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🔖人間という形
コルツ山の頂上で一夜を明かし、日が昇ると同時に出発した。
エドガーの弟ことマッシュは小屋に戻って旅支度、そのついでにサウスフィガロの街にも寄って来るだろうとエドガーが言っていた。
なんでも亡くなった師匠の奥さんが町外れに住んでいるらしい。
別れの挨拶をする時間を作るためにも、一晩休憩したのはよかったみたいだな。
おかげでユリの体力は回復し、ティナの魔法もまた使えるようになっていた。
マッシュは山に慣れているだろうから、きっと俺たちがサーベル山脈に着く頃合いにでも追いつくんじゃないかな。
と思ってたら大間違いで、なんと彼は山を降りる前に合流してしまった。
もちろんちゃんと旅の荷物を揃えて、師匠の奥さんにも挨拶して来たという。
俺たちもそんなにのんびり進んでいたわけじゃないってのに、いくらなんでも早すぎないか? まあ、助かるけどさ。
格闘家であるマッシュが加わって、戦闘がすごく楽になった。ありがたいことにサポート役の俺はほとんど出番なしだ。
それにマッシュが前線で踏ん張ってくれるから、後ろのユリたちが危険に晒されることもなくなった。
おそらく戦士としてなら帝国で戦争を生き抜いてきたティナの方がマッシュよりも強い。
でも彼女には単独での戦い方しか知らないという欠点がある。仲間と協力し合うことができないんだ。
ティナはいつも自らを顧みず敵の真ん中に突っ込んでいって、圧倒的な力を以て無理矢理に叩き伏せる。
身につけた武器防具やそれを扱う自分自身さえも傷つくことを厭わない、危なっかしいにも程がある戦い方だ。これも兵器として扱われていた影響だろう。
自分の肉体を武器として盾とする武道家のマッシュは、替えの効かないそれらを無闇に傷つけるようなことはしない。
常に敵の攻撃を避け、或いは受け流すよう心がけて動く。
あの体躯と筋肉量からは想像もつかないほど俊敏に飛び回り、敵を翻弄して隙を作り、自らの強さを最大限に引き出すんだ。
ティナが剛の力ならばマッシュは柔の力とでも言おうか。
思うにティナは最初から強すぎたのかもしれないな。
魔導の力で何も考えなくても敵を捩じ伏せることができるから、より良い動きを求めようとしないんだ。
その点では修行に明け暮れていたマッシュの方が“戦術”を知っている。
願わくはティナに、誰かを守るのみならず自分を傷つけずに戦うということを学んでほしい。
そういう意味でもマッシュの存在はありがたいと思えた。
初対面で失礼なことを言ったわりに、ティナはマッシュに心を開いてよく話しかけている。
彼女は敵意や策略の匂いに敏感だ。だからそのどちらもないユリやマッシュに懐くのかもしれない。
それでいいと思う。俺とエドガーには打算がありすぎるからな。
心に触れるのは他のやつに任せて、俺は約束した通りに彼女を守っていればいい。
ユリの努力の甲斐もあって、ティナはナルシェを出た頃に比べると人間味が出てきた。
彼女についての心配事はかなり減っている。だけど代わりに別の問題も浮上していた。
……ユリのことだ。
コルツ山を降りた頃から妙にイライラしている気がする。
終始笑顔で明るく振る舞っているけど目が笑ってない。
そもそも山を登っている時からして少し様子がおかしかったが、山を降りてマッシュが合流した頃から段々と酷くなっている。
始めはティナがマッシュにくっついてるんでヤキモチをやいてるのかと思った。
でも、ティナが彼と話している姿をニヤニヤして眺めているところを見ると違うらしい。
むしろユリはティナが他人と交流することを望んでいる。
じゃあ何の不満があるのかとさりげなく聞いてみてもはぐらかされてしまう。
……だったら直球勝負で聞くしかないと、ようやく決心を固めた。
見晴らしのいい草原。前方をマッシュ、後方をエドガー、そしてティナが上空も警戒している。この布陣でモンスターに不意を突かれることはないだろう。
ユリはすっかり気を抜いて歩きながら傷薬を人数分に小分けしている。俺はその隣に並んで、鞄を持ってやりつつ尋ねた。
「リターナーに行くのが嫌なのか?」
一瞬だけ足を止めかけたユリは、ティナが振り向く前にまたすぐ歩き始めた。
「まあ、嫌と言えば嫌ですね」
ユリは俺がティナに接触した目的をほとんど最初から気づいていた。
帝国に立ち向かえるだけの勢力を作るために、魔導の力を持つ娘を利用しようとしている、ってことに。
たぶんティナを溺愛する彼女から見ればリターナーも帝国も然して変わらないだろう。
バナン様は帝国のような非人道的な行いはしない。だが、ティナの心よりも力を重視するであろうというのもまた事実ではあった。
「ティナに選択の余地を与えてあげられないのが嫌なんです。でも他にどうしようもないのは分かってるし、リターナーに加わることに異論はありません」
「そういう心配をしてるんじゃないんだけどな……」
やるせない溜め息をつくユリにつられて俺も深く息を吐いた。
気が進まなくてもやらなきゃいけない仕事がある。
リターナーの味方を増やすのが俺の役目だ。だけど、組織のことしか頭にないとは思ってほしくない。
俺もユリもそろそろ腹を割って話しておかなければいけない。本部に着いてしまったらできないことだからな。
「俺は、ティナを仲間にしたいと思う。俺たちは勝てない戦いを続けてきた。彼女は勝利の希望になるかもしれないんだ。でも無理強いするつもりはない」
「仲間になりたくないと言ったところで、バナン様とやらが受け入れるとは思えませんけど」
「彼女が戦争に関わりたくないと言ったら俺が絶対にバナン様を止める」
それくらいの権限はあるつもりだと言うと、ユリがまた息を吐いた。……うっ、エドガーの視線が痛いぜ。
「今のティナには何かを嫌だと思うほどの感情はないですよ」
「ああ、そりゃそうだろうけど……だからお前がいるんじゃないか」
「え?」
困惑しているユリは本当に自覚していない様子で、俺の方が戸惑った。
だって俺やエドガーが自分の都合よくティナを操ってしまわないようにいつだって威嚇……もとい、注意を払ってたじゃないか。
まさか無意識だったのか?
