大規模な地下都市は、大きく分けて三つに区分される。居住が主の、区画『い』。商業スペースの区画『ろ』。そして区画『は』には、特別な学舎が存在する。
幼稚舎から、大学まで、様々な歳の子どもが此処へ通い、一貫してある教育を受けている。ここが特別たる由縁だが、彼らはただ机を並べるわけじゃなく、それこそ一般の教養よりも優先されているのが、能力の修練である。
その集大成が大学と当たり、高校から先は実質軍事学校のようなものだ。大学は名を改め、Lユーススクールと呼ばれる。彼らにとって、ラスト、つまり最後の青春が残されたのが、ここだった。
Lユースを出れば漏れなく、彼らはハンターとなる。振り幅のある実力差は関係なく、死と隣り合わせの日常が待っている。散った仲間に敬礼を送りながら、明日は我が身と心が凍える、そういう日々が。
そう、見えてはいなくとも。














第2章〜平行世界の住人〜










研究部・HUNTERFILE・E-035

FILENo.09 戸上 飛鳥
能力分類:ESP
能力内容:近距離透視
ランク:A

測定値
1stMV 2002 18JAN
平均値/毎分
パワー値:203p
影響範囲:2〜3ha
持続時間:2.5〜3.0h






玄関エントランスホールで、ひとり困った顔できょろきょろしている。
しぶちょーは居ない。どうだ、訊かれて片目を開けた。なあんで虎はあの子の事気にするんだろ。


「今玄関に居るよー」

「ひとりか?」

「みたいねー」

「支部長は?」


両目を開けた瞬間、ポーカーフェイスの千尋が、黒板を見つめたまま何処かぼんやりと、訊く。千尋もか?


「知らないよー。居ないとしかおれには言えないしー」


口を尖らせつつも、もう一度目を閉じる。閉じなくても見えるんだけどね。癖と言うか、習慣になっていると言うか。
困った顔のあの子は、不安気な足取りで廊下を進み始めた。ああ、そっちじゃない。


「見事に道間違えてるー」


ちっ、と傍で舌打ち。その後、虎はぶっきらぼうに日向を呼んだ。


「ええー、やだよなんで僕が」

「支部長に頼まれてんダローが」

「迷ってもそれは僕の責任じゃないもん」

「確かに」

「いつ」

「睨むなよ……」


ひながごねている間にも、あの子はどんどん見当違いの方向へ進んで行く。誰も居ない多目的ホールを覗き、何故か嫌そうに口を曲げた。


「しかしそうは言っても日向、あいつが他の学生に絡まれて怪我でもすれば、それは俺達の責任だ」


ひなが黙った。いっちゃんの冷静な言い分が、俺まで納得させる。面倒だけど、面倒をみるよう言い渡されてしまったのはおれ達だ。
あの子は階段を上がろうとしている。これはちょっとまずい。


「おーい、まだー? 早くしないと一年生ゾーンに入っちゃうよー」


ひなはぶつくさ文句を言いながらも、おれの肩に手を置いた。なんでおれが、ってその気持ちは分かるけどねー。他人なんかほっときゃいい。あの子が痛い目みようがそんなのは関係ない。ただ、命令は命令だ。
苦笑いが浮かんだ。


「しょーがないっしょ。しぶちょーに絞られんの嫌だし、ひなも妥協しなよ」

「僕は飛鳥と違うの」


ひなはそれ以上言わなかったけれど、後に続く言葉は容易に汲み取る事が出来た。おれの人生は、妥協だらけだから。別にそれが嫌ってんじゃない。誰かに何かを言われても、別に気にならない。そうやって妥協を重ねて、おれは世界と折り合いを付けてきたのだ。
それがおれ。それでいい。


「そっちじゃないよ」


ひなの漏らした声に引っ張られるように、意識が脳内の映像に向く。
あの子はとても怯えていた。眼球を忙しなく動かし、背中を壁に張り付けている。


「戻って、そっちじゃない」


びくり、肩が震えた。誰、と叫んだ。恐怖に引き釣る顔。なんだか、苛立った。


「何してんのひなー。怖がってんでしょー」

「僕のせいじゃないよ。あっちが勝手に混乱してんでしょ。僕は僕のやるべき事をしてるだけ」


苛立ったのは、おれだけじゃないらしい。刺のある声でひなは、そう言った。切り替えるのを忘れ、それはあの子にも聞こえてしまったようだった。
不安そうに天井を見上げ、天使? と呟く。思わず吹き出した。はあ? とひなが鳴いた。


