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🔖どこへ落ちて行くのだろうか



 頭上から小石がパラパラと落ちてくる。手で顔を守りながら見上げたところ、穴からガードが飛び降りてくるということはなさそうだった。

 ティナと共に走って逃げている時、突如として足場が消えた。追っ手は崩落に巻き込まれないために離れたようだ。
 まったく、こんな脆くて危険なところは廃坑にしてしまえ。
 とはいえ恐怖を感じる暇もなく落ちたのは幸いだったかもしれない。
 ティナが手を引いてくれるまま無我夢中で走っていた私は、自分の身に何が起きたのかもよく分からなかった。
 どうも尻から落ちたらしいことだけは推察できる。なぜって今とても尻が痛いからだ。

 ふと見ればティナは私の横で気を失っていた。
 咄嗟に私を庇ってくれたのだろう。彼女が下敷きになってくれたから私は尻の痛みだけで済んでいる。
 外傷は見当たらず出血もしていないけれど、意識がないのが不安だった。
 頭を打ってたらどうしよう、傷が残るような怪我をしていたら私はマディンとマドリーヌに腹を切っても詫びなければ。
 そんな風に縁起でもないことばかりが次々と浮かぶ。

 ティナは、無自覚ながら二度も私を助けてくれたんだ。
 ゲームの世界に迷い込むなんて不可思議な事態に見舞われ、私は孤独感に苛まれながら呆然と立ち尽くしていた。
 そこへ颯爽と表れて「あなたは誰?」と彼女が尋ねた。私が名乗るとティナは「ユリ……」と噛み締めるように私の名を呼んだ。
 彼女が現実に繋ぎ止めてくれたんだ。拠り所をなくした私に世界との繋がりを与えてくれた。
 そして今もまた、味方のふりをしているだけの私を何の疑いもなく庇ってくれた……。


 無表情だから妙に大人びて見えたけれど、こうして目を閉じているのを見るとティナの顔立ちは幼さが目立つ。
 普段は戦闘に備えて気を張りつめているのだろう。その緊張が切れると、肌は青白く頬も窶れて彼女が疲れきっているのがよく分かった。

 まだ十八歳の少女。
 生まれてすぐに母親の腕から攫われ、帝国の殺人兵器として自我を封じられて育ち、これからは帝国を倒すために利用される。
 私は彼女の運命を知っているのに。いったい何をやってるんだろう。
 充分すぎるほど過酷な人生を歩んできたティナに、この上さらに負担を増やしてどうするんだ。
 彼女は私を庇う必要などまったくなかったじゃないか。私には、彼女に守られる権利なんてない。


 どこからか冷たい風が吹き込んでくる。今更ながら、坑道の外が雪景色だったのを思い出した。
 自分の服装が部屋着でなく、夏服でもなくて本当によかったと安堵しつつ、羽織っていたコートを脱いでそっとティナの体を包む。
 というか、そもそも彼女ちょっと薄着すぎやしませんか?
 さすがにゲームのような肩や素足が丸出しの衣装ではないけれど、この帝国式軍服は防寒性に優れているように見えない。

 薄手の上着に簡素なブレストプレートをつけただけで防寒具の類いは一切なしだ。帝国が装備の手配を怠ったのは間違いない。
 操りの輪をつけた生物兵器は寒さなど感じないとでも思ったのか。
 雪深いナルシェに送り出すなら最低限の防寒対策はしておくべきだろうに。
 今この世界が冬かどうかは知らないけれど。

 ……季節?
 ふと私自身の服を見直してみる。
 ダブルフェイスのコートを脱いでやや肌寒いが、ヒートテックと裏起毛のパーカーで凌いでいる。あと腹巻き。
 混乱していたせいか、ここに来る前、現実世界が何月何日だったか思い出せない。
 この格好を見る限りは真冬だったのだろうと思う。もし夏だったらティナに会う前に凍死してたかもしれない。

 幸いブーツも撥水防寒仕様だし、ナルシェを逃げ出すまでは耐えられるだろう。
 問題なのは、この現代的すぎる衣類をロックが不審に思うのではないかということだ。
 見たことのない服だ、怪しいやつだと言われたら……「これは帝国で支給される防寒着です」とでも答えようか。
 私はティナの世話係だった、という設定だからちょうどいい。


 ティナが気絶してる間にロックがやって来て、私だけ置き去りにされるわけにはいかないんだ。
 時期も時期なのでナルシェの住民が異邦人である私を好意的に受け入れて保護してくれるとは思えない。
 良くて町から放り出されるか、悪くすれば帝国の人間だとして殺されるだろう。
 そして運良く殺されなくても一人で町の外に出た瞬間モンスターとエンカウントしてゲームオーバー間違いなし。
 なんとしても、ティナと一緒に連れていってもらわなくては。

 私が元の世界に帰るには“主人公”に同行するのが不可欠だ。
 このゲームをクリアしなければ元の世界へは帰れない。それだけは分かっている。まるで啓示のように頭の隅にこびりついている。

 なんだか不安になってふとポケットを探ってみた。何も入ってなかった。
 おかしいな、いつも鍵と財布とスマホを突っ込んでるはずなんだけど。
 でもそういえば、ここがゲームの世界だと気がついた時にはもう手ぶらだった。
 いつから荷物を持っていなかったんだろう?
 こちらの世界で落としたなら悪用されようがないからまだいいけれど、向こうで落としていたら戻った時に面倒だな。

