13


それで良かったのかもしれない。

君が私と全然違う子を選んだからこそ、私は儚い希望さえ持たずにすんだ。
















夢さえ見ずに、深く落ちた。泥のように眠るとはこの事だろう。

目を覚まして、見慣れない天井に絶望した。夢ならどんなに良かったか、ひしひしと感じるそれは昔の傷ごと私を突き刺す。
カーテンも閉めずに寝ていたせいで、朝の明るい日射しに起こされた私は暫くベッドから動けず、ぼんやりとその天井を眺めた。

どれくらいそうしていたかは知れないが、その天井に不意に影が横切った。

ギクリとした。

その影は鳥やなんかではなく、大きい物だったからだ。


「!?」


こういう時咄嗟に隠れるとか、大声を出すとか、そういった事が出来るのはきっとドラマの中だけだ。
素早く動けたのは最初の1度だけ。
上半身を僅かに起こし、窓に顔を向けて、
そして硬直した。


「ぁ………」


誰。

頭に浮かんだのはそれだけ。


「?」


窓の外、ベランダに歩き掛けたような格好で私を見る男は、不思議そうに首を傾けた。
それがやたらとゆっくりして見えた後、漸く私ははっと我に帰る。


「っ、や」


慌ててベッドから降り、寝室から飛び出す。
ベランダの男の視線が追って来るのが無性に怖くて、乱暴に扉を閉めた。


「ハ、ハ、どろぼ………」


もしくは変質者。

何故朝からこんな目に。


「どうし、どうしよう!」


若い男だった。朝日に透ける金髪がやらたと印象的で、後はイマイチ曖昧。
朝日に透けた部分が白くて、そう、丁度あんな風に。


「っひ!」


ドクドクと鳴る心臓を押さえ、扉を背にしていた私は、まるで磁石にでもなったかのようにその背中を扉に押し付けた。
リビングの窓の外に先ほどの男が現れ、コンコン、と硝子を拳で叩いている。

