11


意地を張って、追い縋らなかった私を君は、可愛くない女だと思っただろうか。












慣れていないのか、たどたどしく頭を行き来する手に、涙が溢れる。
酷い事をした癖に。
あんなに嫌悪した目で私を見た癖に。
どうして貴方なの。

「っ、う……………」

張り詰めた気持ちを緩ませたのは1人の時間でも見知った誰かでも無く、不器用な手。

絶望に塗れた世界で、嫌いな相手に、縋りたくなった私を誰か嘲(あざけ)て欲しい。
そうしたら、きっとこの手を払う事が出来るから。

「オレは2度とアンタにゃ近付かねーカラ」

狡い。
そう頭に浮かんだ。
泣き崩れる前に滲んだ視界が捉えた貴方の顔は、傷ついたような顔をしていて。傷つけられたのは私の方であるはずなのに。

「ワルかったな………」

離れた手と、遠ざかる気配。私は動けなかった。

顔を上げた時、扉は音も無く閉まっていくところだった。ブラインドで閉ざされたガラスの壁からは、彼の姿を捉える事も出来ずに。

「あ…………」

その光景は、何故か鮮明に心に焼き付いた。私はソファーから立ち上がり、そして――

「お待たせ………どうしたの?」

戻って来た博士によって、結局そのまま立ちすくんでしまった。
でも、それで良かったのかもしれない。私はどうして彼を追おうとしたのか、追い掛けてどうしようというのか、解ってはいなかったから。

「虎が何かした?」

「な、何でもありません」

服の袖で涙を拭いて、ふるふると頭を振ると博士はまだ伺うような視線をしながらも、深く追及はして来なかった。

「じゃあ、移動するけど、彩ちゃん着替えとか、というか生活用品全て無いでしょう?」

「あ、はい」

「その辺の物を買いに行かなきゃならないんだけど、取り敢えず今日はあたしの服を貸すから」

「すいません。お手数かけます」

「いーのよ。それは全然いーの。ただ、彩ちゃんには寮の1室を使って貰うんだけど、そっちが問題でね」

「?」

何かの書類を手に、博士はため息を吐いてそこに視線を落とした。私は僅かに首を傾げながら黙って博士の言葉を待つ。
何か問題でもあるのだろうか。

「林が手配したからあたしにはどうする事も出来なくて……同じフロアに同性が居ないの」

「そう、ですか………えっと、それの何処が問題なんでしょう?」

普通にマンションで暮らしていても、隣が男性だったりするのは十分あり得る事だ。寮だとしても昨今にしては珍しい事ではあるが、別に同じ部屋で寝るわけでもなし、そんなに大問題ではないように思う。

「いや、うん。林なりに考えてんだと思うのよ? あたしもその方がいいかもー、とかちょっと思ったし」

「はぁ……?」

奥歯に物の詰まった言い方に私が訝しむような目線を送ると、博士は咳払いをし、眼鏡のフレームを上げ直した。

「あのね、隣は虎だから」

「はぁ…………えっ!?」

覚悟を決めたようにきっぱりと言い切った博士を呆然と見つめる。
今、なんて?
嘘でしょ?

「これ、林から」

口を開けっ放しの私に向かって1枚の紙が差し出される。相変わらず口を閉じられないままゆっくりと視線だけを落とすと、そこには綺麗な字でこう書かれていた。
『君には別世界から来た事を秘密にして貰います。アンノウンに襲われて1部の記憶欠如、という事にしなさい。
追伸:バレたら本当に記憶を無くす事になるかもしれないよ?
大変だろうけど頑張ってね☆
――林』

「……………」

「………彩ちゃん?」

「……………」

口の中がそろそろ乾いてきた。
それでもゆっくり瞬きをし、呼ばれて博士に視線を戻しても、口が閉じる事は無かった。開いた口が塞がらない、とは正にこの事だと思う。

「だ、大丈夫?」

「………なんですか、これ」

やっと紡ぎ出した言葉と言えば納得のいく何かを求めていて。

「えーと、彩ちゃんの事は機密扱いにするらしくて、それで事情を知っている人に傍に居てもらおうっていう………林の配慮?」

「配慮って」

手紙からは配慮の欠片も感じられない。
星を付けたふざけた文面には楽しんでいるのではないかとさえ思う。いや、確実に楽しんでいる。

「その辺の事情は彩ちゃんの顔を知ってる奴らには通達しておくらしいから、彼ら以外には内緒にしてね」

「顔を知ってる、彼ら?」

「うん。反対側の隣は飛鳥だし、千尋も樹も同じフロアだから」

「………狐の」

「狐? ああ、あのお面………趣味悪いと思わない?」

博士のその質問には曖昧に笑っておいた。
ともかく今日はゆっくり休んで。そう言った博士の後について部屋を出て、最初に乗ったエレベーターとは違う、向かい合わせに幾つも並んだしっかりした造りのエレベーターへと乗り込んだ。
何とか部屋を変えて貰えないかと頼んだけれど、博士は林さんに話してみるけど期待しない方がいいと、やんわり無理だと言っているようなものだった。
あんな別れ方をして、唯島さんと又顔を合わせるのはかなり気まずい。どんな顔して会えばいいっていうのか。