 意識的に考えないようにしていたのに、一旦そこへ目を向けると郷愁が胸を締めつけた。
 私は本当に帰れるんだろうかと不安になる。
 それに妙なんだ。ティナと話をしながら坑道を歩いているうち、混乱はおさまってきた。にもかかわらず未だ分からないことがある。
 私は今日、何をするために、どこへ出かけていたのか。それがどういうきっかけでこの世界へ迷い込んでしまったのか。
 ……何も思い出せない。記憶が一部ごっそり欠けてしまったみたいに。


 ティナは気を失ったまま。静かすぎる坑道はとても不気味だ。
 迷路のように曲がりくねって入り組んでいるから、ほんの数メートル先ですら壁に阻まれて様子が窺い知れない。
 ガード連中はどこまで近づいているのだろう。
 地理を把握しているであろう彼らは崩落現場を迂回しつつ最短距離で私たちを追っているはずだ。

 やがて、声が聞こえてきた。静けさが怒声に掻き消される。
 魔導の少女を探し出して捕らえよと叫ぶ声が壁に反響してあちらこちらから。
 何百人もの追っ手がいると錯覚しそうだ。実際には数人に過ぎないと分かっていても恐怖を煽られる。

 不安を押し込めるようにティナの手を握った。まだ反応はない。彼女はロックと合流して出口付近に着くまで気絶したままだ。
 この手を離して、ティナとはぐれてしまったら、私の名を呼んでくれる人はこの世界にいなくなる。

 じっと息を潜めて待つことしかできない身には一秒が数時間にも感じられた。
 だから、音も気配もなくいきなり天井から落ちてきたその影に、驚きすぎて声も出なかった。


 うっかり名前を呼ばなかった自分を誉めたい。彼はティナのように簡単には誤魔化されてくれないだろう。
 私は怪しいところのない一般人、間違っても異世界から迷い込んできた不審人物なんかではなく私は彼を知らない。
 うん。よし。いける、話しかけるぞ。
「あの、」
「ちょっと待った、いろいろと聞きたいけど後回しだ。そこを動くな、何もするなよ」
「はいぃ」
 ちょっぴり涙目で頷いた私に訝しげな一瞥をくれ、ロックはバンダナを揺らして迷路の奥へ駆けて行った。あれ、モーグリは?

 そういえばさっきの落盤って、まさかモーグリたちの踊りのせいじゃないだろうな。
 日頃から踊りまくってるから地盤がゆるゆるになっているのでは。
 それともナルシェのやつらが無節操に掘りまくったせいで坑道全体が脆くなっているのか。
 トロッコのレールも敷かれていないこの辺りは岩を支える木枠も見当たらず、坑道というよりも天然の洞窟みたいな雰囲気だ。
 つまり、いつでもどこでも今この瞬間にもまたどこかの壁や天井や床が崩れ落ちる可能性が高いということ。怖い。


 ロックが姿を消してすぐにガードとおぼしき男の声が闇の中に響いた。戦闘が始まったのだ。
 慌ただしい沢山の足音とシルバリオの爪が岩を引っ掻く音。罵声。悲鳴。打撃音。
 ここからは迷路に遮られて見えないが、薄暗い通路の奥に一度だけ白い影がよぎって心臓が凍りそうになった。
 たぶんあれはモーグリであってオバケじゃない。大丈夫、ダイジョウブ、平常心。

 いざという時に何ができるわけでもないけれど、せめてティナを抱きしめて通路を見張り続ける。
 ロックとモーグリがしっかり道を塞いでくれているようでガードは一度も姿を表さなかった。
 そして何よりも、血の匂いが漂ってこないことにホッとしていた。

 リターナーの一員としてロックは中立国であるナルシェの人たちを殺したくはないだろう。
 またガードの方でも帝国兵を追い払いさえすれば事足りるのだから、この場は被害が大きくなる前に退却を選ぶはずだ。
 そう願いたい。この場で誰も死ぬ必要はない。
 ロックが戻ってくる前に、ティナにコートを着せ直し、気絶したままの彼女をおんぶする。
 思ったほど重くはない。ただ背中に当たる金属のプレートが冷たくて痛いのが難点だな。

 程なくしてロックが戻ってくる。彼は私がティナを背負っているのを目にして盛大に眉を寄せた。
「どっちが“魔導の力を持つ少女”だ?」
「え? あ、ああ。彼女です。ティナ・ブランフォード……崩落の時に私を庇ったせいで気を失っちゃって」
「君も帝国兵か」
「私はユリ。彼女と一緒に帝国から来たけど、兵士ではないし、そちらに敵意はありません」
 ティナを背負って両手は塞がっているし、敵意がないのは信じてくれるだろう。

 ロックは渋々といった顔で頷き、通路を指差した。
「話は炭坑を出てから、だな。ついて来られるか?」
「全力疾走ってわけにはいかないけど、なんとか走ります」
 決めておいた“設定”を頭の中で再確認する。
 戦闘能力皆無の私が生き延びる術は限られている。彼らの、主人公だからこその優しさに取り入って助けてもらうしかない。

 不健康としか言い様のない軽さのティナをしっかりと背負い直して、先導してくれるロックを追いかけ走り出した。


🔖


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