41

私は部屋に意識を集中していた所為で、その変化に気が付けなかった。
吐き出される荒い息にも、苦悶に顰められた表情にも、気付く事が出来なかった。

ドサリと、何かが視界の端で崩れ落ちた。
異変に顔を向けた時、そこには苦し気な呼吸を繰り返し蹲るオズの姿があった。

「ハッ、ハッ、ハアッ、あ、っ、」
「お、オズ!?」
「あ、ハッ、来るっな!」

ぎょっとして傍らに膝を付こうとし、怒鳴られて硬直する。

「メグミ離れっ! あぐっ!? あ、っ、うあああっ!」
「いかん! メグミ!」
「か、風影様っ、オズが」

オズの様子は尋常じゃない。でも私は狼狽える以外に為す術がなくて、緊張した風影様の声に、振り向きかけた時だった。

うああああ――――

一際大きな叫びの直後、どん、と重い音がして、全身で風圧を受けた。ひっくり返りそうになるのを、寸でのところで踏ん張り耐える。
顔を腕で庇いながら、薄く目を開けると、竜巻が見えた。竜巻ってなにそれ意味判んない。
オズを中心に、風が渦巻き、唸りをあげている。いやだから急に竜巻できても意味判んないから!

「っ、に、これっ」

やばい。これはやばい。どんどん強くなる風圧に、踏ん張り切れないと悟り、蹲る。竜巻ぱねえ!

「メグミ、さん!」


最早部屋全体に風が吹き荒れ、クロウさんも風影様を庇うのが精一杯なようだ。
ああもう何なのこれ。
「あ゙あああ゙あ゙!」
って叫び声が魔王! 魔王なの。やっぱり魔王なのこの人。降臨しちゃったの? これ魔王降臨の竜巻なの?

でもその表情は苦しそうで、私は余計な考えを直ぐに破棄した。混乱している場合じゃない。どうにかしないと。
どうにか――

そこまで考えて、刮目した。
ぞわっと全身が毛羽立つ。
何か、来る。

「な、に?」

大きな、大きな、


全ての感覚が消えて、白く弾けた。


『呼んで』

何も聞こえないのに、その声だけははっきり耳に届いた。

『ワタシを呼んで』

あなたは誰?

『ワタシを呼んで』

あなたの、名は――

『ワタシの名は――』


はっと夢から覚めたように顔を上げる。途端にごうごうとうねる風の音が戻ってきた。
暴れる髪が、視界を遮っている。それに構わず、私は呟いた。

「あなたの名前は」

まるで初めから知っていたかのように、頭に言葉が浮かび上がる。

「フラップ。フラップ・スカイ」

風が止んだ。




おはよう旅立ちのフラグです



力強く全てを内包しそうな金の翼。そよ風のように穏やかな深い緑の瞳。優美に垂れ下がる尾羽根。
私に向かって首を擡げる黄金の巨大な鳥は、眩いほどに美しかった。

「はじめ、まして」
『待っていましたよ、メグミ』

見事な美麗鳥に思わず口角が上がる。ほんとに綺麗。
空を渡る風は、眼下に吹く風達の還る場所。
風神、フラップ・スカイ。

『世界を正す』

ふわりと羽が舞う。

『これが最初の一歩』

お、おおう……お父さんお母さんお兄ちゃん、残念なお知らせです。私はまだ、帰れそうにありません。

「おお……父よ、祖父よ、息子よ。見ておられるか。神の目覚めを遂に果たしましたぞ」
「これが、風神……」

皺だらけの顔をさらにくしゃりと潰した風影様と、ごくりと唾を飲んだクロウさんを、横目に確認する。良かった、二人は何とも無いみたい。

「うう、」

となれば、心配なのはオズだ。呻き声にはっとして、彼の隣に膝を付く。

「オズ」

呼ぶと僅かに反応した。まだ乱れている呼吸を整えるように、深く息を吐き出し、のそりと上半身を起こす。
その顔は辛そうだったけれど、大分落ち着いたのか、私を見るなり力なく笑った。

「はは、焦った」
「だ、大丈夫なの?」

オズは答えずに、暫く呼吸を繰り返す。手を伸ばしかけて、宙で停止した。
この手は、何も、できない。
結局胸の前で握り込む。心が冷えていく気がしたのだ。


「ん、あー、うん。大丈夫だから、んな顔すんな」

ぽふりと、大きな掌が頭に乗っかった。じわりと伝わる熱が、心まで届かんとするようで、私は震えた。

「ほんとに?」
「おお、今は何ともない。だーかーらあ、その顔を止めろってえのー」
「わ、わ、」

ぐしゃぐしゃと頭を掻き回される。視界を遮る黒髪の向こうで、オズは笑っていた。
その笑顔に心底安堵させられる。
現時点で最も私が信頼しているのは、彼だ。屈託のない笑顔と、掛け値なしの優しさとで、私を救ってくれている。
私は、少しは役に立てただろうか。何が起きて何をしたのか、何一つ判らないけれど、フラップは現れた。

