相変わらずキョロキョロしている。
落ち着かないその様子が、自分の時とダブる。まあ、おれはもっと騒がしかったけど。いちいち声を上げて反応して、こんなふうに静かじゃなかった。静かだったのは、隣を歩く黒髪の少年。千尋だ。
終始黙って教官の後ろを歩いていた。景色に見向きもせずに。すっげー! な! と思わず同意を求めたおれを、一瞥すらしなかった。
まるでそこに、何もないかのように。まるで、何の音もしないかのように。黙々と、足を動かしていた。
あん時は、なんだこいつ、くらっ! とか思ったけど、今なら判る。
あん時の千尋は、きっと本当に、何も見えていなかったんだ。何も聞こえていなかったんだ。余計なものは、見ないし聞かなかったんだ。余計なもの、あん時の千尋にとって、余計なものは沢山、あった。


「なに、あれ………」


つと、足を止めたあの子が呟いた。前を行っていた千尋が首だけで振り返る。後ろを歩いていたおれは、あの子の視線の先、窓の外を見やった。
あれはー……、あ、二年生か。
グラウンドには、訓練中の生徒何人かが見えた。Lユースのグラウンドは、運動場と言うより、自然の状態により近くって、ちょっと変わってる。植え込みが作られ、傾斜があり、訓練内容によって、それらは弊害物にもなり、心強い味方にもなる。グラウンドからは一見して解らない生徒達の位置が、上からなら多少見通しが効いた。
今戦闘中なのは、校舎に近い林と、グラウンド中心あたりの二つ。多分、二組に別れての戦闘訓練、のはず。二年のカリキュラムに含まれている。おれもやったな、懐かしー……。いっちゃんまじ鬼だったなあれ。


「あれは、訓練だ」

「くっ………、」


いつの間にか、あの子の隣に千尋が居た。あの子は絶句し目を剥いて、千尋とグラウンドを交互に見ている。
近付くと、見上げられた。


「楽しそうでしょー?」


はあ? と言わんばかりの顔だった。笑える顔とも言う。それを素直に口に出して笑うと、物凄く険しい顔で睨まれた。ありゃ怒らせちゃった。流石に女の子に変な顔は失礼だったかな。
あの子は目線を逸らしたかと思うと、眉間のしわをそのままに、苦しげに瞼を下げる。


「………訓練て、実技の授業ってこと、ですか」

「そう考えて貰って構わない」


淡々と返す千尋。愛想ないったらない。


「きが………」

「え?」


囁くような声に、おれが聞き返したのと同時くらい。あの子の瞼が上がる。


「樹が、飛んでるんですけど」

「うん、そうだね」


それの何が問題なんだろ?


「樹が飛んで、何故か空中で木っ端微塵になってるんですけど!?」


堪えきれないといったように、あの子の声は悲鳴じみていた。よく判んないけど、混乱してるみたい。


「衝撃波かな?」

「いや……音波だな」

「そう? あ、ほんとだ、周り振動してる」

「なんっでそんな冷静なんですか!」


あの子は窓辺で崩れ落ちた。それを見て、千尋と顔を見合わせる。


「なにあれ。あれが実技? 冗談でしょあんなん聞いてない。全然聞いてない。無理でしょ。死ぬでしょ。ばかじゃないの死ぬでしょ……!」

「大丈夫だよー。人間てそんな簡単に死なないよ?」

「貴方は黙ってて!」


ぎっ、と音がしそうな勢いで睨まれた。いやん怖ーい。両手を顔の横に上げて敵意がない事を示す。


「あれは二年用カリキュラムだ。俺達は三年」

「二年用……じゃ、じゃあ」


千尋が頷くと、あの子はあからさまにほっとした顔をした。


「俺達はやらない」

「良かった………」


眼下では、ズズン、と地響きを立て、大木が倒れた。


「俺達は課外活動が主だからな」

「つまり本物相手。こっちは気を付けないと、ほんとに死ぬからねー」


さっと青ざめたあの子は、それ以降、口を開く事はなかった。
移動は大抵車だ。いっちゃんは無闇に能力を使うのを嫌う。でも区画『は』内は車の使用禁止だから、橋までは歩いて、それから車に乗り込んだ。


「……………………」


そんなに嫌だったのかな。
俯きがちなあの子はやはり黙ったまま、車に揺られている。


「彩ちゃーん、そんな怖がんないでよー。だいじょーぶ、彩ちゃんはおれらが守るから」


顔を上げたあの子は、怪訝そうに眉を顰めた。


「だから彩ちゃんは、死んだりしないよー?」


そして戸惑うように、瞬く長い睫毛。


「お姫さまは守られるもんなんだから、そんな心配しなくていーの」


にっこり、笑い掛ける。女の子なら、これで安心するだろう。いやーん飛鳥さんてばカッコいーいー。
とか、思ってたのに。
あの子の顔は、凍り付いたかのように強張った。
あれ? 思ってもみない反応に、おれの首が傾く。


