32


悲しくなかったわけではない。ただ、上手く悲しめなかっただけで。
君はそれを知ってか知らずか、ずっと、私の傍に居てくれた。
手を握っていてくれた。
きっと君も、悲しかった筈なのに。

人前で泣いたことなんて、1度もない私が。真っ赤に充血した瞳で、唇をまっすぐに引き結んだ君を、見たら。堪らなくなって。

だって、――……



















戸上さんは、八草さんを連れていて、車内は6人となったが、特に窮屈ではなく、寛げるくらいのスペースが、それぞれに十分あった。
彼らが乗り込んで直ぐ、車は出発して、つまり、7階には、今居るこのメンバーだけが住んでいる事になる。


「ごめんねー、待たせちゃって」

「ほんと遅いよアッカー」

「何アッカーって! 何か悪の戦闘員みたいでやだ!」


戸上さんが加わると途端に賑やかになった車内で、ふ、と息を吐く。人数が増えた分、緊張も増しそうなものだが、なんだろう、何故か、肩から力が抜ける。


「おせーよアッカー」

「虎まで!」

「遅い、アッカー」

「なんで俺ばっかりいいい」


結島さんもそうだが、まさか永岡さんまで乗るとは思ってなくて、ちょっと気圧されていると、戸上さんが丁度、私に話題を振ってきた。


「俺、わざわざ千尋連れて来たんだよ! 褒められていいと思わない!? 彩ちゃん!」

「へっ、あ、え、」


戸上さんは私の斜め、車体横にあたる席に座っている。咄嗟に反応出来なかった私を、気にする様子もなく、戸上さんは相変わらずの饒舌ぶりを披露する。


「俺が起こさなかったら、絶対まだ寝てたって!」

「やっぱ寝てたんだ」


ふん、と背もたれにふんぞり返る戸上さんに言われ、天使が八草さんへと笑い掛ける。でも八草さんは、とろんとした目で、ぼうっと床辺りを見つめ、反応しない。まだ半分、寝てる………?


「起こすの大変だったんだから」

「寝起きワリーからな、チイは」

「遅刻の言い訳にはならないだろ」

「ってか、いっちゃん! なんで先行っちゃうの! 反省文!」

「朝の見回りサボった奴の事なんか知るか」

「そっ、それは、所用が長引いて………うー、」


ほんと賑やか。だな。
あ、緊張しないわけ、解ったかも。


「頼むいっちゃん! 一生のお願い!」


手を合わせて永岡さんに頭を下げる戸上さん。きっと彼に、引きずられるんだろう。周りが、彼らの、日常の空気だった。


「知らん」

「いっちゃあああん!」

「煩い」

「あたっ! 何すんの千尋!」


不機嫌そうな八草さんに、足を蹴られ、戸上さんのちょんまげが揺れる。ああ、今日はカエルさんだ。


「ああ? ………あれ」


抗議した戸上さんを、八草さんはギロリと睨み付け、それから数度、瞬く。


「………なんだ、飛鳥か」


溜め息混じりに呟いて、だるそうに背を預ける。
疲れている、のかな。八草さんは、昨夜あまり眠れなかったとかなのだろうか。


「なんだって何!? てか今俺に気がついた、みたいなのは何!?」

「煩い………」


戸上さんは泣きそうな顔で八草さんに迫るが、八草さんはまた不機嫌そうに眉を寄せ、戸上さんの顔面を手で押し退けた。首が反り返っている。流石に私でも、段々、可哀想になってきた。
それでも、口を挟むのは憚れた。


「うう、誰も優しくしてくんない……」

「優しくしてやる義理がないからな」


呆れた目線、静かな低い声。永岡さんは、いつでも永岡さんだ。


「飛鳥の用なんてたかが知れている」

「何言ってんの青春は人生のメインでしょ!」


また戸上さんが息つく事無くブウブウと抗議し始める。やっぱり私は何も発言出来ずにいて。
嗚呼、空気が、空間が――

彼らの日常だ。


「ヒナなら解ってくれるよね!」

「えー、僕に言われてもー」


それは私の緊張を解し、と同時に疎外感を与えた。
交わる会話の中で、私だけが1人蚊帳の外。

意識しているのかいないのか、解らないがそれでも、彼らにはしっかりとした輪が築かれていた。
そこに彼らの意思と関係なく放り込まれた私が、簡単に入れるとは、やはり、思えない。
すんなり受け入れて貰えるとは、思えない。