「なんか、最近力が不安定だなーと思ってたんだ。時々シルフの力を全く感じなくなったり、かと思えば、いつも以上に強い力が沸き上がってきたり。その度に必死に調節してよお。
なんつうか、シルフと俺以外の何かが居るみてえな感じだったんだよな。それが、今はスッキリしてる」

オズは本当にスッキリした晴れやかな笑みを見せた。それから、私の背後のフラップを見上げ、苦虫を噛んだような顔をしてから、最後に風影様を怪訝に睨む。

「じいちゃん、知ってたな」
「風影様、私からも訊かせてください。今のは一体なんだったのですか」
「む、うむ」
「ちゃんと説明しろよちゃんと!」
「判っておる」

風影様はフラップに恭しく礼を取ると、私達の傍まで歩み寄る。


「風の神は代々、風影の血に封じられる。最も濃く血を受け継ぐ者が生まれ落ちた瞬間から、神はその身の中に移り行く」
「俺、そんなの聞いてねえんだけど」
「話しておらんからな」
「いや話せよ」
「うむ、成人してから折りを見て話そうと思っておったよ……」
「思っておったよ……じゃねーよ! さっき俺すげー苦しかったんですけど!? 何の前触れも無く巨大な力に押し潰されそうになって超焦ったんですけど!?」
「うむ、流石わしの孫。よくぞ耐えた」
「何をしれっと問題を棚上げしようとしてんの!? 誤魔化されねえよ!? そういう大事な事をなんで言わないの!? ねえなんで先に言っとかないの!?」
「え、だって面白そ、うおっほん! 何事も経験じゃぞオズワ」
「今面白そうっつっただろうがああああ!」


あー、何、このほのぼの爺孫コント。ずっと見てないといけないものなのか。いつ終了するんですか。
とか思って遠い目をしていたら、うがーってなったオズが、風影様のシルフに吹っ飛ばされて、あっさり終了しました。なんて乱暴な幕切れ。怖い。普通に怖い。
ごろごろと部屋の入り口まで転がっていったオズを驚愕の眼差しで見つめる私に、風影様は笑顔を向ける。
その何事も無かったような笑顔がだから怖いんだって!

「流石は落とし子様じゃ」
「…………」

なんとも答えられなくて、眉を下げる。私がした事と言えば、名前を呼んだ事くらいだ。あれは、不思議な感覚だった。
記憶に刻まれていない記憶が、何処かからぽっと出てきた。知っているかと訊かれれば、知らないとしか言えないのに、私には風神の名がフラップだと判る。
勿論、他の神様の名前なんて判らないし、どんな神様が居るかさえ知らない。

答えは欲していないのか、風影様はにこやかにクロウさんを振り返った。

「のう、クロウ」
「……意地の悪い方ですね。ここまで来て、私から言う事などございませんよ」

風影様が快活に、かつ満足そうに笑う。クロウさんは苦笑して、不意に私の背後を見やった。
釣られて振り返ると、オズがブスッとした顔で此方に歩いてきていた。今にも文句を言い出しそうだった彼は、私の隣に戻ってくると、乱れたオレンジ髪を一度撫で付ける。

「3代目もまだまだですねえ」
「じいちゃんが規格外なんだよ」
「それは違うぞ、オズワルド」

何がと視線だけで訪ねたオズは、風影様が口を開く前に私を見下ろした。それから、大きな手を差し出す。
そう言えば私は座り込んだままだった。自分を見下ろしてから、オズの手に手を乗せる。勢い良く引かれてたたらを踏んだ。
力強いなあ。

「お前はお前に見合った力を見つけて居らぬだけじゃ。お前が生まれ出でた世には、もうすでに力の強い精霊が居らんかったからの」
「3代目の契約精霊は、風影様の一体をお譲りしたのでしたね」

そうなの?
隣を見上げると、オズが不満げに頷いた。
譲渡とか出来るんだ。

「オズワルドの力ははかり知れぬ。世が世であったなら、かつてない程の恩恵を、この地にもらたしたやもしれんのう」
「もしもの話はあんまり好きじゃねえ」
「それがお前の強さからだと気付かぬのが、お前の驕りよ」
「……説教なら今度にしてくれよ」

うんざりした溜め息を吐きながら、オズは私の頭をぐしゃぐしゃにする。えええ、なんで、なんで今頭を撫で回すんだ!
やめてよー、と藻掻いていると、突然顔を覗き込まれる。さっきから何なんだ。どういうつもりだ。
それらを目で訴える私を見て、オズは何故か微笑んだ。ほっと息を吐いて、安心したように。私がときめいたのは言わずもがな。

「で?」
「へ?」

イケメンの微笑をくらった後である。でって言われても、何の事やらさっぱり判らないし、イケメンの微笑を以下略。
そんな私の抜けた反応を、オズは面白そうに笑ってくれやがった。お前え! 私で楽しむんじゃない!

