23


兄弟のように育ってきたから、君が何を考えているのか、私は全て解ったつもりでいた。

それはあくまで、『つもり』だっただけに過ぎない。















「彩ちゃん」

「っふはぁい!」


折角解けかけた緊張が、冷や汗と共に張り巡らされようとしていた時に、名前を呼ばれて、裏返った奇妙な声、所謂すっとんきょうな声が出た。
ピンと背筋が勢い良く伸びたせいで、飛び上がったように見えたかもしれない。
プッと吹き出すような音を立てた後に、大きな笑い声を聞けば、嫌が応でも顔に熱が集中した。


「こら飛鳥、そんなに笑うもんじゃない」

「だってこの子ビビり過ぎ! あはははは!」


穴に潜りたい気持ちでソロリと顔を横に向ければ、眉を下げた林さんの姿が目に入った。
その横で、大いに爆笑している戸上さんも。

だが、私の羞恥は直ぐに何処かに吹き飛んだ。
何故なら――


「そうだよ。笑ったら失礼だよ飛鳥。緊張しているんだよ。ね? 高垣さん」


この優しい台詞を、誰が彼から聞けると思おう。思わず耳を疑う程、意外な人物から飛び出たそれ。
しかも、見た事がないような笑顔付きで。


「え………?」


ぎょっとして彼を凝視する私に、戸上さんの隣に立っていた彼が、もう1度にこりと笑った。


「そんなに構えないで下さい。危険なわけじゃありませんから」

「樹、ご苦労さま」

「いえ、僕も心配でしたから」


唖然、呆然。
この人は誰だ。


「だがやはり、此方は待っていられなくてね。A棟3(スリー)に行って貰った」

「そうですか。ですが今夜はまだ1度目の出現ですから、高垣さんにはこのまま待機して頂いたらどうでしょう」


常に微笑を浮かべているその人。恐ろしく愛想があり、物腰は豆腐の如く柔らかなその人。


「うん、その方がいいだろう」

「ですが支部長、高垣さんは女性ですから、あまり遅くまで拘束するのは酷なのでは」


黒縁眼鏡と清潔感溢れる黒い短髪が付属されたとあらば、優等生の代表と言ってもいいような、この人は。

一体。


「午前様にならないよう、解放して差し上げて下さい」

「解った。彩ちゃんもそれでいいかな?」

「……………え?」


一体全体、何がどうなったのか。すっかり混乱した私は、呆けたように、林さんに向かって間抜けな声を出す位しか、出来なかった。
おいおい、と林さんが苦笑していても、同視界で永岡さんが「少しづつ慣れていきましょう」と私に微笑み掛けて来るのが、どうにもこうにも現実だとは思えない。
いやもうほんとに。狐につままれた心持ちなのだ。


「花も待ってるから、ほら、おいで」

「え、あ……………」


私を待っていたらいつまで掛かるか解らないと言うように、林さんは私の横に並んで、背中を優しく押して促した。
漸く動く事が出来た私は、それでも、信じられない物を見るように永岡さんを見やった。
にまにましている戸上さんはさっきまでと変わらない。にっこり、としている永岡さんは明らかに豹変している。

頭が混乱しそうになった時、すれ違いざま。


「……余計な事を言ったら殺す」


ボソッと呟かれた。

目を剥いて彼を見る。

綺麗な笑顔で首を傾げた、永岡樹の黒髪が、サラリと揺れるのが、林さんに押され歩く私の視界から流れていった。

に、じゅう人格………。


「………………………」

「花」

「んー? あ、彩ちゃん、やあっと来たー」

「え? あ、博士………」

「………どしたのぼーっとして」


白衣のポケットに手を突っ込んだままの博士が、首を傾けるのを見て、放心状態からやっと抜け出た私は、それでも反射的に笑顔を作ろうとした。
あくまで、作ろうとした、だけ。


「い、え………驚いて、いて」


何に、とは言えず。
ぎこちない、笑顔とも言えないような不自然につり上げた口角で、それだけ言うのがやっとだった。
博士は明らかにおかしい私の様子と言葉に、何か勝手に自己解釈したのか、ああ、と納得したような声を上げた。


「物々しいからね、此処は」


どうやら、私が動揺しているのは場所のせいだと結論づけたらしい。間違ってはいないが――勿論この近代的で物々しい雰囲気にも戸惑っている――私にとって見たこともないような機械に囲まれている事よりも、永岡樹の豹変ぶりの方が衝撃的だった。

そう言えば…………、

そう言えば、博士の研究室に入って来た彼は、いやに丁寧に頭を下げていた気がする。顔は無表情に近かったが、彼が誰かと話すのを見るより先に、私は部屋を飛び出してしまった。
その後、あの冷たいともとれる態度をとった時、誰かにそれを聞かれている様子もなく………そうだ、私は壁に寄り添うように、あの広い研究部の隅にいた。ガラス張りの部屋が並ぶ中で、より人目に付きにくい隅に寄って、横を通り過ぎる人の邪魔にならないように。あの時、忙しく行き交う人々を、永岡樹は背にしていた。
誰にも、表情は見られていないだろう。静かで平淡な声も、おそらく誰にも聞こえていなかった筈だ。


