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🔖人間のためのプログラム



 誇り高き我らがフィガロの城を遥々訪ねてくるのは、旧友か余程の用がある者だけだ。
 砂の海に囲まれた孤城は確かに交通の便が悪く、客足は自然と遠ざけられる。
 客人に訪問を嫌がられ、なぜこんなところに住むのかと呆れられるのが常だが、実のところ自分ではこの不便な立地を気に入っていた。
 拡大し続ける帝国の領土に飲まれず我が国が今も自らの足で立っていられるのは、砂漠という名の鎧を纏っているからなのだ。

 照りつける日差しは母の慈愛、流砂の音は子守唄。
 我々は砂漠の民だ。どれほど敬遠されようともこの暑い砂の上こそが愛しき我が家だった。

 しかし故郷への愛着を他人に押しつけるわけにもいかない。
 砂漠の旅がつらいという他国人たちのため、使者との謁見や商談等大抵の仕事はサウスフィガロの王宮で済ませることにしている。
 そうしてまた我が家を訪れる者が減少の一途を辿るのだが。
 外へ出る機会も多い私はともかく、城に勤める者たちは刺激のない日々に飽々していた。

 そこへきて昨夜、監視塔から報せがあった。久々の客人が城に到着したのは今日の昼前だ。
 すでに馴染みとなっているロックと、そして方々から注目を集めている魔導の力を持つ娘、加えて予定外にもう一人のレディ。
 城内は水を浴びたような活気に満ちた。
 うちの者たちはいつでも来客を心待ちにしている。二人もの麗しき女性を迎え、侍女から厨房係からいやにはりきっていた。
 皆の顔が生き生きとしているのを微笑ましく眺める時、やはり安全性を多少捨てても人の出入りを増やしたいと考えてしまう。


 簡単な打ち合わせを済ませて戻ると、レディ二人はそれぞれ別行動をとっていた。
 心細さから離れたがらないだろうと思っていたので少々意外だ。

 魔導の力を持つ少女は一人で城内を探索しているらしい。操りの輪をつけていた影響で記憶がないと聞いたが、無気力になっていないのは良いことだ。
 対して彼女の世話係を勤めていたというユリは、歩き疲れたからと先に部屋で休んでいるそうだ。
 ロックの話によれば、ユリは帝国首都ベクタにほぼ監禁状態で暮らしており、街の外を歩いた経験もろくにないのだという。
 それでナルシェからここまでの旅はさぞや辛かったに違いない。できる限りのもてなしをしてあげなくては名が廃る。

 彼女たちが休息をとった後は、あのティナという娘をバナンのもとへ連れて行く。
 我がフィガロの重鎮たちと腰の重いナルシェ長老を動かすには彼女の力が必要だ。
 そしてその話を円滑に進めるためには、ティナの保護者であるユリをきちんと味方につけておかなければいけないだろうな。

 ユリの素性は概ねロックに聞かされたが、同行させるべきかの判断はこちらでしてほしいとも頼まれていた。
 あいつの勘は意外と頼りになる。敵ではないと認めたにもかかわらず、ロックを迷わせる何かがユリにはあるらしい。
 休息を邪魔するのは気が引けるがユリと話をしようと思う。
 彼女をどうするべきか、その人となりで決めなくては。

 部屋を訪ねてみるとユリは開きっぱなしの本を前に頭を抱えて唸っていた。いろいろと心配になる光景だ。
 もちろん事前にノックはした。声もかけたが、よほど熱中しているのか彼女はこちらに気づいていない。
「……大丈夫かい?」
 すぐそばまで寄って軽く肩を叩くと椅子から落ちんばかりの勢いで驚かれてしまった。
 正直、こういう反応は不慣れだ。
 ユリには先ほども無視されてしまったし、ティナの無反応ぶりを見てもどうやら今日は調子が出ないらしい。それとも俺は嫌われているのかな?