「どーすんの、これから」
「え、私知りませんけど」
「はあ?」

そんなヤンキーばりの睨みを見せられても、震え上がる以外何もできませんけど。さっきのときめきは何だった。夢か幻か。

『それは、私から説明いたしましょう』

一斉にフラップへと視線が集中する。風影様とクロウさんは恐れ多いとばかりに膝を付いた。と思ったらクロウさんが慌ててオズの隣にやってきて、頭をはたいてから腕を引き一緒に跪かせた。
私は風影様に習おうとするも、後半の一連に思わず目が奪われ、頭が叩かれたのにびくっとした後に呆然と二人を見下ろすという結果に。クロウさん、従者なんじゃ。え、従者って王族を叩いていいんですか。

『今の世界は歪み、滅びに向かって歩んでいます』

私も叩かれるかも、と慌てたのも一瞬。フラップが羽ばたいて、台座の上に降り立った。風圧で転ぶ手前だったので、あまり羽ばたかないでいただきたい。

『神々はそれを正し、世界をあるべき姿へと戻す。そして神々以外に、歪みを正せるものは無いのです』

部屋に反響する声は耳に心地よく、決してぼやける事がない。

『生まれた神々は十に及び、内の1つを除き、全ての源たる創造主の力を取り戻す為に在ります』
「とお!? 十って、神様ってそんなに居るの」

思わず声が裏返ってしまった。

『そうです。まずは風を司る私の目覚めにより、世界を構成する8つの力の内、1つが正されて行きます。貴女の役目は、残り7つの神の解放。全てが覚醒した時、世界はあるべき姿を取り戻すでしょう』
「なな、つ……」

愕然とした。これで終わりでは無いのだ。
残りは7つ。そんな数、一体何時になったら終わるのか。少なくとも明日明後日の話では、否、ひと月ふた月の話でも無いだろう。
下手をしたら年単位、私はこのファンタジー世界に閉じ込められる。そんなのぞっとしない訳がない。

『メグミ、星と風は既に力を得ています。これはとても大きい事ですよ』
「星? 星って」

ふらりと顔を上げる。

『導きの星は精霊であると同時に、神でもあるのです』
「そう、なの」
『貴女を見付けた星は、使命をまっとうしたと言っていい。精霊だった彼は、神へと昇華しているでしょう。2つの神は、貴女に惜しみない助力を約束いたします』
「助けてくれるの?」

現金なもので、私は期待を乗せてフラップを見つめた。なんてったって神様だ。助けがあれば、残りの解放も早くなるはず。

『ええ、勿論です』

重かった気分が晴れていくようだった。きっと何とかなる。そうだ、諦めてたまるもんか。

『私の力を使ってください』
「それって、ついて来てくれるって事?」

フラップが頷くのを見て、破顔する。やった! なんて心強い味方。フラップは大きいし、鳥だし、背中に乗れたりして……わあそれ凄いヤバいテンション上がる!

『しかし、私は直接、力を行使できません』
「え」
『私と契約を行う者が必要です』
「ええ」
『メグミは精霊とも、勿論神とも契約できませんから、契約者を探して貰う他ありません』
「ええええ」

なんだ、このぬか喜び……。一気に肩がしょげる。

『しかも貴女の為に、という前提でしか私の力は発現しません』
「難易度高い!」

どんな無理ゲーだそれは。
私はこの世界に友人はおろか知り合いだって居ないのだ。そんな孤立無援状態の私に、私の為に働いてくださる方を探せと。そんな。崩れ落ちた。

「厳しい。世界が私に厳しい……」
『メグミ……』

労るような声色が聞こえた後、前髪と共に項垂れていた身体が後ろに反り、床にコロンと転がる。ねえほんと無闇に羽ばたかないでいただけますか。膝を折ったまま天上を見上げる私の目は、きっと虚ろだ。
なんなのこれ。私何してんのこれ。

「私、知り合いとか居ません」
『メグミ、世界の為なら身を差し出す者も』
「それを世間は生け贄といいますね。ある意味神様らしいわあ、って怖いわ!」

戦慄し、がばりと起き上がる。4メートルはありそうな巨大な鳥は、おろおろと足踏みし、その都度ズシンズシンと地鳴りした。ちょ、怖いやめて踏まれたら悲惨な事に!

