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道すがら、こっちは何があってあっちは何処に繋がる、という説明を受けながら、最終的にチョコレート色の扉に辿り着いた。
道順は、はっきり言って覚えきれていない。私は1人で出歩くのを許可されていないから、まあまず道に迷う事は無いだろうし、今はそれどころではない。
書架をイメージしてくぐったそのチョコレート色した扉の先に、何処かの町の図書館が広がっていた。
いやうん、おかしな事を思った自覚はある。だが、そこはどう見ても書庫のスケールを凌駕していた。
いったん外壁通路を渡って、別館みたいな所へ来た時点で疑うべきだった。吹き抜けになっており、3階立ての壁一面、本棚で埋め尽くされていた。
更に、奥行きもあった。真ん中にずらりと並ぶ長机には、ゆうに30人は座れそうだ。そう、道順なんて小さな問題。それより何よりお城の書庫が広大過ぎて途方に暮れている件。

この書庫、という名の図書館で私ひとり、何をしろって?
ぐったりと肩を落とす。

「もう何から手をつけたらいいのか判らない……」

わざわざ森に出向かなくても、この仕事だけで充分体力つくかもね……はは。

入るなり立ち尽くした私を横目に、オズはさっさと階段を駆け上って行った。
2階部分から呼ばれ、すっかり重たくなった足を叱咤するように、両腿をパンと叩いた。
確かにスケールの大きさに唖然としたが、任された仕事なのだから、きちんとやらないとだよねー。
気合いを入れ直しオズの隣に並び立つと、彼は私を見ずに、本棚から数冊を抜き取って私に寄越した。

「これと、これとー、あと、これも」
「わ、わ、」

あっという間に積み上がっていく本の重みで、足元がふらつく。

「それ、下の机に持ってって」

オズは私を見ないまま言い放ち、何かを探すように忙しなく目線を動かしている。
結構な重さがあったが、持てなくもない。いや重いけど。丁度私の顎の下辺りまであるが、歩けなくもない。重いけど。正に限界スレスレの絶妙な量ですな。重いけど。
まだ本棚とご相談中のオズに背を向け、もたつきながらも歩き出した。
おあ、ちょっと、階段、下見えないんですが!
両腕を出して受け取ってしまったので、抱え直すのも難しい。仕方なく、本の脇から顔を出し、爪先で恐る恐る着地点を探る。
おおお、こえええ……!

着実に時間をかけて一段一段を降りる。足元見えない階段ってまじ怖い。
まだ5段も降りていない。そんな時だった。目の前の本が、突然取り払われた。

「わり、乗せ過ぎたな」

声に振り仰ぐと、眉を下げたオズが自分の抱えた本達に、たった今私の手から取った本を加えていた。
その量を見て、目を瞠る。
え、いや、易々と一冊加えたけど、貴方私の倍以上の本を持っていますよね?
私がちょっと厚みがあるとは言え、6冊、いや今は5冊だけどそれに四苦八苦しているのに、え、なにその量。ちょっとしたタワーできてますけど? ちょっとしたタワーを片手でとか何番付に挑戦中ですか。筋肉番付ですか。

「間違いなく優勝ですね」
「あ? 何が?」
「筋肉が」
「……何が?」
「筋肉が」
「うん、もう一回訊くな? 筋肉の何が優勝」
「凄さが優勝」
「……ああ、そう」

オズはそっと目を逸らした。なんだその反応は。不満なの? 何が不満なの? 褒めてんだぞ?
だが、顎で先を促されてしまい、腑に落ちないまま歩みを再開する。
一冊無くなっただけで大分視界に変化があった。うん、降りられる。

