3
君が居ないと、
私の毎日は色褪せて、
つまらない時間が、
退屈に過ぎて行くだけ。
公園には、本当に誰も、何も、なかった。
コンビニへの道を説明して、金髪狐と別れた後、黒髪狐と公園まで戻って来て。
腕を見れば、服が破れ、血が滲んでいた。 肝心の傷は浅く、血は固まっていたから、帰って消毒しとけば大丈夫だろう。
公園のベンチに座り、店員は一体何処に行ってしまったのか、途方にくれていた。
傍らに立つ黒髪狐は、何をするでも、何を言うでもなく、ただそこに居る。
「……私の周りにはアンノウンなんて、居ませんでした」
「………」
「少なくとも、今日の10時頃までは、私はアンノウンなんて知らずに過ごしてきた」
「………」
と、無反応な訳だが。
私は別に誰に向けてでもなく、喋り続けた。 聞いているかどうかなど、さして問題ではなかったから。 ただ、このおかしな事態に、追い付く事のない思考がどうしようもなくて。 独り言でも並べれば、鈍くなった頭が少しでも回転するんじゃないかと思った私は、だらだらと口を動かし続ける。
「私が知らなかっただけ? そんな事無い、よ。だってそれが当り前なんて、おかしい」
「………連日連夜、テレビをつければ必ず目に入る話題だ」
「喋った………」
「……………」
「………テレビ、ね。毎日見てるけど」
新聞だって読んでいる。 だけどそんな馬鹿げたニュースは見た事も聞いた事もない。
「私実は死んだとか?」
「………は?」
「なんか事故ったとか、知らない間に死んじゃって、ここはあの世で………天国には見えないね……やだ、地獄とか?」
「……………」
「ぇえー……私そんな悪い事してないのに……」
「………現実逃避はそれくらいにしろ。戻って来た」
「あ、本当だ」
だが冷静さに欠ける今の私では、突飛な考えしか思い浮かばなかった。 それを呆れた声で遮って、黒髪狐は公園の入り口に顔を向けた。 言葉通り、金髪狐が此方に向かって歩いてくる。
あのお面被ったままコンビニ行ったのかな………シュ、シュールだな。
「どうだった」
「結論から言うとー、長谷川って店員はいたよ」
ホッと息が漏れた。 良かった、私は正常だ。
………良かった? 何が?
人が死んで、良かったと?
自分の思考を疑った。 身の毛のよだつ考え方に、私自身が怖くなって、寒気がする。
「居るには居た、けどー……」
金の視線を感じてはっとする。 そうだ、兎に角、 私は現状を把握しなければ。
「勿体ぶんな」
「ッテ! 何すんだよ!」
黒髪狐が、金髪狐の足を蹴る。 今更だけど、足長いな………2人とも、背が高くて、なんていうか、スタイルがいい。
そんなどうでもいい事を、頭の片隅でぼんやりと思う。 我ながら、性能の悪い脳ミソだ。未だにまともに働かない。
「千尋ってばもー、すぐ手が出るんだから」
「今のは足だ」
「足癖悪いよねー」
立ち上がって、全然関係無い話を聞きながら、 しっかりしろよ私、 と頭の中で自分を叱って、ふるふると頭を振る。
「それで店員は?」
「ああ、うん。それがね、居るには居たんだけど、昨日で辞めちゃったんだって、その人。トーゼン、出勤すらしてないってさ」
「………え?」
頭の回転速度を少しでも上げようと努めていたのも虚しく、金の言葉に頭はまたフリーズしてしまった。 それでも無理矢理起動ボタンを連打して、 浮かんだのは疑問ばかりだった。
辞めた? 私はあの店員を店内で見ただろうか? 辞めた人間がわざわざ制服を着るだろうか? 何の為に?
