ガラス越しに、目が合って、俺は敬礼でそれに応えた。
僅かに微笑んだ相手が頷き、パネルへと手を翳す。扉が開けば、相手は立ち上がった。きっちり背筋を伸ばす。


「LユースAクラスセブン、永岡樹、指令に従い召喚されました」

「んー、入ってー」

「失礼します」


博士はゆったりとした動作で部屋の隅に向かうと、コーヒーメーカーからサーバーを取り出す。俺はソファーの手前で止まった。


「ひとり?」

「はい」


博士が二人分のカップを手に、振り返る。片方の紙コップは、俺の分だろう。彼女は少し口端を持ち上げた。


「珍しい。使ったんだ?」

「少しお話をと思いまして」


博士の皮肉は、流すという対応を取らせて貰った。表情ひとつ変えないのが気に食わないのか、彼女はつまらなそうな顔をした。


「相変わらずねえ」

「私が狼狽えたり、ムキになって反論する方がおかしいでしょう」

「ま、それもそっか……で、話って?」


さばさばした性格通り、直ぐに何時も通りの表情に戻った彼女から、コーヒーを受け取った。カップに口をつけながら、上目に問われ、苦笑した。判っている癖に、この人もひとが悪い。


「彼女の事、ですよ」

「彼女、ねえ……」

「支部長は、どういうつもりなんでしょうか。あれでは彼女も可哀想ですよ」


思ってもない事を口にする。だが博士に疑う素振りはない。彼女はコーヒーを一口飲み込んでから、まあねえ、と同意した。


「あの子は、どっちかつーと大人しい子みたいだし、今のままじゃ、鮫の水槽に落とされた金魚みたいなもんよね」

「普通に猛獣の群れに兎、とかでいいじゃないですか」

「煩いわね、意味は一緒でしょ」


博士は頭は良いのに、妙なところで抜けている。指摘すると嫌そうに睨まれた為、肩を竦めて口を閉じた。


「林が何考えてんかなんて、あたしには判らないけど、そうね……荒治療、ってとこかしらね」

「荒治療も何も、これでは逆効果でしょう」


無能な一般人の為に、俺達が使われるとは。そんな事の為に、俺達は居るのではない。そういう不満が、無い訳ではない。いや俺なんかはまだマシだ。指令に背く気もないし、割り切る事も出来る。だが目に見えて不満を持っている奴だっているんだ。それはトラブルの元になるし、何より、対立でもした場合、彼女の味方など絶対にひとりも出やしない。
日向はただ、能力無しというだけで嫌っているだけだが、飛鳥まで彼女を嫌がったなら、俺は容赦なく彼女を切り捨てるだろう。表立っていなくとも、四面楚歌の状態だ。逃げ場さえない。


「そうかしら? あたしは、蛙だって、追い詰められたら蛇に頭突きくらいはかませると思うわ」


だから窮鼠猫を噛むでいいだろそこは。俺は飛鳥と違って、同じ過ちは繰り返さないから言わないが。


「頭突きしようが、結局は食われますよ」

「……怖いわねえ樹くんは」

「現実主義なんです」


蛙の運命は変わらない。

だからきっと彼女も最後は、食われてしまうんだろう。俺か、日向か、飛鳥か、虎か。或いは誰でもない誰かに。


「………安心なさい、その命令を下すのも、林よ」


俺は黙って、コーヒーを傾けた。下されたそれを実行するのは、俺達だろうが。それを、苦い液体と共に飲み込んで。


「いっちゃあああん!」

「うるさっ! こら飛鳥! 此処は貴重な実験とかする所なんだから、走るなって言ってんでしょうが!」

「だっていっちゃんがあ……」


ゆっくり、首だけで、振り返る。
俺が、なんだって? 飛鳥?


「ひっ………!」

「飛鳥、入室の手順は、どうしたんですか?」

「あ、う、いっちゃ、」
「忘れてしまったんですか?」


身体も向けて、少しばかり口角を上げる。


「仕方がない人ですねえ。私が教えて差し上げましょうか、じっくりと」


瞬間、びしっと背筋を伸ばし踵を揃えた飛鳥が、敬礼しながら口を開いた。


「LユースAクラスセブン戸上飛鳥指令により参上しましたああああ!」


声は裏返っているし涙目だしで全くなっていないが、取り敢えず良としよう。


「うん、飛鳥、それと走ったら駄目だろう? ほら、博士に謝って」

「ごごごごめんなさい」

「ん?」

「もっ、申し訳ありませんしたっ!」

「うん」

「樹、これあたし今空気よね。絶対あたしに謝ってないわよね飛鳥は」

「そんな意地悪な事言わないで、許してやって下さいよ博士」

「あんたくらいよね、あたしの眼力効かないの」


これだらセブンは、と半眼で漏らしながら博士は、ソファーにどかりと座り、ついでのように飛鳥へと声を掛けた。


「まじで走んなよ、飛鳥」

「はあーい」


お許しが出たら早速、飛鳥は浮き足立ってコーヒーメーカーへと向かう。堅苦しいのを嫌う博士は何も言わないが、上官の部屋なら罰則ものだ。まあ、勧められるままにお茶している俺もだが。


