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🔖覗き込んだ水底
災厄の詰まった箱が開かれ、最後に残されたのは“予兆”だという。それが真の希望になるのかどうかは取り出してみなけりゃ誰にも分からない。
もっと言うなら、使うやつ次第だよな。唯一無二の力が悪人の手に渡っちまったら、それはもう希望ではなく絶望だ。
ユリがバナン様に言い放った「ティナは希望なんかじゃない」という言葉には深く同意する。
ティナは仲間だ。そして仲間とは苦難を等しく分かち合うべきものだ。
彼女に助けてほしいと願う分だけ、俺も彼女を助け、支えてやりたいと思う。
魔導の力だの帝国の秘密兵器だのはどうだっていいじゃないか。
ティナは災厄に満ちた世界を共に生きる俺たちと同じ人間だ。何ひとつ一人で背負う義務なんてない。
そしてそれはユリに対しても同じことが言えるはずだ。
彼女の中に詰まった災厄も、できることなら一緒に引き受けてやりたいと思っている。
「自分の人生が、知らない誰かの書いた物語だと言われたら信じますか」
「へ?」
先程のユリとそっくりの間抜けな返事をしてしまった。
彼女の表情はあくまでも真剣だ。唐突ではあるが、その質問は人知れず抱え込んでいる苦悩と関わりがあるらしい。
じゃあ……なんとかして理解しないとな。
言葉を噛み砕くようにゆっくりとユリは続ける。
「私はこことは別の世界から来た人間です。たぶんティナが氷漬けの幻獣と反応した時、衝撃で世界を転移してしまったんじゃないかと」
「……えーと、つまりお前は、い、異世界から来た人? なのか?」
「そうなりますね」
噂に聞いたところによると、帝国には遠く離れた場所へ一瞬で移動する魔法があるそうだ。
それですら人造魔導士の中でも一握りの人間だけが使える高度な技だって話なのに、世界を跨ぐ魔法なんて存在するのだろうか。
でもまあ、現にユリは目の前にいるんだから、あるんだよな。
ティナの魔法だってなんかいろいろと凄いんだ。よく分からんが、もっと凄い技もあるということだろう。
ユリが素性を偽っているのはなんとなく分かっていた。
しかしティナへの好意も嘘だとは思えないのに、どうして彼女を騙すような真似をしてるのかと思ったら……。
そりゃあ「私は異世界人です」なんて誰にも信じてもらえそうにないこと、おいそれとは言えないよなあ。
幻獣と反応した時の衝撃で。……ユリは、自分の意思で世界を越えたわけじゃないんだ。
「本当のことを言えなかったのは、ティナがその転移とやらの責任を感じてしまわないようにか?」
「大部分は別の理由ですね。そもそも本当にアレが原因か確定はしてないし」
他に原因が思い当たらないので推測してるだけだとユリは言う。なら、別の理由とは?
「ただの異世界人だったら誰にでも言えた。最悪でも変人扱いされるだけだもの。でも私は……他人に知られてはいけない知識を抱えてる」
だからボロを出さないためにティナの世話係という過去をでっち上げたんだ、と。
設定がある方が嘘を突き通しやすいと吐き捨てた表情は苦い。
人を騙すのが楽しかったわけではないようだ。そのことには素直に安堵する。
まあ……そうだよな。素性を隠したい人間にとって記憶をなくしたティナの存在は都合がよかっただろう。
俺だってもしもその必要があるなら似たようなことをしてたかもしれない。
で、知られてはいけない知識とは何なのか。
尋ねてもユリはなかなか話してくれなかったが、俺がその知識を活用しないと踏んだらしくやがてぽつりぽつりと話を始めた。
「この世界は、私がいた世界にあるゲームの舞台なんです。そして私はこの物語を知っている。ティナを始めとする登場人物も、ストーリーも、結末も」
「……な、なるほど?」
曖昧に頷いたら、言ってる意味がよく分からないであろうことは重々承知だとユリは苦笑した。
いやもう、たぶんゆっくり説明されても分からないことに変わりはないだろうからと先を促した。
何かを思い出すように、ユリは目を閉じたまま話を続ける。
「ナルシェの雪原を魔導アーマーが歩いている。簡単な世界観説明のあとプレイヤーは緑の髪の少女を操作して先へ進む」
もしかして、ティナのことか? でもってプレイヤーというのがおそらくはユリを指しているんだな。
「炭坑の奥で氷漬けの幻獣と反応し、衝撃で気を失ったところをリターナーの老人に保護される」
