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遠いんですか、そう訊いた恵に、クロウはそう遠くはないと答えていた。恵はほっとした顔をしていた。
痛くねぇ筈ねえんだ。エジラじいさんの薬は良く効くから、今朝はそうでも無かっただろうが、じいさんの話じゃ、肉離れを起こしかけてたってんだから、1日で完治なんて土台無理な話だ。なのにこいつは、そういう顔をしねえ。
辛いとか、痛いとか、苦しいとか、そういう顔、なんでしねえでいられんのか。
すすり泣く声は、悲痛な痛みを伴って、俺の耳に届いた。今朝の瞳だって、赤く充血していたのに。
辛くねぇ筈がねえんだ。


「食べたばかりで運動は良くありませんから、少し休憩して、それから参りましょう。長もその判断の筈です」

「はーい」


歩かせて、いいのか。
自問して、眉が寄った。連れて行くと言ったのは俺だ。願い苦しむ痛みは、足の痛みよりも遥かに重症だと思ったからだ。黒の双眼は、強く強くそれを訴えていた。足が痛いからどうした。そんな事より、自分は帰りたいのだと。何よりそれが大事なのだと。


「オズ?」

「んあ?」

「どうか、したんですか?」


長椅子から、心配そうに見上げる瞳。人の心配してる場合かこいつは。


「ああ? 何が」

「えっと………ここ」


此処、言って彼女は自分の眉間を指す。


「寄ってますけど」


気まずさから口が歪む。ごしごしと、指先で眉間を擦ってから、息を吸い込んだ。


「………べっつにー。誰かさんのせいで肉食い損ねたから、そのせいかもなー」

「ご自分の所為でしょう」

「ぶっ殺すぞクロウ」


彼女の口角がそっと上がる。それを横目に見ながら、やっぱり俺の口は歪んだ。
泣かれるより、笑ってる方がそりゃあいいに決まってる。けれど、独りで泣かれるより、目の前で号泣された方がいいと思うのも、また事実で。
笑って欲しくて茶化した癖に、辛いなら辛いって顔しろよ、なんて。俺はなんて矛盾してるんだろう。
そういうもんが、腹の底でぐるぐるしている。それは、不快で、気持ち悪くて、苛立つ。こんなのは初めてだ。どうしていいか、解らない。


「3代目は言う事為す事物騒で嫌ですね。もう部屋に引っ込まれたらどうですか」

「お前それ主に向ける言葉じゃなくね?」

「主の自覚がない人に言われたくありませんね」

「はん! じゃあお前は従者の自覚あんのかよ」

「愚問ですね」


すまし顔のクロウを睨む。解っていても。解っていてもだ。昨夜の彼女を見ても一切態度を変えない、一切動揺をみせないクロウが、少し腹立たしかった。こういう奴だと、理解していても。八つ当たりだと、理解していても。


「ある訳ないでしょう」

「お前はそういう奴だよちきしょう!」


くすくすと、小さな笑い声。ほっとする。ほっとするのに、無理してんじゃねぇかと懸念する。ああ、腹の底が気持ちわりぃ。


「………3代目」


不貞腐れた顔で外方を向いた俺に、少し調子を落とした声が掛かる。視線だけをずらせば、彼女と似た、しかし少しだけ青味を帯びた瞳が、此方を見据えていた。
言外に含められた意味を汲み取って、眉を顰める。わあってるよ。舌打ちしたいのを堪えて、くるり、背を向けた。柔らかな笑顔へ、背を向けた。


「ちっと腹ごなしに散歩してくらー」


あ、と小さく漏れた声が、聞こえなかった訳ではない。それでも俺の不器用を知っている、クロウの配慮に甘えた。振り返らず、扉を潜ろうとして。

 ――……オズ!