竦み上がって動けずに、冷静になれと頭の中で叫ぶ。

窓には鍵が掛かってる。
こいつは入っては来れない。
大丈夫、落ち着いて。


「っ、け、警察……いや電話、電話だ………ああ、電話あるのか知らない!」

「……ーい!」

「そうだ! 管理人さん!」


男は何かを言っているが私に気にする余裕はない。
昨日の穏やかな笑みの紳士を思い出して、部屋を出よう、そう思った。

が、リビングを横切る途中で私は足を止めた。

視界の隅に、捉えた人物。
それと、窓硝子に遮られても尚はっきり聞こえた声。

多分大声で叫んだのだろう。


「逃げんなコラァアア!」

と。


「っ! ……………唯島さん?」


ビクンと肩が跳ねたが、昨日嫌でも記憶に強く植え付けられたその人に、何故か酷く安堵した。

良かった。

そう思った。


唯島さんは男に飛び付き、彼を下敷きにして胸ぐらを掴んでいる。
何故唯島さんが私の部屋のベランダに居るのかは解らないが、怪しい男は彼に捕まった。

ずるずるとその場にへたり込み、いつの間にか止めてしまっていた息を吐いた。


「………大丈夫、もう、大丈夫だ」


異様な安心感。

どうすべきか計りかね、取り敢えずそろりと窓に近付く。
唯島さんに聞いた方がいいと思ったからだったのだが、この時私は失念していた。
気まずく唯島さんと別れた事を。

外に出る勇気は無く、硝子をノックする。
と、男を睨み付けていた唯島さんは顔を上げ、大きく目を見開いた。
口も惚けたように開けっ放しで、動かない。


どうしよう。
怖いけど、窓を開けてみようか。


唯島さんが押さえ込んでいるから大丈夫、と意を固め、窓の鍵を外して顔が通る程度開く。
そこから片側の肩だけを出すように覗き、声を掛けた。


「あの、大丈夫ですか?」

「…………なん、で」

「管理人さんを呼んで来ます?」

「……………」

「唯島さん?」


唯島さんは私を呆然と見やるだけで、会話が成り立たない。
と、その代わりだとでも言うように、彼の下から声が発せられた。


「とーらー! 重いー!」

「と、ら………? 知り合い?」


驚くべき事に男は唯島さんの名前を呼んだ。親しみやすさを感じる愛称で。

男がじたばたと抵抗してやっと、唯島さんは我に返ったようだ。


「な、なんでアンタがココにいんだ!?」

「えっ、あ………」


そうか、唯島さんは私がこの部屋を借りた事を知らないのか。
焦ったような唯島さんに、私も焦って説明しようと口を開く。


「あのっ、き、昨日から」

「ちょっと虎どいてったら!」


だが私の声を遮って、金髪の男が喚き、身を捩ってうつ伏せになると強引に唯島さんの下から抜け出た。

そのまま歩腹前進のような格好で私を見上げる。


「っ、」


私はちょっとだけ身を引き、身構えたが、男はへら、と愛想笑いを浮かべた。


「新しい住人?」


そこに悪意は無く、唯島さんの知り合いだとすれば危険はないかもしれないと、私は肩の力を抜いた。


「そう、です」

「はぁ!?」


私の肯定に声を上げたのは膝立ちのままの唯島さんだった。

ちょ、ちょっと怖いんですけどその顔………。


「あ、あの昨日からこの部屋をお借りしていて、」

「き、聞いてねーゾ!?」

「や、ですから今説明して」

「ねー、虎知り合いなのー?」

「ウソだろ! なんでよりによって隣なんだよ!?」

「ねー、虎ったらー。ねーねー」

「ちょ、ウルセェ飛鳥! 黙ってろ!」

「!!」


『アスカ』
それに私が目を見開き反応した事を彼らは気付いておらず、金髪の男は口を尖らせ「ちぇーなんだよ虎の癖に」などと何かを言っているが、
私の頭の中では結び付いた2人の人物に驚愕し、後退りした。

完全に顔を部屋の中へ戻すと、自分の手が震えているのが解る。

フラッシュバックする光景。

金の狐が私の前を塞いで。

『逃がさないよ』

そう言った。


「あ………あ、あ、」


テノールの声。

金の髪。


「おい!」

「ひっ、や、いやぁ!」

「お、おい!? ちょ、どうし」


来ないで来ないで来ないで


「どしたの大丈夫ー?」

「っ!! や、やだ………」


揺れる金髪が視界に映り、同時にもう1つの金髪が目に入る。
短い金の坊主頭。


「いやだぁっ、唯島さん!」

「っ!」


自分のとった行動は、後から考えても不可解だ。
何故私は唯島さんに飛び付いたんだろう。
何故彼なら大丈夫だと思ったんだろう。
何故私を助けてくれると思ったんだろう。


「ゆっ、唯島さ、唯島さん!」

「あ、と………大丈夫、だ」


そっと、触れている感触が微妙なぐらいそっと。
私の頭を行き来する手。

あの時と同じ、不器用な手。


「コイツはオレの仲間だから、怖くねーから」

「っ、う、狐、狐が」

「狐?」

「……………」

「この、人っ、狐のっ」

「……………」

「ア? 何、狐ってお面か?」


コクコクと唯島さんに顔を埋めたまま頷く。


「…………虎、この子昨日の子?」

「ァア? あー、そっか。お前らが見付けたんだっけか」

「うん」

「そのわりお前顔知らねーのな」

「暗かったしねー。おれ一々女の子の顔覚えてらんないしー」

「ケッ、よく言うぜ。毎日違う女連れてるヤツが」

「だから覚えてらんないんじゃーん」

「死ねバカ」

「ひどっ! 女の子引っ付けてる虎に言われたくなーい!」

「バッ! バカこれはコイツが急に!」

「虎にもついに春が来たかと思ったんだけどなー」

「ウルセェバカ! お、おいお前離れろよ!」

「う…………」


私は必死だった。
押し寄せた恐怖を消そうと必死だった。
彼らは勝手に会話し、その間ずっとそうしていたから、滲んで来た涙は止まり、唯島さんの服を強く握っていた手の震えも落ち着いて。

