25
彼女に初めて会った時。 彼女を初めて私に紹介する君は。
とりあえず、解ったのは、一連の出来事に狼狽えたのは、私だけだったという事。 何事もなかったように仕事をする周りの人達も、戸上さんら3人も、日常の一端としていた。 おかしいと思うのが、私だけ。 意味が解らない。意味が解らない此処の人達は。
そうこうする内、再び探索機が反応し、私はえらい目に合う。
「う、うう! いた、い!」
「我慢して彩ちゃん」
何の為に永岡さんが居るか。 それは移動時間の短縮でしかあり得ない。 つまり、探索機の反応と同時に、直ぐ様テレポートする。 イコール、私は耳鳴りと頭痛と吐き気に、耐えなければならかった。 博士の我慢しては他人事だから言える事で、つい恨みがましい視線を送るが、それも僅かで、直ぐに頭を抱えて歯を食いしばった。 全ての音が遠退く。もう博士の声も聞こえない。 痛い、鼓膜、破れる………!
「行くぞ」
それでも何故か。 永岡さんの声だけは、私に届いた。
瞬間移動、というのは、科学的に考えて、無理とされる。 難しい事は解らないが、物の情報は膨大で、その膨大な量の情報を、別の場所に転移させる事など、現状では不可能。 それをやってみせる彼は、私の世界なら、全世界の科学者が喉から手が出る程、欲しいに違いない。 それでも、私にとっては、どうでもいい事だ。どんなに凄い事も、世界を変える程の力も、私には関係ない。 だから、毎度これを喰らうのだけは、勘弁してくれ。
「っ、う………!」
込み上げた物を、口元を覆い無理矢理抑えたが、立っている事は出来ず、堪らずしゃがみ込んだ。 幾分和らいだ耳鳴りと、浅い呼吸を暫く繰り返していれば、何とか顔を上げられるまでになったが。
「うわー、めんどくさいタイプだね」
「日向か日和向きだな、こういうのは」
定まった視野は、まず、小さな石ころが沢山転がる、地面を映した。 顔を上げれば、殺風景な河原だと気が付いた。 次いで暢気な会話と、ガタンゴトンと音が聞こえ、目の前の地面と、3人の背中を、流れていく白い光を、見た。
片手を付いたまま、ぼんやりと眺めていれば、不意に真ん中の長身が振り向く。 あ。
「いつまでそうしているつもりだ」
鳥の、お面。 いつの間に、そう思ったところで、言われた言葉の意味を理解した。
「あ、はい、ええと」
未だ少し気だるい身体を起こし、キョロリと辺りを見回す。別に、特に変わった事などない、何処かの河原。私の直ぐ後ろに鉄橋があり、その向こうにも、前方にも、幾つか立橋や鉄橋が見える。河向こうの街並みの明かりや、橋の上を行き来する車の光。 普通の、景色。 ありふれた、景色。
そして、私は、物凄く重大な事に気が付いた。
私、何をどうしたら、いいんだ?
「………………………」
「…………おい?」
唖然とした。 苦痛に耐えて此処に来て、結果、何をしたらいいか解らない、なんて。
「ちょっと、早くして貰っていーかな? やばそうよ?」
「気付いたな」
「………おい高垣!」
「はい………」
唖然と河を見つめていた目を、お面を付けた永岡さんへ向ける。多分、顔は酷く情けないものだったろう。
「………どうした」
だから永岡さんは、聞いたんだと思う。他に他意はなく、単純に、変な顔した私に、いやお前どうしたよ、と。
「あの………どうしたらいいんでしょうか」
対して私は、情けない顔のまま、情けない言葉を吐き出した。 永岡さんの両脇が、振り返る。顔にはやはり、お面が付いていた。
「………次元の変化が、解るか?」
「わか、りません………」
「まじで?」
直ぐ様反応したのは戸上さんだった。柔らかいテノール。
「えー、どーすんの?」
「遅かった、のかも知れないな」
「これ以上早くは無理だぞ。千尋も解ってんだろ」
永岡さん、元に戻ってる………。 何やら3人で会話を始めた彼らを、途方にくれたまま見つめる。
「ああ、樹のせいじゃない。これは探索の時点で見直した方がいい」
「それ花ちゃんに言うの? 千尋言ってよね。おれはヤだよ絶対」
「西日本支部に、探索能力の優れた奴が居るらしいな」
「あー、うちに探索能力持ち居ないからねー」
西、日本、支部。 日本にも、もう1つ支部があるんだ。そう言えば林さんが、探索機について、関東地方に異変があれば、と言っていた。 つまり西日本側担当が存在する訳だ。
「協力要請……は、しても無駄だろうな。西日本支部長が、こっちに協力するとは思えん」
永岡さんの声は、平坦で、何となく、お面の下も、無表情なのではないかと思えた。
「だねえ………」
「あっ!?」
声を、上げたのは私だ。
