7
しつこい女は嫌われる。
世間のレッテルなんてくそくらえだ。
どうしても、
どうやっても、
忘れられないのに。
どうしろっていうの。
湯気の立つ湯呑みをテーブルにコトリ、と置いて、 林さんはおもむろに口を開いた。
「勝手で申し訳ないが、少々調べさせて貰った」
「調べた?」
「うん。君の事をね」
「!」
「ごめんね。これも、仕事の内なんだ。君が危険かどうか………ハッキリ言おうか。君には隠さず話さなければね。
君が、『アンノウン』かどうか、調べる必要があった」
「!!」
衝撃だった。
まさか自分があの化け物と同種かと疑われていたなんて。 勝手に自分の事を探られた事よりも、明らかに悪質だと思った。
カッと頭に血が上って、私は思わずテーブルに手を着いて、身を乗り出す。
「私の何処がっ! 何処が化け物に見えると言うんですか!?」
「落ち着いて………人型のアンノウンも居るんだ。君が遭遇したあの獣型よりも知識が高く、言語も話す。力も、強い」
「人、型………」
アンノウンには、種類があった。 人型が、どれ程人に近いのか、見た事の無い私には想像がつかなかったけれど、 私を疑うという事は、見た目はそんなに変わらないのだと思う。
「人類にとって最も厄介なのはこの人型でね。誰もがそれを警戒している。怪しい者が居ればまず、人型では、と疑われる」
「………私、人間です」
鼻の奥が痛い。 自分が、人間だと、 そんな当り前の事を、自分で口にしなければならないなんて。
起毛の絨毯にストン、と力なく腰を下ろして。
「君を調べた者の報告によると、君には戸籍が無いそうだ」
「は!? なんですかそれ!?」
俯いてしまった顔を、勢い良く上げる。 声をまた張り上げてしまった。 よく考えればそれは。
「戸籍だけじゃない。君の何を調べても、何も出て来ない。君の存在を証明する物が何1つ、無いんだ」
「………」
私の想像通りなら、私の存在が無いのは当り前の事だ。
仮説はもう、仮では無く、確信に変わっていた。
だが今の話の流れでは、私はアンノウンとされてしまう可能性が高い。 私には何1つ、自分を証明出来る物がない。
茫然とした。
私はアンノウンだと言われても、否定出来る物が、何も、ない。
「私は、人間、です」
俯き、膝の上で両手を握った。 握った拳は、震えていた。
「………まぁ、アンノウンでは無いみたいだね」
「っ、し、信用して貰えるんですか?」
口でいくら言ったところで、疑われて当り前。信用には足らないと思っていた私は、林さんの言葉にほっと胸を撫で下ろした。 見上げた先の林さんは、一見穏やかに微笑しているように見える。
危険の少ないぬるま湯の生活に慣れ切っていた私には、林さんが笑顔を浮かべながら裏で何を考えているかなんて、 疑問に思う事さえなかった。
笑顔は肯定的なのだと、私の口角が僅かに上がった瞬間に、林さんは笑顔を引っ込め、冷たく私を見下ろす。
「身体をね、検査させて貰った。君は確かに人間のようだ。健康な、ね」
「身体、を………?」
なに、それ。 待って、その前に、この人、誰。
「悪いが、そうするしかなかったのでね。おかげで君は人間だと証明できた」
「……………」
わなわなと、震える唇がわずらわしくて、堪らず噛んだ。 怒りで、涙が出そうだ。
「……………脳波にも異常はなかったそうだよ。単刀直入に言おう。君は記憶喪失なのかい?」
「っ、違いますっ!」
勝手に私の全てを調べられた。身辺も、身体も。 アンノウンなんかと仲間だと思われた。 私は記憶喪失なんかじゃない。 私はおかしくなんてない。
おかしいのはこの世界。 私の日常を壊したこの出来事。
「私はどこも正常よ!」
「………では君はなんだ」
「私はっ! 私は、」
私は、高垣彩で、大学1年生で、バイトしながら1人暮らししてて、
「私、は………」
「質問を変えようか。君は何処から来たんだい?」
「何処から……?」
何処から来たか? ああ、そうだ。
私は私の出した答えを、今言うべきなんだ。 頭を疑われるな、きっと。
「……………? 何が可笑しいんだい?」
知らず、笑ってしまっていたらしい。 私はこれから馬鹿げた話をするのだから、それも仕方ないだろう。
「何処から来たか、私が答える以前に、此処は何処なんですか? 私の日常にアンノウンなんて存在しませんよ」
馬鹿げた話を。
「何処なんですか此処。私の知ってる世界じゃない。別世界だわ」
「……………」
私はとっくに気付いていた。 きっと最初から、気付いてた。
きっと此処は私の世界に似た別世界。 私の住んでいた街の景色と此処の景色は同じだった。 あそこのカフェだって。 ただ、何度か通ったあの店に、見た事のある店員が1人も居なくて。
気付かないふりをした。
なんでこんな事になったのか。 昨日までは同じだったのに、私は何処で間違えたのか。
「パラレルワールド」
ぽつりと林さんが落とした言葉に一瞬きょとんとした後、
それだ、と思った自分が悲しかった。
「君は異次元から来たと言うんだね?」
「そうなりますね」
「……………ふむ」
考え込む林さんから視線を外す。
これからどうしたらいいのか、とか どうやったら戻れるのか、とか
考えて途方に暮れた。
「君に協力して貰いたいのだが」
「……………協力?」
「君の話が本当なら、アンノウンを一掃出来るかもしれない」
「?」
話が繋がらない。 何故急にアンノウンの一掃に飛んだんだ。
「アンノウンは異次元から来ると言われている」
「!」
林さんは真剣な顔をしている。 いつも微笑みを張り付けていた彼だから、真剣な声色は重みがあった。
「勿論ただでとは言わない。君が元の世界に戻れるよう、こちらも協力しよう」
「で、でも、私どうして此処に来たのか解らなくて」
「うん。まずは原因を調べる事が先決だね。君には『研究部』に行って貰いたい」
「研究部………あ、あの、でも」
「話はわたしにするより、研究部でしてくれ。部屋も用意しよう」
素早い決断にたじろぐ。 私、まだ協力するとは言ってないのに………!
上手く言葉を吐き出せない私を余所に、林さんは立ち上がってどこかに電話を掛ける。 受話器は取らず、本体のボタンを1つ押して。
「わたしだ。花を呼べ」
それだけ言って手を離し、私に向き直る。
どうしよう、勝手に決定してる。
でも、
「不満かい?」
「……………いえ」
私には行く所がない。
戻る方法も見当がつかない。
なら、此処にいるのが最善なのだろう。
「大丈夫。君に危害は加えない。怖い事は、何もないよ」
「……………はい」
私が何を恐れるか、
林さんには、
解らない癖に。
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