「いやいやいや嫌ですお断りですどう考えてもノーでしょ何言ってんですか!?」

「だーいじょーぶよう。ちょっと切るだけだから」


メスを片手にきょとんとする博士に、青ざめ喚き散らす彼女の絵が、想定内だったと言ったら、彼女は怒るだろうか。


「ちょっとって何ですか! ちょっともそっともありません! 嫌です!」

「えー」

「むくれても駄目です!」


頬を膨らます博士は、いい大人だ。年齢に触れると血を見る事になるから、実際の年齢は不詳だが。
測定室で逃げ回る彼女と、寝台を挟み向かい合う博士が、相手の出方を伺って動けなくなったところで、石原さんが口を開いた。


「花ちゃん、もうその辺にして、エコー撮ろうよ。僕も暇じゃない」

「ええー」

「切るのは撮ってからでもいいじゃない、ね?」


すっかり顔色の悪い彼女が、冗談じゃないとばかりに首をブンブンと横に振っているが、それを気にするような人間は、生憎此処には居ない。ご愁傷さま、呟いた飛鳥が手を合わせた。


「じゃあええと、彩ちゃん、だっけ? そっちの部屋で、寝そべって」


博士がメスを胸ポケットにしまったのを確認して、石原さんが彼女に顔を向ける。示されたドアを見て、石原さんを見て、博士を見て、彼女は何とも言えない苦い顔をした。
眉間に皺。恐らく納得いかないんだろう。それでも大人しくドアへと向かった。


「なんか言ってあげなくていーのー?」


飛鳥がうりうりと虎の腕を肘で突く。案の定頭を叩かれた。見ていた日向が、怪訝な顔をした。


「なんでぶつのー!」

「テメエが変なコト言うからダロ!」

「ちょっとなに、虎ってもしかして……」

「はっ? な、何が、何言ってんだちげーし!」

「僕まだ何も言ってない」

「だ、ウッセエ!」


動揺する虎を余所に、博士達は彼女の測定を進めている。ガラス越しに見える彼女は、やはり不満気で、やはり顔色が悪かった。
マイクを通して指示するのは、博士だ。


「彩ちゃんリラーックス」


無理、と彼女の唇が動く。
それを最後に、筒型の測定器に、彼女の頭が入って見えなくなった。機械が表す数値はいかほどか。そんなのは、期待するだけ無駄だろう。
アンノウンが現れる以前の、平和な世界。そこに居る人間に、大した力は必要ない。アンノウンが現れなかった、平和な世界。平和が続いた世界。そこから来た人間も、また然り。


「平和な頭だ」


ぼそりと呟けば、隣の千尋が顔を上げたのが、気配で判った。聞こえたか。俺は前を向いたまま、暫くその視線を受ける。


「そうだな。…………嫉妬、しそうな程に」


思わず表情を無くしてしまった。嫉妬か。千尋は相変わらず的確な事を言う。目を伏せ、ああと同意だけして、俺は沈黙した。
測定が終わるまで、沈黙し続けた。


「うーん、特に変わった所はないみたいねえ」


残念そうな博士の言葉に、彼女はほっと息を吐いている。


「これはやっぱ切ってみるしか、」

「なんでそうなるんですか!」

「まあまあ、そう早まりなさんな花ちゃん。採血したんだし、そっちの結果待とうよ、ね?」


石原さんに言われ、博士は渋々了承した。のんびりした話し方だが、博士のストッパーとして、石原さんの右に出る者は居ない。
頭髪の後退した艶やかな頭部に、丸顔、更に体型も小太りで、全体的に丸っこい外見をしている。性格も穏和で、常に笑顔を湛え、彼が怒っているところを見たことがない。それでもその柔和な笑顔で、博士を言い含めてしまうから、毎度感心する。
彼女も何かしら胸に響いたようで、熱のこもった視線を彼に注いでいた。


「終わり? もう戻っていい?」


落ち着かぬ様子で長椅子の上に胡坐を掻いていた飛鳥が、飛ぶようにそこから降り立つ。妙にそわついているのは、大方サボる気だからだろう。
女の所にでも逃げるか。しかし、飛鳥が日中学校を抜け出そうとするのは、珍しい事だ。有りそうで、実は無い。
飛鳥の女遊びは今に始まった事ではない。だがこの阿呆は女に愛情を求めている訳ではない。故に執着もしない。
ただ、紛らわしているのだと、俺はそう考えている。