会話から目を離せず、ずっと聞き入っていたが、視界に突然入ってきた物があった。 3人の向こう側から、黒い影が飛び出した。見上げて、そして、全身が強ばる。 赤い、瞳。 あれは――
「千尋」
「今、やる」
「っ、や、」
耳鳴りが再発する。 八草さんから、白い靄が立ち上る。
「も、無理………!」
痛いと思ったところで、八草さんが跳んだのを、見た。 ああ、最初に見たのと同じ。 どうやったら人があんなに高く跳べるのか。高く高く、黒い塊を軽々追い越していく。
「う、ひっ!?」
ふ、増えた………! 呆然とするうちに、八草さんを追うように、最初に飛び上がった物の両脇から、黒い塊が数個、飛び上がった。あれ、何だろう。 黒く、シルエットしか解らないが、羽のようなものが見える。なんと言うか、虫? みたいな………。 何にせよ、爛々と光る、赤い目だけははっきり見て取れた。あ、だめ、やばい、叫びそう………。
「っき、」
しかし、悲鳴を上げ、かけたところで、網膜に飛び込んで来る映像。 黒い塊が1つ、吹き飛んで。 それは隣の塊を巻き込み、私の左方向へ、物凄い轟音と共に煙を巻き上げて、落ちた。喉が、ヒクついた。
パラパラと、小石のようなものが身体に降ってきたが、口を開けっ放しにした私は、気にする余裕もない。 砂ぼこりが舞うそこと、八草さんを、交互に、見る。 八草さんは、先ほどまで黒い塊が居たそこで、取って代わるように、浮いている。滞空時間が長いとか、そういうんじゃなく、宙に、浮いている。
「今夜出来る事は無さそうだ。さっさと終わらせて帰るぞ」
「今日はもうCより上出なきゃいーなー」
訳が解らなかった。 そう言えば、八草さんの能力が何なのか、私聞いてない。一聞は一見にしかず、と言うが、目の当たりにした今でも、何の能力かなんて、解りようもなかった。 人が浮くって、人が浮くって何だ。混乱と頭痛で、目が回りそう。
「うあっ!」
頭を抱える。薄く開けた目は、永岡さんから、ユラリ、と立ち上る靄を映した。
「あ、あ、あ………!」
崩れるように膝を付いて、目を瞑る。脂汗が凄い。意識が、薄れていく。
「後何匹居る」
「そういうの解るのが、探索能力って言うんでしょ。今居ないって言ったばっかじゃん」
これが、私に聞こえた最後の会話。 瞼の裏がチカチカして、飛行場のど真ん中に連れ去られたかのように、甲高い音以外聞こえない。飛行機が、着陸する。私の目の前で、他の全ての音を掻き消して。
真っ白に、弾けた。
――………ぁーん!
セミの声。地面をジリジリと焼く日射し。こめかみを流れる汗。
――……さあーん!
誰かが、泣いていた。
――……おかあさあーん!
「高垣!」 「っ!?」
ヒュッ、と、吸い込んだ息が鳴った。ドンドンと、心臓が胸を叩く。 ぼんやり、人影が見えた。
「あ…………?」
目を、細める。 鳥………?
「おい、しっかりしろ」
数度、瞬いた。 漸く、鳥をモチーフにした、変わったお面をはっきり捉える。穴の奥に、黒い瞳が見えた。 ゴウン、ゴウン、とガタン、ガタン、同時になる大きな音も、耳に届いた。
手を、伸ばす。
「お、っ、」
指先で、そっと触れる。 つつ、と輪郭に沿うように、指を滑らせると、ツルリとした感触が、伝わる。ひんやりとしていて、滑らかで。
嗚呼、やっぱり。
……………やっぱり?
「なん、っ、やめろ、触るな」
グイ、と腕ではね除けられた。 今のは、なに? やっぱり、って、なに? 私、前にも――
「いっ!?」
突然、後ろに倒れ込んだ。河原の石に、後頭部をぶつけた。
「い、つつ………」
頭を僅かに上げ、手で押さえながら、何すんだ、と見上げる。そこで、はた、と気が付いた。 あ、あ、そう、か。今まで、永岡さんに支えて貰っていた、のか。だから、彼が腕を引き離れたところで、後ろに倒れたのだ。首の後ろを通り、肩に添えられていた手、に、今更気が付いた。
「………早く立て」
気が付いてしまったら、何も言えなくなって、ただ、見つめてしまった。永岡さんは、私に言葉を落とした後、すぐに顔を上げて背けてしまったけれど、その横顔を、見つめていた。 悪い人では、ないのだろうな。ぼんやり、思いながら。
「いっちゃあん!」
「煩い! 逃げたなら追いかけろ馬鹿飛鳥!」
「ええっ! 無茶言わないでよ!」
お面に覆われていない、口元と、顎のラインを、見つめていた。
青白い光が、綺麗だと。
耳鳴りがしていない事に、気が付くのは、その少し後だった。
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