あの時君は、

私の事など忘れたように、

幸せそうに笑っていた。









ふと目が覚めた時に、夢で良かったと思ったのは、きっと凄く怖い夢を見たからなんだろう。
覚えていないけれど。

薄く開けた瞳をまた閉じて、鼻から深く息を吐いた。
そこで私の嗅覚が、違和感を訴えた。


(病院………?)


咄嗟に思い浮かんだのは、病院だった。
薬の、薬品のような、独特の臭いがしたのだ。

何故、そう次に頭に浮かぶ。
私は今、家に居ない?
では、此処は?

急に恐怖感が押し寄せ、私はそろりと瞼を開けた。
天井は、白かった。

そして、私の脳は思い出さなくていい事を思い出した。


「っ、」


吐き気がする。
黒い獣の赤い目と、赤い舌。
月さえも赤くて、
まるで世界が血に染まってしまったみたいな、
悪夢の夜。

無意識に夢で良かったと思ったのはこれのせいだった。

夢で、


「どこ………」


飛び起きて口を押さえ、吐き気に耐えながら、
自分の上に掛かっていた毛布を握り締めていた。

映る景色は白くて。

病院みたいに白いカーテンで仕切られたそこに、私は寝ていたようだった。


「っ、どこなの………」


解らなくて、怖くて。


「やだ、もう………!」


怖い事以外、1つも解らなくて。

何が解らないのかも、解らなくて。


「此処は何処なのっ!」


きっと私は待っていた。


「失礼するわよ?」

「!?」


誰かが、


「起きたのね。気分はどう?」

「……………ぁ」


悪い夢を見たんだと言ってくれるのを。


「失礼」

「!?」

「脈を診るだけ。何もしないわ。大丈夫、此処に貴女を傷付けるものは何もないわ」

「……………あの、此処は病院ですか? 私、どうして」


カーテンを開けて、入って来たのは綺麗な女の人だった。
白衣を着ているから、何となく此処がやっぱり病院ではないかと私は勝手に思おうとした。
だって現に私の手首を持って脈を測る彼女は、医者に見えたから。

淵の無い眼鏡を掛けたその人は、私の質問に手首を見たまま苦笑を漏らすと、腕時計を一瞥し、
私の目を真っ直ぐ見つめた。

色素が薄い、茶色の瞳。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、私は動けなくなってしまった。
喉がカラカラで、口の中が張り付いて不快だ。
心臓は、激しく鼓動して何かを私に訴える。


「此処は……この世の裏という裏を牛耳る悪の組織よ」

「……………ふざけて」

「ないわ。此処はね、一般人には決して知られてはいけない場所なの。貴女も例外ではないのよ」

「!」


細められた眼鏡の奥の瞳は、剣呑さを秘めていて、私は思わず手を引っ込めた。
金縛りは解け、ベッドの淵が背に当たるまで後退る。


「……………なぁーんて」


完全に怯えきっていると、女の人はクスリと笑い、「冗談よ」と舌を出した。


「へ?」


呆気にとられ、間抜けな声が出たのはいたしかた無いと、常識人なら思ってくれるはず。


「だから、冗談だって。貴女面白いわねー。普通信じないわよ?」

「なっ! こんな時に冗談を言う貴女がおかしいんでしょう!」

「あらやだ。人生これくらい面白味が無くちゃ。ユーモアは世界を救うのよ?」

「ユ、ユーモアとかじゃないでしょう。貴女、おかしな事を言ってる自覚が無いんですか」


美人なのに、この人ちょっと頭が悪いのだろうか。


「でも半分は本当、かな。此処に一般人は普通入れないから」

「………今度は正義のヒーローの秘密基地とでも言うつもりですか」

「あ、近いー! うん。ヒーローか。あの子達はヒーローって言っても大袈裟じゃないわね。ふふ、飛鳥なんて喜びそう」


私の目には彼女がいくら呑気に私の嫌味を肯定しても、ふざけているとしか見えなかった。
だが、最後に彼女が言った、
『アスカ』
その言葉に、私は反応した。

封印したい程の悪夢に、
そう呼ばれていた狐がいた。

ただの偶然であって欲しい。

祈りにも似た思いで女の人を見つめて。


「私、何故此処にいるんです?」

「昨日の事、忘れた?」

「昨日………私、変な夢を見て、酔ってたのかな。家に帰った記憶もないし」


声が震えた。
誤魔化すように言って、何を誤魔化しているのかと自分に問えば。

ねぇ、夢だと言ってくれるでしょう?