「飛鳥、他の皆はどうした?」

「ん、判んない」


判んないじゃないだろ判んないじゃ。


「おれ、全速力で此処まで来たから。皆もうちっとしたら来るんじゃない?」

「別に慌てる必要はなかっただろう。飛鳥も皆と来れば良かったじゃないか」

「んー、えへへー」


鼻から呼気が抜ける。緩んだ笑いを此方に向ける飛鳥は、大量の砂糖を手に、博士の隣へ腰掛けた。
俺を気にする必要なんてないのに、こいつはまったく……。


「飛鳥はどう? 彩ちゃんと上手くやれそう?」


博士にとっては話の流れ上だったのだろう。だが一瞬飛鳥の肩が強張ったのを、俺は見逃さなかった。
へらり、と愛想良く博士を見返す彼は、何時も通り。


「可愛い子だよねー。でもなんかねー、怒るとこあいー」

「もう手ぇ出したの?」


呆れる博士に、飛鳥は否定とも肯定とも取れる笑顔を返す。


「えっへへー」

「えへへじゃないわよ。異次元から来たって言ったって、あの子は普通の一般人なのよ? 深く関わってただじゃ済まない事くらい、飛鳥だって判ってるでしょう」


スティック状の砂糖を手に、封を切ろうとした飛鳥の手が止まった。珍しく難しい顔をして、むー、と呻く。

「花ちゃんの深くって言うのはさー、一体どんくらいのことを差すわけー?」


意地悪で訊いているのではないのだろう。恋情云々の縺れは確かに厄介だが、本気でなければ然程問題にならない筈だ。本気にならなければ、それは只の通過点。けれど一般人とのそれは、禁忌だ。知り合う事でさえ、我々には許されていないのだ。交わる事で生まれる様々な問題は、もう個人を越えてしまう。
その辺、彼女は立ち位置からして、判ずるのが難しい。いやしかし、所謂これは任務だろう。そつなくこなせば、何事もなく過ごせる。飛鳥はその辺りは器用だから、まだ安心だろうと思っていたのに、これは……。


「それは……」

「花ちゃんさー、あの子と仲良くして欲しがる癖に、近付き過ぎは駄目、ってそれどーゆーことー? おればかだから、よく判んないよー。だったらいっそずっと研究部に押し込めときゃいいじゃん。なんでおれ達?」

「飛鳥………」

「おれ、難しいのやだよ。あの子と仲良くすりゃいいのか、監視だけしてあとはほっとけばいいのか、どっちかにして欲しいよ」


ああ、駄目だ飛鳥、それ以上言うな。考えるな。これは任務だ。命令なんだ。


「じゃないと、おれはあの子を、」


飛鳥の口が、ぴたりと閉じる。俺は僅かに安堵して、ゆっくり振り返った。
ガラス越しに見える、虎の姿。後ろには、彼女と千尋。此方に向かって歩く彼らの中に、日向の姿は無かった。


「ういーっす」


かったるそうに挨拶して、虎が部屋に入って来る。続いて千尋が無言で、彼女が会釈して入室。俺が何も言わずにいると、飛鳥が虎と千尋を指差し口をパクパクさせた。なんだ、餌を強請る鯉みたいだぞお前。


「おはよ、彩ちゃん」

「おはようございます」


博士が彼女ににこやかに話し掛ける間に、コーヒーを入れる虎の隣へ立った。


「日向は」

「便所」

「ふうん?」

「……という言い訳の、エスケープ。心配しなくても後から来る」


注がれる黒い液体を見ながら、苦笑した。これ以上一緒に居られるかと、吐いて捨てる日向の姿が目に浮かぶ。


「あの、何をするんでしょうか」

「あー、それなんだけど、皆も聞いて。あ、日向ー……は、まあいっか」


博士の呼び掛けに、虎と共に振り返る。千尋が立ったまま、うつらうつらとし始めたのを見て、虎だけが彼の元に移動した。手には紙コップ2つ。どうなっているのか、千尋にはカフェインもあまり効果を示さないが、気休めにはなる。
博士はデスクに移動すると、そのまま腰掛け、足を組んだ。すらりとした美脚に、飛鳥がいい眺めー、と等と呑気に漏らすと、彼女が何故か何度も頷いて同意を示した。


「結論から言うと、測定はしない」

「えっ」

「あー、やっぱりー?」

「え?」


疑問の声を上げたのは、彼女だけだった。飛鳥の判ったような返答に、更に驚いて、俺達を見回す。


「え、え? あ、あれ?」


自分だけが判っていなかったと、軽く混乱したような彼女に博士は構わず、呼気を吸い込む。


「正しくは、彩ちゃん以外ね」

「へ、わ、私ですか?」

「今回は、彩ちゃんの脳波とか、そういうの取りたいの。前回のは眠ってたから、起きてる状態のね」


彼女の顔が、実に判り易く曇った。何をされるのだろうと、不安なのだろう。
それを受けて博士は、深い笑みを湛えた。


「大丈夫。彩ちゃんはただ横になってればいいから。直ぐ終わるわよ」


博士の大丈夫は、当てにならない。それを、彼女は知らないだろうが。


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