16


諦めたんだ。

新しい恋を。



















見慣れた液晶画面。
電池は残り1つで、電波は圏外。
それよりも何よりも私の目を引いたのは、不在着信を知らせるマークだった。

そうだ、昨夜あの時、携帯が鳴ったんだ。

ドキンドキン、と大きな鼓動のまま、指を操作し着信履歴を開く。

10/2 23:45 不在
『山野辺 みおり』


「っ、」


知った名前に心臓がキュウ、と締め付けられる。
鼻の奥がツンとして、急いで着信から折り返し機能で、通話ボタンを押した。
しかし、直ぐに鳴る、圏外を知らせる短い電子音。

無駄だと解っていて尚、携帯を振ってみたりして。


「電波………」


ベランダに出る事までした。

それでも、一瞬たりとも、圏外の表示が消える事はなかった。

まだ、解らない。

まだ解らないじゃない。


「空さんを待たせる訳にいかない………」


呟いて私は、化粧ポーチ以外の物をまた鞄にしまった。
カードキーも忘れずに入れ、急いで部屋を出る。

圏外なのは、此処が地下だからなのか、それとも別次元で使えないのか、
早急にそれを知りたかった。

少なくとも、アンノウンを目の前にしたあの瞬間は、
携帯は繋がっていた。

もしかしたら。


「地下、だし」


もしかしたら、繋がるかもしれない。

それは例え電話だとしても、私の世界に繋がるかもしれないのだ。


玄関フロアーで、空さんはカウンターの女性と話していたが、私に気付くとにっこり笑って手を上げた。そこにおずおずと声を掛ける。


「すいません、あの、お待たせしました」

「随分早かったね。慌てなくていいって言ったのに」


クスリと小さく笑った空さんの手が私へと伸びる。
え、と僅かに顎を引いた時、空さんの指は私の髪の末端を絡め取った。


「乾かしてきたら良かったのに。ドライヤー、あったでしょう?」

「え、い、いや気付かなか、」


笑いながら首を傾げる仕草は、私の目にはキラキラと眩しく見えた。顔が赤くなるのを感じながら言い掛け、途中でブンブンと左右に頭を振る。


「そのうち乾きますから」


空さんの顔を直視出来ずにそう言うと、滑るように髪から指が離れた。
ホッとして、「あの、研究部に行くんですよね」と伺うように空さんの顔を下から覗く。


「う、うん。そこに車つけてあるから行こうか。あ、鈴音ちゃんまたね」

「はーい。お気を付けて」

「失礼します」

「行ってらっしゃいませ」


空さんがフロントの女性に声を掛けたついでに、自分もペコリと頭を下げて挨拶する。
にこやかに送り出してくれた彼女に、やはりさっきのは気のせいだったと僅かに安堵した。