私がどさりと机に本を下ろしたその横で、ずっしん、とオズが本タワーを下ろす。

「あとは……」

オズは言いながら、入り口近くの棚に向かい、ちょっと大きな、だが薄い本を一冊持って来た。
そして、「座れ」と椅子を引いた。

何をするのか、何をさせられるのか、そんな事ばかりを考えていた私は、オズの行為に戸惑った。
瞬いてオズを見上げると、再び座れと目線で言われ、疑問に思いながら、深緑色の革張りされた椅子に腰を下ろす。
オズは最後に持ってきた薄い本を開いた。あ、これ見た事ある。地図だ。

「これが、この大陸の地図」
「大陸の……」

ごつりとした指が、質の粗い黄ばんだ紙の上を滑る。

「この湖の、此処からこっちが風の国だ。風の里は国のほぼ中心にある」

こうして地理を述べられると、別世界の存在を実感する。大陸の名前。国の名前。町の名前。どれも読めないけれど、当り前にある知らない地名は、当り前に地図上に示される。
いやはや、異世界ですなあ。

「ウッシュバード?」

オズが指した砦のようなマークの隣、訳の判らぬ文字を指差し尋ねれば、ちょっと不思議そうな顔で頷かれた。
その肯定を受けて、再び地図に目を落とす。これでウッシュバードって読むのか。ほほう。なるほど。全然判らんな!

「うーん……」
「なんだ、もしかして読めないのか?」
「全く、微塵も、読めません」
「堂々してんなあ」

私が眉を寄せて文字らしき羅列を眺めていたから、オズは察してくれたようだ。ずばり読めないと伝えたけど、彼は馬鹿にした様子もなく、軽やかに笑った。

「覚えりゃいい。簡単なもんなら、何となく判るだろ? 普段目にしているようなもんとか」
「普段目に……?」
「おう。身近なもんで、食べ物とかよ。ほら、品書きとかなら今までだって見た事あるだろ」
「品書きって、いや、ちょっと待ってください」

何か、すれ違いが生じている。私は、“この文字”が読めないのだ。

「そうじゃなくて、ええと、これが、私の知ってる文字と違うんです」
「違う?」
「はい。私、字は書けます」

オズはキョトンと私を見返した後、何かを思い付いたように卓上の一ヶ所に視線を移した。次いで、引き出しを開ける。
そこにあったのは、紙だった。広げられた地図よりも、もっと目の粗い、メモ用紙ほどの紙。
オズはその紙を手に、ついさっき目線を当てた物を此方へ引き寄せる。瓶だった。
立方体の四角い瓶には、黒い液体が詰まっている。コルクの蓋を開けると、独特の匂いが漂ってきた。

――インク

私が今まで目にしてきた本は、全てが手書きだった。几帳面に並ぶ見知らぬ文字は、それでも印刷物の完成度には程遠く、人の手によるものだと直ぐに気が付いた。鉛筆やボールペンではない物で書かれたであろう事も。
つまり、この世界の書記方は、インク使用。瓶と共に寄せた、筆立てに立つ細長い何かと、インクを使うのだ。

「ちょっと書いてみ」
「…………」

ひくり、と頬が引きつるのが判った。
ここにきて。ここにきてこんな難関が立ち塞がるとはどの私が予測できよう。残念ながらどの私も予測していなかったので、困っています。

「え、鉛筆とかー……うん、はい判ってた。判ってたけど訊いてみたら意外と、っていう望みを捨て切れなかったの」

鉛筆何それ美味しいの的な子首傾けに、私の淡い希望は砕かれた。羽ペンでは無いみたいだけど、何の救いにもなりゃしねえ。
研磨され、つるりとした表面の木の棒は、恐らくペンだ。それは判る。
これを? このインクに? 漬ける?
ジェスチャーで伝える私に、オズの確かめるような目が覗き込んできた。ええ、ご察しの通り、未知の代物ですこのペンらしき物とインクらしき物。

「まじか」
「まじっす」

神妙な顔をして頷くと、神妙な顔で問われた。

「じゃあどうやって書く」
「私の世界だと、このインク……液体は、」
「モルト液」
「も、モルト液? は、最初からペンに収まっていて、浸さなくてもペンさえあれば書けます」
「へえ……」

