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大きな大きな鏡みたいだ、と思った。それが殺傷能力を伴う事を、僅か遅れて気が付いた。剣に見えなかったとしても何ら不思議は無い程大きくて、大き過ぎて、けれどそれを、オズが背中に携えていたのを思い出した。
男やお兄さんが持っていた物と違い、私の姿が写り込むぐらい磨かれていて、情けない顔をした自分が居て。
男が踏まれていない方の手を動かそうとし、刃に遮られたその瞬間から、私の身体は金縛りにあったみたいに動かなくなっていた。有無を言わさず土床を貫き、存在を誇示する大きな刃。それはオズに不釣り合いな気がした。
優しい笑顔。気さくな言葉。面倒見の良さそうな人柄。豪快で、大雑把なのに気持ちが良くて。
それなのに――


「舐めた真似すんじゃねぇよ。てめぇはもう、俺に生かされてんだ」


おっそろしいんですが!
えっ、何この人。誰なの? 本当にオズなの? 似ているだけなんじゃないの?

カチャリ、刃が傾き、息を飲む。それは完全に縮み上がっている男の首に添えられた。男の手は、否、全身が小刻みに震えている。私は瞬きも忘れ、それに見入る。
なんて事だ。異常だ。こんなのは異常だ。いや最初から異常事態なんだけども私の場合。この国の日常は私の異常だからしてですね、と言うかずっと非常事態なんですが。非常事態から抜け出せないんですが。


「かっ、かんべん、」
「出来ねぇなぁ、そりゃあ。てめぇは手を出しちゃなんねぇもんに手を出しちまった」


これはマジで惨劇が行なわれる5秒前なんですかそうなんですか誰か違うと言ってぇええ!


「覚悟なんてしなくたっていい。んなもんしたってしなくたって、てめぇの死刑台行きは決まってんだ」


ガタガタと歯を鳴らす男に、オズは手緩いとでも思ったかと、冷たい目で続けた。
それは、実際そうだった。言い方は悪いが手緩い国、私もそう思った。勝手に。男だって口にしていた。
平和に見えて、けれど影を背負っている。何処の国だってそうに違いないのだ。日本にだって犯罪はある。
だから、それはそうなのだろう。物騒なのは何処も同じだ。ただ、近い。
私は戦争を知らないから、イメージでしかないけれど、昔死はもっと身近にあったように思う。
こんな感じかもしれないと、漠然と思った。緩く見えてこの国は一方、酷くきっぱりしている。人を売ると言った。それは此処でも確かに犯罪と疎まれる事であった。相対の正義であるなんて事は間違ってもない。
悪事は明確な悪事であり、しかし男はそれを十分解った上で行っていた。手をどんなに汚そうと、男は全く気にしないだろう。
そして捕まれば即ち死である事も、重々承知しているようだった。それはオズも、同じ。
きっぱりしている。
白と黒だ。裏と表。光と影。


「3代目!」


オズの後ろからの声に、私だけがびくりと反応した。オズは男を見下ろし続け、男は震え床を睨んでいる。


「どっから逃げた。誰の手引きだ」

「そ、それは………」


バタバタと複数の足音がする。入り口に空いた穴から、何人かが顔を出した。見慣れた色の服。兵士である。


「言えねぇか。俺は別に構わねぇがな。うちの拷問係は嗜虐的だぜぇ? いっそ殺してくれって頼みたくなる位には、惨い」

「う……」

「それに、こっちはてめぇじゃなくても一向に構わねぇんだ」


男が歯軋りすると、顎から脂汗が滴り落ちた。痛恨の念を浮かべるその男から、オズはすいと目を外すと、流れるように小屋の奥を見やる。それから静かに言った。


「そこに1人転がってる。連れてけ」

「は!」


短い返事をした兵士が、きびきびと数人を伴って行動を始める。オズは再び男を見下ろすと、暫く眺め、そしてこいつも連れて行けと吐き捨てるように言った。暗がりのエメラルドは、侮蔑の色を乗せていた。










