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🔖期待の中に隠れる



 コルツ山の麓にダンカン先生が居を構えていたはずだ。
 もし彼の助力を請えるならば、帝国との戦いにおいて心強い味方となってくださるだろう。
 そう、考えていたのだが……生憎と彼の修練小屋はもぬけの殻だった。
 どうも数日の間どこかへ出かけているらしく、庭の周辺は廃墟のような有り様だ。

 伸び放題になっている草に足をとられながらロックが不機嫌そうに呟いた。
「こんな辺鄙なところに誰か住んでるのか?」
「隠居老人か修行僧くらいなら生活できそうですね」
「ユリ、隠居老人って何?」
「優秀な跡継ぎが見つかったおかげで自分の仕事もなくなり趣味も交友関係もないので後はひたすら残る人生を浪費するしかない人のことだよ」
「それは極端に言いすぎだろ……」
 好き勝手なことを言い合っている三人を無視して小屋の中へ足を踏み入れる。途端に嗅ぎ慣れた花の香りが広がった。
 家人が帰らないのにもかかわらず咲き続けているこの花は……?

 誘い込まれるように部屋の奥へと進み、テーブルの上にあいつの愛用していた食器を見つけた。
 フィガロを出る時に持ち出したもの、数少ない母親の形見の茶器だ。
 それにティーポットの底に残っているのはあいつの好きなお茶ではないか。よほどの急用があったのか、飲みかけのまま放置されている。

 まさか、マッシュがここにいたのか?
 いや確かに、城を出たあいつが師であるダンカン先生を頼っていたとしてもおかしな話ではない。
 ……ほんの数日前まであいつがここで暮らしていたのだ。
 戦火はフィガロにも広がりつつある。国のことも、俺自身もどうなるか分からない。もし本当にあいつが近くにいるなら、もしマッシュに会えるならば……。
 知らず知らず浮き足立っていたようで、ふと我に返るとユリが真顔で私を見ていた。
 慌てて表情を取り繕えば「今さらカッコつけられても」などとぼやかれてしまう。
 いかんな、今は私情に構っている時ではない。

 小屋の外に出ると、見知らぬ老人が胡散臭そうにこちらの様子を窺っていた。
 ダンカン先生の知り合いだろうか。この家の事情を何か知っているかもしれない。
「ちょっと失礼。この辺で私にそっくりな男を見なかったか?」
 言われて俺の顔をじっと見つめた老人は、マッシュとの関係に気づいたのか警戒を解いた。
「三日ほど前にお師匠のダンカン様が殺されてねえ。マッシュはその直後に山に登ったのさ。バルガスも行方知れずで、ここもこんなに荒れちまって」
「そうか……ありがとう」

 町の方へと去って行く老人を見送り、改めて言葉の意味を考え愕然とする。
 ダンカン先生が殺されただと? まさか、あの大地の裂け目に挟まれても死なないであろう頑丈な先生が簡単に死ぬわけがない。
 それにバルガスといえば先生の一人息子の名ではなかったか。
 ハーコートの一家に何があったというんだ。

 師が殺されその息子も行方不明。マッシュは彼を探しに出かけたのだろう。
 どうやら我が弟は大きな厄介事に巻き込まれているらしい。だが、俺は……。
「ねえティナ、マッシュって、フィガロで聞いた名前だよね?」
 ユリが何やら期待に満ちた目でティナを窺うが、ティナの方では城で聞いた話を覚えていないらしく首を傾げていた。
 周りへの無関心は相変わらずだな。ユリは少し肩を落としている。

 小屋を眺めて立ち尽くす俺に背を向けて、ロックは先に歩き出した。
「悪いが、戻るのを待ってる時間はないぜ」
「……分かっているさ」
 帝国が今後どのような動きを見せるにしろ、我々は急いでティナをリターナーのもとへ連れて行かなければならない。
 戦争に加わるなら尚更、私事に囚われている場合ではないのだ。
 マッシュは……きっと、あいつなら自分の力で困難を切り抜けられるだろう。


「エドガー?」
 呼ばれて我に返ると、ユリが心配そうにこちらを見上げていた。
 呆けてしまっていたかな。いつものように微笑んではみたが、彼女の表情を見る限りまったく誤魔化せていないようだ。
「ダンカン先生に助力を請うつもりだったんだ。……亡くなっていたとは」
「マッシュには頼めないんですか」
「城であいつの話を聞かされたかい? 本当のことを言うと、フィガロの弟王子は家出したんじゃない。兄貴に追い出されたのさ」

 もちろん、あの時から今まで先生に弟子入りしていたのならマッシュも我々の有力な味方となり得るだろう。
 しかしいつ戻ってくるかも分からないのであれば待つ余裕はない。
 ……いや、そもそもあいつに合わせる顔などないじゃないか、俺には。

