17


いつか忘れる、その日まで。















研究室へ入って、奥のデスクの前に立っていた博士は、解り易く不機嫌さを醸し出していた。
ギョッとした私を余所に、電話中だった博士は通話を終えるなり叩きつけるように受話器を置く。
デスクのペン立てが倒れたが、意に返さずに「クソじじいが!」と随分な荒れようだ。

私はすっかり縮み上がり、彼女の変貌ぶりにオロオロするばかり。
隣の空さんを見上げるも、彼は全く動じておらず、やれやれ、といった風に肩を竦めている。


「姉さん、彩ちゃんが怖がっているよ」

「煩い愚弟。さっさと林ん所に行け。仕事しろ」

「…………………」


う、うわ………空さんの顔が引きつっている。

しかしソファにどかりと座り、此方を見向きもせずに犬猫を追い払うようにシッシと手を振った博士に、諦めたようにため息を吐くと、空さんは退室していった。

取り残された私は心細くて適わないが、社交辞令も兼ねてそっと声を掛ける事にする。


「あの、何かあったんですか?」

「んー、ちょっとね………ハァー、あ、おはよ」

「お、お早うございます」


声に元気が無い。
疲れているのだろうか。


「あー、むしゃくしゃするわ………よし! 買い物行こうか!」

「え?」

「買い物よ、買い物! 今日はもう仕事しない!」

「えっ、いいんですか?」


白衣を脱ぎ、ソファから立ち上がった博士は「いいのいいの」と、笑顔を見せて、ドアへと向かった。
仕事しないのがいい訳ないが、博士の機嫌は上を向き始めているので、要らない事は言わない方がいいかもしれない。

博士の後を着いて行くが、研究員と思われるすれ違う人々が、吃驚して声を上げる。
そして、慌てて口をつぐむ。

ああ、ほらまた。


「博士? あれ何処に行、っ! ……………」


皆、一様に、怯えているような顔をし、目を逸らす。
すれ違った後、そっと振り向けばこれまた皆同じ反応をしている。
疲れたようにため息を吐いているのだ。

これは、どう捉えたらいいのだろう。
多分博士は研究部の偉い人だ。
もしかしたら此処を統括しているのは彼女かもしれない。
その上司が、仕事をしないと断言して研究部を出て行く。

……………あり得ない事な気がするのは、私だけじゃない筈だ。
きっと部下の人達もそう思っているだろうが、先程から見ている限り、誰も突っ込めない上に、多分、おそらく、これは頻繁に起こり、もう、諦めているのではなかろうか。

そうなら、皆の反応に合点がいくが………博士も、変わった人だと認める事にもなる。


「……………変わった人、か」


誰にも拾えない呟きは、ため息と共にぽとんと落ちて消えた。
博士は1番最初に研究部へ来た時の扉の前で足を止め、何やら機械をいじっている。

此処に来て、変だな、と思える人々を見て、もしそれが普通なら、変なのは私という事になる。
それって、凄く、凄く、嫌かもしれない。


「今日は、上で思う存分買うわよー!」


博士の機嫌は良くなる一方。
ロッカー室を出て、高いヒールを軽快に鳴らして歩く。
なんだか私の元気が無くなっていくのは、彼女に吸い取られているからなんじゃないかと思わず思ってしまう位、私と博士の空気が反比例していた。