なんだか呆然とされているが、大丈夫だろうか。

「そりゃ便利な……あ、それは筆褸(ヒル)っての。ようはヒルとモルト液が合体してるって事だろ? なるほどなあ。それが、エンピツ? か?」

あ、凄い、チラッと言っただけなのに鉛筆覚えてた。

「ううん、鉛筆はね、液体ではない着色剤を使っていて、ペン、じゃないや、ヒルの中心に芯として通ってます。黒鉛とか、あ、あと木炭使った物とかもあります」
「木炭! うわ、すげえなそれ考えたやつ」
「う、うん、凄いですよね」

やたらと感動されてるけど、私は鉛筆をそれほど凄いと思った事がない。と言うか全く思った事がない。あって当然の便利さは、無くなってその偉大さが判るんですね。
オズはペンもとい、ヒルを引き抜き、何やらぶつくさ言い出した。あーでもないこーでもない、と難しい顔でヒルを撫で回している。
金属製の尖ったペン先が見えて、万年筆を思い出した。それでも私の知る限り、インクに浸したりはしない。そして私は、オズの何とか鉛筆もしくは万年筆っぽい物を作れないかと試行錯誤する様子を、いつまで眺め続けたらいいんでしょうか。インク瓶を上に合体させただけでは書きにくくて仕方がないと思うのでやめた方がいいよ、とでも言えばいいのでしょうか。そんな名案じゃね? みたいな顔で見られてもそれは愚案でしかないと言ってあげたらいいのでしょうか。本気で考えた結果その案ならちょっと見損なうよ?

「オズ、私は此処の整理を頼まれたんです。あとそれは愚案です」
「ああ、そうだっ、愚案!?」

よかれと思ってついでに伝えた愚案について、オズが異様に落ち込んだので、あれは本気だったようだ。ちょっとどころか普通に見損なったよ。貴方、アレなの? はっきり言えないけど、貴方アレ、馬鹿なの?

「とりあえず何からしたらいいかを、教えてください」
「いや俺に訊かれても」
「……は?」

一瞬頭が白くなった。え? なんて?

「俺、此処の管理の仕方とか知らねーし」
「え、じゃあなんで居るの?」
「酷くないかそれ」
「あ、じゃあ何の為にいらっしゃるんですか」
「いや丁寧に言っただけで中身なんも変わんねえんだけど!」

だってつい言いたくなるような事言うからー。しかしよく考えたら、よく考えなくても、この人王子でした。そりゃ書庫の整理とか関係無いよねー。
道案内してくれただけでもありがたいんだよね本当は。でも、じゃあ私とオズで此処に来ても、果たして何も出来ない事請け合いなんですけど。どうして誰も何も言ってくれないの。この無駄足になった虚しさをどうしたらいいの。

「今は出てるみてえだが、此処の管轄がちゃんと居る。そのうち来るだろ。だから――」

言ってオズは地図を見る。

「それまで勉強といこうじゃねえか」
「勉強? え、何の勉強?」

キョトンとする私に、オズは地図を指し示す。ああ、地理の……それは、助かるな正直。でも。

「字が、読めませんけど」
「ここいらの地理ぐれえ、読めなくたって覚えられんだろ」
「…………」

思わず閉口し、地図に目を落とす。風の国のある、大陸の地図。うん、中々立派な広さを誇ってくれているわな。で、この城の中でさえ把握出来ないのに? 大陸を? 把握しろと?

「いやいやいや、無理ですよ」

我が家の近所も把握していないのに、国内を把握しろと言われたようなものだ。ばっちり無理です。無理ゲーです。本当にありがとうございました。

「やる前から無理とか言うなよ」
「いや無理でしょう。普通無理ですよ」
「一通り教えっから、覚えろよ」
「いやだから」
「まず大陸の名前な」
「聞けよ」

それから全く覚えられる気がしないカタカナな地名が羅列され、私の脳みそが悲鳴を上げた。






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