「これ、部屋の鍵」

広々としたエレベーター内で、博士はカードを私に差し出した。鍵と言うからにはカードキーなのだろう。
受け取って、今日は絶対部屋から出ないでおこうと思った。

「明日の朝、空が迎えに行くから」

「そら?」

「あら、会ってない? 林は駐車場で会ったと言っていたんだけど」

「駐車場? あ………」


あの女顔の………。

「林さんの部下の人ですか?」

「そうそう。アレが笠沖 空。あたしの弟」

「えっ、博士の弟さんだったんですか?」

驚いたけれど、納得もした。
誰かに似てる、そう思ったのは博士と似ているからだった。綺麗な姉弟だな。

「駄目男に見えるけど、あれで中々優秀なのよ? 頼りにしてくれていいわ」

「だ、駄目には見えませんでしたけど」

「あらそーぉ? おかしいわね………彩ちゃん目が悪いの?」

「い、いえ、目は良い方です」

何故博士は自分の弟をこんなにボロクソに言うんだろう。
今も「格好つけてたのかしら。うわ、どうせすぐ馬鹿だってバレるのに」と、顔を嫌そうに顰めている。

「ま、いいか。明日空と一緒に研究部に来てね」

「はい」

ふと、耳が痛みを訴えた。乗ったエレベーターにボタンは3つしかない。
上から『1』、『2』、『L』。
何故1つだけアルファベットが混ざっているのか気になるところではあるが、乗ったのは『1』らしく、博士は『2』のボタンを押した。
それから結構な時間が経つのにエレベーターが止まる気配はない。
相当な距離を進んでいるのが伺え、耳が痛いのはその気圧変化によるものだろう。

「随分、下がるんですね」

「ん? うん。此処は地下に掘られた巨大空間を利用しているの。誰が言ったのか、『地下学校』って呼ばれてる」

「地下、学校?」

地下は解る。でも何故学校なのか、かなりの違和感がそこに生まれている。
博士はまるで私の考えが解るかのように捕捉してくれたから、誰もが変に思うのかもしれないか、私が単純に顔に出ていたか、だ。

「地下には色んな意味を込めているのよ。地下にあるからだけでなく、例えば明るみに出ないからとか。
学校はね、高校からその先に特別なカリキュラムを組んでハンターを育てるから、それが学校みたいだって、誰かが言ったのが始まりらしいわ」

「ハンターを育てる、カリキュラム、ですか?」

「うん。能力はね、ちゃんと訓練しないと危険なの。周りにとっても、使う側にとっても」

ちょっとだけ悲しそうに、博士は横にいる私から視線を外して前を向いた。

「周りも、自分も傷付ける。だから必要なの」

「じゃあ、此処には高校生になったら通うんですか?」

「ううん、能力の目覚めは人それぞれ時期が違う。幼い頃から力が使える子も居れば、死ぬまで眠ったままの人だって居る」

「博士は違うんですか?」

質問してばかりだが、博士は1つ1つに答えてくれる。

「私は残念ながら違うわ。研究部の人間に能力者はいない。此処に住んでいるのは大概がハンターで、年もばらばら」

「なら、寮って……」

ギクリとした。
此処に住んでいるのがハンターばかり、それは必然的に………。

「ハンターの寮よ」

「……………」

「大丈夫よ、彼らだって能力無しに能力を使う程危険じゃないわ」

率直な感想としては、最悪、だ。
能力がどうとか、そういうんじゃない。だって別に彼らと深く関わるつもりもない。だから私に何か危険が及ぶとも思ってない。
ただ、能力が発動したならそれは私に耳鳴りが起こるという事だ。

……………勘弁して欲しい。

「その、ふ、普段から能力使ったりはしません、よね?」

「だから大丈夫だってー。彩ちゃんに能力使おうとする奴は居ないって。居てもあいつらが庇うだろうし」

いやだから違うんだって。
直接被害を心配してるんじゃなくて、能力使われたら頭痛くなるんだって。
だけどニコニコ笑いながら大丈夫だと私を励まそうとする博士にこれ以上何かを言う気にもなれず、研究部以外への外出は極力控えようと固く誓った。

「あれ? 今なんか……」

ふと引っ掛かりを感じた。なんだかさっき聞き流してはいけないような言葉を拾った気がする。
だけどもそれが何かを掴めぬうちに、エレベーターは僅かな重力を掛けて停止した。
開いた扉の先に、巨大パノラマ広がっていた。呆然とするしかないその景色。

「え………地下? これが?」

博士の事も目に入らず、さっきまで考えていた事もどっかに行った。
ゆっくりと歩み寄る。
ガラスの先にあるそこはとても地下だとは思えない程に明るく、ガラスに手を着いて見上げれば高い空が見える。
空………の絵?

