24
君の事。君と私の事。
解っていたつもりだったのに。
解ってくれていると、思っていたのに。
第1印象と大分かけ離れた彼に、困惑は持続している。その彼は、更なる衝撃的事実を告げた。
「僕の能力は、テレポートなんです」
狼狽えた。 隠せる事なく、顔に、態度に諸に出た。 テレポート、出来る。 この人、今、テレポート出来るって言った。
「えっ、えっ………ええ!?」
解りやすく顔を驚愕に染めて思わず叫べば、永岡樹は苦笑した。
「驚かせたみたいですね」
「なあんで今更驚くのかねー。俺のだって、虎のだって見たでしょーよ」
ほわほわとした平和な笑顔で、永岡樹の隣に、戸上飛鳥が立った。 私の頭に、更に混乱を招いて。
「え、俺って、結島さんのは、確かに、え、え、戸上さんの?」
駄目だ、完全に頭がこんがらがっている。自分が何を言っているのかも解らない。
「あれ、気が付いてなかったの? 目の前でお披露目したのにー」
「目の…………」
前。
青白い仄かな光、は、能力発動の標。 1番初めに見たのは――
「とが、みさん………」
「はあい?」
戸上飛鳥が首を傾けると、頭の苺付きちょんまげも揺れる。 それを口を半開きにしたまま眺め、混乱を通り越した頭は停止していて、私は殆ど無意識に、ぽとりと言葉を落とした。
「て、何の能力なんですか?」
言ってから、何だそれ、と自分でも思った。きょとんとした戸上さんのまん丸の瞳を見たら、益々情けなくなった。 他に、言うべき事がいくらでもあるだろうに、本当に何を言っているんだ私は。
「え、そっから?」
「おい……………お前ら、どういう事だ」
戸上さんが意外だという表情をしたその後ろで、林さんが眉を潜めた。 低い、初めて聞いたかもしれない、低く唸るような林さんの声。 びくりと肩が震えたのは、私だけではなかった。
「え?」
戸上さんは直ぐ様振り返って、林さんを見た瞬間、ぎくりと肩を揺らせた。 永岡さんは、振り返らず、私と同じタイミングで肩を震わせたが、その後一瞬、しまった、という顔をした。 本当に一瞬で、直後背筋を伸ばして、身体ごと林さんに振り返ったから、その苦い顔はすぐ見えなくなったけれど。
「俺は、お前らに、昼間、なんて言った」
「え、と…………」
背中からでも、戸上さんの怯えが伝わってくる。 それもその筈。 林さんが、超、怖い。 仕事着なのか、昨日と似たような黒いスーツに、後ろへと撫で付けた黒髪と、鋭い眼光。これは、はちときゅうとさんで表してもいい、と思う。
「挨拶を済ませろと、そう、言った俺が間違ってたのか?」
林さんから放たれる、ピリピリとした圧力が半端じゃない。決して大きくない声なのに、腕を組む彼の低い声は、この部屋中の空気を凍りつかせた。 戸上さんと永岡さん処か、私を含め、この部屋にいる全ての人達が、息を飲んだ。 今更ながら思う。この人、物凄い怖い。
「1から10まで言わねば解らないか?」
林さんの後ろに、般若を見た。
「何の為に、彼女の所に行かせたと思っている!」
「申し訳ございません!」 「うわあん! ごめんなさい!」 「ひぃっ、すいません!」
必要以上に声が張った。
「…………………ん?」
そう、林さんの迫力ある怒声に、謝罪したのは3つの声。つまり、私まで謝った。 反射的に出た声だった。
ゆっくり、林さんの瞳が私に定まる。永岡さんが吃驚した顔で振り返っていた。 戸上さんは、首を竦めたまま固まっているから、多分、気が付いていない。多分、いっぱいいっぱい。私がそうなのと同じように。
「あ、いやっ、思わず、えと、その、なな何でもないです」
慌て取り繕う声は、平時のそれと違い早送りのように口から出て行く。 厳しかった林さんの顔が、不意を突かれたようにパチリと瞬いた。 恥ずかしいのと情けないのとで、耳が熱くなる。思わず謝るって、どういう理屈だ。
「…………まあ、いい。飛鳥、彼女にきちんと説明しろ」
ため息を吐かれた。 が、彼の周りの空気が、幾分和らいでいる。 へ? と顔を上げた戸上さんに、ギロリと鋭い視線を向けたがしかし、さっきの見る者全て巻き込むような大きな怒りはなかった。
林さんは、怒らせてはいけない人だ。絶対に。
「あっ、えと、俺の能力は、透視に分類されるんだけど、ある一定の距離までは、離れた場所の映像が見えんの」
「僕はさっき言った通り、瞬間移動が能力です。飛鳥のは、千里眼といいます」
そうですか、とすんなり受け入れられるような事ではなかった。 だが、そうですか、と頷くしかなかった。 瞬間移動とか千里眼とか、現実味が全くなくても、全然理解出来ていなくても、コクコクと首を振るしかなかった。 だって、林さんが怖い。 それが私に向けられたものではないにしても、めっちゃ怖い。それは超能力と言う突飛なものより、よほど現実感がある。この空気が消えるならもう何でもいい。何でもいいから睨まないでめっちゃ怖い。
「こ、公園を見たんですね。あの時」
「そうそう! あ、因みにコンビニまでわざわざ行ったのは、見ただけじゃ解んなそうだったから!」
「はあ………」
視線が怖いので、林さんの方を見ずに、適当に会話を繋げる。 戸上さんが笑顔を取り戻し、朗らかに話すのを小さく頷きながら、瞳を伏せ、あの夜の事を思い返していた。
「てかさー、思ったんだけどさー、彩ちゃんてリアクション薄いよねー」
「え………」
そしてそんな時に、不意に言われた。 思わず戸上さんに顔を向けてしまった。 私の視線に、戸上さんが首を傾けるのを見て、はっとする。
「あ、す、すみません」
「何で謝るの?」
ああ、いけない、つい。
「いえ、よく、言われるもので」
「やっぱりー?」
きゃらきゃらと笑う、戸上さんの声が鼻に付く。いけないと思っても、胸にもやりとした物が広がって。
あなたに私の、何が解るの。
眉を寄せてしまったのを見られたくなくて、俯いたまま片手で前髪を弄る『ふり』をした。
「………………………」
「いやでもさー、女の子は笑ってた方がいーよー? 彩ちゃん可愛いんだしさー」
余計なお世話だ、が喉まで出掛けた。踏みとどまったのは、ひとえに、自分の立場の危うさから。 自分でも可愛くないと思う。そんな風に、どこかで保身を考えて、だから、言われるんだ。 高垣さんて、
「――冷たい」
「っ!」
唐突だった。
私の心を見透かすように重なった、言葉が、ではない。 意味もなく前髪を触っていた手を、唐突に、掴まれたのだ。
「え、あ…………」
「手が、冷たい」
驚いて、最初に見えたグレーのカットソーの胸元から、順ぐりに視線を上げて行くと、眠そうな顔の、八草千尋と、目が合った。 無表情に見下ろす彼の手が、私の手を覆っている。 あれ、この人、さっきまで居なかった、よね?