私の中には縋る思いが広がっていた。


「貴女昨日アンノウンに襲われたのよ。事情があって此処に連れて来て貰ったんだけど……夢ってどんな夢?」


やめて。

それでもまだ認める訳にいかなくて。


「夢だと言って」

「………可哀想に、よっぽど怖かったのね」

「夢だって!
夢だって言ってよ!!」


『アンノウン』
夢だと言い聞かせても、
腕に巻かれた包帯と、
鮮明に焼き付いた赤い目と、
浮世離れしたお面と、
目の前の女の人が、

突き付ける。


やめて。
やめてやめてやめて。


「ウルッセーな………」


ハスキーなその声は低く、不機嫌さを全面に押し出して、私の隣から聞こえた。
ふいを突かれてドキリとし、私達以外の誰かが居る事がまた恐怖を煽る。


「あらら、虎が起きちゃった」

「っ、」

「あっ! ちょっと待ちなさい!」


これ以上、私を混乱させないで。

そう思って、兎に角家に帰ろうとベッドから飛び出した。
聞こえた声はどうだっていい。
私に関係ない。
此処に居たくない。


開けたカーテンの先は、個人病院の診療室みたいだった。
サッと部屋を見渡して、薬品のようなビンが並ぶ棚だとか、書類とか聴診器とかが乱雑に乗った机だとかが、証明していると思って。

正面に扉が1つ。

そこへ向かって駆けた。


「待ちなさいってば! もう、虎のせいよ!」

「ぁあ? なんの事だよ………」


扉を開けて、てっきり待合室みたいなモノがあると思っていた私は見えた景色に面食らって、立ち止まった。


「虎! あんた捕まえて来て!」

「は、なんでオレが」

「早く!」


後ろの会話にはっとし、慌てて足を動かす。
此処は一体なに。
何故病院のような部屋から、ビニールハウスが並ぶ室内へと繋がるんだ。

そう、目の前には室内に作られた無数のビニールハウスが。
透明なそこに緑色がくっきり、鮮やかに存在を主張していて、
何かの植物を栽培している事だけは確かだ。

その室内に室内を作る訳の解らぬ光景の中を、泣きそうになりながら走り抜ける。


「っ、家に、ハッ、ハッ、」


知っているモノを見たい。
自分のテリトリーのモノを見て安心したい。

解らない事はもう沢山………!!


「待てよジョーチャン」

「っ!?」


沢山だと言っているじゃない。
どうして、
人が頭上から降ってくるの。


「あっ! つぅっ……!」

「……プ、ドンクセェ」


いきなりの事に全力で駆けていた私は上手く止まれずに、盛大に転んだ。
溜りに溜まっていた涙は、痛みに後押しされて溢れた。
それでも身体を起こして、少しでも現れた人物から離れようとズリズリと後退りする。


「………待てよ」


ずっと、ずっと、
続く恐怖。

悪夢に閉じ込められたように、
途切れる事ない恐怖に、
精神が悲鳴を上げている。

腕を、掴まれた。
肌が粟立つ。


「待てって」

「やっ! やめっ、やめてぇええええ!!」

「お、おい、喚くなよ。俺が悪いみてぇだろ!?」

「やめて! はな、離してっ!」

「ちょ、喚くなって! 俺は悪役かよ!」
「悪役にしか見えねーよ」
「いってぇ!?」

「っ、いた、い………?」


ぐいぐいと腕を引かれて、半狂乱で叫び、逃れようと藻掻いて、それでもしっかりと掴まれた腕は離れなくて。
だから急にあっさり離れた腕に再び床に寝転ぶ羽目になって。

それで?

凄く、凄く、あったかい。

………あったかい。


「え? ………あ、もう、ふ?」

「よしよし、怖かったね。もう大丈夫。安心して。もう、怖い事は起こらない。なんにも、怖くないよ」

「……………っ、」


走っていたのに、
逃れようと暴れていたのに、
私の身体は芯から冷えきってしまっていた。


「君は家に帰りたいのだね。わたしが送ろう」

「え、ちょ、支部長!?」

「あ、家に………?」

「虎、お前、またサボって寝ていたな? さっさと学校へ戻りなさい」

「うっ、で、でも博士が……」
「わたしに2度同じ事を言わせる気か?」

「すいませんでした!」

「………フゥ、まったく。大丈夫かね?」

「あ、はい………」


毛布で私を包み、労るように肩に回された腕。
優しい、声。

涙の後をそのままに見上げれば、壮年の男性が微笑んでいた。


「家に帰、れる?」

「ああ。立てるかい?」

「は、い………」

「君の思うように、気が済むように、したらいい。君が納得するまでわたしが付き合おう。だけど、もし、最後に疑問が浮かんだら、わたしの話を聞いて欲しい」

「……………はい」


彼の言った最後の言葉はよく解らなかったけれど、
家に帰してくれると言った彼は、今の私の唯一の味方だと思えた。

例え、それが悪魔でも、

私には。









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