02


屋上への階段を駆け上る。日頃の運動不足がたたり、足ががくがくしていた。

荒い息のまま、屋上へ繋がるドアノブへ手を掛けて。
グッと手に力を込めた、次の瞬間、ぐにゃりと視界が歪んだ。


「!?」


ガチャリ、と金属の無機質な音が鳴る。
唐突なその異変に驚き、その反動で、手に力が入り、ドアが開いてしまったのだ。


「うあっ!」


そのまま、屋上のコンクリートの床へ倒れて、膝を打った。

痛い。

だが今はそれどころではない。
さっきのはなんだったのか。
四つん這いで辺りをキョロキョロ見回す。


網目のフェンスに四方を囲まれた、コンクリートの床。所々ひび割れている。
網目の向こうには、春らしい雲の浮かぶ青い空。
何も変わらない。
ただ屋上の風景が見えるだけだ。

ほっと息を吐いて、自分の身体に可笑しな所がないのに、安心した。


『一体……何処にいるのか……』
「!?」


突然、

そう、本当に突然、

声が響いた。









覗きは犯罪です。









あまりにも不意を突かれ、私は動く事が出来ずにいた。目を見開き固まったまま、何とか動揺を静めようと、頭の中を整理する。


(待て、待て待て。ここには、今誰もいなかったはず……)


何それ凄い怖い。

ここまで考えると、背中にひやっとした物が走りそうで、ブンブンと頭を振った。落ち着け、そもそも何で私は此処にいる。

あ。

そうだ。私はここへあれを追ってきたんだ。ならこの声、は………。


私は下唇をかみ締めると、一度強く目を瞑り、再び目を開けた。息を吸い込み、勢い良く顔を上げる。

声は私の真上から聞こえたのだ。


「う、わぁ……」


思わず漏れる感嘆の声。
“それ”は私が顔を向けて声を出した途端に、ビクッと身体を揺らすと私を見つめ返してきた。
やっぱり見間違いではなかった。ちっこい馬がいる。ちっこい馬が浮いてる。

そのままの体制でじっと見詰め合う。

私が立ってもまだ見上げねばならぬだろう上空で、しかしながら教室で見た時よりも姿を捉えられる程近く。

額に小さな角が生えていて、真っ白だと思っていたが、白の中にたった一色、緑色の瞳が揺れていた。
綺麗だな、と思ったと同時、謂われのない感情が込み上げた。

エメラルドの宝石の様な瞳が、悲しみに溢れているように揺れていて。


かなしい、
悲しい、
哀しい、

まるで“それ”の感情の波が私の内に染み込むように、漠然とした悲しみに囚われた。


「あ、れ? やだ、なんで」


小さな馬の姿が滲み、私は初めて自分が涙を流している事に気が付いた。慌てて拭うが、無意識に泣くなんて初めての経験で、若干狼狽える。

どうして泣いてしまっているのだろう。
共鳴するような、不思議な感覚。一度自分の中に戻れば、私が悲しい事なんて全然ない。涙だって直ぐに止まってくれた。


一方、未確認生物は。
見た目には分からないが、“それ”は驚いていた。

何故分かったか?
簡単だ。

“それ”がそう言ったからだ。


『驚きました……。貴方には私が見えているのですね?』

「喋っ、たよ………」


“それ”も驚いているようだが、私もこれ以上ないくらいに驚いている。
が、声が聞こえたその時から、私は何処かで解っていた。
“それ”の声だと、思ってしまっていた。


「あぁ………やっぱり声は君か。いや、もう今更だよね。うん」


だからやっぱり、とストンと腑に落ちたと言うか。
それよりも、他の思いがわき起こった。自分が興奮していくのが解る。

世紀の発見、だ。
私は、世紀の発見、をした。
これは誰だって落ち着いてはいられない事態だろう。


『あの……』
「は! 未確認生物!? UMA! だっけ? 何でもいーや! 私すごいんじゃないのこれ!?」


先ほどとは一転、瞳を輝かせて、“それ”を見上げ、急いで立ち上がると話し掛けた。
凄いよねこれ私凄いよね! いや別に私は凄くないんだけどでも凄いよね!