「なんだヨ、どーした」

「っ、いや、くくっ、変な子」

「馬鹿なんじゃないのこの人」


やっぱり、聞こえたらしいあの子は、むっと顔を顰めた。それから改めて、ひなは彼女に話し掛けた。


「戻って、反対側の廊下に、エレベーターがあるから、それに乗って5階まで来て」


階段の中程に居たあの子が、来た道を振り返る。暫く睨み付けた後、息を吐いて肩を下ろした。漸く、足を動かす。


「最初っからそうしてよね」


吐き捨てるようなひなの言葉は、今度は聞こえなかったらしい。相変わらずきょろきょろしながら、あの子は廊下を進んでいる。


「てかほんと、能力無しなんだね。ビビり方が一般人のそれ」

「何言ってんだ今更」

「そーだけどー、僕は実物見んの初めてだし。話には聞いてたけどさ、なんて言うかー……。ねえいっちゃん、あれ本当に僕らが面倒みなきゃいけないの? すっごい不安なんだけど」


両目はあの子を写し続ける。天使だなんて、すごいこと思い付くな。あの状況で天使。あ、やばいまた可笑しくなってきた。


「気持ちは判るが……飛鳥、何にやにやしているんだ気持ち悪い」

「失礼だないっちゃん! おれの笑顔は世の女の子を魅了すんだぞ!」


思わず両目を開ける。あの子は見えなくなった。代わりに、正面の机に腰掛けるいっちゃんの、蔑むような視線が目に入る。なにその目。煩い、隣で千尋が呟いた。


「いいから飛鳥、お前はアイツを追っとけ」

「皆冷たい……」


いっちゃんの隣の虎まで、無造作に手を振り促す。仕方なく目を瞑った。


「日向、確かに……あれを見て不安になるのは判る。俺も最初はそうだった」

「最初は……?」


囁くようなひなの声。それに重なって、あの子が「あ」と呟いた。エレベーターを見つけたのだ。


「だが、そうだな……少なくともあれは、上の人間と違う」

「違うって……何が?」


エレベーターに乗り込む。それを最後に、おれはまた瞼を上げてしまった。
だって、驚いたんだ。見た目に反してお人好し虎や、誰に対しても意志を貫く千尋ではなく、いっちゃんが、あの永岡樹が、あの子をそう判断したことに。


「最初俺は、あれを同じだと思った。俺達と同じ。全てを拒絶していた」


いっちゃんは、とても平静だった。眼鏡の奥の冷静な瞳は、あの子に肩入れしようとか、そんな感情的なものは一切なかった。


「だが、今朝、それは違ったのだと知った。否、変わった、と言った方がいいのかもしれない。確かにあれは、昨日まで拒絶していたんだ、全てを。昔の俺達のように」


昔の、おれ。あんまり、思い出したくない。いっちゃんの言う通り、全部が、何もかもが、嫌いだった。
今でもおれ、人類がどうなろうと、ぶっちゃけどうでもいいんだよね。でも此処は、おれが居られる唯一の場所だから。他に行くところなんてないから。
此処を守る為に、どうでもいい他人を守る。


「あれは、もう目を逸らさない筈だ。俺達が受け容れたように、あれも世界を受け容れた。驚く事があっても、理解しない事はないだろう」

「……………………」


そろり、隣を椅子から見上げる。立ったままのひなは、まだ不満気に、俯いていた。その瞳が不意におれを見る。思わず身構えてしまった。


「今どこ」

「へ?」

「あの馬鹿は今どこに居るか訊いてんの」


不機嫌に言われ、慌てて目を閉じる。もう何怒ってんのかなひなは。
あの子はもうエレベーターから降り、ぽつんと廊下で立ち尽くしていた。


「今廊下」

「あっそ」


肩を掴まれる。って、ちょ、強くね? つよ、い、痛い痛いちょっと日向さん!


「エレベーターから右に進んで、三番目の部屋」

「いたたたた! ひっ、ひな痛い!」

「もう覚えたでしょ。今度は助けないからね」

「いっ、っ、ハァーハァーハァー、なに今の八つ当たり……」

「うっさい」

「うわ全く悪びれてない」


痛む肩を擦る。不貞腐れた顔をしたひなは、教室の後方に下がり、一番後ろの席に突っ伏してしまった。
なーに拗ねてんだか。


「それでも、こえーコトは、こえーダロ」

「虎?」


ガタリ、いっちゃんの隣に座っていた虎が、立ち上がる。おれの声に反応せず、虎まで後ろの席に座ってしまった。四角形の教室。六十人分の机と椅子が、余裕を持って並ぶ。
真ん中辺りに居たおれ達は、顔を見合せた。いっちゃんはやれやれといったふうに、そのまま席に付く。千尋は興味なさそうに、また前に向き直った。おれはもう一度振り返ってみたけれど、机に足を乗っけた虎も、伏せたままのひなも、目を合わせる事はなかった。
と、随分遠慮がちに、教室の引き戸扉が開いた。からから、小さな音が、無音だった教室に入ってくる。
一斉に視線を浴びたからかな。入り口で固まってしまったあの子が、ぱちり、と瞬いた。



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