 わたわたと慌てふためいていたユリはひとまず読んでいた本を閉じて立ち上がり、俺に向かって思い切り頭を下げた。
「あ〜〜、あの、さっきは話聞いてなくてごめんなさい。今もだけど、ちょっとボーッとしてたみたいで、悪気はなかったんです!」
「気にすることはない。疲れているところを邪魔してすまないね」
 警戒されていたのかと思ったが、無視されたのは単に聞こえていなかっただけらしく安心した。
 しかしボーッとするにも程があるんじゃないか。もしや熱中症になりかけているのでは……。
 もうじきに侍女が冷たいものを持って来てくれるはずだ。砂漠での疲れが癒されるといいのだが。


 よくよく見るとユリの服は変わっている。布も上質で細かな装飾や刺繍が多い。
 如何に帝国が裕福とはいえ一般人が着られるものとは思えなかった。上層部で秘匿されていた存在だというのは本当なのかもしれない。
 しかし気になるのは他のところだ。汗と砂にまみれる砂漠の旅を世の大半のレディは非常に嫌がるものだが、ユリやティナが例外だとも考え難い。
 今回は突然の訪問だったので、入念な旅支度をする暇はなかっただろう。
 戦士であるティナはともかくユリが早々に部屋へと引っ込んだのは、これも一つの理由ではないか。

「着替えを用意させようと思うのだが、人を寄越しても構わないかな?」
 その申し出に、ユリは目を見開いた。
「あ、ありがとうございます。着の身着のままだからものすごく助かります」
 ロックのことだ、砂漠越えの装備は万全に整えていても同じ服を着続ける女性の苦痛にまでは気が回らなかったに違いない。
 これだけ早く到着したのだから街にも寄って来なかったのだろう。
 俺から見ればユリもティナもまったく不潔だとは思わないが、女性というものは他人が思う以上に自身の清潔さを気に病むものだからな。

「必要なものがあれば何でも言ってほしい。私の城でレディに不自由な思いをさせるわけにはいかないからね」
「じゃあ風呂に入りたい」
 流れるように出てきた要望に今度は私が目を見開く番だった。
 風呂か。本来ならばロックから連絡が入り次第使えるようにしておくつもりだったが、到着は数日後になると思っていたのでまだ水の用意もできていない。

 何でも言えと豪語したにもかかわらず言葉に詰まる俺を見て、ユリは焦ったように両手を振った。
「あああああい、今のは無意識の呟きで、要望とかじゃないから聞かなかったことに! 昨日は風呂入ってなかったなって思い出したらついポロっと……」
「昨日は、か」
 水は貴重だ。少なくとも我がフィガロでは何より得難い宝だ。入浴は至高の贅沢だった。
 しかし「昨日は」ということは帝国では毎日風呂に入っていたのだろうか? ……まさかな。
 仮にそうだとしてもそれはティナとその世話係であるユリだけに許された特権だろう。

 いや、帝国が裕福だなどとは言い訳にならない。レディに気を使わせるなんて、とんだ失態だ。
「今すぐにと言いたいところなんだが、今日は無理なんだ。すまないね。明日の朝には用意をしておくよ」
「いやもうほんとお気遣いなく!」
 恐縮しきりのユリだが、リターナー本部へ向かう前には二人とも身綺麗にさせてやれるだろう。
 出発の時には彼女らの着替えを多めに持って……そこまで考えてふと気づく。
 ユリを連れて行くつもりなのか、俺は。まだ決めてしまうには早いぞ。


 彼女たちは先の予定をどこまで把握しているのだろう。自分の置かれた状況を理解しているかも分からないうちは迂闊なことは言えないな。
 もしも彼女らが、帝国から逃げて静かに生涯を過ごしたいと願っているならば、いきなり引っ張り出してバナンに会わせるような真似は避けたいと思う。
「これからのことはロックに聞いたかい?」
 ユリは主人を待つ犬のように真摯な目で部屋の扉を見つめる。そこから誰も戻らないと悟ると、微かに息を吐いた。

「私はティナのそばにいたい。だから、どうするかは彼女次第ですね」
「我々がどうするつもりかは知っている、という口振りだね」
「ある程度は想像つきます。フィガロに連れて来ておいて同盟国である帝国に私たちを差し出す気がないなら、単純にその逆って腹積もりじゃないかと?」
「なるほど」
 じわりと血が滲むようにユリの声音に険しさが見えてくる。
 無垢な主人の代わりに彼女は理解しているんだ。我々が、あの娘を手土産にしようとしていることを。


 リターナーに加わることには同意しているが、正直言って“魔導の力を持つ娘”を連れて行くのは気が進まない。
 当人に会ってしまえば尚更だ。彼女の能力を以て帝国の優位に立とうとするならば、ガストラのやっていることと同じではないか。
 しかし帝国から逃れたいなら結局、リターナーに身を寄せるのが彼女たちにとって安全だろうとも思うのだ。