呼ばれた声に、足を止めた。


「ありがとう!」


己の顔が、苦く歪むのを、自覚した。
ひらり、片手を振って答え、結局最後まで振り向く事無く、俺は部屋を出た。閉めた扉の前で暫し立ち尽くす。
何もしてねーよ。俺はまだ何も出来てねーよ。あんたが弱音ひとつ吐けねーくれえ、何も出来てないんだよ。
尖らせた口から、くそ、悪態吐いて、顔を上げる。
窓の外は快晴だ。社の白さが、きっと映える。

















3歩進んで















私が風影様に会ったのは、王間と呼ばれる部屋。街を見渡せるそこは、城の最上階にある。そして王間の脇に、ひっそりとそれはあった。
上部分がまあるく、板を鉄で補強しただけの、随分みすぼらしい扉。このお城で、初めて目にしたと言っていいくらい、姿形のそぐわぬそれ。
ひと一人分のそれは、古いのか、開くと耳を塞ぎたくなる程大きく鳴いた。
先にあったのは、石階段。最初に上がったのは、クロウさん。自分の番になった時、暗い階段のずうっと先の方に、小さな小さな光がぽつんと見えた。エスカレーターが恋しかった。


「おお、文明機器の素晴らしさよ……」


呟きは息切れの合間に。返事はなし。や、それは別にいいんだけど。私は兵士さんに挟まれて。その後ろはオズと風影様で。階段が急だとか。暫く階段見たくねえなとか。ちょっとぼやきたくなっちゃう私の気持ちとか。


「っ、はあ、はあっ、ま、ぶし……!」


登り切った私を褒めてくれてもいいんじゃないかとか。誰か。ねえ。とか。
そういうのを気にするより、もっと気になるのが、オズ、だった。


「大丈夫ですか? ちょっと休みましょうか」

「あ、いえっ、はっ、はあっ、すいませ……」


見栄で平気なふりをしようとしたが、直ぐ無理だと覆した。ばってばてな私に、クロウさんが苦笑する。
隣を振り返って、少し離れた目立つオレンジに目をやったけれど、彼は何処か、別の所を見ていた。オズは食事の後から、様子がおかしい。変に余所余所しいと言うか、目を、合わせてくれないのだ。
フイと、前に向き直る。感じるそれを、感じたくなかった。


「あ、れ………、森? ですか?」


大分整った息。喋り方も通常に戻りつつある。
階段の先は外で、私の前には鮮やかな緑を揺らす、森が広がっていた。広葉樹の枝葉の隙間から漏れる光が、斜線となって降り注いでいる。


「メグミさん、後ろを」

「後ろ?」


クロウさんに言われて後ろを振り返る。


「あっ…………」


世界に、丸い線が、引かれている。
地平線、じゃ、ない。霞んでいるが、あれは蒼。海だ。彼方に水平線。凄い。圧巻。これはなんて言う名前の見晴らしだ。


「崖の、上…………」

「はい」

「凄い、です」

「はい」


呆然と漏らす拙い言葉に、クロウさんは吹き出すように返してくれた。


「はあー……なんかこう、自分が小さくなった気分ですね」

「そうじゃなあ、わしも考え事をする時には、よく此処へ来るが、」


いつの間にか隣に居た風影様が、私と同じように世界を見下ろしていた。優しい目の笑顔。


「此処に来ると、己の悩みが小そう思えるな」

「あ、それ知ってます」

「知って?」

「すみません失言でした」


あんまりに定番中の定番だったので、うっかり口を滑らせてしまった。怪訝な顔の風影様を見ていられなかったので、景色に集中した。いやすみません空気読まなかった今のは本当に悪かったすみません緑は目に良いですよだから私じゃなくそっち見て。


「む」
「わっ」


眼を癒す運動に必要以上に没頭していたら、びゅうっ、とつむじ風が通り過ぎた。髪を乱して行ったそれに、何だよもうと思ったのは一瞬。風影様が背後を振り返っていて、でかした風に直ぐ様変わった。


「長、境でまた……」

「むう」


風が運んだものが、何を意味するのか。それを知らない気楽さで。


















(2歩下がる)



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