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彼は彼を気にしていた。

不安定に見える彼女よりも、彼を注視していた。

それに気付く者は、真綿のような毛に覆われた彼の相棒達のみで、その3対の瞳は一様に心くばるような色を湛えていた。

彼は知っていたのだ。一見胆力に溢れる彼が、実は繊細で、脆い事を。
心根が優しいばかりに決断力に欠ける事を。
己よりも神の愛を受けているのに、己に遠慮して解放出来ぬ思いがある事を。

彼は老齢に垂れ下がった皮膚の奥にある瞳を細めて、彼を見る。

自由と誇りを何より尊ぶ、かの神の恩恵を、国一番に受ける青年を。



神の寝所





靴音は良く響いた。
天井が高く、道幅にも余裕があるからだろうが、こだまする音は私を不安にさせた。要するに何が言いたいかって、無駄に広いんだよちくしょう。
もうどれくらい歩いたのか。体力がそろそろ底を尽きそうなんですが。奥行きェ。

「大丈夫ですか?」

クロウさんに辛うじて返事を返す。ふへいとか何とか。うふふ、おかしいね? 私は「はい」のふた文字も口にできないよ?
壁に手をつきながら、込み上げる笑いに肩が揺れる。

「ふ、ふふ……」
「僭越ながら申し上げますと、その笑いは気味が悪うございますよ」

丁寧な物腰に辛辣な言葉の組み合わせとか器用なんですねクロウさん。おかげでたった今私のライフポイントがゼロになりましたよ。言葉の刃でな。

「お疲れなのですねえ。しかしご安心を。もうすぐ――ああ、ほら、着きましたよ」

最早返事もできない私は、ふらりと顔を上げた。
真っ正面に、アーチ型の堅牢な門扉が見えた。屋内なのに。蔦のモチーフが施された鉄の門は、近付けば見上げるほどに大きい。
首が痛い、思って疲れたように視線を下げる。立派とか豪華とか、それは即ちでかいとか広いとかに繋がる。もういいよ。そういうのはもう要らないんだよ。

あ、鳥さんだ。控えめで可愛い。
蔓の中に紛れるようにしてあった鳥のモチーフに、現実逃避して小さく和む。
ささやかさを求めているだけなのに、何故こうも難しいのか。理解に苦しみますな。そうは思わないか鳥さんよ。

「開きます」
「うむ」

人気は全く無いのに、門は滑らかに開いた。円滑材とか定期的に差さないとこうはいかない。油を定期的に差す兵士さん。想像したらちょっと可愛い。現実逃避絶賛続行中です。

「さあ、参りましょう」
「う、はい」

しかし、クロウさんのジェントルマンスマイルに促され、あっさりと現実に戻される。仕方ないと腹をくくって、風影様の後に続いたのだが、そこで背後の声に足を止めた。

「……3代目?」

振り返る。
オズが思案顔で立ち尽くしていた。

「3代目、何かありましたか?」
「あ、ああ……いや、何でもねえ」

クロウさんの声に、はっとしたように瞬いて、オズはゆるりと首を振った。
それから何でも無く歩き出す。おっと、私邪魔か。
慌てて私も先を進む。

中は暗かった。
先を進む風影様の、淡い緑の光を纏う精霊達だけの明かり。あ、れ、違う。違った。私のポケットが光っている。厳密に言うとポケットの無いスカートに付けた小さなポーチが光っている。
ポーチはオズの配慮で、そこにはシンが入っていた。

「クロウ、明霊石(めいれいせき)を持ってまいれ」
「はっ」

背後の空気が動く。私はゆっくり慎重にポーチからシンを出した。
星の欠片のようになってしまったシンは、私の掌の中で発光している。見つめても目が痛くならない位の、優しい光だ。

水溜まりの映像を思い出して、何とも不安になる。シンは吹き掛けただけで消えてしまいそうで、怖い。
この子も、あんなふうに消えてしまったら――

突然背中側から強い光が差し込む。私の影が長く伸び、驚いて振り返ると、廊下にあったあの半球体の明かりを持ったクロウさんが、門をくぐったところだった。
あれ、球だったんだ。手元をよく見れば、壁についていた半球体ではなく、完全に球体の形をしている。
壁のヤツははめ込んでたのかな。

「それ、何なんですか?」
「え? ご存知無いのですか?」
「はあ。訊く機会が無かったと言うか、訊きそびれたと言うか」
「そうでしたか。ふふ、どうりで不思議そうになさっていると思っておりました」

不思議そうにしてたの知ってて、放置ですか。それは、何とも、その私は、さぞかしこっぱずかしい奴だったろうね……。
しゅるるる、と小さくなった私を見て、クロウさんは実に楽しそうに喉を鳴らし笑った。えっ、ジェントルマンの皮を被ったS属性なんですか実は。
密かに慄く私を知ってか知らずか、クロウさんはにこやかに光る球体を胸辺りに掲げる。

「精霊の力を込めた石です。これは光の精霊の力ですね」

光の精霊。新しいメルヘンだ。新しいメルヘンていうのも何だか判らんが。

「他にもありますが、我が国では、風と光以外は貴重なので滅多に出回りません。石の作り手が減っているせいもありますね」

今度見せますね、との言葉を最後に、クロウさんは部屋の奥へと進み出る。
貴重と聞いて見せられてもビビる自信があるので、無理して見せて貰わなくてもいいが、今は大人しく黙っておいた。
ポーチにシンを戻し、前に向き直る。

白い光源が中央へ差し掛かっていた。
照らしだされるのは、白い台座。
あっと声を上げた私は、見渡し息を飲んだ。

この部屋を、知っている。

「ふむ、社の幻惑は、此処を見せたので違いないようじゃな」

広々とした部屋は天井も漏れなく高く、広いからこそ何も無いのが際立ち、がらんとした殺風景な様子をみせている。風影様と会った王間も広かったけど、こっちはもっと広い。うちの学校の体育館くらいはあるかもしれない。

ポツンと置かれた台座は、存在感があるというより、それしか無いから自然と目がいくような、造り自体は素朴な物だった。

何も無い。そう言っていい。

ただ圧倒的に感じるものがある。空気と言えばいいか。
凛とした張り詰めた空気。窓も無いのに、澄み切ったような空気。

「どうじゃ? 何か感じるかの?」
「え、あ、いえ……」

僅かに張った風影様の声が、響き渡る。
私は戸惑った。何故此処に連れて来られたのか、判らなかった。神様が眠っていると聞いたのに、姿形も影すら見当たらない。
助けを求めて風影様を見返しても、彼は静かに佇んでいるのみ。
戸惑いつつ、結局私は正直に告げる。

「あの、此処には、その、神様は、居ません……」
「ほう」
「なん、で……? あ、あれ?」

居ない。感じない。

――さっきまでは。

動揺するほどに何も無かったそこに、急激に迫る何か。
何処から、何が、どうやって。そのひとつも判らずに、私の感覚だけが告げている。
何、これ……?







(目に見えない隕石が)
(降ってきたら)
(こんな感じ?)

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