「時に、あの娘はいくつなんだい?」
「ティナ? 十八歳ですけど、精神的には生まれたても同然なのでむやみやたらと手を出すのはやめてくださいね」
「……」
 にこやかに牽制されて少しショックを受けた。今のはべつにそういう意味で尋ねたわけではないぞ。
 ロックめ、ユリに何を吹き込んだんだ。これではまるで俺が女性と見るや節操なしに誰でも口説く女誑しのようじゃないか。
 べつに否定はしないが。

「ティナは記憶喪失の影響で自分の感情がよく分からないんです。恋愛なんてまだ早すぎる」
「肝に銘じておくよ」
 もっとも単純な感情さえ理解していないティナは赤子に等しい。
 彼女はいつから操りの輪をつけられていたのか。おそらく人間性を育めるような環境ではなかったと想像する。
 ティナについて話す時ユリは少し過保護なようだが、無理もないことだった。


 じっと俺を観察していたユリの目に、ふと縋るような色が見えた。
「帝国と、戦うしかないんですか? もしフィガロが動かなければ他の国も……」
「……もしフィガロが動かなければ、現時点で中立を保つ国々も動かないだろうね」
 リターナーは戦力を拡大するための決定打をなくし、全面衝突は避けられる。そして世界は緩やかにガストラのものとなる。

 前線は徐々に近づいており、我が国に対するガストラの態度も日に日に横柄さが目立ち始めた。
 すでに三国が滅びている。東のドマ王国が敗北を喫するのも時間の問題だ。
 帝国の支配のもと、フィガロだけが自由を守れるなどという保証はどこにもないのだ。
 口約束の同盟が何の役に立つ。帝国が盤石の地位を築いてからではすべてが遅い。
 動かざるを得ないんだ。たとえ俺の行動が、ナルシェや他の国を巻き込むきっかけになるとしても。

 ユリはそれ以上の言葉を継ぐことはせず、力なく頭を下げた。
「ごめんなさい、勝手なことを言いました」
「謝ることはないよ。君の気持ちも分かる」
 大切なものを守るためには戦わねばならない。
 だがその選択が正しいのかは、終わってみるまで分からない。
 同盟を破棄してまで本当にリターナーと手を組むべきなのか、俺も未だに考え続けている。

 ユリは俯いたまま、小さく呟いた。
「国と国のことなんて私には分からないし、口を出す権利もないけど、ティナを利用されるのは嫌なんです。帝国にも、他の誰にも」
 俺にも……リターナーにも。
「自由に生きたければ自らの足で立たねばならない。だが、彼女にはその力がない。従うべき“自分の意思”が。君はそれが気がかりなのだね」
「せめて自分がどうしたいのか、考える時間があればいいんだけど」

 俺もロックも、おそらくはユリも、すべての人がそうしているように。
 逃げるのか、戦うのか、諦めて膝を屈するか。
 自身の持つ力と望みを秤にかけて、自分の意思で道を決めることができたならば……。
 だが強大な力のみを手にし、自らの望みを持たない娘は、ただ周囲の意のままに利用されるだけだ。

「無理強いはしない。彼女の意思を歪め、自由を奪うような真似はしないと約束するよ」
「……エドガーのことは信じてるけどね」
 ふと口調の変わったユリに奇妙な感覚が芽生える。
 不敬と詰ってもよさそうなものだが、彼女の口から出てきた自分の名に違和感がなかった。
 まるで旧知の仲であるかのような錯覚が起きるほど、親しげにかけられた声。
 ドマの人間にも似た鋼の黒髪と切れ長の目……いや、やはり会ったことはないはずだ。俺が女性の顔を忘れるなどあり得ない。


 ユリはティナの心を守る鎧になんだ。
 未だ無垢で無防備な娘の未来が他人に操られることのないように、自身は不届き者の行く手を阻む砂漠となって彼女の意思を育もうとしている。
 ユリを越えずして何者もティナに触れることは許されない。
 遠からずティナは決断を迫られるだろう。承諾以外の答えが用意されていない選択を突きつけられるはめになる。
 その時にせめてユリが隣にいるべきだと俺は思う。
 そうだな。二人とも連れて行くことにしよう。それが彼女の望みならば。


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