「でも、私嘘なんて吐いてない」
「………飛鳥、この女の事を報告しろ。虎にやらせれば早い」
「ちょ、なんで自分でしないの」
「なんで俺が」
「………も、千尋と任務ヤダ」
アスカと呼ばれている金髪狐は携帯を取出し、ブツブツと何かを呟きながら何処かに電話し始めた。 困惑し続ける私をチラリと見て、ため息を吐いたのは、未だ私が記憶喪失だと疑っているからだろうか。
「私だって、意味解んないし。困ってるし」
「……………」
泣きたい。
変な事ばかりで引っ込んでいた涙が、急に押し寄せてくるのを感じて唇を噛んだ。
「あ、おれー。そー飛鳥ー。なんかね、変な女の子が居てさぁ。うん? あ、任務は完了したよー」
「………変じゃないし」
「……………」
「いやなんかアンノウンを知らないって言うんだよー。名前? ………なんだっけ?」
「…………」
携帯から顔を離して、私に聞いてきた。 覚えてねーのかよ。
「………高垣 彩」
「えっ………」
「高垣 彩だってー」
「なんだ」
「い、いや………」
黒髪の方は覚えていた。 私の代わりに金髪に教えて、吃驚した私をお面の奥の瞳で見つめている。
「え? いいの? いやだって一般人………嘘、まじ?」
「……………」
瞳はお面のおかげでよく見えない。その内に金髪の方にお面を向けてしまった為、もうその瞳は覗き見る事も出来なかった。
「いっちゃんを? 何、いっちゃん達、もう戻って来てんの? ……お、おれ悪くねーし! その女の子が……わ、解ったよ……ん、リョーカイ」
ピ、と携帯を切った金髪は、黒髪に向き直る。
「………樹が来るのか? 虎は?」
「その子ガッコまで連れてくんだって。………ちょっと」
ガッコ………? その気になる発言の後、私から離れ、金髪と黒髪は声を潜めて何かを話していた。
「……………」
「!」
「………え」
なにやらヒソヒソ話しているかと思えば、2人してお面をこちらに向ける。
………ちょっと、怖いんですけど
「なに?」
「別に? あのねー、これからとある施設に連れてくけど、君に場所を知られると不味いの。だからちょっと目隠しさせて貰うけど」
「は!? 目隠し!? 嫌です! なんでそんな事されなくちゃならないんですか!」
なんの冗談だ。 この人達なんなんだ。 危ない人達なのか。
「別にしなくてもいーけど、知ったら君、殺されちゃうよ?」
「な………」
今更、 本当に今更なのだが、
狐のお面を着けてるなんて変だ。
絶対おかしい。 この人達は何。
ぞわりと産毛が逆立つ。 私はあの獣に襲われて、感覚が麻痺していたんだろうか。 一生分の恐怖に、危機察知能力が低下していたとしてもおかしくは無い。 それくらい怖かったし、それくらい混乱していた。
「警戒させてどうすんだ。ばか飛鳥」
「おれが警戒してんの」
「いや、だ」
「「え?」」
怖い。
そんな事を今更気付くなんて。 どれだけ私の頭は鈍っていたんだろう。
普通に夜、お面を着けた2人組を目にしたらまず、 不審に思って間違いないのに。
ゆっくりと1歩、後退る。 指先はまた、震え始めていた。
「嫌だ。行かない」
「………見ろ。面倒になったじゃないか」
「だぁって! 怪しいよこの子!」
怪しいのは、あんた達だ。
そして、私は、馬鹿、だ。
化け物の脅威から逃れて、いつの間にか怪しい事この上ないこいつらを、 味方だとでも思ったのか。
「帰る………私、家に帰る!」
「待て!」
ぐ、と足に力を入れて彼らの右隣に出来た空間へと駆け出した。 否、正確には、 駆け出そうと、した。
「おっと、逃がさないよー」
「っ!」
私の行く手を遮る金髪に、恐怖以外の何も感じないというのに、 何故私は安心していたの。
もう嫌だ。 今日はなんだ。 何故私がこんな目にあわなきゃならないんだ。
「どいてよ! わた、いっ!?」
また、耳鳴りだ。 さっきと桁違いなそれに、耳を押さえた。
「い、痛い………」
そう、痛い程に鳴っている。 こんな不快な音を、今まで聞いた事などない。
「? ………あ、いっちゃん」
「………その女か?」
「樹、面倒な事になってる。強制連行になりそうだ」
「飛鳥か」
「そうだ」
「馬鹿が」
「ちょ、酷いっ!」
耳鳴り……やんだ?
そっと手を離すと、静寂。 そのまま視線を巡らせて、行き着いた先は金と黒の間に立つ新しい人物だった。
顔にはお面。 金と黒の僅かな違いはあるが同じ狐なのに対して、いつの間にかそこに居た人物のそれは明らかに違った。
「………鳥?」
「女、一緒に来て貰うぞ。危険は無い」
「や、いや、です」
じり、と下がる私に鳥のお面はため息を吐いて、「仕方ない」と呟く。
いつの間に居た。 何をする気なの。
そんな口に出せない疑問に答えてくれる人など居ない。
「私は樹(いつき)。少々手荒いが我慢しろ」
「いつ、き、っ! よ、寄らないでっ! あっ、ああ!?」
耳鳴りが再び私を襲い、樹と名乗った鳥のお面からは、金の狐の時のようにまた青白いものが発せられている。 だが次第に強くなる耳鳴りは、私の思考を奪い、痛みに耐えきれなくなって、
私は世界を手放した。
否、黒い獣が現れたあの時から、
私は世界から、 手放されたのだ。
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