夕日の裏側










ぼんやりしている。そう、報告を受けた。
怖がっているのではとか、塞いでいるのではとか、泣いて、いるんじゃないかとか。
色々考えて、だが実際は特に変化はないという。
此処に来てから、ぼうっとしている事が多いそうで、窓を眺めたりテーブルを見つめたりし、時々何事かを呟く。
昨夜、憔悴した様子の彼女は戻って直ぐに眠りについた。それから今朝目覚めて昼過ぎまで、彼女の傍に付いていたメイが言うには、少々元気はないものの、いつもと変わりない。

ぜってぇ落ち込んでると思ったんだけどなぁ――

喜ばしい事なのだが、どうも腑に落ちない。やっぱり自分の目で確かめていないからか。
見に行ければ話は早いのだが、件の処理で忙しい。彼女が何故奴らに捕まったのか、それがまるで解らない。此方の過失に寄る所が大きいのは違いないが、部屋に居た筈の彼女が少し目を離した隙に、忽然と姿を消した、としか解っていない。
俺はその原因究明を仰せ付かっちまったから、こうして報告を聞くだけに留まっている。予想が外れたのが嫌なのか。それじゃガキみてぇじゃねぇかよ。

むう、と唸り、背後を振り返る。
遠く、聳える城の佇まいは変わらない。彼女の部屋は……、此処からは見えなかった。
朝から彼女が倒れていたらしい現場を検分しているが、状況はあまり芳しくない。傍に折れた枝のある木があり、そこに衣服の切れ端を見付けた。収穫と言えばそれ位だ。目撃者も居ない。
大体なんだってこんなとこに倒れてんだよあいつは。城からどんだけ離れてると思ってんだ。ああ、腹減った。


「3代目」

「おう、どうだ?」


ちっとも有効な情報が集まらない為、範囲を広げていた。城方向とは逆の道から戻って来た兵士に、視線を移す。
彼は申し訳なさそうに首を窄めた。


「それが……」

「やっぱ駄目か」

「はぁ、野党の方の目撃はあるんですが」


思わず頭をガシガシと掻く。こんだけ城から離れてんだ、その間に誰かしら見ていてもおかしくねぇってのに。


「何かでけぇ袋抱えてたとかよ、そういうのもねぇのか」

「はぁ、暗くてはっきり言えないらしいですが、大きな手荷物等は無かったようだと」


こうなると野党の虚偽である可能性も出て来るのだが、奴らとメグミを一緒に見掛けた者も、又居ないのだ。嘘ではないのか。
奴らが食事をしたという店も、確認が取れている。そこで金の実る木を拾った等と吹聴していたのを、店主が覚えていた。嘘は吐いていないと思えた。
となるとやはり、彼女は1人で此処に来た事になる。どうやって。何をしに。何の為に。


「………ああああ!」


再び、今度はかなり乱暴に頭を掻き回すと、兵士がびくりと肩を揺らした。視界の隅に入ったそれを、彼女みたいだと思った。思ってしまった。怯えた瞳。あの時、確かに彼女は怯えていた。揺れる黒目を見て、出した手の所在が無くなった。そりゃ怖かったんだろうと、そん時はそう思った。
今思えば――、今思えばそれは、俺を怖がっていたんじゃないか。だとしたら俺は、


「あの、3代目?」


声にはっとする。見れば兵士が眉を下げて俺を見上げていた。


「ん、いや……ああ、しょーがねぇか」

「は?」


怖い目にあっただろうから、本当ならそっとしといてやりてぇんだがなぁ。そうも言ってられねぇか。


「お前らは引き続き聞き取り調査しといてくれ。俺は一度城に戻るから、何かあったら風便飛ばせ。頼んだぜ」


きょとんとした兵士の肩を叩くと、彼ははっとしたように姿勢を正し、短く返事を返した。それを確認して、シルフを喚び出す。


「おし、いっちょ飛ばすか」

『θー!』


今から歩けば日が傾く距離も、飛べば半分。
調べて解んねぇならもう本人に訊くしかねぇ。幸いそれ程塞いじゃいねぇらしいし、飯も食ってるみてぇだし。結構すんなり解決すっかもしんねぇな。








(忙しさを言い訳に)
(聴取を言い訳に)
(言い訳している意識すら)
(無意識の海に沈ませて)


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