街から逃げ出すことになり、ロックに導かれ、フィガロ城でエドガーを仲間にして……。
「コルツ山でマッシュと出会い、リターナーの本部へやって来た彼女は帝国との戦いに身を投じる決心をする」
それがここまでの粗筋だ、なんて無感情に淡々と語られ、奇妙な違和感を抱いた。
ユリは今までの経緯をかいつまんで説明している、ただそれだけなんだが……本当に芝居の筋書きでも諳じているみたいだ。
まさに物語を誰かに読み聞かせているような。俯瞰的な目線で見られている気分になる。居心地が悪い。
ユリの話には、まだ続きがあった。
「作戦会議中にサウスフィガロ陥落の報せが入る。ロックは街の様子を探りに行き、ティナたちは帝国から逃れるためレテ川をくだってナルシェを目指す」
なんてこった。さっきのが“ここまでの粗筋”なら、これは“今から起こること”だ。
「物語は三つの視点に分岐する。各々のシナリオを終えた仲間たちはナルシェで合流し、攻め寄せる帝国軍から氷漬けの幻獣を守りきったところでティナの力が暴走して、」
「待った! その……それはたとえば、ユリ個人の予知能力みたいなものじゃないんだよな?」
「違います。私が未来を予知しているのではなく、この戦争の結末が物語として存在し、私はそれを知っているだけ」
こんな粗筋なら“ゲーム”をプレイした人は大抵が覚えていると彼女は言う。
彼女が特別な力で未来を見たんじゃない。
そもそも異世界では、多くの人間がこの世界で起きる出来事を知ってるんだ。
ティナのことを、俺や仲間たちのことを、帝国の、リターナーのこと、世界の行く末さえも。
まるで幼い頃から何度も読み耽った一冊の冒険小説のストーリーを語るように。
この世界は……ユリの世界に存在する物語の一ページ。
ある日ふと気づくと見知らぬ場所に立っていたユリは、主人公と出会った瞬間に自分がその物語の中に迷い込んだことを知った。
それが隠されていた嘘の中身、彼女の素性だ。
さっきユリは「自分の人生が知らない誰かの書いた物語だと言われたら信じるか?」と尋ねた。
世界の“作者”が存在する。主人公たちが悪しき帝国に立ち向かうところから始まり、やがては世界を救う物語。
俺たちはその登場人物で、起きている事柄も予め定められた“御話”なんだ。
「よ、よし、分かった」
「分かったの? すごい順応力ですね」
皮肉じゃなく本気で感心している様子のユリに脱力した。
そりゃあ、こんな突拍子もない話をいきなり理解して信じるのは難しいってのが本音だ。
でも打ち明けろとせっついたのは俺なのに「途方もない話だから信じられない」なんて言えないだろう。尤も、信じるのと理解するのは別の問題だが。
そもそも信じるのが大前提なんだ。
俺にとって彼女の言葉の真偽は重要じゃない。
ユリが何かに苦悩しているのが事実なら、俺の役目は彼女の重荷を一緒に抱えてやることだからな。
「この世界が作られた物語だとかいうのは、とりあえずいいや」
「いいんだ……? わりと衝撃的事実だと思うんですけど」
「そうかな。べつに関係ないぜ。見てる誰かにとってどうでも、俺にとってはこれが現実だからな」
ユリの顔色がサッと青褪めた。俺はどうやらまずいことを言ったらしい。
なんだっけか、さっきは途中で遮ってしまったが彼女の話はこの会議を終えたあとの未来にも及んでいた。
……ユリが物語を知ってるなら、そのゲームってやつ、結末はどうなるんだ? それが“知られてはいけない知識”なのか。
もしこの世界の誰かが彼女の持つ知識に気づけば、物語に干渉して自分に都合のいい結末が訪れるように動くだろう。
大切なものを守るために情報は最大限に活用しなければならない。それが分かっているからユリは誰にも話せなかった。
ユリは箱に残った最後の一粒を握っているんだ。そしてそれは使い方次第で希望にも絶望にもなり得る。
「なあ。バナン様が言ってた箱の話、お前の世界にもあるのか」
「パンドラの箱のことなら、あっちの神話が元ネタです。BGM一曲目は『予兆』だし、三闘神の力に触れた人間が幻獣となったという設定やティナの正体からしても全編を通して神を巡る災厄がテーマなんだろうね」
「ああ、うん。お前がこの“物語”をすごく好きなのはなんとなく分かったよ」
スイッチが入ったみたいに滔々と語り出したユリは俺の言葉で我に返ると頬を染めて俯いた。顔色が戻ってなによりだ。