「あ、そうだ」


ぼうっと彼らを眺めていた私の意識が、急に此方を向いた天使に引き寄せられる。何だろうと私も彼を見た。


「僕、日向(ヒナタ)」


にっこり、笑うこの子は、どう見ても天使。いやしかし油断は出来ない。


「はあ、どうも」


浅く頭を下げると、彼は小さく首を傾げた。


「そのどうもはー……僕を認識したよって事? 社交辞令?」


若干戸惑う。彼は何を言いたいんだろう。


「え……と、ただの、挨拶です」


人形みたいなクリとした目が、ぱちり、瞬く。


「そ? ならいいんだけど」


それからまた、輝かんばかりの笑顔を咲かせ。


「どーしても必要な時以外は、話しかけないでね」


正直、面食らった。
彼が外見に見合った中身をしていないと知っていても、無邪気な笑顔でこんなふうに突き刺す人を、見たことがない。
私が何かしたかと、責めたくなるような、理不尽。無条件に嫌われる筋合いはないと。


「い………われなくても」


何なのよ。私がいつ貴方に馴々しくした。
最初から、私だって最初から、


「貴方と親しくするつもりなんてありません」


仲良くしようなんて思ってない。


「……………………」


わお、と小さく呟いたのは、戸上さんだった。
車内がしん、としている事に気が付いたのはその呟きが聞こえてからだった。

やらかした。つい、頭にきて、ああもう、ついじゃないよ私のばか! もう、ばか!
気まずい沈黙。
自ら招いた静けさに、舌打ちしたくなった。


「……………ヒナ」


静かな空間で、静かな声が響く。
さっきまで眠そうにしていた八草さんだった。
決して強くない瞳だったけれど、横目で見られた日向さんはつまらなそうに口を尖らせた後、しぶしぶといったように此方を向いた。


「言い過ぎましたー」


うわ可愛くない。

瞬間そう思ってしまったのは仕方ない事じゃないだろうか。けれど、何処か、子どもを相手にしているような気分にもなった。いや腹立つのは腹立つが。


「いえ、私もすみませんでした」


それでも、そう返すのは、もう癖になっているのか。
どろどろした人間関係が嫌で、当たり障りなく生きてきた結果が、これかもしれない。


「思ってもないのに謝るのって失礼じゃない?」


だから日向さんの一言にはギクリとした。


「ひな」

「はいはーい。もう余計な事は言いませーん」


ぐ、と唇を引き結ぶ。

人付き合いを嫌ってきた結果が、これだ。

子どもはどっちだ。


「………ごめんなさい」

「………………」


日向さんは首へ下ろしていたヘッドホンに手を掛け、私を見返す。

――ねえ彩。謝るべき時に謝らないと、どんどんその機会は失われていくよ?


「今のは、さっきの上辺だけの謝罪をお詫びしたんです。だけど、日向さん」


――それはきっと、誰より、彩が苦しむ。


「暴言を黙って受けられる程、私は人間出来てません」


エンジェルフェイスの悪魔が、この時何を思ったのかは解らない。僅かに目を見開いたかと認識するかしないか辺りで、飛んできた声に私の意識は奪われたから。


「重い」


見れば、八草さんが此方を向いていた。目が合う。理解した途端、カッと頬が熱くなった。


「な…………」


確かに重かったかもしれないけどでも! そんなふうに今言わなくてもいいじゃない!
腹の底がぐらぐら、言いたいのに喉が詰まって声が出ない。


「確かにー」


あはは、と戸上さんの笑い声が響く。日向さんも吹き出した。背後の永岡さんまで、ふっと息を吐き出して。

車内の空気が元に戻る。


「……………………」


良かった? これは、結果的に良かったのか?
けれど私の気分は最悪。


「彩ちゃん、まともに聞いてたら疲れるよー? ヒナも千尋も、これいつものことだからねー」


むっつり、戸上さんのフォローに返事もする気になれず、私は黙り込んだ。

しかし暫く車内に揺られ、ふと思った。チラリと見やる、八草さんの顔。
日向さんに注意を促したり、昨夜あんな事を言ったり、かと思えば、重い、なんて。人を馬鹿にして。

よく、解らない、ひと。


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