「何言ってんだメグミ」
「何言ってって、生け贄にするみたいな真似はできないと訴えている以外に何に聞こえるんですか」
「だからそれが何言ってんだっての」
「大変、オズと言葉が通じない」
「いや通じてるわ! そんなびっくりした目で見んな! 口元押さえるな!」

ああそう、びっくりした。急に言葉が通じなくなったのかと思ったじゃない。

「そうじゃなくて、俺が居んだろ」
「……大変、言葉が」
通じてるって言ってんだろおお!

いやそうは思えない。
そんな私の思いを汲み取ってくれたのか、オズは違うって、と言葉を続けた。

「俺が契約する」
「……お断りします?」
「なんでだよ! あとなんで疑問系なんだよ!」

だって言葉の壁が高くそびえ立っている感が半端ないんだもん。
だって貴方何を聞いてたらそうなるの? ねえ私の話の何を聞いてたの?

「いや、いくらなんでもそんな非道な事は私にはできません」
「別に非道じゃねえだろ。俺がいいって言ってるんだし」
「いやいやいやいや」
「何だよ、俺じゃ不満なのか?」

むっと眉を顰めたオズに、慌てて首を左右に振る。いやそうじゃなくて!
徐々に焦りが湧いてきて、実感を伴って掌に汗が浮く。

「だって、今の聞いてました?」
「おう」
「じゃあなんで……」
「そんなの、約束したからに決まってんじゃねえか」

きょとんと返されて、絶句する。
優しい、甘美な言葉。それは私を安心させる為だけに吐かれた言葉。そう思っていた。そう思わなければ、いつか傷付くと判っていたから。
それなのに。

「約束、なんて」
「ああ? 何だよ忘れたのか? ったく、薄情なやつだな」

忘れてなんかない。
縋りたくなる、けして決して縋ってはいけない言葉。本気にしてはいけない言葉。戒めておかなければ、どうしたって甘えてしまいそうになる言葉だった。忘れてしまえる筈がない。忘れてしまえたら良かったと思える程に。

「帰してやるって、言っただろうが」

――駄目だ。真に受けるな。だってそれを受け取ってしまったら。信じてしまったら。

「あぶ、ないかもしれないし」
「だから俺が要るんだろ」
「でも、何年もかかるかもしれないし」
「じいちゃんはまだまだ元気に現役はれる」
「迷惑かける、絶対私、迷惑かける。今だってお世話になって」
「迷惑だと思ってる奴なんていねえよ」
「でも、だって、危ないかもしれないのに」
「それさっきも言った」
「でも、でも、」

呆れた目で溜め息を吐かれて、喉の奥が閉まる。

「でももだっても、もう充分」

いつの間にか前に立ったオズの、足元だけを見つめる。
オズは優しい。親切で、面倒見も良い。でも、いざ身に危険が迫った時、人は自分を選ぶ。そういうもんだと思う。思っていた。
なのに、彼はあんな成り行きでした約束を、律儀に守ろうとしている。
今すぐ飛び付きたい気持ちと、彼の人の良さを利用せんとする卑しい己が嫌で、踏み留まろうとする気持ち。鬩ぎ合う2つの気持ちに耐える為、ぎゅっと唇を噛んだ。

いざという時、人は自分を選ぶ。私は当然のようにそう思っていたのだ。
だから私は頼り切るのが怖かった。色んな面でお世話になっておきながら、明日放り出される覚悟を捨てまいとした。自己防衛。怖かったのだ。
見捨てられるのが。

「いいか悪いか、それだけ言ってくれよ」

僅かに視線を上げると、大きな手が目に入る。

「俺じゃ、駄目か?」

片思い男子みたいな台詞に、ときめくどころか胸が締め付けられて、何とか絞りだした声が震えた。

「いい、の?」

真に受けても。
受け取っても。
信じても。

「いいって言ってんだろ、最初から」

最初から――最初から彼は。

「うん」

約束してくれていた。

「オズ」
「おう」
「よろしく、お願いします」
「……おう!」
「ありがとう」
「おう!」
「それと」
「おう!」
「惚れそう」
「おう! …………は!?」

ごしごしと目元を拭う。
私の中では、彼はフラップよりも心強い味方。








(ななな何を)
(いやもう本当男前過ぎて)
(ばっ、何言って!)
(見ていられませんね)
(はっはっ)
(よろしいので?)
(可愛い子にはなんとやらよ)
(不意討ちを止めろ!)
(え、何が?)

50/55
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