「太陽が、3つ」

強く輝いて、並ぶ建物を照らす。
並ぶ建物、と言っても陳腐な物ではなく、目の前に広がるのは街だ。果てのある、切り取られた街。
すり鉢状に、丸々1つの都市が収まっている。天井と合わせればドームのような形だ。

「あの辺が、寮よ」

「あの辺……えと、あの大きな建物ですか?」

「その奥、ほら、塀で仕切られてるのが解るかしら? あそこがそうよ」


いつの間にか隣に立っていた博士の指先に目を凝らすが、遠くてよく解らない。

「塀? …………すいません」

「彩ちゃん、1つの建物を探してるでしょ」

見ても解らないので、眉を寄せ首を傾げた私に博士は可笑しそうにクスクスと笑う。

「ほら、よく見て。3分の1ぐらい仕切ってあるでしょ?」

「あ、ああ、あれですか」

「その3分の1が寮よ」

「えっ、そんなに!?」

規模は東京ドーム何個分あるのか知れない程に広大なそこ。3分の1を占めるって……。

「左側は商業施設の集まりね。中心は軍部の施設」

「あのタワーは?」

一際目立つ、街の中心。
細長くて、白い筒状のタワー。

「シンボルみたいな物よ。林が趣味で建てたから気にするもんでもないわ」

「そ、そうですか」

林さん、私益々あなたが解りません。

「主な移動はバスなんだけど、今日は車出すわ」

「博士が運転するんですか?」
言いながら歩き出した博士の後を追う。エレベーターフロアを出ると緩やかな坂がカーブを描いて続いていた。そこに可動式歩道がある。
乗る前に博士が僅かに首だけで振り向く。


「運転手呼んだ」

「はい?」


タクシーとかだろうか。
戸惑いがちに聞き返すと、博士は手にした紙の束をヒラヒラと振りながら「あ、居た居た」と誰に向けてでもなく呟いた。つられるように前方を見ると、動く歩道が一旦途切れた場所に、1人の男性が立っていた。

「そーらー!」

「あ、姉さん」

博士の声に反応した彼。
駐車場に居た、博士の弟さんだ。

「荷物は?」

「車に積んだよ。姉さん、俺にも仕事があるんだから自分でやってよね………と、こんにちは」

「こ、こんにちは」


綺麗に微笑まれ、慌てて挨拶を返したものの、駐車場での彼のイメージとは大分違って見えて、困惑する。そう言えば怪我をしていた。目元と口元に絆創膏を貼っただけの彼。
とてもそんな物では事足りない程殴られていた気がしたのだが、絆創膏以外目立った傷もない。
どうなってるんだろう。

「君が例の女の子だったんだね。僕は笠沖空。さっきは勘違いしちゃって、はは、ごめんね?」

「いえ、あ、高垣彩です」

「事情は聞いてるから。困った事があったら何でも言ってね」

「有り難うございます」


凄く、いい人そう。
ペコリと頭を下げた私に、屈託なく笑っている。
初対面はあんなだったけど、今までで1番まともな人かもしれない。

「行くわよー」

「あ、はい」

並ぶ背中を見ながらふと、私は思い出した。
そう言えば私は鞄を持っていなかっただろうか。何処にいってしまったんだろう。落として来たとか?
そこを今更思い出すなんて、私は大分混乱していたらしい。そして、今は大分落ち着いてきたらしい。
そんな事を考えていたら、動く歩道が終わり、私は前につんのめってしまった。
よろけながら前を見ると、分厚い鉄の扉の脇に付いた何かの機械に、空さんがカードを差し込んでいるところだった。
短い電子音の後で画面に触れると『認証しました』と機械の声がする。
続いて扉がガコン、と音を立てて開かれて行く。
私はドキドキと高鳴る心臓を感じていた。
扉の先にはもう1枚同じ扉があって、少しの時間差で開いて行くのが見える。

その先に、フロアーがあって、博士と空さんはためらいもなくどんどん進んで行ってしまう。

私は――……

「っ、」

何故か躊躇してしまった。

この先に、この扉をくぐったら。


「彩ちゃん?」


何が待っているのか。

早鐘を打ち続ける心臓は、何を恐れて、何を警告しているのか。

扉の前で止まってしまった私を博士と空さんが不思議そうに見ている。

解ってる。解っているんだ。


「今、行きます」


見て、触れて、聞いた事を。

私の真実に変えなくては。
知りたくない事を、知らなければならないんだ。


私は慄く心を抱えたまま、
一歩を踏み出した。




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