27
真面目で堅苦しく、融通がきかない。
勝手に抱かれた印象は、君さえ解っていてくれるなら、気にならなかった。
けれど、君は、
知りたくなくて、目と耳を塞いだ。小さくなって踞っていた。怖くて、怖くて、恐くて。
ポンポン、と肩を叩かれて、顔を上げれば、全ては終わった後だった。救急車のサイレンが、遠くで鳴っていた。 私は何処か、足が地に着いていなくて。 またテレポートして、地下学校に戻って来ても、やっぱり、耳鳴りはしなかった、事だけは、解った。
「どーだった?」
笑顔で待ち構えていた博士に答えたのは、私ではなく、お面を付けたままの、永岡さん。 緩く首を振って、返答の代わりとした永岡さんに、博士は至極残念そうに「そう……」と呟いた。
「大丈夫だったかい?」
紳士然とした笑みで、俯く私の背にそっと手を添えた林さんに、視線を上げる。 大丈夫だったか? そんなの――
「大丈夫じゃ、ないです」
大丈夫じゃないに決まっている。
「………君に、危険はなかったろう?」
林さんは相変わらず、穏やかに笑って、私を見下ろしている。
「なくたって、あんなの、」
唇を噛んだ。
怖かった。
あんな異形を、いきなり目の前にして、怖くない訳がない。しかも、私が一緒に行った事に、意味がなかった。 何で私が、こんな目に合わなければならないのか。 答えてくれる人は、いない。
「ごめ、なさ……私今日はもう」
俯いて、やっとそれだけを、絞り出した。
努力にも、限界がある。 帰る為だと、解っていても、気丈に努めるにも限界があるんだ。 本当なら、2度と、アンノウンになんて、会いたくない。あんなとこ、2度と、行きたくない。
「……慣れていくしか、ないよ」
「わかっ、解ってます!」
降ってきた言葉に、つい、声を荒げた。 こんなのは、ただの八つ当たりだと、解っていても、止まらなかった。
林さんのは瞳は、静かに私を見つめていた。
「でもっ、だからって、そんなに簡単に、いく筈ないじゃないですか!」
止まらない。 吐き出される。 積もった、憤り。
「私はあんなの、知らない! 知らないんです!」
どろどろして、醜い。 心の内側。
誰にも、受け止めては貰えない。 けれど。
「………わたしも、知らなかったよ」
静かに私を見据える林さんの、温度のない声。
「わたしも、知らなかったよ。あいつらが現れるまで、こんな計り知れない、恐怖がある事など」
はっとした。 アンノウンの歴史は、私が思ったより、もっと浅いものだった。世界が崩壊するのではと、懸念された程の襲来は、ごく最近の、こと。
「君は、運がいい」
にこりと、最後に微笑んで、林さんは私に背を向けた。 誰にも、受け止めては貰えないけれど。
それは、何も私だけでは、ない。
「………………………」
詰襟の黒い服の人達と、何かを話し出した彼の、広い背中は、真っ直ぐに、凛として見えた。
「………彩ちゃんは、ここ以外を知らないから、無理もないかもしれないわ」
林さんの背中を見つめ続ける私の肩を、博士がポンと叩いた。 言われた事の意味が解らなくて、今度は博士の横顔を見つめる。
「ここは、綺麗に街が残っている、数少ない場所だから」
「え?」
博士の瞳は、大モニターに向けられていて、私を見てはいない。
「彩ちゃんの居た世界は、都道府県はいくつあるのかしら」
もし同じなら、そう続けて、博士は目を閉じた。
「47かしら。懐かしい数字ね」
口元に仄かな微笑が宿った。けれど微かなそれは、直ぐに引っ込み、再び目を開けた彼女は、私へと顔を向ける。
「7つ」
「え………」
光の反射したレンズの奥は、解らない。鮮やかな色の唇が、言葉を紡ぐ。
「今現在、この世界に存在する都道府県は、7つよ」
ななつ、とまるでまだ言葉の意味を知らない幼子のように、博士の言葉をそのまま、繰り返す。だって直ぐに理解なんて、出来ようもなかった。
「関東はここら一帯が、残っているわ。東京は、割りと早くに、崩壊した」
「え? なん、え?」
事実として受け止めるには、あまりに規模が大き過ぎて、理解が追い付かない。 そんな事言われても、冗談にしか聞こえない。
「………ほんと、何にも知らないんだな」
私の後ろで、永岡さんの呟きが聞こえた。
「今は此処が、首都よ。新東京と改められているわ。東京に近い此処が、被害を被らず免れたのは、東京に近かったから、ね。皮肉過ぎて笑えるわ」
八草さんがお面を頭へとずらしながら、博士の横を通り過ぎる。
「それだけじゃ、ないけどな」
空いていたデスクにどかりと座り、欠伸を漏らしていた。 博士はチラリとそれを一瞥して、また私に向き直ると、幾分柔らかい声を出す。
「疲れたわよね。今日は、もう戻って休んで」
