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🔖さよなら、マイン・マリオネッタ



 山の麓に突如として洞窟の入口が現れた。中は複雑に分岐して入り組んでいる。
 マッシュが「自然にできたものと人が掘った部分と半々ってところだな」と言っていた。
 ユリも「こんな道程をロックはよく覚えられるよね」と感心している。

 途中、休憩所のようになっているところで番をしていた兵士がロックを見留めて会釈をした。その視線が私のところで止まり、彼の顔が強張る。
 明らかな敵意を感じて思わずユリの手を握ったら、彼女は私を背後に庇ってくれた。

 見張り場から更に先へ進むと開けた場所に出て、岩壁をくりぬいて作ったらしい部屋がいくつか見えた。
 廊下の先にまだ奥があって、そこから微かな音が聞こえる。
 ナルシェの炭坑やサウスフィガロの洞窟内とは随分と様子が違っていた。ここは人が暮らす場所なのだと思う。
 この先へ立ち入っていいのか迷って歩みを止めた私たちのもとに、両脇に兵士を従えて老人がゆっくりと歩いてきた。
 ユリの手に力が籠る。彼女はなんだかとても緊張しているみたい。

「バナン様」
 ロックが軽く頭を下げると老人は鷹揚に頷いた。
 一見すると貧相だけれど、武術の経験があるようで意外にも隙がない。自然と体が警戒体制に入る。
「氷漬けの幻獣と共鳴した娘か」
 幻獣……ナルシェ炭坑で発掘されたもの。私が奪取を命じられていたもの。
 あれは幻獣と呼ばれる存在だったのかと今さら知って不思議な感じがする。
 あの時のことは少しも覚えていないと思っていたけれど、靄の向こうに記憶の気配を感じてもいた。

 リターナーの指導者バナンは正面から私と向き合い、力強い視線を投げかけてくる。
 まるで睨まれているようで後退りそうになった。
 ユリが手を繋いでいてくれるし、ロックとエドガーは励ますように両隣に控えている。後ろにいて見えないけれどマッシュもすぐそばにいる。
 だから、大丈夫。


 組織の一員として、ロックが私たちをバナンに紹介する。彼がナルシェに来たのは私を味方につけるためだったのだとようやく気づいた。
 ……ううん、今になって気づいたんじゃなくて今までは考えもしなかっただけね。
「ティナは操りの輪によって記憶と意思を封じられ、帝国に使役されていたようです」
「うむ。おおよそのことは聞いておる。なんでも、帝国兵五十人をたったの三分で殺し尽くしたとか?」
 エドガーが息を呑むのが分かった。青褪めたロックが私を窺い見る。バナンという人が何を言ったのか、すぐには理解できなかった。

 操りの輪。あの人に与えられたもの。私の記憶を奪い、心をどこかへ追い出したもの。ヒトの意思を塗り潰して人形へと仕立てあげる道具。
 荒野に炎が広がる。人の焼ける匂い、悲鳴、こびりついた血糊……周囲に動くものはない。
 私だけが生きている。だってそうよ、他のすべてを殺し尽くしたから。私が。
 何の躊躇いもなく、何の感情も抱かず、ただ障害物を切り捨てるように、この、力で。
「……いや!!」
 動かなかったはずの心に恐怖の火が灯り、私は思わずユリの手も振り払って踞った。
 幾多の人を殺した手で彼女に触れていたなんて、自分の愚かさが信じられなかった。

 すぐそばにしゃがみ込んだロックが肩を抱いて助け起こしてくれて、エドガーが怒りを噛み殺すような声でバナンを責めた。
「バナン様、お言葉が過ぎます」
「逃げるな!」
 なおも飛んできた叱責に体がびくりと震える。

 リターナーの兵士たちが私を警戒していたのはそういうわけだったんだ。
 彼らの目に私は人間ではなく、恐るべき“帝国の秘密兵器”として映っていたんだ。
 今すぐこの場から走って逃げ出したくなったけれど、ユリが怒りを発することなく黙っているのに気づいた。
 それで少しだけ心が落ち着く。私も彼女のように冷静でいなくちゃ……。

 私がなんとかもう一度まっすぐに立つのを待って、バナンは更に言葉を続けた。
「こんな話を知っておるか? まだ邪悪な心が人々の中に存在しない頃、開けてはならないとされていた一つの箱があった……」
 それは、子供たちが幼い頃から繰り返し聞かされるお伽噺だという。
 禁忌を破ることへの戒めと、そしてまた絶望に染まってはならぬという教え。