 一人で背負うと決めたくせに国を守ることができず、帝国に尻尾を振り続けて拾った表向きの平穏さえもはや失いつつある。
 今度はいたいけな少女を手土産代わりにしてリターナーのご機嫌伺いだ。
 まったく不甲斐ない。今さらどんな顔をしてあいつに会うつもりなんだ。
 騙して城を追い出し、その後なにひとつ手助けもしてやらなかった俺のことを、あいつは今でも兄だと思っているだろうか。


 寂しげな無人の小屋をもう一度だけ見上げ、先を行くロックたちを追って歩き始める。ユリもその後に続いた。
 振り向いてはならない。しかし、ユリが小さく囁く声につい足を止めてしまう。
「でも、ここにいるってことがマッシュの答えじゃないのかな」
「何?」
「兄貴の役に立つために、城を出たあとも近くにいたんだと思いますけどね」
「……それは」
 考えたこともなかったな。

 互いに連絡を取り合おうとはしなかったから、マッシュは俺を恨んでいるかもしれないと考えていた。
 しかしダンカン先生のもとで修行に励んでいたのは何のためだ?

 あいつの部屋に飾られていたのはフィガロの砂漠に咲く花だった。
 乾ききった大地で生きるため、地下深くの水脈から水を吸い上げて茎に溜め込むという独自の性質を持っている。
 これを見つければ水筒代わりになるとフィガロでは重宝されている稀少な花だ。
 だが、花の咲く近辺は水を求めてサンドワームが巣を作りやすいという難点もあった。
 群れになり旅人を襲うモンスターを退治するのは我が国の武人の務め。
 あの花が飾られているということは、マッシュはおそらく折を見て砂漠に入ってはサンドワーム狩りを続けていたのだろう。
 俺たちのフィガロを守るために。

 昔から、かつて追い出した弟への言い訳ばかり探していたが、考えてみるとあいつが俺の気持ちくらい分からないはずもない。
 俺があいつの息災を願うように、マッシュだって兄を思ってくれているに決まっている。
 恨まれているかもしれないと疑うのは、弟への侮辱ではないのかとユリの言葉を聞いて考える。
 もう継承争いが起きそうだったあの頃とは違う。あれから十年にもなるんだ。
 そろそろ……会うべき時期なのかもしれないな。


 コルツ山を登り始め、中腹に差しかかった辺りでユリの歩く速度が明らかに落ちた。
 ここは武道家が修練に使うこともある険しい山だ。体力のない彼女には厳しいだろう。
 あまり急いでは山酔いしてしまう。
 一番遅いユリを先頭にして彼女のペースに合わせたいところだが、行く手を阻むモンスターのことを考えるとそういうわけにもいかなかった。

 ロックが先行して道を警戒し、ティナはユリの後ろを歩く。
 危険がありそうなら俺とティナがユリの前に出るという方法でゆっくりと進んでいる。……これもまた、彼女の負担になっているようではあるのだが。
 段々と口数が減っているのは疲れのせいだけとも思えない。
 自分が足手まといになっている事実をかなり苦々しく感じているのが手に取るように分かる。
 分かっているのに、どうしてやることもできないのがもどかしかった。

 本来なら山頂に着く前に一度休息をとっておく予定だったが、どうやらそれはできないようだ。
 道の先を偵察していたロックが戻ってきて俺の隣に並び、少し前にいる二人には聞こえないよう声を潜めた。
「やっぱり、まだ近くにいるみたいだ」
「そうか。まあ、まさか帝国兵ではないだろう。単なる野生の獣ならいいんだが」
「人間のような気がする。でも動きが速くてよく見えないんだよな」
 少し前から我々の後をついてくる存在があったのだ。ティナもユリもまだ気づいていない。
 始めは偶然かとも思ったが、これだけ頻繁に目撃するとなると何らかの意図をもってこちらの様子を窺っているのは間違いなかった。

 モンスターならすぐにも襲ってくるはずだ。帝国の追っ手があれほど俊敏だとは思えない。
 では一体、何者が、何のために?
 あれが危険かどうかも分からないまま足を止めてテントを張るわけにはいかなかった。
 ユリに無理を強いることになるが、どうしても動けなくなったらティナの魔法で癒してもらい強行軍で山を越えるしかないだろう。

 そのためにというわけじゃないが、道すがら襲ってくる魔物との戦いではティナの魔法を温存してもらっている。
 あれは恐ろしいまでに強力な分、ティナの消耗も凄まじいのだ。雑魚に無駄打ちするのはもったいないというのがユリの意見だった。
 俺もロックも同意し、ティナは素直に従っている。

 そういえばユリはティナが魔法の火をあと何回放てるかをおおよそ把握しているようだ。
 世話係をしていたというのは嘘かもしれないと疑っていたのだが、そんなところをみるとやはり本当なのかとも思う。
 ユリは妙なやつだ。世間知らずなようでいて妙に世慣れたことを言う。
 初対面なのにまるで旧知の仲であるかのような錯覚が起きるほど心が通い、かと思えば何を考えているのかさっぱり分からない時もある。
 彼女を判断してくれというロックの頼みは、実のところまだ果たせていなかった。


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