「ティナが自分の意思を持つまで、代わりに選択肢を提示して導く。それがユリの役割だろ」
「……選択肢を提示……できてないでしょう。結局ティナが選べる道は限られているのに」
「違う道があると知らないまま誰かの思惑に乗せられるよりはずっといいさ。ティナに自分の意思を持ってほしい。その気持ちは俺も同じだ」
「それは……そんなこと言われるとは思いもしなかった」
やっぱりユリは、俺がティナよりもリターナーを優先すると思い込んでいるみたいだな。無理もないんだけどちょっと悲しいぞ。
俺の願いは、帝国のやつらにもう好き勝手な振る舞いをさせないこと。
そのために帝国と戦うリターナーに身を寄せた。
しかしリターナーだって戦争を行う組織には違いない。だから、バナン様のやることなすことすべてに賛同しているわけではないんだ。
冒険家をやめてからこれまで多くの人間を見てきた。宝物みたいな煌めきを持つ人間ばかりじゃないのは、重々承知だ。
「厳密に言うと、エドガーだけ連れて行けば俺の役目は果たせるんだよ」
「……ティナはフィガロを引っ張り込む手がかりというわけですか」
「そうだな。そしてエドガーは、腰の重いナルシェ長老を焚きつけるための材料だ」
フィガロの機械技術とナルシェの豊富な資源。どちらも帝国と戦うにあたって欠かすことができないものだ。
しかし今のリターナーは独力で二国を味方につけるには小さすぎる。
フィガロが帝国との同盟を破棄し、ナルシェが中立の地位を捨ててまで手を組むには弱いんだ。
それでもエドガーが一緒に来てくれればナルシェは動かせるはず。“魔導の力を持つ娘”は後押しに過ぎない。
もっと言うなら、その力を帝国から剥ぎ取りさえすればそれで充分だとも言える。
「万が一ティナがいなくても、戦力を揃えることはできると思う」
「フィガロから兵力、ナルシェからは物資、リターナーは口先以外に出せるものがないんですね」
「……まあ、そうなるかな」
ユリの皮肉っぽい言葉には残念ながら頷かざるを得ない。
リターナーの強味はバナン様のカリスマ性と外交力、とどのつまりは他人の力を頼らなければ戦争もできないってことだ。
だからフィガロとナルシェを味方につけようと躍起になっている。
話しながら傷薬の分配を終えたユリは俺の分を手渡してきた。
あまり前線に出ないエドガーとユリは少な目に。いたずらに傷を増やしがちなティナと彼女のフォローをするマッシュは多くの薬を持たせている。
そして俺の小袋にもなぜか前線の二人と同じくらいたくさんのポーションが詰め込まれていた。
「俺は前線に出ないからこんなに傷だらけにならないけど」
「偵察とか、単独行動も多いだろうから余分に持っといてください」
それは別行動をとりたいという意思表示かと、聞くに聞けず目線で問いかける。ユリは察したようで「そういうんじゃないです」と苦笑した。
「ティナはガストラが意のままに操る人形だった。リターナーに同じことをさせないために、私が第三の人形遣いになっている。そう思えてならないんですよね」
「ああ……、まあ、そんな風に感じるのは無理もないけどさ」
徐々に感情が芽生えつつあるとはいえティナは未だ赤ん坊も同然の未成熟な存在だ。
自分の意思を自分で決めることができない。
ユリは彼女を守るために心を砕いているけれど、それはある意味で“ティナをユリの思い通りにしている”とも言えた。
もしいつかティナが記憶を取り戻したら、ユリがやったことに余計なお世話だと怒るかもしれない。
自分の意思とは違ったと。いいように操っていたのはお前も同じだ、と。
本当のティナがどんな人間かも分からない以上、それは俺には何とも言えない。でも……。
「少なくとも、お前は今の彼女の役に立ってるよ。ユリがティナを大切にしてるのは俺たちがちゃんと分かってる。だから思うようにやればいい」
「彼女が一人で立てるまで……?」
「それまでは、ユリが彼女の道標なんだ。しっかり導いてやってくれ」
複雑な表情を浮かべて頷きつつ、ユリはやっぱりまだ納得できてないようだった。
これはもう、どうしようもない問題だろう。
ティナの記憶が戻って人格を取り戻した時にユリを認めてくれるかどうか。今は誰にも分からないことだ。
でもきっと……ユリの気持ちを、ティナは分かってくれると思いたい。
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