だが空さんの後を追って寮を出る際に視線を感じて、振り返ると、こちらをじっと見つめる彼女の姿が。
距離があって細かな表情は解らないが、何故かとても緊張した。

戸惑いがちに軽く会釈すると、頭を上げ切らないうちに彼女はフイ、と身体の向きを変えて奥へと行ってしまった。

あれ、こっち見てたと思ったのに………見てなかったのかな。


「彩ちゃん?」

「あ、はい。今行きます」


何か釈然としないまま、私は空さんの車へと乗り込んだ。

助手席から盗み見る端正な横顔は爽やかな朝に相応しい清廉さを醸し出している。

密室で2人きりという緊張せずにはいられない状況で、声を掛けるタイミングを掴めないでいると、空さんは不意に息を漏らして笑った。


「あ、ごめんごめん。でもさ、そんなにガチガチに緊張されると複雑で」


その笑いに私が散漫な動きで困惑を表したからか、空さんはにこやかに謝って、また優しく言葉を紡ぐ。


「す、すいません」

「いやまだ慣れないのは仕方ないよ。僕も余り話上手じゃないから、気を使わせちゃうね」

「いえ、そんな事は………」

「彩ちゃんていくつ?」

「じゅ、19です」


気を使わせているのは私だ。
元々人付き合いは苦手で、更に車内で2人きりの経験が、私にはたった1人を除いて、ない。

だが、空さんが話題を振ってくれた事で空気が和らぐ。


「へぇ、いいなぁ10代か。あ、因みに僕は26なんだけど……」

「えっ」


空さんは見た感じ、20越えたばかりのように若々しいし、とても26には見えない。
思わず声を上げたが、失礼かもと思い、慌てて謝罪した。


「す、すみません! もっとお若いかと思っていたもので!」


声がうわずってしまったが、軽快に笑って「マジでー? 嬉しいねー」と空気を和らげる空さんと、私の駄目っぷりが相殺される。


「今度から3歳位サバ読んじゃおうかな」


素直に喜んでいる様子の彼にホッとして、せっかく和んだチャンスを逃すまいと、意気込み、口を開いた。

「あ、あの!」

「ん?」


喉から手が出る程に欲しい答え。
先程とは違う緊張が広がる。


「け、携帯って、此処繋がりますか?」


たったこれだけなのに無駄に汗をかいた。


「携帯? 公共の電波なんかは使えないよ。此処は特別な携帯じゃないと駄目なんだ」

「そうなんですか」


光明が射した気がした。
声色に喜色が混じって、空さんの反応を待たずに続けざまに言葉を紡ぐ。


「じゃあ、普通の携帯は外に出たら使えるんですね」

「う、うん。その筈だけど……」


小さな可能性。
でも縋るものがあると無いとでは格段に違う。


「私の携帯、繋がるかな……」

「彩ちゃんの携帯?」

「あ、はい」


私の呟きを拾って、空さんが一瞥して聞いて来た。
がさごそと鞄を漁り、携帯を取り出す。ビーズのストラップが揺れた。


「ずっと圏外で………」

「あー……うん。えーと、あー」

「?」


滑らかに車を走らせながら、空さんは言葉を探しているようだ。
意味の無い音声をただ漏らし、狭い車内に浮かんでは消えて行く。
やがて、赤信号で停止すると、彼は一呼吸置いて私を見据えた。

空さんの思いの外、真剣な面持ちに、ざわり、と胸が騒ぐ。


「彩ちゃんの携帯は、繋がらない」

「……………え?」


意思と反して、何故か笑おうとした口元が引きつる。
受け止める事が出来なかった言葉の羅列を、ゆっくりと確かめるように頭の中で反復した。

つながらない。

それは、何処に居ようと?

繋がらない。

この世界では、一生?


「繋がらない………」


愕然と手の中の小さな文明の利器を見つめる。
この『圏外』が消える事は、
無い。


「………一応調べてみたけど、彩ちゃんの携帯は使えない」

「そんな………でも、だって」


じゃあ、なんであの時………?

戸惑い、ごちゃごちゃになった頭に、1つの疑問が顔を出した。
そうだ、と急いで携帯を開く。


「鳴って、あの時、携帯が鳴って」

「え?」

「みおり、みおりから電話が」


焦り震える手で着信履歴まで辿り着くと、液晶画面を見せるように携帯を彼に向けた。


「アンノウンを初めて見た時、鳴ったんです。さっき見たら不在着信が残ってて、だからもしかしたら………」


早口で迫るように空さんへ言葉の波をぶつけ、途中で詰まった。
空さんの、困った顔。
眉を下げ、静かに首を振る。


「彩ちゃんの携帯は使えない。これはきちんと調べた結果なんだ」

「ほ、本当に掛かって来たんです」

「着信はあるのは解るけど、君が此方側にまぎれた時間が解らない限り、それは証拠にならないよ」


またなの。
また、私の言葉は真実にならないの。


「それに、僕はそういった現象に詳しくないし、仮にその時に繋がっていたとしても、今は繋がらない。ごめんね、キツい言い方かもしれないけど………」

「……………解りました」


しおしおと萎んだ風船のように、すっかり勢いを無くした私は携帯を閉じた。

確かにあの時鳴ったのに、今繋がらないのでは、意味がない。


「あ、でも姉さんには話しておいてね。今の話」

「え………でも、繋がらないんじゃ」

「いや僕は今の現状を話しただけで、彩ちゃんの話を本当だと断言出来る材料が無いから、そう言っただけだよ。その、過度な期待は後々に影響するって言うか」


ああ、そうか。
空さんは私が後でショックを受けると思って、気を回してくれたんだ。
だって『繋がらない』と聞いた私の落胆ぶりは、まるでこの世の終わりみたいに酷かった。


「じゃあ、後で博士に話します」


確かに、期待なんかしたらした分だけ、裏切られた時に自分が傷付く。
今のように、そして『あの時』のように。

言われなくても、私は解っていた筈なのに、一々一喜一憂して、馬鹿みたい。

後で傷付くんだから、期待なんかするもんじゃない。
心に握り締めるよう据えておいたと思ったのに、痛みを忘れて、本当に馬鹿みたいだ。


「うん。そうして。さっきはああ言ったけど、虎に見て貰ったら時間なんて直ぐに証明出来るし」

「えっ! またアレをするんですか!?」


再び心に留め置きながら、携帯を鞄へと戻していた私は、弾かれたように顔を上げた。
沢山の不安の中でも、かなり厄介な問題が突き出されて、私に動揺が走る。


「え、あれって?」

「い、いや………あの、何とか、能力に頼らずに確かめたりとか、出来ないんでしょうか」


最初に感じた耳鳴りよりも、症状が酷くなっている。
頭は割れそうな程痛かったし、吐き気は催すし、能力発動現場にだけは遭遇したくない。


「あー、ごめん僕に言われても何とも……その辺は姉さんと話した方がいいよ。ね?」

「………はい」


それから研究部の、博士の研究室まで、空さんと他愛ない会話をした。

最初はぎこちなかったかもしれないが、空さんの上手な話の流れに、後半はスムーズに会話が出来ていたと思う。

実はとても暗い気分だったけれど、これ以上空さんに気を使わせるのは嫌だったから、無理矢理に不安を押し殺した。

きっと直ぐに戻れたりは、しないんだろう。
腹を括って、暫くは此処で過ごさなくてはならないと、言い聞かせる。

いつまで、とか、

考えるのは、怖くて。

見えない部分へ追いやった。

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