「こっちじゃ、箱の中に残されたのは希望ではなく最もな災厄だったって説もあるんだけどさ」
「向こうにもあります。真の災厄、予知だけが残されたって話。むしろそれが出てこなかったことが希望であるという説もありますね」
「すべてを知れば未来への期待も失っちまうもんな。それで、未来を知ってるお前から見て物語はハッピーエンドじゃないのか? 悲劇的な結末を迎えるから誰にも言えないのか」
「いいえ、ハッピーエンドです。やがては世界を救う物語だから、」
「つまり救わなければならない状況に陥るってことだな」
愕然として黙り込む。ユリは明らかに「失言だった」という顔をしていた。
「言ってみろよ。何が起こるんだ?」
帝国が世界中に戦争を吹っかけている今現在よりも酷い状況なんてあるんだろうか。
もしそんな悲劇があるとしたら、ユリが一人で背負うには重すぎるだろう。
ユリは腰かけたまま、岩に当たって砕け散るレテ川の激流をじっと睨んでいた。
無理やり聞き出すのは気が引ける。俺もボーッと同じものを見つめながら待っていたら、ユリは散々迷った末にゆっくりと答えを吐き出した。
「ゲームの設定上、この世界には地図が二枚ある。崩壊前と……崩壊後の二枚。遠からず大破壊が起きる。大地が裂けて、生命の力が弱まり、古の魔物が甦って……大勢の、人が……死ぬことになる」
そうか。まあ、そんな予感はしていた。
ユリはティナがリターナーに加わることに熱心ではなかった。
それが物語の結末を知っていたせいなら、帝国との戦争なんてどうでもよくなるほどの災厄が起きるってことだもんな。
世界の崩壊。あまりにも事が大きすぎて、驚きもしなかった。
「その大破壊ってのは、自然災害か?」
違うと半ば確信して聞いてみたものの、やはりユリは首を振った。世界を崩壊へと導くのは一個の人間なんだ。
世界を守るために、先手を打ってそいつを排除してしまえ、と言うのは簡単だった。
しかしユリが自分の秘密を打ち明けなかったのは、まさにその言葉を恐れたが故だろう。
やがては世界を救う物語……筋書きを変えて災厄を封じ込んだら、残されるはずだった希望も失ってしまうかもしれない。
つまりはそういうことだ。ユリはシナリオが変わるのを恐れている。
いつか別の形で、別の崩壊が起こった時に、白紙の未来には災厄を乗り越える方策もない。
天秤に二つの命が乗っている。世界の崩壊で失われる命と、その先にある未来で救われる命。
片方を救おうと取り上げれば代わりにもう片方が破滅に沈み込む。
「予定通り崩壊しなけりゃ、予定通りに救われない、ってわけだな」
自分への確認のために呟いたんだが、どうも自責の念を刺激してしまったようでユリが泣きそうな顔になっていた。どうしたもんかねえ。
妙なやつだぜ。ただ未来を知ってるってだけで、自分が世界を滅ぼすわけじゃないのに、そんなに思い詰めるなよ。
沈黙が重たい。ちょっとばかり話を変えようか。
「なあ、俺もそのゲームってやつの登場人物なら、ひょっとすると俺のフルネームも知ってるのか?」
唐突な俺の質問に、然して迷いもせずユリはその名を口にした。
「マッシュ・レネ・フィガロ」
実際そうあっさり呼ばれると面食らった。
今となってはこの世でただ一人、兄貴だけが知っている名だ。そして兄貴が他人に漏らすことは絶対にない。
だから、久しく聞いていない響きだった。急に子供時代を思い出して恥ずかしくなる。
「えっと、できればそれは……」
「誰にも言わない。秘密の名前なんでしょう」
「ああ。……先のことだけじゃなく過去の出来事も知ってるわけだな」
予知能力ではない。ユリが未来を言い当てているわけじゃなく、ただこの世界が、誰かの決めた設定をもとに歩んでいるだけなんだ。
唐突に、沈んでいたユリの瞳に光が戻る。
「過去というか、ゲームや資料で出てることならある程度は知ってるよ。魔大戦や魔導士狩りなんかは背景設定だから触りしか知らないけど」
「資料って、俺の名前なんかもそこに書いてあるのか?」
「うん。主人公たちのフルネーム、身長体重趣味好物得意武器と技を覚えるレベル、魔法や装備やアイテムの効果に消費MP、入手場所。フェニックスの洞窟とラスダンの攻略法も覚えてる。あと……」
「あのさ、その物語を知ってるやつは誰でもそんなに細かいところまで覚えてるもんなのか?」