「千尋、虎はどうした」
「パス、と言っていた」
パチパチと瞬きをしている内に、八草さんは私の手を離し、林さんの方へ顔を向けた。はっとして慌てて手を下げる。 冷たいと言われた手を、揉むように擦り合わせたが、互いに同じ温度の両の手は、私には冷たいかどうか、判断出来なかった。
「パス? 何を言ってんだあいつは」
「日向(ひなた)は?」
「日和(ひより)が例の発作だ」
俯いて、何処ともなく適当な床を見つめていた私は、両手を握ったまま顔を上げた。 結島さんの事を置いておいても、知らない名前が出たからだ。名前………だよね? それに、発作とは随分穏やかではない。
「またなの? ひよはアレさえなきゃ、7階上がれんのに」
「そうね、本当、アレさえなきゃ、もっと隅々調べられるのに………」
「花ちゃん、怖い………」
縁なし眼鏡に、探索機の光を反射させ、ボソリと述べた博士を見て、戸上さんがぶるりと震えた。 そこに林さんのシャキリとした声が挟まれる。
「日向はいい。レベルBでない限り、あいつは収集掛けていない。それより虎だ。
聞けば虎が1番、彼女と親しいそうじゃないか」
「はっ!?」
口から飛び出してから、慌てて口を押さえた。 何言ってんだという視線を林さんに向けたのは、私だけではなかったけれど、声を上げたのは、私だけ。 いの一番に反応してしまった私は、口を押さえようと今更で、一斉に集まった視線に、観念して再度口を開くしかなかった。嗚呼、もう、馬鹿………。
「あの、いや、私は別に、結島さんと特別親しいわけでは………」
「そうなのかい? でも花の話だと……」
「ちょっと、人のせいにするのやめてくれる? あたしは別に、虎と彩ちゃんが仲良いなんて言ってないわ」
僅かに首を傾げた林さんの方へ、白衣のポケットに手を突っ込んだままの博士が、ズイと1歩、踏み出した。丁度私の間隣に立つ彼女は、その勝気な瞳で、林さんを睨み付けている。
「だって、今のところ、虎が1番接触したと言っていたじゃないか」
「そうよ。その通り。2人の仲が良好だと言ったわけじゃないでしょ」
林さんと博士を、交互に見る。林さんの前、つまり林さんと博士の間にいた、戸上さんと八草さんは、そそくさとそこから距離を取った。 同じくそこに居た筈の永岡さんは、いつの間にやら、もう既に大分離れた場所に立っていた。素知らぬ顔で腕を組み、完全に自分関係ありませんって態度だ。 え、え、これは私も離れた方がいいの?
「そんなに怒るような事じゃないだろう?」
「あたしは、人のせいにする奴が1番、嫌いなのよ」
「ああ、知っている」
どうしたらいいのか考えながら、相変わらず2人の顔を交互に見ていたが、博士の台詞にドキリとした。
人のせいに、する。
「解ってんなら話は早いわ」
だって、仕方ないじゃない。 私のせいじゃない。私のせいじゃないんだもの。そうでしょ? 私は悪く――
「死にさらせ!」
「っひ!?」
ヒラリと舞う、白衣。 そこから伸びる、白い脚線美。 目を剥いて、見る。
「もー、直ぐに暴力に訴えるのは良くないよ、花」
林さんの脇腹辺りへ、博士の綺麗な脚が伸びていた。 ただ彼女の脚は、林さんの脇腹ではなく、そこに添えられた林さんの腕に、当たっていたけれど。 林さんの顔には、微笑が浮かんでいたけれど。
けっ…………た?
「フン、ムカつく男」
脚を下ろして、鼻を鳴らした博士は、もう興味が無いと言わんばかりに、パソコンの方へ踵を返した。 余りに早くてよく解らなかったが、今のは多分、博士が林さんに蹴りを入れたのだ。 理解するや否や、ええ! と知らず口から飛び出していた。
「そろそろ帰って来るわね」
モニターを前に呟く博士を、呆然と眺めた。
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