 箱の中には数多の災厄が封じられていた。なのに一人の男が箱を開けてしまった。
 中から、あらゆる邪悪な感情、憎悪、憤怒、嫉妬心、破壊欲、支配欲……そんなものが溢れ出してくる。
「だが、箱の奥に一粒の光が残されていた。希望と言う名の光じゃ」
 箱を開けたのが帝国だというのはなんとなく分かった。では溢れ出した災厄は……戦争、魔導? 私のこと? たった一粒の残された光とは何なの?
 バナンが何かを伝えたがっているのは分かるのに、その意味までは読み取れない。彼は私の困惑を見てさらに口を開いた。
「どんな事があろうと、」
「黙れよ」

 一瞬どこから出たのかと首を傾げたくなるほど低い声が発せられた。バナンだけでなく、私も含めてその場にいた全員が驚きに硬直する。
 ……今のは、隣に立っているユリの声だった。
「それ以上くだらないことぬかしたらキンタマ潰すぞクソ野郎」
「えっ」
「ユリ……さん?」
 ロックとエドガーの顔が引き攣っている。
 冷静だと思っていたユリは心の奥底で静かに怒り狂っていたらしく、まるで箱から噴き出した災厄のように憎悪が止めどなく溢れてきた。

 呆気にとられる面々を無視してユリは私の手を握り直した。
 私とバナンの間に体を割り込ませ、視界が遮られたおかげで私はひとまず安堵した。
 ユリは誰も彼もを威嚇するような声音とは裏腹の優しい笑顔で私に語りかける。
「今の戯言の意味を説明してあげよう。分不相応なことをしでかした馬鹿が事態を収拾できなくなって赤の他人に後始末と責任を押しつけたという話だよ」
 箱は開き、災厄はすでに世界を満たしている。ただ希望が置いてあるだけでは何の意味もないと彼女は言う。

 指導者の言葉を遮られ、侮辱されてリターナーの兵士たちは怒った。ロックとエドガーは彼らを宥めるのに必死だ。
 私はユリの言ったことに気をとられて、自分が人殺しであるというショックを切り抜けていた。
 バナンだけは唯一ユリが何を言うのかと耳を傾けて待っている。ユリもまた挑発的に老人を睨み返す。

「そこの馬鹿はティナに戦争という災厄の後始末と責任を押しつけようとしている」
「早まるな。決して押しつけようなどとは、」
「『どんなことがあろうと自分の力を呪われたものと考えるな。おぬしは世界に残された最後の一粒。希望という名の一粒の光じゃ』……笑わせるなよ」
 おそらく先程バナンが口にしようとしたであろう言葉を代わりに言ってみせたユリは、凶悪と表現するほかない形相になっている。
 エドガーとロックは怯えた表情で後退った。私はただ、彼女の怒りが不思議だった。

「箱を開けたのはあんたらと同じ戦いたがりの人間だ。なぜティナに希望の役を押しつける? 彼女が戦う間に、お前は何をするのか言ってみろよ」
「帝国に抗うため戦争をしている我々が同罪だというならば、その娘とて同じであろう。押しつけはせん。魔導の力を持たぬ我々に、力を貸してほしいと頼んでいる」
「それが人にものを頼む態度か? よほど品性が卑しいんだな。お前はティナに協力を請い願う立場だろうが」

 穏やかで優しい人だと思っていた。ユリがこんな風に、誰かを蔑むことができたなんて、思いもしなかった。
 こんなにも強く激しい感情が眠っていたなんて。
「ティナの無知を利用して帝国の所業を彼女が自ら行ったかのように言葉を歪めて脅迫して。植えつけた罪悪感で意のままにしようなんて帝国も真っ青の卑劣漢だな」
「それは、」
「誰が発言を許した? いいと言うまで黙ってろよ不潔な毛玉野郎が。選択権はティナにある。彼女がお前を助けなければならない理由など一つもないと覚えておけ」

