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嫌いになれたら、
楽だったのに。
そんな何処かで聞いたような台詞が、ぴったりで。
林さんが呼び出したのは、私が目覚めて最初に会った、あの女の人だった。
名前を、『笠沖 花』と言う。
ついでに自分の名前も言って、そういえば林さんにも自己紹介してなかったな、と今更思った。
どうせ2人共、私の名前を知っているだろうけど。
「異次元から、ねぇ………」
とじろじろ見られ、珍獣にでもなった気分で不快だ。 だから笠沖さんを負けじと眺めてやった。
レンズの奥で光る勝ち気な瞳。 通った鼻筋。 薄い唇。 病的なまでの肌の白さ。
どれもが彼女は美人だと証明していた。
(ちくしょう、綺麗だ)
結局、この世は平等なんかじゃないと思い知らされただけだった。
「信じてんの? 林」
「さぁ? どうだろうね」
怪訝な顔をした笠沖さんに、クスリと笑み、林さんは肩を竦めた。 食えない人とは、こういう人を言うのだろう。 笠沖さんも一層怪訝な顔になっている。
「まあ、アンノウンが次元を歪めてこちらに来ているのだとしたら、その拍子に何処からか迷い込んでも不思議じゃないわね。 寧ろ今まで無かった事のが不思議」
「じゃ、宜しく頼むよ花」
「いいわ。興味深い話ではあるしね。えっと、彩ちゃん?」
「はい」
「これから貴女は研究部預かりになるから。人権は勿論尊重するわ。但し、ある程度時間は拘束されると思っていてね」
「はい」
「あら、素直ねぇ。もっと不満が出ると思ったけど」
不満は、
ある。
だけど私には解らない事が多すぎる。素直に従った方が身のためだ。 色々知って、文句はそれから言っても遅くない。 …………はず。
「それじゃ俺は仕事に戻るよ。誰かさんの弟が喧しいのでね」
「空に苦労を掛けているのは貴方よ」
「じゃーね彩ちゃん。頑張って」
「……………はい。色々ありがとうございました」
林さんは唯一の味方だと思ったのに、彼の態度は実にあっさりしたものだ。 それで、思った。 嗚呼、なんだ。私ってば縋れる相手が欲しかったのか、と。
でも彼に縋っても駄目だ。 助けてなんてくれない。 彼はきっとそういう人なんだ。 優しそうに見えて、自分だけを信用しているんだ。
それでも彼には恩がある。 だから頭を下げた。
「……………行きましょう」
笠沖さんとまた長い廊下を歩いてエレベーターに乗って。
「貴女、凄いわね」
「何がでしょうか」
「林に気に入られるなんて、凄いわ」
「……………何がでしょうか」
同じ事を繰り返してしまったじゃないか。 何をどうしてそうなったのか、是非ともお聞かせ願いたい。
「どうやったの?」
「どうもしてません。というか林さんに気に入られているとか初耳です」
「ふぅん………? まあいいわ。彩ちゃんの部屋はどうしようかしらねー……」
すんごいどうでも良さそうに話を打ち切ったな………ちょっと振り返ってみても、林さんが私に好意的な態度だったかと言えば、全然、全く、普通だった。 最後なんて淡白過ぎて実は私の事嫌いなんじゃないかとさえ思えた。 笠沖さんの気のせいだろう。
エレベーターから降り、また長い廊下を歩く。 林さんの部屋があった廊下と造りが同じなので、変な錯覚を起こしそうだ。
「笠沖さん、あの、」
「待った。笠沖さん、てのやめてくれる。花か、博士で呼んで」
「………博士なんですか?」
「ええ。博士号を持ってるから」
え、凄い。
瞬いて笠沖さ、博士を見る。 この人そんな凄い人だったのか。
「研究一筋だったからねぇ。ついでに貰ったようなもんよ」
「そ、そうですか。あの、研究ってやっぱり、アンノウンについてですか?」
「元は異次元とか、空間について研究してたんだけどね。アンノウンが現れてからはずっとそっちに掛かり切り」
「へぇ………」