「ね、あなた何!? どっから来たの!?」


はち切れんばかりに高揚し、それがそのまま声となり飛び出て行く。
どう考えても、私の勢いが良すぎたのだろう。
吃鷺したのか、“それ”はヒュッと高く飛んだ。


「ぁあっ! ま、持って!怖くないからぁ!」


私よりまた数メートルは離れてしまった“それ”に、慌てて両手を横に広げてみせる。
安全だと意思表示したつもりだ。


「ね、何にもしないよ。……降りておいでよ?」


更に優しく声を掛けるとふわりと降りてきた。

嬉しくなった私の顔の前まで来ると、この奇妙な生物の方から話し始める。


『すみません。少し驚いただけです………もう一度聞きますが、貴方は私が見えて、声が聞こえる。そうですね?』

「うん。すごいねーホント。で君、なーに?」


綺麗だなー。近くで見ると、毛並も恐ろしく良い事が解る。声も柔らかくて素敵。


『凄いって……え、えぇと、私は精霊です』


戸惑うような声で出された返答に、僅かに目を見張る。
精霊っていうと、絵本や小説の中に出てくるアレだろうか。
にわかには信じがたいが、では目の前の生物が何か答えは私には出せなかった。

ごくり、と唾を飲み込む。


「ほ、本物……? 精霊……さ、触ってもいい?」


自称精霊はくるりと回転すると、『どうぞ』と首を傾げた。
あっさり許可が出て人馴れしてるのか? なんて馬鹿な事を思ってしまったくらいで、思わず自分に突っ込んだ。

んなわけない。
ホント、馬鹿か私は。


「し、失礼します……」


恐る恐る指先で耳の先に触れるとピクッと反応し、指先を擽った。
実体ある物に触れたその感触にため息が漏れた。音にすると、「ほぅ」とかそんな感じ。
私は今、精霊とやらに触っていますよ! と叫び出したいくらいだ。人類初? もしかしてもしかしなくても人類初じゃね?

無性に感動している私を余所に、この自称精霊は目を細めると、小さくブルル、と鳴いた。
喋れんのに鳴いたよ………。半分は馬丸出しなの?


『貴方に確認したい事があるのです。よろしいですか?』


私が失礼な事を思っている等とは知らない精霊は、丁寧な物腰で私を伺う。礼儀正しい精霊だなぁ。うんうん、いい子っぽい。


「……いいけど。何?」



質問には答えずに、精霊は光を放った。


「な!!?」


目も開けられない程の光が射して、両腕で顔を覆う。


(なに、これ。うゎ、やだ、何なに!? や、何か……)


ひどい耳鳴りがして、頭が痛い。

何かが私の内側に入ったような違和感に吐き気がした。

だがそれは長くは続かず、違和感が消えると同時に、精霊が興奮したように鼻息荒く、巻くし立てた。


『あぁ! やっと、やっと、見つけました! 貴方をずっと探していました!』


何が何だかわからないが、今の一連はこの精霊のせいなのは間違いない。


「ちょ、何したの!?」


誰だいい子っぽいとか言ったヤツは! 私だよ!
未だ残る不快感に顔を歪めて問い質せば、精霊は嬉しそうに私の周りくるくる回って、突拍子もない事を言い出した。


『何って、貴方の中の魂を視たんです! 間違いありません! やっと見つけました! 救世主の魂を!!』

「……………………」




魂視たってナンダ。




何故だか分からないが、イラッとくる。丸裸にされた気分だ。
そんな私を置き去りにしたまま、話し続ける精霊。

ちょ、殴っていい?


『あぁっ! 私自己紹介 もまだでした! 失札しました! 私の名はセーレシウス。流星の名を頂きました』

「意味がわからない。というか、魂って見えるものなのか」

『私は精霊ですから! 人の魂を覗けます!』



あ、覗いたんだ。


「なんかわかんないけど取りあえず、 変態」

『へっ! 変態……』


落ち込んだらしい。暗い空気を背負ってうなだれる、せーれん、せーるうす?せ、せー……なんとか。


『うぅ……じ、時間がありません。私と来て下さい』

「え、何処に? あ、待って、やだ。行かない」


まさか精霊が住む世界へー、とかだったらどうしよう。あ、ダメだ。これダメなパターンだ。
さっきまで、興奮状態だった私は、その熱が急激に冷めていたのに、気が付いた。と言うか、今の不愉快な一連で、我に返ったと言うか。
そう、よくよく考えてみれば。

今、私に害をなした、ぞ、この自称精霊。あ、あ、やっぱダメなパターンだこれ。


「あの、私、授業あるんで、」


一気に、危機感が込み上げ、離れようと、した。
ようと、したんだけど。


『私を恨んでもいい、憎んでくれてもかまわない。でも、もう私には、貴方に縋るしか方法がないのです』

「へ?」


何を言い出すのか、
意味を聞こうとしたのに、

それは出来ずにくらりと眩暈がして、

私の意識は遠退いた。



最後に見たのは
哀しみのエメラルド。


最後に耳に届いたのは、
奏太が私を呼ぶ声。












(いつの間に屋上に?)
(あぁ、後で怒られる、)
(かなぁ……)


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