実にいい加減で、だらしのない奴なのは明らかだが、これはこれなりの事情で、そうせざるを得なかったのだと、俺は思う。


「まだよ」


ええー、と飛鳥が不満気な顔で漏らすと、石原さんが苦笑した。


「あのねえ、影響を見たいんだよねえ」

「えーきょー? なんの」

「能力が彼女に及ぼす影響」


ギクリ、と肩を強張らせたのを、俺は見逃さなかった。顔を向ければ、視線に気付いた彼女と一瞬だけ目が合った。直ぐに逸らされる。
何を考えているのか、俯きがちに目を伏せて、そっと耳辺りを触った。それから、


「……さっき」


ぽつりと小さく、言葉を落とした。
聞き取れ無かったらしい博士が、顔を寄せる。


「ん?」

「あ……、さっき、ええと学校で」


そう言って、彼女は何故か日向を見た。


「声が、あの、私学校で迷ってしまったんですが、その時声がして、」

「ああ、日向の?」


承知した様子の博士へ、彼女はさも自信無さそうに、だがこくりと頷いて見せた。


「それで、確信したんですけど、耳鳴り、しないんです」

「あらそうなの? じゃあ……一過性のものだったのかしら」


博士は石原さんに意見を求めたが、石原さんはううんと腕を組み考え込んでしまった。代わりに答えたのは、意外にも彼女。


「そう……じゃない、と思います」


博士と石原さんが、揃って驚いたような顔で彼女を見る。


「根拠は?」

「いや、その、た、多分、ですけど」

「いいわ、言って」


促されて、彼女は俺達を見回した後、おずおずと言葉を吐き出した。


「……私の居た場所には、特殊な力を持った人が居ませんでした」


ふらりと虎が視線を外した。うんざりと日向が視線を外した。淋しそうに飛鳥が視線を外した。千尋が視線を外す事は無かった。また俺もそれを横目に、彼女を見つめた。
意思の弱そうな瞳、声、態度。きっと、元々は違うんだろう。
今の彼女からは、そうしたものは一切感じられない。彼女は彼女の言葉を話している。目を逸らすのはまだ早い。


「だから、身体が拒絶反応を起こしていたんだと思います。飲み慣れない水を飲むのと同じです」


水と同じ、ね。幼稚過ぎる喩えだが、水が違えば文化も違うと言う。中々良い言葉選びだと思う。


「身体が慣れた?」

「そういうのとはちょっと違うと言いますか……えっと、恐らく、きっかけがあったように思います。それが何なのか、判らないんですけど」

「きっかけ、ね……うん、面白いねえ」


ねえ花ちゃん、と石原さんはのんびりと博士に顔を向ける。


「起点だよ、花ちゃん」

「きっかけ……起点……そうか」


石原さんは何かを閃いたような博士に、嬉しそうに何度か頷いた。博士は行動力に優れている。何かを思い付いたなら、直ぐに――


「彩ちゃん!」

「わっ、え、は、はい」


博士の目に力がある。射竦められた彼女は、動けない。


「そのきっかけ、何なのか、是が非でも思い出してちょうだい」

「思い出してって……思い出すも何も」


判らないんです、と眉を八の字にした彼女だが、それで博士が引く筈がない。
案の定、フンと鼻であしらって、彼女の肩を叩いた。


「それでも思い出して。じゃないと――」


赤い唇がにやりと弧を描く。


「――頭切って調べるわよ」

「はっ!?」


一気に顔色を悪くした彼女に、石原さんがとどめをさす。


「気を付けてねえ、花ちゃん本当にやるよお」


石原さんもこの件には興味があるらしい。こうなればこの強烈タッグに、誰も逆らえない。結局彼女は、狼狽えるだけ狼狽えて、最後に了承の意を示した。


「………が、頑張ります」

「うん、よろしくね!」


再び肩を叩かれる彼女に、ほんの少し同情した。




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