唯島さんが仲間だから怖くないと言ったそれを、信じてみてもいいんじゃないかと思った。
それに至った時、丁度唯島さんから離れろと言われたのだ。

だから私はそっと身体を離し、唯島さんを見上げた。

大丈夫なんだよね?

そう意味を込めて。


「………飛鳥は何もしねーよ」


ぶっきらぼうな言い方で、私を見下ろした後、視線を前に移す。
まだちょっと怖い。
唯島さんの服を離す時、それを感じながらも、不安が再びちらつくのを押さえ込んだ。

しっかりしなくちゃ。
私は自分で立たなくちゃ。


「………すいません。ちょっと取り乱してしまって」

「別いーケドよ」

「君能力者だったの?」

「え、あ、ち、違い、ます」


唯島さんは私を見ずに視線を逸らしたまま。
呑気なテノールに声を掛けられて緊張しながら答えると、唯島さんは私の隣から移動した。
つい目で追ってしまう私の顔は不安気だったかもしれない。
今出て行かれたら、私はこの『アスカ』と2人きりにされてしまう。
それだけは嫌だった。

でも、私の懸念を余所に唯島さんはソファーにどかりと座り、仏頂面で窓の外を眺めている。
出ていく気はなさそうだ。

それにホッとすると、また気さくささえ感じる声色が私に掛かる。


「能力者じゃないの? じゃあなんで此処に居るわけ?」

「そ、それは………」


口籠もる私を、彼は目を細めて見る。
口調は軽いものの、その目は明らかに私を怪しんでいた。


「記憶は戻ったのー?」

「記憶、は………無い、です」

「ふぅん? 保護されたって事?」


どうしたらいいんだろう。
博士は彼の名前も上げた。
だから彼には私の境遇を話してもいい筈だ。

でも、こんな疑いの眼差しを向けられて果たして、
彼が私の言う事を信じるだろうか………?


「保護……は保護だと思います。研究部に預かってもらう方向で」

「うわっ、研究部預り!? かっわいそー。記憶研究にでも使われんだろーなぁ」

「え………?」


可哀想? 誰が? 私が?


「飛鳥、勘違いすんな。コイツ記憶喪失じゃねーヨ」

「は? 違うの?」


予想外の反応に私が戸惑った時、気だるそうにソファーに座る唯島さんが口を挟んだ。


「最初からねぇんだヨ。コイツにこの世界の記憶なんて、最初からねぇ」

「……………何それ?」

「バーカ」

「うっわ腹立つ」

「迷い込んだんだろうな。コイツは違う世界に住んでた。昨日見たカラ間違いねぇぜ」

「う、うそ、まっじで!?」


私の口から説明するより遥かに、唯島さんが言った事で男は驚きながらもそれを事実と認められたようだ。
そうなると解って言ったのかは定かでは無いが、私が助かったのは否めない。

唯島さんを見ていた私は彼と目が合うと、浅く頭を下げた。
唯島さんはふい、と外方を向いてしまったが。


「そっか、疑ってごめんねー? おれ飛鳥、戸上飛鳥(トガミ アスカ)。よろしくねー」


咄嗟で回避出来なかった。
『アスカ』、戸上飛鳥は私の手を取ってぶんぶん振ると、屈託の無い笑みで笑う。
ごめんね、なんてちっとも悪びれる事無く、よろしく、なんてちっとも心のこもっていない声、否、声でさえないただの音で。

『戸上飛鳥』はそう言った。


私は独り。

独りきり。


人の作り出した太陽は、彼を眩しく照らしていた。



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