 もう、沈黙を命じられたバナンだけじゃなく誰も何も言えなかった。
 ユリが怒るほど私の心は落ち着いていく。
 どうしてユリはこんなに怒っているのだろうと考える。


 荒ぶる心を鎮めるように一度大きく深呼吸をし、ユリは続けた。
「ティナは世界の希望なんかじゃない。あんたらと同じように悩んで苦しんで生きてる人間だ。彼女には弱音を吐いて逃げ出す権利がある」
「その娘が逃げ出せばどうなるか、分からぬはずもあるまい」
「あんたらが戦争に負けるとすればあんたらが弱いせいだ。ティナの行動とは何の関係もない。自分の弱さの責任を他人に押しつけて恥ずかしくないのか」
「ならばおぬしは世界をガストラに渡しても構わんと言うのか?」
「ああ構わないね。膝をつくのが嫌だから戦う? そう決めたのは自分の意思だろうが。責任持って自分たちで最後まで戦え」

 握り合ったユリの手が震えている。怒りのためか、恐怖のためかは分からなかった。
「本当に助けを請いたいのなら、お前が口にしていい言葉は『お願いします』だけだ。次に『逃げるな』と吐かしたら尻からドリル突っ込んでやるからな」
 それはとても痛そうだと思わず顔をしかめてしまう。エドガーは心なしかげんなりしてユリの肩を叩いた。
「……私の機械は貸さないぞ」
「新品を買い直せばいいでしょう」
「仮に使い捨てでも大事な機械をそんなことに使うのは嫌だ」
 機械を愛するエドガーが本当に嫌そうに言うのでマッシュが噴き出し、ロックが溜め息を吐く。ほんの少しだけ空気が和んだ。

 リターナーの人たちは未だピリピリしているけれど、バナンは興味深げにユリを見ているだけだった。
「それで、お前さんはティナが我々の仲間に加わることに反対なのかね?」
「私の役目はガストラやあんたのような輩とティナの間に立つこと。私の思い込みで彼女の道を歪めたりしない。何をするか決めるのはティナ自身だ」

 そうしてユリは私と目を合わせていつものように微笑むと、ちらりとエドガーを見てからバナンに視線を戻した。
「会談の場を設けようとフィガロ王が直々に来たってのに、挨拶もなく身勝手な長話。賓客をいつまでも突っ立たせておくとは、とても一軍の指導者とは思えない」
「……確かにそうだ。彼らに部屋を」
 ユリに言われてすぐにバナンが兵士たちを振り返る。
 案内役らしき青年が進み出たのを制してロックが「部屋は分かっている」と先に立った。

 奥まった部屋に連れて行かれ、ようやく剣呑な視線から逃れられたことに安堵の息を吐いた。
 リターナーは帝国と戦っている。その戦いを終わらせるための希望になれとバナンは言う。
 それは違う、私は世界を救うための希望ではなく他の弱き人々と同じ存在だとユリは言う。
 どちらが正しいのか、よく分からなかった。

「帝国は……彼らは悪い人たちなんでしょう? 倒さなくてはいけない……」
 質問にもならない呟きにユリは素早く反応した。
「ある行いが正義か悪かなんて誰にも分からないよ。だってその形は人によって違うんだもの」
 なんだか難しくてよく分からないけれど、ロックは不満げな顔で彼女に反論した。
「だけど今、帝国に苦しめられている人がたくさんいる」
「だけど今、帝国のおかげで平穏に暮らす人もたくさんいる」
「誰かの犠牲のうえに成り立つ平穏なんて……!」
「リターナーが勝っても帝国の人たちの犠牲のうえに平穏を打ち立てるだけ。同じだよ」
 勝者が敗者のうえに立つ。それが戦争というもの。ロックは返す言葉を失った。そして私も……。

 平和を求めるなら戦いという手段そのものが間違っている。ユリの言うことは分かる気がした。
 でも、それじゃあどうすればいいの?
 帝国が他の国の人たちを苦しめることも、その人たちが帝国に住む者を苦しめることも、どちらも間違っているのだとしたら。
 ガストラもバナンも悪いことをしているのだとしたら。
「私は、どうすればいいの……?」

 ユリは思案げに俯き、バナンに対するのとはまったく違う落ち着いた声で話し始めた。
「リターナーに加わるのが悪いとは言わない。ただ、相手が間違ってるから、悪いやつだから倒さなきゃいけないとか……倒してもいいんだとは考えないで」
 正義なんて見方の問題でしかないから、いつか矛盾に直面して困惑するはめになると彼女は眉をひそめた。
「ティナの望みを考えて。自分の理想こそがただひとつの真実だよ」

