34


契約なんて、していない。

そう言ったところで信じて貰えないだろう。
男はシンを麻袋ごと、かなり乱暴に、木箱に放り込んだ。変な音がした。それは多分、シンの鳴き声。


「シン!」

「おっと、動くなよ。おい」

「へい兄貴!」

「……や、」


男がお兄さんに目配せすると、お兄さんがすかさず私の腕を取った。断然動きが良いのは、男が来たからだろうか。
私が慌てる間にも、男は鉄で補強された、古いが頑丈そうな木箱の蓋を閉じ、その上にどかりと座る。私は多少は抵抗したが、そんなのはお兄さんにとって蚊程の効力もないらしく、易々両手を後ろにまとめ上げられたら、痛さに呻くしかなくなった。ぐいと上げた後ろ手は、何か――恐らく感触からして縄――でまとめ上げられた。
次いで男の前に連れて行かれる。
そこは丁度出入口の脇に当たり、男の後ろにある扉が僅かに開いているのが見えた。すぐそこに逃げ道があるのに、絶望的に遠い。


「さあ、手放して貰おうか」

「………………………」


男が手で木箱を叩き示す。眉を顰め、答えに窮し無言でいたら、さっさとしな、とお兄さんに肩を小突かれて、膝を付く羽目になった。うう、痛い。不快に思って更に顔を顰めたら、どう取ったのか男が剣に手をかけた。すらりと抜かれる、鈍い銀。


「おかしな真似はするなよ。俺ぁいつでも、あんたの首を跳ねる事が出来るんだ」


男が剣を見せびらかすように振ると、お兄さんが私の髪を掴んだ。引かれ、首が仰け反る。


「いっ!」

「迷ってる暇はないぜ?」


顕になった首筋に、切っ先が向けられる。男の手元から目が離せない。勝手に身体が震えている。息が出来ない。怖くて、息が、出来ない。


「ぁ……」

「さあおじょうちゃん」


視界が滲む。


「……ら、ない」

「ああ? なんだってぇ? 聞こえねぇなぁ」


笑っている。見ていないけれど、男が笑っている。


「し、……らない、っ、し、ら、ない……!」


喉が引きつり、上手く話せない。殆ど吐息の私の言葉に、男の明瞭な言葉が返ってくる。


「知らないだぁ? 何を言ってんだあんた。ええ? 何を知らないって? この期に及んでしらばっくれる気か? あ?」


ぴたぴたと、剣肌を頬に当てられる。


「ちが、わた、私、破棄、の、……、ほんとに、知らな、」


男が舌打ちした。


「破棄のって……こいつやり方を知らないんで?」

「みてぇだな」


男は剣を下げ、それを期に、私の髪も解放された。短く、荒い息が口から飛び出る。男は剣を弄んでいる。口の中がカラカラで、唾を飲もうとしたが上手くいかず、噎せた。吐きそう。頭がくらくらする。


「――すんで?」


声が遠く感じる。のそりと顔を上げた。ぼやけた視界に入る、銀。それと、煤けた箱。
シン……。あれから物音1つしない。ああもう、どうして。どうして戻って来たりしたの。こんなの嫌だ。嫌だよ。キミを見捨てる自分も、そうさせる非情な現実も。


「チッ、何でも人に訊くんじゃねぇよ」

「へえ……すんまっせん」


出来れば一緒に助かりたい。それは、あくまで出来ればの話だ。どう足掻いてもこれじゃあ、私にはどうしようもない。私は私の事だけで精一杯。言い訳ばかりが浮かぶ。吐きそうだ。
両目に溜まってしまった水は、遂に堪えられなくなって、ぽろりと落ちた。

それと同時だった。
爆音にも似た、激しい音が轟いたのは。






救世主の救世主は






ぶわりと前髪が巻き上がった。驚き顔を上げた先に、木片が吹っ飛んで行くのを見た。見たのは一瞬。次の瞬間には後ろにひっくり返っていた。


「わああああ!?」


慌てるどころじゃない。混乱した。もう訳が解らない。身体が強い風に煽られて、亀のように縮こまった。なに、なんだ、何なのよー!?
なんかもう色んな音が混ざり合っていて、はっきりとは言えないが、その中に男の叫び声とかも含まれている気がする。目を固く瞑り耐えていれば、次第に風は弱まった。
轟音のせいで、聴覚が弱まっているが、何かが、ぱらぱらと、落ちているような。カラン、と何かが転がる軽い音も聞こえた。

頭を上げるべきか、否か。

肌に少しだけ、風の刺激を受けている。さっきまで小屋の空気は淀んでいたが、それが動いているのだ。まるで、大きな窓を開いたみたいに。
ゆ、勇気要るううぅ……!
そろりと、瞼を持ち上げる。何度か、深呼吸。……埃っぽい。
よし、覚悟はいいか私。見るぞー、見るぞー。いーち、にいーのー……、さん!