「まあ此処には追々、慣れたらいいわ。探査に引っ掛かったから、彩ちゃんを、と思ったんだけど………もう出動させちゃったのよ」

「あ、す、すみません。私ちょっと出掛けてて」


申し訳なさそうに眉を下げた博士に、慌てて回想を打ち切る。頭を浅く下げると、隣から驚いたような声が上がった。


「出掛けてたのかい? へえ、何だ、意外と………」


意外と、何だ。
隣を見上げると、顎に手を当てた林さんが、品定めするように私をじっと見つめていた。
あまり、いい気分はしなかった。

けれど、私は瞳を伏せて前に向き直った。何かを言う気には、なれなかった。

今も、断続的に鳴る機械音。ざわざわと騒がしい、バタバタと往復する、同じ服を着た人々。
永岡樹の人当たりの良い笑顔。
コンビニで吐かれた物騒な台詞。
何があっても終始にこやかな戸上飛鳥。
夜の地下を覆ったサイレン。

私には、知らない事ばかり。
無知なまま。


私は1人で、出掛けた。


なんて、馬鹿なのか。


「すみませんでした」


此処では、誰も私を守ってはくれない。
自分の身は、自分で守るしかないのだ。
その事を、私は常に念頭に置いて行動すべきだ。何も考えずに行動するのだけは、してはいけない。
しては、いけない。


「ああ、いいんだよ。好きにしてくれて」

「………………………」


ぶるり、と身体が震えた。

よく、解らない。
何故かはよく解らない。

隣で気遣うような声を出す林さんの言葉を聞きながら。


「習うより慣れろと言うしね」


無償に怖いと思った。

何が、かは解らないが。
何か、今までのように、他者から、周りから与えられる恐怖とはまた違う、心の内に広がる恐怖。
不安、と少し似ている。
私が私でなくなるような、そんな、漠然とした恐怖。


「まあでも、普通に考えて、女の子の1人夜道は危ないよ? 地上でも、女の子は愚か一般市民なら誰でも、夜は滅多に出歩かないもんだ」


それでも、危機感の足りない奴らは居るけどねえ、と背後から戸上さんの声が付け加え、林さんが苦笑を漏らした。


「此処に化け物の驚異は及ばないけど、気をつけるに越した事はないから。ね?」


はい、と小さく頷く。

怖い。

けれど、何が怖いかも解らないようなものに、絡め取られてはいられない。
帰ればいい。
帰れば、この正体不明の恐怖だって、消える。何だったのか思う暇なく、忘れてしまえる。

帰るんだ。

帰る為に、出来る事はしなければ。


「あの、聞いても………?」


意識してお腹に力を込めた。
声が、震えそうだった。


「うん? 何だい?」


聡明そうな切れ長の瞳が、優しく細められる。

きっと林さんは、考えなしでした私の行動を、
意外に、行動力がある、
とでも思ったに違いない。

それは褒め言葉ではなく、蔑む意味で。


「探査機、は、これ? ですか?」


丁度博士の隣にある、透明な半球体のケース。中には、緑色に光る丸い平面モニターがあった。何か、白や赤にピコンピコンと光っているのが、少し離れた位置からも見て取れた。


「そうだよ。関東地方で異変があれば、そこを映す」


林さんが答えると、博士がチョイチョイと手招きし、示されるままに彼女に近付く。

探査機の前に座る、女の人の脇から、覗き込むようにして見る。
モニターの中心で交差する黒い線と、それより右上で並び点滅する赤い点と黒い点。
これだけ見ても、さっぱり解らなかった。
そのせいで眉間に皺を寄せたが、博士が解っているというように説明してくれる。


「赤がアンノウン、黒がハンター」

「これだけで、場所が解るんですか?」

「ううん、細かい情報は、連動してこっちのコンピューターが吐き出すの。更に連動して、正面モニターに細かい地図と位置が表示されるのよ」


探査機の横には、パソコンが並んでいる。そこにも人が座っていて、画面に写し出される文字の羅列を、目で追っているようだった。
部屋内で特に存在感を放つ巨大な液晶は、外側の壁にズラリと絶え間なく続き、此処からでは伺えない裏側までありそうだ。
私の正面には博士の説明通り、地図がモニターに写し出されている。街の一角を切り取ったそこに、探査機と同じような赤い点と黒い点が並んでいるが、黒い点は3つある。
探査機と同じなら、ハンターは黒い点。3人居ると考えていいのだろうか。
後は、何だろう。青い点が1つある。


「青は軍用ヘリよ」

「あ、ヘリで移動するんですか」


なるほど、と1人納得する。


「テレポート能力は希少なの。大した事ないアンノウンに割ける程、人出はないわ」

「テッ、テレポートとか出来る人が居るんですか!?」


かなり驚いた、もう本当にかなり驚いて声を上ずらせて聞き返してしまったワケだが、博士はきょとんとした顔を私に向けた。
え、何、何で不思議そうな顔をするの。
え? といったような戸惑いが、博士と私の間に落ちる。


「彼女は、見る前に気を失ってしまったんですよ」


お互いに戸惑うそこに、投げられたのは優しい音色。
博士と同時に振り返る。

そこにはやはり、紳士的な笑みを浮かべる永岡樹が居た。


「ああ、そうなの」


博士は納得したようだが、私は未だに理解出来ない。
相変わらず穏やかな空気を醸す彼も、理解、出来そうにない。


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