確かに、疲れてはいる。肉体的にと言うより、精神的に。でも。
かなり、ハードな話を、されて。けど、現実味が湧かなくて。 疲れたどころの話じゃないし、もう精神を保つのに精一杯だったし、今すぐベッドに倒れ込みたい、けれど。
あんな衝撃的な話をされて、このまま、眠れるとは思えない。 そんな図太い精神なら、とっくに、状況を受け入れている。
でもまだ、私は、拒絶するだけ。
「あの、さっきの、河原は、」
おずおずと、伺いながら声を出した私に、博士が僅かに首を傾ける。
「ああ今のは、新東京都内の、端っこ。大抵の戦闘はそう」
都内って、今は此処が首都で、東京で、ええと、私の住む街は、県の真ん中に程近いけど、名前が変わっているのだろうか。
「人間を求めて、奴らは入って来るから、あ、でも此処にはあまり来ないわ。ハンターが居るから、中心街にはあまり近寄らないの」
「え、でも、私の家………私の、住んでいたマンション、此処から近いです」
言い直す時、つい、俯いてしまった。この世界に、私の物など、ありはしない。 私にあるのは、小さな鞄に詰められた、役に立たない些細な物。役に立たない紙幣に、役に立たない携帯に。私を証明する事に何の意味も為さない、些細な物達。
「そうね、珍しいケースではあるわ。貴女を襲ったのは警戒レベルC。貴女を迷い込ませた人型は、レベル、A」
人型は何でもAでしょー、と陽気な声が付け足されて、振り向く。 左手の指でお面をクルクル回し、右手で携帯を弄る戸上さんが、こっちを見ずに鼻歌を歌っている。マイペースな人だな、本当に。
「変なのは、探査に引っ掛かっていないという事。貴女の携帯だけが、目撃者、いや、目撃、物? まあいいわ。とにかく、鞄、探させて良かったわ」
ああ、鞄、落としてたんだっけ。
「その人型に、何かあるんでしょうか」
うわぁ、また口調変わった。永岡さんはお面、外さないのかな。鳥を被ったままの彼は、戸上さんの隣で顎に手を添えている。
「…………今、考察中」
博士は永岡さんに、ちょっと間を開けてから、ボソッと声低く返した。何だと思い振り返って。
「あっは花ちゃん、解んないんだったらそう言びゃ!?」
思わず笑ったような戸上さんの言葉が終わる前に、私の横を何かがビュッと過ぎ去った。そして、悲鳴、とカラン、と何かが落ちる音。 見れば、顎を反らしたまま、額を押さえる戸上さんがいた。
「あたしに、解んないなんて事は、ない」
首を戻す勇気が、なかった。
「馬鹿だな………」
「馬鹿だな………」
いああぁあ……、とか苦し気な声を漏らす戸上さんに、全く同じ呟きが2つ、彼の隣と離れた場所から、被さった。 戸上さんて、馬鹿、なのか…………。
「博士、僕は先に戻ってもいいでしょうか。着替えたいので」
「ん、あら、珍しいわね、どうしたのそれ」
ちょっと、と口元に笑みを浮かべる鳥お面に、それ? と視線を下げる。
「急ぎと聞いたので、制服に着替えていなくて……白は、目立ちますねやっぱり」
白のロングTシャツ。 彼が持つ雰囲気が、ただのロングTシャツを、清楚に見せていたが、今は、清楚とは掛け離れている。 シャツの下方に、点々と付着した赤い染みは、控えめに、けれど存在感を放っていた。白に赤、目立つ筈だ。 けど、私は、今、気が付いた。びくりと肩が強張ったが、目を、離せなかった。
「被害報告」
簡潔に放たれたのは、林さんの声だった。 静かな、水面(みなも)みたいな声なのに、一瞬、機械さえも、黙ったように、感じた。
「負傷者3、うち重体が1、死者0、家屋破損1、ターゲット殲滅」
「あと車1台おしゃかー」
背筋を伸ばしキチリと返す永岡さんに、隣で額を擦りながら、顔を歪めた戸上さんが付け足す。 負傷者、やっぱり、出たんだ。
「反省文、明朝見回り、俺の部屋掃除」
「ええー!」
「了解しました」
「…………眠い」
それぞれが、それぞれに返し。
「レベルC警報時まで待機。以上、解散」
後ろ姿の林さんは、1度も此方を振り返らなかった。
ぞろぞろとエレベーターに向かう3人と、彼の背中を見比べる。どうしよう、何か、言うべきと思うのに、林さんの背中に、声を掛けるのが躊躇われる。 自分の事ばかり考えて、自分の事だけ考えるのに精一杯で、でも吐き出された醜い言葉達は、誰かにぶつけるものでは、なかった。はっきり言えば、私は林さんに八つ当たりしただけだ。 だから、ごめんなさい、と言うべきなのに。
「彩ちゃんも行って。さあ」
背中を優しく押されて、1歩、歩き出す。
素直に口に出来ない、私は、ただの、臆病者だ。
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