異次元について詳しいこの人なら何かしらの手掛かりを掴めるかもしれない。
「貴女全然アンノウンについて知らないのよね?」
「はい。えっと、アンノウンは異次元から来てるんじゃないかって事と、獣型と人型がいるって事は聞きました」
「じゃぁ、アンノウンについて、というか貴女の場合この世界について1から話す必要があるわね」
「すみません。宜しくお願いします………」
「まあそんな重く考えずにさ、気楽に行こうよ。あたし暗いの苦手だからさー」
「はぁ」
1つの扉を押し開けながら、博士は振り返って笑った。 気楽に、なんて言われても、出来そうにない。 それでも気を使ってくれているだろう博士には、せめて、と曖昧に笑ってみせた。
扉の先には普通の部屋。 ロッカーなんかが並んでいて、更衣室みたいだ。 研究する場所にはどう頑張っても見えない。
着替えでもするんだろうか、と博士を首を傾げて見やる。 博士はそのまま部屋の奥へと進みロッカーで死角になっていた扉の前で振り返る。
「ようこそ。研究部へ」
艶やかな紅色の唇に弧を描き、ガチャリと彼女は扉を開けた。
まばゆい光が暗めの部屋に差し込んで、彼女が扉を開けて待っている。
ごくり、と無意識に唾を飲み込んで、鼓動が速まっている事に気が付いた。
緊張、してる。
ゆっくり扉をくぐると、そこは。
「……………」
「ちゃんと着いてきてね」
『研究部』と言うからには部所的なものだろうと思っていた。会社にあるその1部ぐらいだと。 だがガラス張りのクリアな視界に広がる大規模な施設。 オフィスのような部屋がガラスに仕切られる様は、さながら大企業のようで。
「彩ちゃーん。迷子になるわよー?」
「ハ! あ、すいません!」
呆然と立ち尽くす私を、先に進んだ博士が呼ぶ。 慌てて足早に近づくと、博士はまた歩みを再開させた。
ガラス張りのオフィスに挟まれた廊下を、 白衣を翻し、高いヒールをカツカツ、と鳴らして颯爽と歩く彼女は、絵になる。
所々で博士に声を掛ける人が、チラリチラリ、と私を見る。 「誰だ?」と言わんばかりの視線に私の顔も段々と下を向いていく。
そろそろいたたまれない、と根を上げそうになった頃、カツカツというヒールの音が止まった。 顔を上げると、周りはいつの間にかオフィスのような場所から、何か実験をしているような部屋が並ぶ場所へと変わっていた。 全身ビニールの服をまとい、透明のゴーグルと白いマスクをした人々が、並んだ試験管に何かをスポイトで垂らしたり、 顕微鏡を覗いて、何かをメモっていたり。
異様だ。
「な、なんだ此処………」
「えー? 此処? だから、研究部だって」
「そ、それは解って………ないのか? これは」
私は何を想像していたのか。 内容は深く聞かないでおこう。 怪しいが、あれもこれもアンノウンの研究なんだろう。 …………怪しいけど。
「此処で話しましょう。あたしの部屋だから」
ガラス張りで落ち着かないんですけど。 博士の部屋、と言うか、博士の仕事部屋なんだろう。
沢山の本と、並んだ顕微鏡。 広い机は書類の山とパソコン。
そわそわする私を一瞥してくす、と僅かに笑った博士はブラインドを掛けた。 一応、これで視線は遮断された。
「さて、兎に角あたしの話を聞いてね。質問があれば聞くわ」
「はい」
「んじゃー、まずアン」
「博士!」
「ノウン……………虎、ノックをしなさいって何度言ったら解るの」
「ウッセー! 林に怒られたじゃねーか! 話がチゲェ!」
「ああ、忘れてたわ。あんたの事」
「んな! どーしてくれんだヨ! 階段5往復だぞ!?」
「あらぁ、いいわねー健康的じゃなーい。あ、それ色々測定させてね」
「ふっざけんな! オレってば悪くねーのに!」
突然の乱入者。
私はまた、思い出した。
此処は、悪夢のような世界。
私は恐怖の中にいるのだと。
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