「あの、博士、私聞きたい事が………」


そう、そうなのだ。
ついつい流されて此処まで来てしまったが、今はウキウキ買い物している場合じゃない。
私は一刻も早く、帰る方法を見つけたいのだ。


「なぁにー?」


う………ま、眩しい笑顔。


「え、ええと、そのー、あっ! 資料! 資料読みました!」

「ああ、あれ。聞きたい事山程出来たでしょー?」

「えっ、あ、はい」


髪止めを外し、栗色の髪を梳きながら、にっこりと博士は笑顔を向けてきた。
予め解っていたような彼女に数度瞬く。


「大体端折り過ぎだっつの。この世界の人間ならまだしも、知識ゼロの彩ちゃんじゃ何がなんだか解んなかったでしょー?」

「は、はい。そうなんです」

「いきなり歴史語られてもね。まあ何でも聞いてよ。その方があたしも説明し易いから」


長い廊下を歩きながら、博士の言葉に甘えて、質問を投げ掛ける。


「あの、アンノウンはどうして人間を襲うんですか?」

「わぉ、いきなりヘビーね」

「え………」

「早い話が、アンノウンにとって人間は捕食対象だからよ」

「ほしょ、く………?」


確かに、ヘビーだ。
ヘビー過ぎる内容だった。

余りの衝撃で言葉が出ない。
足も、ピタリと止まる。


「………勿論他の哺乳類も食べるみたいだけど、奴らは人間を好むわ」


寒気がする。

知ったら知った分、薄れるかと思った恐怖。
でも今は恐怖は増した。


「だから、アンノウンと人間は絶対に相容れないの………彩ちゃん、怖くても貴女はきちんと知らなくちゃ、自己防衛もままならないわ」

「う…………はい」


すっかり怖じ気づいた心に、博士の言葉と共に喝を入れる。
そうだ、こんなに怖いからこそ、知る事が大事なのだ。
敵を知る、それが防衛手段を導き出す。

だから私、しっかりしろ。


「対抗出来る、のは、ハンターだけ、なんですよね?」

「そうね」


身体は正直で、足は動かないし、声も震えたけれど。


「では、ではどうして、ハンターは『疎まれる』んですか?」


背中をさする優しい手に、励まされた。


「それは………『異質』は何処の世界でも、いつの時代でも、疎まれるものなのよ」

「異質、だから?」


1度、博士の手が止まった。
だが、すぐ動きを再開した博士。
見れば彼女の横顔は暗く、もの悲しく瞳を伏せていた。
憂い、とはこういう表情を言うのかもしれない。
見ている側まで悲しくなるような顔なのに、見惚れる程美しい。


「自分より秀でた人間を、羨んだり、同時に怖いと思ったり。同じ人だとは思いたくなかったんでしょうね」


私の世界では、同じような事にならないとは、言えなかった。
もし本当に身近に、超能力を使える人間が居たとしたら、私はどう見るだろう。
きっと、奇異の眼差しと、畏怖の念を、相手に向けるのではないか。


「要は、アンノウンもハンターも化け物だって、世の中は判断したのよ」


向けられた相手が、どう思うかも知らずに。


「………此処は彼らの最後の砦」


彼らが『異質』なら、世界でたった1人の異世界人の私は、何なんだろう。
彼らが『化け物』なら、私は何?


「あたしは此処を護りたい………あの子達が安心して過ごせる此処を」


得体の知れない『何か』
私はこの世界で異端にも弾かれた『何か』に分類される。
同じ人間なのに、と綺麗事の上等文句は、現実の壁に砕け散った。


「なーんて、暗くなっちゃったわね」


小さく首を左右に振って。

それしか、出来なかった。


「そんな訳でハンターってのは問題児が多いんだけど、皆実はいい子だから!」


明るく努める博士に、罪悪感が募っていく。

違う、違うんだ。

私はハンターが差別されて可哀想だとか、そんな風に思って俯いた訳じゃない。
ハンターだって、私に比べたらマシじゃないか。
だって1人じゃない。
独りじゃないんだから。

そんな風にひねくれた考え方をした私は、博士に慰めて貰う価値もない。
どうしようもなく器の小さい人間だ。


「はか、せ………」

「うん?」


ハンターである彼らを、彼らの居場所を、護りたいと、言ってくれる人が居て。

羨ましかった。


「携帯、なんですけど」

「あ、彩ちゃんの携帯も用意しなくちゃね。此処、普通の携帯使えないのよ」


贅沢だと、思ったんだ。


「いえ、そうじゃなくて」

「うん?」


グレーの床を見つめながら、両手で掴んだ鞄の取っ手を、握り締めた。


「アンノウン遭遇時、着信があったんです」

「……………え?」


いい加減、グジグジ悩むのを止めたいけど、上手くいかない。


「まさか、そんな筈は………」


前向きになれる要素だってあると解ってる。
此処に連れて来られた事は私にとって幸いだったと解ってる。
住む所を与えて貰って、帰るのに協力までしてくれる。

それは幸運だと、解ってはいるんだ。


「つまりあの場所の次元が混ざっていた………?」


博士の呟きを耳が拾う。
目を閉じて、細く息を吐いた。
眉間に皺が寄っていたが、目を開ければ自然と解消され、私は隣へと顔を向けた。

博士ははっとしたように前を見つめていて、また呟きを漏らす。


「あの時、次元が不安定だった………偶然繋がって、2つの世界が混濁した?」


博士が言っている事は理解出来ないが、彼女が今思考をフル回転させている事は解る。
私は黙って彼女の答えを待った。


「なら現れた瞬間を狙えばまた……………彩ちゃん!」

「きゃっ!?」


突然呼ばれると同時に顔を向けられて、肩が跳ねる。


「買い物は中止よ! 後で誰かに使いに行かせるから欲しい物はメモでもしといて」

「えっ、あっ、はい!」


方向転換し、早足で歩く彼女を慌てて追い掛ける。


「探知に引っ掛かってからじゃ遅いかもしれないけど、樹なら間に合う可能性だってあるわ」

「え? え?」

「彩ちゃんのおかげで、アンノウンが何処から来るか、解るかもしれない!」

「は? え?」


着いて行くのがやっとで、考えるまでに及ばない。
博士は興奮しているようなので、私に話しているのかも怪しいところだ。


「この天才笠沖花から逃げられると思うなよアンノウン! 覚悟しな! あっははー!」

「は、博士?」


研究部へと舞い戻って来たその間、終始戸惑っていた。
今朝から、私は自称天才だと言うこの、笠沖花という人の、新たな一面どころか、三面も四面も知ってしまった。

何もしていないのに、無性に疲れた気がするのは、気のせいだろうか。


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