「………えっとー、おれ、なんか不味いこと言った?」


隣の虎を見れば、虎も驚いたのか泳いだ目でおれを見返す。
 ――何この反応。
 ――知らねーヨ。
全然役に立たない。
今度はあの子の隣、おれの正面に座る、いっちゃんを見やる。きらりと眼鏡を光らせて、いっちゃんもおれを見返す。
 ――どうしよういっちゃん。
 ――うっさい死ね。
このどエスゥウウ!
いっちゃんの隣はひな。ひなならきっと……!
 ――ひなどう、
 ――僕にあの女の事を訊かないでくれる?
有無を言わせない瞳!
だめだ、ひなは珍しくあの子を“特別”嫌ってる。
格なる上は、最後の砦、千尋様……!
 ――ちひ、寝ている!
言語道断だった。
うわーん皆なんて頼りにならないんだ!
あの子は何故かとても不安そうな顔で、また俯いてしまった。唇に指を当てるのは癖なのか、落ち着かないからか。心なしか顔が青い気がするから、具合が悪いのかもしれない。
でも原因は判らないけど、会話したのはおれだから、おれが何とかしろみたいな空気だし。うう、仕方ない。面倒だけど、再び口を開く。


「彩ちゃんはさ、けんきゅー部所属になるから、実戦中はお留守番かもよ。こないだの失敗もあるし」


びく、と唇を押さえるあの子の手が震えた。ゆっくり、視線が上がる。呆然としたあの子の双眼が、おれを捕えた。かと思えば、苦し気に、辛そうに、直ぐ様逸らされた。えー、まだ駄目なのー?


「あー……、その方が安全だしいいじゃーん? おれも待機組がいいなー」


顔を上げない。もー、めんどくさい子だなー。そろそろさじを投げたくなってきた。面倒はみるけどさー、こっちが優しくしてやる義理はないんだよねえ。見返りがあるならともかく、餌もなしに優しくしてやる理由、おれにはないし。
投げたいと言うより、半ば投げて、椅子に背を沈めた。もうあの子を見るのは止めて、窓の外に視線を移す。うん、半ば投げたっつーか、投げたって言うなこれ。


「あーあ、花ちゃんに頼んでみよっかなー。あいつらとのデート、もーうんざり」

「………………………」

「ねえ、辛気臭い顔やめてくんない? こっちまで気分悪くなるっての」

「うわひなちん、急に口開いたと思ったらそれ?」

「うっさいな飛鳥は。ピーチクパーチク、何こんな女に気ぃ使ってんの? 気に入ってんの? ああ口説いてんだ。まだヤッてないから」
「ちょ、ひな」
「そーゆーの、余所でやってよね。ひとの恋愛ごっこも、辛気臭い顔も、不愉快。見たくないもん見せられる人の気持ち考えてくれないかな」


語気を強め遮られ、歯に物着せぬ日向の言い分に、結局黙るしかなかった。すっごいご機嫌斜め。と言うか、すっごい怒ってる。珍しく、本気で。
可愛い顔を不快そうに歪めた日向から、そろりとあの子に視線を移す。
俯いているけれど、その眉間の皺は見て取れる。ああこれ泣いちゃうんじゃないの。それはそれで、とても面倒。


「…………他に、方法がないのか、考えていたんです」


予想に反して、あの子が泣くことはなかった。それどころか随分落ち着いた瞳で、日向を見返す。


「なにそれ、言い訳?」

「言い訳、でしょうか。かもしれません。気持ち悪くて」

「はあ?」

「他人に容易く守られることも、他人を容易く守ると口にする貴方方も」


これには、日向も閉口した。彼女はアンノウンの恐怖を知っている。充分とは言えなくとも、経験は恐怖として刻まれた筈だ。
命に関わること。他人の為に命を懸けること。理解しているからこそ、あの子はそう思ったんだろう。けど――


「それっておかしい、ですよ」


身を削るそれを、おれ達が好きでやっているとでも?


「あのさあ彩ちゃん。きみには判んないかもしんないけどー、おれ達、上の命令は絶対なわけ。ウザがられててもー、おれ達って国家に所属する軍隊なんだし」


手足は手足。それ以上でもそれ以下でもない。


「だから、考えて」
「だからおれ達は考える必要ないの! 判んない子だね」


思わず声を荒げると、びくりと震えたあの子が、瞳をまん丸にして硬直した。


「待て飛鳥」


苛立ったおれを、意外にもいっちゃんが止めた。むかつく、呟いた日向をも、目で諭す。
それからゆっくり、あの子を見下ろした。


「考えて、で?」

「で、って……」

「何か答えは出たのか訊いている」


いっちゃんの行動を訝しむおれ達を、あの子は躊躇うように見渡してから、おずおずと口を動かし始めた。あの子が何を考えたか、おれも少し興味ある。だから黙って待つことにした。


「あの、戸上さんが言った通り、私は待機が一番良い方法かと思います、けど……」


だろーね、と同意するのと同時、拍子抜けしてあの子から目を外した。頭の後ろで手を組み、景色を見やる。外はもう、出口に近い所を走っていた。
けれどいっちゃんは、食い下がった。


「けど?」


これ以上何があんだよ。鬱陶しくなって、おれは景色見つめることだけに従事した。


「それじゃ何の進展もないし、状況も変わりません」

「そうだな」

「だから、その……、私でも出来る事ってないかなって」

「ないない」

「ヒナ、少し黙ってろヨ」

「…………………」

「せ、せめて足手まといにならない方法ないかなって、思って……あの、どうしたら……」


車が止まる。僅かに反動を残して、車内のおれを揺らす。ああもう、走行の音が無かったら、あの子の声が嫌でも冴えてしまうじゃないか。


「どうしたら、アンノウンと戦えるようになるんでしょうか」


ばかじゃないの。
そんな方法はない。剣も銃も効かない相手に、きみが何を出来るって?
おれは日向と違って波風立てるのは好きじゃないんだ。苛々させないでほしい。掻き混ぜないでほしい。
頼むから、大人しく守られるお姫様で、いてくれ。



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