寝室は、大きいラティスのようなものと、透けるカーテンぽいものとで、区切られている。薄い仕切り一枚でも、1人で居られるのはありがたい。
仕切りの向こうから漏れる蝋燭の灯りが、ゆらゆら揺れている。足を庇いながらも、お風呂を頂けた私は、精神的にも肉体的にも疲労困憊で、直ぐ様ベッドに入らせて貰った。
「君はどこから入ったのかね」
その私は横になって直ぐ、正確に言うと横になって侍女さん達が寝室から出て行ってから直ぐ、無駄に沢山ある枕の1つからひょっこり現れた精霊さんと、ご対面した。
目を丸くする私に、ぴょんこぴょんこ跳ねるように近付いた精霊さんは、以来そこでコロコロ転がって遊んでいる。遊んで? 遊んで、いるようにしか見えない。
眺めていても仕方ないので、のそのそ起き上がって訊いてみたが、返ってきたのは可愛い鳴き声で、全然何言ってるか解らない。でも可愛いから良し。
「昼間のは、君かね」
『ΦΦ』
「そうか。野良って言えばいいのかな?」
『δ?』
「ちっちゃいけど、子どもとか大人とかないのかな。あ、でも生まれるとか言ってたから、幼いとかはあるのか」
『Φー』
「ねー、本当にさっぱり解んないな!」
我ながら会話してるふうで全く解ってないのかよっていうね。解んないもんは解んないし仕方ないけど。でも、返事はある。そこが可愛いんだよなあ。
「………契約」
『δ?』
うず、と沸き上がったそれは、口からこぼれた。わんこを飼っている友達を見て、わんこが欲しくなる。それと同じ感覚だ。こっそり羨ましかったのだ。こんな可愛いのを飼える……は違うか、一緒に居られるって羨ましい。
契約って、その仕組みとか私にはよく解らないけど、誰にでも出来るんだろうか。出来るなら、してみたい。別に変な力とかは要らないけど、この可愛いのを連れて歩けるのだ。
『δー?』
「うはん可愛いいい……!」
くり、と首を傾ける、破壊力抜群なその愛らしい姿。思わず肩に力が入るくらい可愛い。鼻息荒くなるくらい可愛い。
「契約ってどうするのかな。君知ってる? 私と契約しようよ、契約」
『………εθθ』
あれ……身体ふりふりされちゃった。なんか、しょんぼりしてる、し。
「だ、駄目なの?」
『εΦ』
小さな身体を、左右にゆさ、ゆさ。悲しそうに鳴く。私の見解が間違ってないなら、これは契約出来ないという意味だろうか。出来ない……でき、ない。
『δー』
「ごめん予想より遥かにダメージだった」
膝を抱えた私は、鳴き声にくぐもった声で返す。うん、落ち込んだ。
『ε! ε!』
「あー、はいはい、大丈夫」
ぴょーんぴょーん、高く跳ねる精霊さんに、顔を向ける。大丈夫だから頭にタックルしないで。いや痛くはないけど。
「まあ契約は無理でも、友達にはなれるしねー」
『θδδ?』
「友達」
『θδδ?』
「友達」
『θδδ』
「ねー、さっぱり意志疎通ならず!」
笑うしかない。
「お……膝に乗るとかそんな可愛い事をするなよー」
『Φ』
「君、精霊さん、えーと、風の精霊さんでしょ? 風の、風……、フータ君、てどこのレッサーパンダ」
『…………』
「ちょ、何その半眼。可愛いだけとか思ってたらとんだ傷を負わされたんですけど」
見上げる円らな瞳が、冷めたように細められたのを見て、若干怯む。なに、あれか、厳しいのか。ジョークに厳しいのか精霊は。
「い、今のはあれだよ、別にボケたとかでなく、本気で考えた結果だよ。違うよ、狙った訳じゃないよ」
おい私は何に対して言い訳しているんだ。違う違う、そうじゃなく。
「あの、あれだよ、名前だよ」
『зз?』
「うん、そう、名前」
『зз?』
「名前」
『зз』
「あれデジャヴ」
こんな事をしていたら、朝になりそうです。
「君の名前だよ。北風小僧に名前があるように、君にも名前が必要でしょ?」
『зз……δ?』
「だって私が呼ぶのに、必要じゃない」
『………Φ!」
「おわっ」
ミュッ、と鳴いた小さな黄緑は、勢い良く私の膝からジャンプして、額に飛び付いた。何故額に。
「あの、前髪にぶら下がられると、ちょっと痛いんですが」
手の平を差し出すと、ぽてんと着地した。こ、これは……手乗り精霊!
「軽く稲妻落ちたわ……」
『δδ』
私の手の平に収まる、小さな君。やっぱりこれは、生きているものだと思う。
だって感じるんだもの。軽い軽い重みも。ほんのり伝わる温もりも。意思の浮かぶ瞳も。返ってくる鳴き声も。
その中には、きっと。
「シン」
小さく鳴いて、身体を傾ける。
「君の名前」
その中にはきっと、心があるって、思うんだ。
そこにあるもの
対処は早かったものの、後処理やなんやで、結局、事が片付いたのは深夜だった。それでもまだ報告を含めると、完全に終わりではない。
城に残してきた部下は、きちんと仕事をこなしているだろうか。
私は今は此処を離れられない。気になる事を留め置いての派遣だが、此方も此方で、私が必要なのも納得がいくから、かの采配は妥当と言えよう。しかし、もどかしく思うのも事実。
彼女の問題さえなければ、私がある程度の期間、主人のお傍を離れようと、そこまで心配せずとも良い。何を憂うかと言えば、やはり彼女なしには語れぬだろう。
これはかなり繊細で、時間を要する問題なのだ。此方のように、懲悪すれば終わりと言うわけにはいかない。
「団長」
片付いた書類から目を上げると、簡素な部屋の扉から、部下が2人顔を出していた。
「ああ、ご苦労様です。今見張りは何人付けてます?」
労いを入室許可の代わりに、彼らは並んで立つ。
「は、牢番に3人、内1人が交代で見回り、入り口にも2人配備しております」
「建物周辺は?」
「内部見回りに2人、外回りに2人ですが、足りませんか?」
いや、と小さく首を振り、微笑を浮かべる。すると緊張しきっていた部下の顔が、ほっと緩んだ。
「町の警邏はどうなっています?」
が、この一言で、彼らは途端に顔を強張らせた。なんだ? 隣合わせの互いを見やる2人に、眉を僅かに潜ませた。
「それが、今時半、ストックライトの警邏が……」
歯切れの悪い報告は、中身のよろしくない。
向こうの耳に入るのは致し方ないことだ。町は風の物と言えど、国境とはそういうもの。情報が漏洩し易い。しかし今は時期が悪い。
野党の件だけで済めば良いが、ああいや、駄目か。恐らくそれだけでは済むまい。勘の良いあの方の事だ、僅かな変化も目ざとく感じ取るに違いない。探られるとなると、此方は大分不利だ。
「……解りました。そちらは一旦、ストックライトに任せましょう。協力を拒む必要はないですからね。君たちはもう休みなさい」
「は」
怪しまれる行動は慎むべきだが、早めに対処しなければ、彼女の事が漏れかねない。この国は、ただでさえ解放的なのだ。
直に訊かれでもすれば、あの馬鹿正直な主人は、包み隠さず話してしまうだろう。
再び静けさを取り戻した部屋で、息を吐く。
「暫くは、戻れませんね……」
それは暫く、彼女を見られない事と同義。
(監視と称する事で)
(体面を保つ)