か。町の誰かが落としたのかな」
「困っているかしら」
 もしそうなら、長老と話ができた時に聞いてみてもいいかもしれない。
 知らないと言われたらロックにあげようか。彼はなぜだかいろんな鍵をたくさん持っているから喜んでくれると思う。

 どこのものとも知れない鍵を持ったまま再び歩き出す私に、エドガーは不思議そうな顔をした。
「持って行くのかい?」
「ユリが以前『たとえゴミでも世界中を探せば誰か必要としてる人がいるから、拾ったものは大切にしなさい』って言っていたの」
 私が彼女の名を口にしたのでエドガーとバナンは気まずそうに顔を見合せた。

「ユリか……彼女は戦闘の経験がまったくないとか?」
「ええ、帝国ではティナの世話係をしていたので帝都から出る機会もなかったと。武器を持たせるのがかえって危険なほどです」
「ううむ。無事でおればよいがな」
「ユリは大丈夫よ。強いもの」
「……今の話では、そうは聞こえなんだが」
 断言した私にバナンは疑わしいものだと首を振る。それに対してエドガーは難しい顔をして考え耽っていた。

「確かにユリは弱いが、咄嗟に戦術を組み立てる冷静さを備えてもいる。本当は戦いに慣れているんじゃないかと疑うこともあるくらいだ。ティナ、彼女は本当に……」
 何かを尋ねようとして途中でやめると、エドガーはそっぽを向いて「不在の間に聞くのは気が引けるな」と呟いた。

 そして今しがたの言葉を掻き消すように首を振る。
「マッシュと同じ場所に流れ着いていることを願おう。きっと一緒に戻ってくるさ」
「ええ、そうね」
 おかしなものだわ。彼女が無事なのは当たり前なのに。すぐに戻ってくると私にはよく分かっている。
 ……でも、どうして分かっているんだろう?

 坑道を出る前に拾った鍵をしまっておこうとしたら、ユリの上着のポケットがとても浅くてなんだか心配になった。
 これでは何を入れても転がり出てしまう。ポケットというより単なる飾りだった。
「うっかりなくしてしまいそう……」
 元の持ち主もきっとそうして落としたんだろう。せっかく拾った私がまた落としたらなんだか馬鹿みたいね。

 途方に暮れる私を見ていたエドガーは思い立ったように工具箱の中を探して、取り出した細い鎖を鍵にあいている穴に通してくれた。
「ティナ、これをどうする気なんだ?」
「持ち主が見つからなかったら、ロックにあげようと思って」
「そ、そうか。民家の鍵かもしれないし、ロックには渡さない方がいいんじゃないかな」
「そうなの?」
 泥棒に入るといけないからロックには渡さない方がいいのかしら。本人が聞いたらまた怒りそう。
 ロックがダメなら、ユリにあげようか。彼女なら何でも使い道を見つけてくれる気がする。

「どうするか決めるまで預かっておこうか?」
 工具と一緒にしまっておけば落とすことはないというエドガーの提案にしばし考える。
 特に使い道は思いつかないし、自分で持っておきたいというわけじゃない。ただユリやロックなら役立てる方法を考えつきそうだと思っただけ。
 そうね。私は不注意だし、拾ったことさえ忘れてしまいかねないから、エドガーからユリに渡してもらう方がいいかもしれない。
「じゃあ、お願いします。合流したらユリに渡してあげて」
「引き受けた」
 エドガーは妙に嬉しそうな顔で鍵を受け取った。……好きなのかしら、鍵。そのままエドガーにあげてもいいのだけれど。


「バナン様、フィガロ王陛下!」
 裏口の戸を叩くとすぐにジュンが迎えてくれた。門の前での騒ぎが伝わっていたのかもしれない。
 私が部屋に入ると、戸を閉めながらジュンは「無事でよかった」と笑ってくれた。
「ティナ、元気そうで何よりだ。……あれから記憶は取り戻せたか?」
「いいえ……」
「そうか。なに、あまり気に病むな。バナン様だって近頃は昔のことをよく忘れているくらいだからな」
 急に名前を出されたバナンが盛大に咳払いをする。あの人が記憶喪失だなんて知らなかったわ。

「そ、それよりもジュンよ。ナルシェの様子はどうじゃ?」
「ここは他国に頼ることなく独立を保ってきた街。今さらリターナーに加われと説得しても聞いてもらえませんよ」
 そして、ちらりとエドガーの方を見る。
「しかしフィガロ王が我らに加わり、そのうえ自ら赴いてくださったとなれば、少しは話をする気になるかもしれません」

 リターナーも、フィガロ王国も、ナルシェも、単独で帝国と戦う力は持っていなかった。
 今のままバラバラでいたら強大化し続ける帝国に一人ずつ殺されてしまう。
 手を、取り合わなければいけない。

「住民は幻獣の存在に不安を抱いています。以前の襲撃で、帝国兵が……その、消されたという話もありますので」
「……え?」
 そんなこと、初耳だった。顔を見る限りバナンは知っていたみたいだけれど、エドガーも驚いている。
 言われてみれば、氷漬けの幻獣を奪うのに私一人だけが派遣されたはずもない。
 だって操りの輪をつけていた頃の私は一人で何もできなかったんだもの。
 共にナルシェへと攻め込んだ兵士がいたんだ。そして消えてしまった。……幻獣に消された? それとも、私が……。

「ティナと幻獣の関係が解き明かされれば、その正体にも近づけるだろう」
「ええ。説得によっては皆もティナを受け入れてくれるかもしれません」
 再び私と幻獣が反応を示し、私が持つ力の正体が分かれば、不安を抱く人々に答えを示せるのだろうか。
 また誰かが消えてしまったらと思うと恐ろしいけれど、知らなくてはいけないことだ。

 幻獣は人間にとっての希望となってくれるのか、それとも、禁忌の箱から溢れ出した災厄に過ぎないのか。
 自分の腕ごとユリのコートを抱き締める。
 じきに暴かれる真実が薄っぺらな私を消してしまいそうで不安だった。
 ここにユリがいて、私の名を呼んでくれればいいのに……。


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