 私の理想、私の意思。ロックからも何度か言われた。
 自分で考えて決めなければ他人の操り人形に戻ってしまう。誰かに言われたから行動するのではなく、私がどうしたいのか。
 正義か悪かではなく、私の理想を考える。
 でも、私自身の望みなんて分からない。誰かに言われたことを聞いて生きてきたのに。

 困ってユリを見上げると、彼女は優しく笑ってくれた。
「他の人の話も聞いてみなよ。それで自分の考えに形を与えられる。でも誰かを責める言葉は聞かない方がいい……単なる八つ当たりでしかないからね、私がやったみたいに」
 苦笑しながら頭を掻いて、ユリは踵を返した。そのまま「ちょっと頭冷やしてくるわ」と部屋を出ていってしまう。

 彼女が去った戸口をしばらく眺めていたエドガーは、傍らの弟にちらりと目をやった。
「マッシュ、頼む」
「危ないと思うか?」
「分からん。だが念のためだ」
 小さく頷いたマッシュは気配を殺してユリの後を追いかけた。
 危ないというのは彼女のことだろうか。リターナーの人たちがユリに危害を……?

 思わず立ち上がった私をエドガーが制した。
「ユリのことは心配しなくていい。マッシュがついている」
「俺たちがいない時にあんな暴走されちゃ危なっかしくて仕方ないよな」
 やれやれと肩を竦めるロックもユリを心配しているようだった。
 リターナーの一員だと言っていた彼も「バナン様の言い方はあんまりだ、あいつがブチキレるのも無理はない」と笑っている。

 バナンの背後で殺気立っていた兵士たちのことを考える。帝国兵だった私に向けられていた敵意はユリに集められてしまった。
 彼女が危険な行動をしていたのだと今になって気づく。それも、私を守るため……?
「さて、ではバナン様のフォローをしてくるかな」
 ゆっくり休むようにとウィンクをしてエドガーも部屋を出る。最後に残ったロックは神妙な顔で私を見つめた。

「ユリのこと、許してやってくれよ」
「え……?」
 私が彼女を許す理由などないと戸惑った。だって彼女には始めから感謝以外の何もないのに。
「あいつがバナン様に怒ったりすることさ。ティナの感情を勝手に決めつけてるように見えるかもしれないけど、君のためを想ってるんだ」
「……分かっているわ」

 なぜユリが怒るのかと不思議だったけれど。
 帝国兵であった頃の記憶が断片的に蘇り、研究所の者たちに命じられるがまま行った殺戮を指摘され……私は傷ついていたのだと思う。
 無自覚な私の代わりにユリが怒ってくれたのだ。

「帝国と戦うのが君にとっていいことか、俺にも分からない。もし自分の正体を知るのが怖いなら逃げるべきなのかもしれない。だからユリはその道を用意した」
「私が逃げたら、どうなるの……?」
「何も変わらないさ」
 今まで通り、抗うだけ。だから私は“リターナーのために”自分の道を決めなくてもいいのだと、私を見つめる眼差しには微かな光が宿っている気がした。

「俺は帝国に大事な人を奪われた。俺のような人間を増やさないために戦ってる。ガストラのやり方で幸せになれない者たちは、ずっと戦い続ける。君がいても、いなくても」
「自分の理想のために……」
 大事な人を奪われた憎しみ。そんな過去を繰り返させないための戦い。ロックの戦う理由はユリの言ったことに通じている気がした。
 確かにロックは正義ではなく自分の望みのために戦っている。

「でも……私には、大事な人はいない……」
「そんなことないだろ。逆に、君を大事に思う人もいる。その人のためにも……」
 言葉は途切れ、ロックは「これは『仲間になれ』ってことになっちまうな」と呟いた。
 私にとって大事な人。……何があってもそばにいてくれるユリ、守ってやると言ってくれたロック、魔導の力を受け入れてくれたエドガー。
 そして、心ない兵器ではなく人としての戦い方を教えてくれるマッシュ。
 共に旅をした皆が、大事だと思う。

 そう、人の話を聞いてもいいんだ。
 私自身の望みがまだ分からないのなら、望みを叶えてあげたいと思う人は誰かを考えればいい。
 仲間を助けたい。それが私の望み……。


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