怒濤の語りにびっくりして思わず遮ったら、ユリは「またやっちまった」って顔で恥ずかしそうに俯いた。
やっぱりな。ユリの世界にはこのゲームを知っているやつがたくさんいるようだが、中でもこいつはかなり詳しい部類なんだろう。
機械のことを語る時の兄貴と同じ目をしている。放っといたら長くなりそうだ。
「チラッと話題に出たから聞くが、お前は現代の人間が過去に飛んだら魔大戦を止められると思うか?」
「え……それは、無理だと思う」
仮に誰か一人から始まった戦争のように見えても、実際にはいろんな事象が絡み合って影響して起こったんだ。
「一面的な原因を排除したからって結末まで簡単には変えられない」
「だよな? それって、お前が抱えてる問題と同じだろ」
「あ……」
過去の改変は未来どころか現在の在り方さえねじ曲げてしまうからな。
たとえば、俺が昔に戻って親父が死ぬのを阻止したとする。
先代が生きていれば現在のエドガー国王は存在しないことになる。
俺たちは二人とも王子のままで、俺は城を出ていなくて、きっとフィガロは帝国と同盟なんて結んでおらず、ドマ辺りと共に戦争へと加わっていたかもしれない。
悪くすると、無理やり担がれて本当に兄貴と継承権争いをやってた可能性すらある。
過去を変えるのは未来の可能性をひとつ殺すに等しい。
この問題について研究した本を見た記憶があるんだが、難しすぎて読むのを放棄したのが今更ながら悔やまれる。
「筋書きを変えれば世界の未来……つまりお前にとっての過去が破綻する。たぶん、手を出しちゃいけないってのは正しいと思うぜ」
「タイムパラドックス。そういう視点では考えてなかった。……マッシュって意外と頭いいよね」
「俺も今はこんなだが、ガキの頃は本を読むくらいしかすることがなかったんだよ」
口調が砕けつつあったユリは慌てて謝ったが、そっちが素ならそのまま話してくれた方が俺はありがたいと言って敬語をやめてもらった。
いつまでも他人行儀でいられるのもつまらないしな。
「……崩壊後にも希望はある。大破壊を乗り越えなければ生まれないものを私は知ってる。でも、そのために大勢の人を見殺しにするのかと思うと……」
「運命に抗わなかったからってお前が気に病むことじゃない」
逆に言えば、大破壊を止めるために行動してそれが成功したら、本来のシナリオを殺すことにもなり得るんだ。
「俺だってさ、未来を予め知ってたとしても、師匠を殺させないためにバルガスを殺すなんて御免だな。悲劇を回避するために別の悲劇を起こして……そんなの結局は誰も救えてないじゃないか」
確かに難しい問題だ。どっちを選んでもそれぞれの絶望と希望がある。……つまり、どっちでも同じだってことだな。
「ユリ、自分がどうしたいかで動けよ。その時になって崩壊を阻止したけりゃ、俺が世界を壊すやつを倒してやる。やっぱり物語を変えるのが怖いとなれば、一緒に見守っててやるからさ」
崩壊の時に死ぬであろう大勢の人々を助けたいなんて願っても、そもそも規模が大きすぎて俺やユリにどうこうできるもんじゃない。
もちろん座して滅びの時を待っているつもりはないし、自分にできる精一杯の抵抗はするつもりだが。
そう、できることだけやればいいんだ。自分の意思で、自分のやりたいことをやるんだ。
洞窟内が慌ただしくなってきた。ティナが加わって本格的な会議が始まろうとしているのかもしれない。
それとも、もうサウスフィガロからの報せが来たのか?
「こっから逃げるとか言ってたな。じゃあ筏の準備でもしておくか」
レテ川は筏で越えるには荒々しすぎる気もするが、予め大丈夫だと分かっているのはありがたい。安心して困難に飛び込んでいける。
ユリはしばらく呆然としていたが、俺が物置小屋から筏を引きずり出してくると立ち上がって手伝い始めた。座ってりゃいいのに。
「……誰が世界を滅ぼすのか、何をしたら崩壊を止められるのか、聞かないんだ」
「え? ああ、利用するために言わせたんじゃないしな。未来が決まってようがなんだろうが、俺はその時やろうと思ったことをやるだけさ。お前もそれくらい気楽に考えとけよ」
耳に届くか届かないかの「ありがとう」と呟く小さな声が聞こえたような気がしたが、敢えて返事はしなかった。
俺に話してちょっとは気が楽になってりゃいいんだけどな。
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