一気にがばりと頭を上げる。
で、その頭は一瞬真っ白になった。愕然としたまま、ゆっくり、ゆっくり、酷く荒れた小屋を、見渡す。そして一点で止まる。口が開いたままだが、それが当たり前だと納得出来る程、酷かった。
色んな物が散乱した小屋内もそうだが、あ、なが。穴が。出入口の扉と、壁があった筈の場所に、穴が、空いて………。


「………………な、」


呆然と口から漏れ、ただ後が続かない。それ程インパクトがあった。まるで爆破されたみたいに、扉付近が根こそぎ無くなっている。無理矢理削られた壁から、木屑が落ち、埃が舞っている。煙は無いようだが、暗さとその埃とで視界が悪く、小屋全体が霞んでいた。
一体全体、何がどうなって――鈍った脳みそが漸くそう疑問を弾き出した時、ぬうと、穴から人影が現れた。びっくんと肩が跳ねた。声を上げなかったのはもう奇跡としか言い様がない。
人影が大きかったせいもあるだろう。もうもうと埃の舞う小屋に入って来ると、薄ぼんやりと形が見えて来た。
何か大きな物を、片手に持っている。赤茶っぽい髪が頭部を覆っていた。物を持っていない方の手が、不意に振られた。埃を払ったんだろう。ぼんやりしていた輪郭が、少しクリアになる。
そして私は、目を見張った。
それは紛う事なき、知った顔であった。


「メグミ! 何処だ!」


嗚呼、この声――
暗くて曇っていた赤茶は、本来橙色。くるり、此方を向いた瞳は綺麗な翡翠色。
――オズ
鼻孔がしくりと痛んだ。
あんまりにも安堵したから、油断したんだ。


「メグミ!」

「オ、っ、」


呼び返そうとして、込み上げた。
助かった。助けに来てくれた。私が救世主だからかもしれないけれど、そんな事はこの際どうだっていい。今はそんな捻くれた考えよりも、私を探してくれた、その事実だけで十分だ。
怖かった。怖かったんだ。
こんなところで、誰にも知られず、終わるかもしれない。思い残す程の人生を送っては来なかったけれど、路地裏の塵屑みたいに、誰にも気にされず、誰にも思い出して貰えず、ひっそりと独り朽ちるのかと思うと、恐ろしくて堪らなかった。
それはただ死ぬよりも、よっぽど恐ろしい。


「ってぇ………」


割と近くで聞こえた呻きに、再び肩が跳ね、振り返る。見れば男が、木片の下から身を起こしていた。ガラガラと、木片が崩れる。
離れなければ、この男は危険だ、そう頭は命令するが、身体は強張って動かなかった。頭を打ったのか、額から血を流している。血だ。叫びそうになるのを、寸でのところで口を押さえ防いだ。


「なん、だ、一体……ナロ……、おい、ナロ! ナロ何処だ!」


男は頭を軽く振ると、はっとしたように辺りを見回した。そして、私と目が合う。険しかった表情が、益々剣呑になり、みるみる怒りを瞳に灯した。ちょっと待てなんだその顔。嫌な予感がするんですが!


「てめぇ!」

「ひっ!」


えっ、嘘でしょ何か誤解されてる! 男は私に向かって手を伸ばす。怒っているのは明白だった。これ私のせいじゃない、これ私のせいじゃないから!


「待て!」


咄嗟に逃げようとするも、座り込んだ体勢が悪く、縺れるように倒れ込んだ。私鈍臭い。鈍臭過ぎる。顔を上げれば、やはり男の手が寸前に迫っていて。

けれど、手は私に触れなかった。

何と言えばいいか、こう、
――ずむ。
っと。
突然視界に入った、黄土色のブーツが、男の手を踏み付けたのだ。

結果、ぎゃあと、男が悲鳴を上げた。え、と私は視線を落とした。男の手がプルプルと震えていて、とても痛そうだった。


「てめぇか」


降ってくる、低音。ドスの効いたその声に、ぎくりと身を強張らせ、男の手から、その上の靴、ゆっくり順に、足を辿っていく。
そうして行き着いた、その顔に。


「ただで済むと思うなよ」


戦慄しました


「いっ、いてぇいてぇいてぇ!」

「男がぎゃあぎゃあ喚くんじゃねぇよ、みっともねぇ!」


そんな無茶な。
思わず心の中で突っ込むも、凶悪面したオズにビビった私は無言で視線を逸らした。さっきの安堵は何処へやら、恐怖しか感じない。鬼がいます先生!













(俺んちでよくもまあ)
(派手にやってくれたなぁ?)
(怖い怖い全てにおいて怖い)


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